7−104 時間の支配者
セレディナは格段に強くなった。
薬となる物質を作り出し、それによる身体強化。体への負担も、吸血鬼であるセレディナには考える必要のないものだ。
「ドーピングというものだ。私本来の強さではないが⋯⋯それでも、構わない」
「殺し合いに卑怯も何もないと思うよ?」
エストの姿が消え、そしてセレディナの目の前に現れる。彼女は左足でセレディナを捉えたが、しかし、彼女は手で受け止めた。
「例えばこういうふうに⋯⋯か?」
「ふふ、これは想定外だね」
セレディナは反撃に黒刀を振るう。ついさっきより格段に速く、格段に強い。風を斬る轟音が響いた。エストは転移魔法によって躱していた。
エストの転移先はセレディナの真後ろだ。上下が逆さまになった視界で、セレディナに手を翳す。赤色の魔法陣が展開され、魔法は発動した。
青色の炎が扇状に広がった。セレディナは炎に飲み込まれる。
「熱いな。だが、これしきで死ぬほど弱くないみたいだ」
青い炎からセレディナは飛び出してくる。流石に火傷していたが、再生もしていた。
焼けた黒刀が生物のように直っていく。それでセレディナはエストに斬りかかった。剣技がエストを傷つけることはなく、躱される。だがその様子は必死に近い。避けるのが精一杯、と言った表情だ。
「今っ!」
セレディナは渾身の刺突を喰らわせる。エストの動きに隙ができたのだ。この瞬間まで力をセーブしており、エストの予想外だったようだ。彼女の心臓を貫き、おそらく破裂させた。肋骨を避けて刺したのは偶然でも何でもない。
が、セレディナの攻撃はそれで終わらない。彼女の瞳が赤く光って、次、黒刀が粉々になった。
消滅していない。文字通り、粉々になった。つまりそれは、エストの体内に黒刀の構成物質──毒そのものが残ったということだ。
「⋯⋯おっと、しまったね」
セレディナの黒刀は猛毒そのものだ。傷つけられるだけで致命傷。そんなものが体内に残ればどうなるか。想像に難くない。だからエストは必死に躱していたのだ。
「まるで何とかなると思ってるみたいだな?」
だのに、エストは冷静だった。矛盾しているように思えた。
「まあね」
白色の魔法陣が展開される。何も変化はなかったように見受けられた。だが、しかし、確実にそれは起こっていた。
「キミの毒は凶悪そのものだ。何せ魔毒だからね。特に私たちにとっては致命的さ⋯⋯魔法を使えば全身に激痛が走り、使えない」
だから、とエストは続ける。
「私が魔法を使わずに治せば良い。そうは思わない?」
「⋯⋯は?」
魔毒を治す、エストはそう言ったのだ。それは誰もこれまで成功させたことのない治療である。
「いや⋯⋯まさか、お前」
しかし、セレディナには心当たりがあった。魔毒を除去する唯一の方法に。思いつくだけなら魔毒を知る者には多いだろう。ただ、やろうとしないだけだ。
「魔毒は、私たちが魔法を使う時に魔力を引き出す器官、『魔力源』に異常を来す物質。ならさ、この器官を焼くんだよ。魔毒は炎で焼けば消えるからね」
『魔力源』は脳の中心にある、非常に小さな器官だ。それこそ近年、解剖技術が発展するまで見つからなかったものである。魔力はそこで生成されているとか、魂から生成された魔力が貯蓄されているとか──魔法学者では主に前者が支持されている──諸説ある。が、確実に分かっているのは『魔力源』から全身に魔力は流れている、ということだ。
「⋯⋯狂ってる」
セレディナは打ち合わせのときに思ったことをもう一度言った。彼女の中で、唯一演技ではない発言である。
「燃やし方は至って単純。魔力の性質を炎への変換することと魔力源過熱さ」
メーデアがやっていたように魔力は所持者の願いや望みによって性質が変化することがある。超高度な魔力操作技術と相当な量の魔力を有している必要である。そしてエストはこの二つの条件を満たしていた。
魔力源加熱はその名の通り『魔力源』に大きな負荷をかけて発熱することだ。魔法を使いすぎると頭痛や吐き気がするが、それのことを言う。
「かはっ⋯⋯ぐ⋯⋯うう⋯⋯」
分かっていても、一度やったことがあったにしても、自らの『魔力源』を焼くのはこの上なく苦しいものだった。呼吸ができなくて、冷や汗が止まらない。だが、
「⋯⋯⋯⋯」
殺すチャンスだと言うのに、セレディナは動かなかった。否、動けなかった。一見隙だらけな状態にあるエストだが、その実、斬りかかれば反撃されるだろうからだ。
何せ魔毒の熱処理は一瞬。エストが苦しんでいるのはその反動とでも言うべきもののせいであるからだ。勿論、いつもより弱くはなっているが、手痛いことには変わりない。何より、そうなることをエストが想定していないはずがない。
「──今のは攻撃チャンスだったよ?」
「嘘を言うな、魔女」
「あはは。分かっていたのね」
エストが魔毒を治すということは事前に知らされていた。が、セレディナはこんな事になると思ってもみなかった。
「⋯⋯しかし、その様子だと何度でも治療できるものではないな」
エストは答えない。それが何よりもの答えではあるものの、真相は不明。他者から見ればそう思うのも無理はない。が、能力による毒を一番よく知るのは能力者たるセレディナ本人だ。
彼女の能力、『死生贈罸』はあらゆる元素を作る能力である。この『あらゆる』には存在が確認されているものは当然含まれている。加えて確認されていない、もしくは存在していないものも作り出すことができる。
唯一の欠点は、あくまでも元素を作り出す能力であるという点。物体、液体、気体そのものを作り出すわけではない。もしそれらを作るのなら、理解している必要がある。
尤も毒や薬を作る場合は変質前の元素──セレディナは始元素と呼んでいる──を対象の体内に注入するだけで良い。そこからは自動的に対象に最も有効的な毒に変化する。
「繰り返せば治療法が減っていく。そして最後には治療はできなくなる。あと何度でお前は死ぬんだろうか」
「さあね。でも少なくとも、キミを殺すまでは大丈夫だよ」
「くくく⋯⋯言うじゃないか。だが、これならどうだ? ──白の魔女、エスト。お前は全力で滅ぼす必要がある」
セレディナは両手を広げる。すると──、
「⋯⋯なるほど。⋯⋯なるほど。⋯⋯ふ⋯⋯む⋯⋯。そう⋯⋯来た⋯⋯のね」
七体の化け物が唐突に現れた。転移によって来た彼らは、エストに対立した。
高身長で筋肉の塊のような大男──傲慢。
黒の衣装に身を包んだ銀髪の美女──強欲。
白色のボロボロなドレスを着た幼女──嫉妬。
スーツの似合う赤髪の燃え上がるような男──憤怒。
黒のワンピース姿、ピンク髪の可憐な人物──色欲。
全身の殆どをローブにより隠されている男──暴食。
着崩した白の寝間着の非常に長い金髪の美人──怠惰。
仮面をつけた死神たちが七人、そこに現れた。
「私はどうやら時間をかけすぎてしまったようだね。だからこうして人数不利になった」
「ああ、そうだ。お前と戦えるメンバー全員、ここに呼び寄せた」
他のアンデッドはエストの前には邪魔にもならない。片手間にもならない。意識せずとも勝手に巻き込まれて殺せる相手が殆ど。しかし、この七人だけはそうではない。処理するのにもそれなりの労力が必要だ。中にはエストが本気で殺さなければならないのも居る。
「〈魔法範囲拡大・獄炎壁〉」
エストを含むセレディナたち全員を地獄の炎が壁のように燃え上がり、囲う。無論、炎が一般人を燃やすことはなく、その囚われの身になることもない。
「〈上位魔法希薄化〉」
アヴァリティアが一言、魔法を唱えるとエストの魔法は瞬時にして弱まる。更に手を振ると、完全に炎は消えてしまった。
「へぇ。やるじゃん」
これからの戦闘には一切の予定調和がない。本気の殺し合いだ。勿論、勝者は決まっているが。それでも過程は本当である。
「──見え見えだよ」
背後に回ったグーラをエストは気配だけで察知する。彼の腕が伸ばされるが、瞬間、それは切断された。
追撃はまだ行われる。上空からスパービアが戦斧を振り下ろしながら迫ってきていた。だからエストは左腕を薙ぎ払った。すると、グーラがスパービアに激突する。
続いて、アヴァリティアが第九階級魔法の〈結晶乱射〉を行使。しかしエストは左手を翳すだけでそれらを空中に停止、あろうことか反射させた。結晶の弾丸は全てアヴァリティアの魔法によって撃ち落とされたものの、無意味となったようだ。
「おや、そこの二人は動かないのかな?」
エストが指したのはインヴィディアとラックスリアだ。二人が戦闘に入れば問答無用で全員死ぬか、あるいはエストが本気で全滅させることになるから戦闘には参加できない。が、それを言うことはできないため、
「ワタシたちはセレナ様をお守りする」
ラックスリアもインヴィディアの言葉に頷く。セレナ──セレディナは先の戦闘で消耗している、という設定だ。
しかしながら戦闘に全く参加しないのは不自然だ。
「そうかい。まあ、無関係というわけでもないね。どうせ隙見て殺しにかかるんでしょ?」
エストは〈転移〉を行使する──発動にタイムラグが発生した。
「〈転移遅延〉か⋯⋯」
エストはアヴァリティアを一瞥する。そして殺気を感じた方向に目を向けた。そこには気だるそうなピグリディアが立っていた。彼女の能力を知るエストはすぐさま離れようとした。だが時すでに遅し。
「潰れな」
ピグリディアは軽く、本当に軽くエストの肩を掴んで下に押した。なのに、彼女は地面に思いっきり叩き付けられた。クレーターも出来上がっていた。
「今だ。畳み掛けろ!」
セレディナの怒号が響く。それに突き動かされ、セレディナ含め八人は一斉に己のすべてを絞り出すかのように技を行使した。戦技、魔法、能力。彼らが得意とするもの──炎の戦斧による斬撃、結晶系魔法による弾幕、衝撃魔法による多重衝撃波、多種多様な武器による串刺し、魅了した魔物による一斉攻撃、溜め込んだ魔法と『口』による噛みつき、あらゆる力を一つの方向に纏め上げ、更に魔力により強化した神聖属性が付与された投槍、そして、先ほどとは比べ物にならないほどの超自然的な魔毒が込められた黒刀の雨。
それらが全部、エストを襲った。絶体絶命と言うべき所業だ。これを耐えられる者は、果たしてこの世に幾人いるのだろうか。分からないだろう。
現にセレディナ一行も本気で殺すつもりだった。エストであればそこから蘇生するだろうからだ。それから、セレディナたちは撤退すれば良い。こう思っていた。
だが──、
「──〈世界停止〉」
その時、世界全体の時間が完全に停止した。誰もその止まった時の中を動くことはできなかった。唯一許されたのはエストだけだ。
「マサカズから教えて貰った魔法だよ。キミたちはこの止まった世界では動けない。抗えない。何もできない。でも私は無制限に動けるし、五秒間なら他者への干渉さえ可能。停止時間さえも自由自在。いくつもある必殺技の一つさ。⋯⋯まあ、キミはこれを知ることができないけどね。だから何も知らずに狼狽えるしかない」
マサカズが使った〈世界停止〉には三つの制約があった。時間停止中は他への干渉が不可能。停止時間は長くても一分。消費魔力量は莫大。
しかし、エストはこれらの制約を全て削除した。マサカズからは「そんなのインチキだ。俺でもできなかったんだぞ」と言われたがそれはそれだ。エストの才能がマサカズを超えていただけなのだ。
「このまま避けても良いけど、それだと面白くない。折角だ。試したい魔法があるから試してみようか」
エストは一度見たものは忘れようとしない限り忘れない。完璧に思い出した魔法陣を構築し、名前を唱える。
「〈朽ちる真実〉」
エストに向けられていたあらゆる攻撃が、一瞬にして消滅した。まるで最初からなかったかのように。
「わお。凄い魔力消費量だね。私の魔力の六割以上が一度に消し飛んだんだけど」
イザベリアはこれを五回ほど連発できる。エストは〈無量創造〉で魔力が実質無限だが、それでも連発は不可能。ある程度のクールタイムが必須なのである。
また、真実の時間を消し飛ばすにしても、範囲がオリジナルよりほんの少しだけ狭かった。効果は同等だったが。
改めてイザベリアの魔力量とその行使能力の高さに驚かされる。行使能力は魔法の天才たるエストとほぼ同じなのだ。魔力量の多さも考えると、真正面からの殺し合いであれば負けてしまうかもしれない。
「干渉可能時間はまだまだあるけど⋯⋯ここで殺す気はないし、維持コストも馬鹿にならないしね。てかそろそろ解除しないとフラついてくるよ」
ということでエストは魔法を解除した。
無論、死神たちは困惑していた。セレディナも少し驚いたような顔をしたが、すぐに改めて、
「さて⋯⋯と。もういいか。どうする?」
エストとセレディナたち以外は、セレディナのその発言を理解できないでいた。なぜならば最高戦力が用意できた今、戦闘はより激化させてエストをなんとしてでも殺すべき。そう考えるのが自然であったからだ。
だが、この考えに至った者は勘違いしている。
「⋯⋯仕方ない。ここは一旦、見逃そう。私としても、これ以上は避けたいところだしね」
勘違いした内容とは、エストを確実に殺せる戦力をセレディナは持っているということだ。事実は予想と異なっていた。エストはセレディナたちを殺し尽くすことができ、セレディナたちはエストを確実には殺せない。
けれども、ここでこれ以上の戦闘を行えばエストは消耗するし都市は壊滅するだろう。それほど大規模な戦いは必至である。
つまり、国を守ろうとしているエストにとっても、エストと正面向かって殺し合いをしたくないセレディナたちにとっても、これ以上の戦闘を避けることには一定以上の利点があったということだ。
「今度会うときがあれば、その時が最後だ」
「キミたちの、ね」
そうだ。その時が来たとすれば、おそらくは総力戦。もしくは暗殺に近しいものだ。今回避けた大規模戦闘が行われるかもしれない。実質的な敗北になるかもしれない事である。今の──これからのエルティア公国に、壊滅した国を建て直すような余力があるはずがない。
「ではまた会おう。白の魔女、エスト。そして人間諸君」
銀髪の死神が魔法を行使し、セレディナたちはその場から消え去った。