1−25 醜
マサカズが最期に覚えたのは、身が潰される感覚であった。意識が朦朧としていたのが幸か不幸か、その感覚に対しては特に不快感は覚えなかったが、死ぬことはやはりというか、慣れない。
「⋯⋯どうして」
死んだ理由が分からない。今回は殆ど無意識下での死亡であり、その原因がわからない以上、迂闊には動けない。
「収穫といえば、あそこで俺が気絶してはならないことくらいか⋯⋯」
身が潰される感覚を味わったことから、九分九厘他殺であることがわかる。不幸にも土砂崩れや、隕石で潰されたとかでもなければであるが。
「俺を殺せたのは誰だ?」
真っ先に思い浮かぶのはあの辺りに居た、殺し損ねた魔獣の成りかけ。あのときは意識を持っていなかったが、マサカズが気絶している間に完成しないとは言えない。しかしながら、これの可能性は低いように思えるのが、マサカズの正直なところだ。
「すくなくとも、あの辺りには俺の全身を潰せるような、巨体の魔獣は居なかったはずだ。⋯⋯だとしたら」
『魔王軍』の仕業ではないか。先日の魔王軍の魔法学院襲撃では、レイ曰くティファレト──おそらくあの金髪少女──が魔王軍と協力していたらしい。一応は仲間であるティファレトを助けることには何の不自然もない。
すると次に挙がってくるのは何故魔王軍がティファレトのピンチを察知できていたか。
「⋯⋯魔法だとしたら、俺にはわからないな」
マサカズはこの世界における魔法技術をよく知らない。というかこの世界の言語すら覚えていないために、魔導書や魔法歴史書などが読めないので、魔法について知ることは大変難しいわけである。
「仲間のピンチがわかるような魔法⋯⋯ないとは断言できないな」
マサカズが元の世界に居たときに流行っていた、あるファンタジー系のRPGにはそのような魔法があった。
「たしか名前は〈絆〉だったか」
リアルタイムで味方の状況がわかる魔法。画面内に味方のHPや位置が表示されず、FFがあったあのゲームでは魔法職なら取っておくべき魔法No.1であった。
「⋯⋯もしそんな魔法があるなら、かなり面倒だな」
すこしだけ元の世界でのことを懐古していたが、すぐに現状のことに目を向ける。
「どうするか⋯⋯。いや、どうするもこうするも──」
選択肢は最初から一つだけであった。それは最悪な選択肢であったため、マサカズはずっと目を逸らしていたのだ。
「やるしかない、か」
自身の能力を最大限に活かし、相手の攻撃にギリギリとはいえ対応できるからこそ採用できる戦法だ。
「⋯⋯嫌だな」
その戦法は俗に言う『ゾンビ作戦』。つまり、死に覚え。超鬼畜ゲームでは日常的に行われている戦い方だ。
マサカズの加護もとい呪いの『死に戻り』は、記憶のみを持ち越すために身体的成長はない。というかあれば寿命が短くなる。だが、体の適切な動かし方や、体力の消費を極限まで抑える術を身につけれることができれば、敵に勝利できるようになる。
奇跡は簡単には起こらない。これは真理であるが、マサカズからしてみれば勝てる見込みがあるならば、その時点で勝利の可能性は高くなる。発狂しなければ良いだけであるからだ。
◆◆◆
前回と全く同様の手順で、ティファレトとの戦闘を行う。やはりというか、前回は奇跡だったようで、今回は簡単に殺された。
『死に戻り』の特性は、その死の原因を回避できる時点まで戻ることだ。次にマサカズが戻ってきたのは、ティファレト戦の直前であった。
(⋯⋯前々回も、その前も、二日前の朝だった。⋯⋯俺が奴を殺すと決心したから、戻る時点が変わったということか? ⋯⋯だとしたら、他の選択肢があったわけか)
そして、今回また新しい特性を発見した。本人が解決方法を決めて、それが達成できる場合、戻る時点が変わることがあるというものだ。変なところで本人の意向が汲まれるわけだ。
(最も楽な選択肢に誘導してくれればいいんだが⋯⋯世の中そんなに甘くはないよな)
それから幾度と死亡を続け──二十三回死亡した。
「⋯⋯さあ、始めようぜ」
死が怖くないわけではない。今も吐き気を必死に抑えて、余裕なフリをしているだけだ。何かあれば、こんな仮初の余裕など一瞬で砕け散る。
「⋯⋯お前は⋯⋯さっきとは違う」
ティファレトはマサカズの変化に勘づく。しかし、次の瞬間にはそんな事を気にしている場合ではなくなった。
マサカズは〈瞬歩〉で距離を詰め、剣で攻撃する。これをティファレトが避けることは既に予習済みで、すぐさま次の行動に移る。
(最初から当てるつもりがなかったのか!?)
ティファレトは防戦一方だ。回避に専念すれば回避は容易といえばそれまでだが、逆に言えば攻撃を仕掛けるのは大変リスキーな事であるということ。
「舐めるなァッ!」
先に折れたのはティファレトであり、それを知っていたマサカズはカウンターを仕掛ける。砂埃が立ち、ティファレトの姿が見えないが、マサカズは更に追い打ちをする。砂埃に赤みが混ざるも、ティファレトの影は立ち上がる。
ここでマサカズが攻撃をやめたのは、今攻撃すると跳ね返され、即死するからだ。
「⋯⋯わたしの顔を⋯⋯よくも!」
戦闘用の鞭を横に薙ぎ払い、木々は真っ二つに砕ける。マサカズは姿勢を低くすることでそれらの二の舞いになることを避け、
「〈一閃〉」
鞭を持つ腕を切り飛ばす。
──何一つ被弾が許されない極限の状況。ティファレトの攻撃は全て即死であり、クソゲーにも程がある。
しかしながら、ゲームというのはクリアするためにある。
「〈十光斬〉」
ティファレトはマサカズが剣を振った回数が一回だけに見えた。しかし、実際には十の斬撃を、マサカズはティファレトに繰り出したのだ。ティファレトの体がバラバラになる。
「⋯⋯っ」
腕が痛い。技の反動で、これだとしばらくは剣を振れないだろうと思う。
剣を持てずに地面に落とし、マサカズはその場に跪く。
「やっと⋯⋯やっと! 勝てた!」
二十四回目で、ようやく勝利できた。しかし、勝利に浸っている場合ではない。マサカズの予想では、これから魔王軍が来るはずだ。重く、痛い腕でもう一度剣を持ち、その場から去る。
去った。だから気づけなかった。一度目にマサカズが死んだのは魔王軍の仕業ではないと。⋯⋯まだ戦いは終わっていなかったと。
──肉片が蠢く。
◆◆◆
「マサカズさん! 生きていたんですか!?」
「ああ! なんとか奴を殺してきた!」
村から避難しようとしていたナオトとユナの目の前にマサカズは現れる。彼の姿はボロボロではあったが、黒の教団幹部と殺し合いをしてきたと考えれば軽症であった。
「⋯⋯おい、マサカズ。今なんて?」
「⋯⋯え? 奴を殺してきたって⋯⋯」
ユナの嬉しそうな顔とは異なり、焦燥感のあるナオトはマサカズに聞く。
「何か駄目なことでもあったか?」
「⋯⋯いや、お前は嘘はつかないし、あの状況からは逃げられないから⋯⋯。とにかく、マサカズ⋯⋯奴はまだ、死んでいない」
「⋯⋯なんだって?」
たしかに、マサカズはティファレトを細切れの肉片にした。
「⋯⋯ボクの〈魔力知覚〉にとんでもなく禍々しい魔力が反応したんだ」
「⋯⋯嘘だろ?」
希望から絶望に変わる瞬間、人はこのようなことを感じるんだなとマサカズは思う。
「⋯⋯マサカズ、さっきはボクたちに逃げろと言ったが──今回はその命令には従えない。なにせ、ここから逃げることは村人達を殺すことに繋がるからな」
「⋯⋯そうですね。それにマサカズさん一人で勝てたんですから、私達三人であれば確実でしょう?」
「お前ら⋯⋯」
自分が逃した。しかし、結局は自分の失態を二人にも任せることになった。あのやり直しはどれだけ意味がなかったことか。だが、
「⋯⋯今度からはお前らにも頼る。俺の『死に戻り』の回数は多いぜ」
「ああ」
「はい」
三人で一緒に戦うことがいかに大事で、その必要性が分かった気がした。
──地面が振動した。それは地震のようにも感じたが、すぐにそれは違うと確信した。
「⋯⋯おい。これは⋯⋯奴、なのか?」
「⋯⋯魔力量は違うが、質は同じだ」
「⋯⋯化物」
森の奥から現れたのは、ティファレトではなく、ティファレトだったナニカだ。
蜘蛛のようなナニカだったが、その大きさは5mほどある。その蜘蛛は全てが人間のバーツで完成されており、見る者全員に言いようもない嫌悪感を抱かせる。赤色のネバネバとした液体を口から常に垂らし続けて、その液体は地面に落ちると、その地面を溶かす。
人の眼球六つがそれぞれ二つずつ、マサカズ、ナオト、ユナを見る。
「〈剛射〉!」
ユナは弓を射て、矢はティファレトだったナニカの表皮に刺さるも、血の一滴も出ず、全く効果が無さそうだ。
続いてマサカズとナオトが斬撃を加えるも、刃は表皮を斬るわけでも、弾かれるわけでもなく、
「溶けた!?」
刃が溶けた。よく見るとユナの矢も溶けていた。最初から刺さって居なかったのだ。
蜘蛛モドキは原始的で、単純で、そして最も厄介な突進を繰り出す。全身に溶解液を纏って、その巨体からは想像もできない速さによる突進は避けることは難しく、防御もできない。
マサカズの体は溶けて、全身から血を出し、激痛を味わいながら命を失う。
──ティファレトとの戦いはまだ終わっていない。これからが、本番だ。
肩が熱い。腹部が痛い。腕が痛い。全身が痛い。体内から液体が流れ出て行くこの感覚が気色悪い。
怖い、また死ぬことが、またあれを体験することが、また形容しがたいあの感覚を味わうことが。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
何度死に、何度生き返った?
──数えられないほどだ。
何でこんな目に遭わなくてはならない?
──仲間を、友達を救って、幸せになるためだ。
痛みに顔を顰めることさえできないくらい、体力は消耗していた⋯⋯いや、今の顔の筋肉で、それができるかすら怪しい。
二人に、男女の死体に、酷い肉塊に、魂が消滅した抜け殻に、腕を伸ばす。
唾液と血と鼻水と涙で顔を汚していた。目は殆ど見えない。声帯は潰れかけて、発声は非常に難しい。
「──必ず」
人は何故生きるのか。それは幸せのためだ。その幸せが自分のものか、他人のものかは分からない。
もし、その幸せを獲得するために、何度でもやり直せるならば、人はやり直すだろうか? そのやり直しに想像もできない苦痛が伴うとしても。
──おそらく、しない人が大半だ。それほど、『死』は恐怖である。
では、する人はどんな人か? ⋯⋯狂人だ。強欲な人だ。
「──俺が」
死は怖い。決して慣れるものではないし、慣れてはならないものである。
⋯⋯なぜ、『死』が怖いのだろうか?
その答えは、人間にとって最も強く、最も古い恐怖とは、未知に対する恐怖であるからだ。死んで、生き返っても『死』を理解することはできなかった。ただ、後に怖い、気持ち悪いという感情のみが生まれただけだった。理解することが、知ることができなかったし、したくないとも思った。
⋯⋯でも、それが、どうした? 俺以外に、二人を助けられる存在がいるのか? 居ないだろう?
「──お前らを」
何度でもやり直せる。何度でもやり直してやる。この暗闇の中から、光を見つけるまで。この死のループから、全員が笑って、抜け出せるまで。俺だけが、それを実現させられるのだから。
「──救ってやる」
そして、世界の時間が、ビデオの逆再生時のように巻き戻る。
戻ってきたマサカズは、溜息をつく。
「お前のその醜い体を、俺は何度見ただろうな」
何回死んだかわからない。攻撃は一切通じず、時間を稼ぐことしかできない。でも、それでも、マサカズは諦められない。『死に戻り』が発動しているということは、それの解決方法があると考えて良いのだから。
◆◆◆
「エストは頭いいし、強いよな〜。ロアももっと強くならなきゃ」
エストは、ティファレトの能力は魔獣の創造で、目的は王都の襲撃だと言っていた。どこからそんな発想が出たのかは理解できないが、そこがエストとロアの違いだろう。
「⋯⋯まあ、その阻止の方法はバカらしいけど」
エストはロアを平原のど真ん中に転移させ、見える限りのソウル・イーターを始末しろと言ってきたのだ。結局は力技である。
「⋯⋯ん?」
平原にて魔獣の殺戮パーティーを開いていた赤髪の少女は、突如現れたとんでもない魔力を感じる。その量だけならば魔女にも匹敵するほどだ。
「魔獣にしてはあまりにも多い⋯⋯でも」
魔女にも匹敵する魔力ならば、強いはずだ。エストはティファレトがロアよりも弱いと言っていたが、これであれば、
「楽しめる!」
ロアはさっさと周りの魔獣を始末して、魔力反応があった場所に飛ぶ。すると、そこには蜘蛛のような化物と、三人の人間が居た。
(あれは⋯⋯特徴的に、エストが言っていた三人かな?)
異世界人はこの世界における一般人とは外見が異なる。それを知っているロアであれば、見分けは簡単につく。
三人の異世界人はその化物と戦っており、その動きはロアから見ても悪くはなかった。
「よっと」
ロアは蜘蛛の化物の目の前に降り立ち、その巨体に蹴りを入れる。化物は汚い金切り声を上げ、苦しむ。
「折角楽しめると思ったんだけど、魔力が多いだけか⋯⋯期待して損した」
ロアの見立てでは、今の蹴りは防がれると思っていた。しかし、目の前の化物は己の膨大な魔力を理解していないのか、はたまた制御できないようだった。
「⋯⋯〈崩壊〉」
マサカズらが手も足も出ない相手を、赤髪の少女は一瞬で殺した。
「お、お前は何者だ⋯⋯?」
驚愕の声を出しながら、そう問うマサカズに、赤の魔女は振り返り、答える。
「ロア。赤の魔女よ。エストに頼まれてお前たちをついでに助けたってわけ」