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白の魔女の世界救済譚  作者: 月乃彰
第七章 暁に至る時
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7−85 とある医師の目覚め

 ミカロナは優しい人物であった。生まれ持った緑魔法の才能が彼女の人格に影響したのかもしれないが、きっとそれは生粋の性格だった。

 彼女の家は代々治癒魔法使いの家系であり、日々人々を癒やしていた。本来、治癒魔法使いの需要は高くそれに見合うだけの料金が発生していた。しかし、彼らは患者が払いやすく、自分たちが生活するのに十分な程度の料金を提示していた。それはどんなに格安だったのかは、子供の頃のミカロナさえ分かっていたことだった。

 ある日、家に病気の患者が現れた。五日前から体調が非常に悪いのだという理由だった。父親が治癒魔法を行使したが、どれだけ治癒を続けても症状が少しだけ良くなるぐらいで一向に治る気配はなかった。他の治癒魔法使いでも同じであったらしく、隣町から来た彼はもう衰弱死一歩手前だった。

 その日の夜、ミカロナは例の患者のうめき声を聞いた。過去にも聞いたことのある声で、すぐさま処置しないといけない状態であるはずのもの。疲労で深く眠っていた父親は元より、母の治癒魔法も無意味だったから、誰に頼ってもこのまま患者は死ぬ。弟も治癒魔法の才はあったが、成熟しておらず第四階級さえ使えない。なら、今患者を救えるのは自分だけではないかと、年齢が二桁にも行っていないミカロナは安直に考えた。

 ミカロナはすぐに患者の元に行って、その手を握り治癒魔法を唱えた。しかし分かっていたことだが、いつものように一瞬では治らない。だから彼女はそれを何度も続けた。

 一晩が経過し、もうそろそろ朝日が登る頃だった。ミカロナの必死の治療も虚しく、患者の容態は緩やかに悪化するのみだ。だが、彼女はあることに注目した。そもそも、普通の治癒魔法で癒せる状態に男はあるのだろうか、ということだ。

 齢は六十歳ほどと高齢である。傷らしい傷はない。見た目だけでは健康そのものだ。症状は発熱、倦怠感、頭痛、食欲不振などであり、酷い風邪だと判断されていた。治癒魔法で状態の軽減しかできないのは、それが酷すぎる風邪だからだということである。自然治癒力に作用するのが緑魔法である。よって、患者の状態により使える魔法は限られるのだ。

 しかしだ。いくらなんでもこれを風邪というには重すぎる症状だとミカロナは思った。額を触れば普通の熱とは思えないくらい熱く、全身が痙攣し始めている。今ここでミカロナが治癒魔法を中断して両親を呼びに行くと、このまま彼は死んでしまいそうな気がするほどに衰弱しているのだ。

 ミカロナは医学についての本を町の図書館からよく借りていた。ただ普通に治癒魔法を極めたところで治せない病気があると彼女は思ったからだ。両親や町の人たちはそこまでするほどの病は滅多にないと言っていたが、自分は少数でも救える命があるのなら救いたいと返した。彼らはミカロナに理解を示し、両親は治癒魔法も怠るな、と言ってそれ以上何も言わなかった。彼女は一日中治癒魔法の練習と医学の勉強に励み、残りの時間は全て学校での勉学と睡眠、食事などに費やされ、殆ど自由時間はなかったが満足していた。

 そして今、この知識がようやく役に立った。この男の服に隠れて見られなかった腕や足を見た。すると右腕が包帯に巻かれており、取ってみると犬などの動物に噛まれたような傷があった。治りかけている傷だ。つけられてから時間が立っている。簡易的に処置した跡はあったが、ミカロナからすれば焼け石に水をかけたほうがマシな程度だ。

 これはおそらく狂犬病だとミカロナは推測した。同時に、これが発症すれば確実に死ぬ病だということも思い出した。狂犬病は脳に重大な損傷を与える、ウィルス性の病である。それが発症してから患者を助けられた者の例は過去にない。


「⋯⋯だったら、ボクがその一例目になれば良い」


 ミカロナは一か八かの賭けに出た。このまま狂犬病で死んでも、医療ミスで死んでも変わらない。少しでも助けられる方法を取って、結果は天に祈る他ないだろう。

 彼女は治癒魔法ではない違う魔法を行使した。そうすれば直にこの患者は死ぬだろう。だが、延命でしかないそれを中断する価値がこの魔法にはある。


「──大丈夫。ボクならできる。人間の構造は頭に入ってる」


 ミカロナが行使した魔法の色は赤色だった。それが展開する右手を患者の右腕に翳すと、腕は少しだけ焼けた。そして次、頭に持っていく。

 ──ミカロナが取った術式とは、炎の魔法によるウィルスの駆除である。一歩間違えれば脳を焼き尽くすことになり、ウィルスのみを的確に焼くなんて神業でさえない、不可能の技と言って良い。が、彼女はそれを行った。勿論、ウィルスだけを焼くことはできず、脳を焼いてしまった。だが、すぐさま治癒魔法を詠唱することで失敗をリカバリーする。これを続ける。

 精神が削れていく作業だった。集中が医療のすべてに注ぎ込まれ、窓の外の景色など見ていなかった。ただひたすらに己の魔法操作と手術に意識を割いていた。

 だから、全てが終わるまで後ろで見守っていた家族や町の人たちのことには気付かなかった。


「⋯⋯終わっ⋯⋯た」


「ミカロナ!」


 手術が終わったのを確認し、ミカロナの父親は彼女に話しかける。


「え、お父さん? みんな? ⋯⋯いつから?」


 外を見ると日はもうそろそろ頂点に達しそうなくらい高くなっていた。


「何時間も前からだ。⋯⋯今は免許なしの治癒行為を咎めることはしない。だから患者の容態が聞きたい」


「──死ぬことはもうないよ。原因は完全に取り除いた」


 男の体の異常は全て、回復傾向にある。治癒魔法の負担がこれ以上かかると悪化するかもしれないが、時間が解決してくれる。

 ミカロナの初めての治療行為は、大成功に終わったのである。

 そしてこれから時が経ち、ミカロナが正式な治癒魔法使い兼医者として働くようになってからは順風満帆な生活を送るようになった。不自由ないかつ良心的な料金設定は継続している。そんなこんなで二年が過ぎた頃だった。突如、彼女は不安に駆られた。今、自分が活躍できているのは若いからだ。魔法使いの年齢は良くて三十歳。あと二十年足らずで自分は衰えていく。その頃には、そろそろ結婚して作るであろう子供を立派に育てられる余裕はある。余生を暮らす余裕もある。しかし、今の自分はやがて廃れる。それが怖かった。受け入れられなかった。自分はいつまでも、誰かに必要とされたかった。

 ──であれば、全部、壊してしまえば良い。必要とされたければ、必要とされる状況を作り上げれば良い。傷が欲しいから、傷を付ければ良い。そうすることで、ミカロナは必要とされるのだから。

 そして命は延命すれば良い。過去に読んだ本の中に、『魔女』と呼ばれる存在があった。魔女とは恐れ多き種族だと言われるが、彼女は本物を見たことがない。永遠の命を持つと言われる彼女らのように成ることで、ミカロナが不安に怯えることはない。

 ミカロナは『魔女』について調べた。たった半年で分かった。治癒師としての幅広いコネクションや彼女本人の知識で探すのにはそれほど苦労しなかったのだ──緑の魔女と呼ばれる存在を調べ上げるには。

 どうやら彼女は各地を転々としているらしく、偶然以外の方法において会うことはできないらしい。しかし会うことができたのならば、どんな病気も、どんな傷も、そして死でさえ治す力の恩恵が受けられると言われていた。

 そう、偶然以外の方法では会えない。そのはずだった。


「⋯⋯君がここの治癒魔法使いさんだね?」


 ある天気の良い日の朝のことであった。それなりに大きな診療所の一室で患者を待っていると、受付の人からミカロナは呼ばれた。そして出ていってみれば、初対面の女の人から急にそんなことを言われたのだ。だが、彼女は知りもしない人ではなかった。初めて会ったとしても、姿の特徴は既に聞いていたのだ。

 ふんわりとした淡い緑色のクラウンハーフアップの髪型。瞳は右が金、左が緑のオッドアイ。服装は半身が青緑、もう半身が黒を基調とした、ドレスのような雰囲気がありつつも、旅をするのにぴったりな衣装だった。顔つきはどこか別の大陸の人間のような感じがする。少なくともこの辺りの人間ではないようだ。が、全く違う人種というわけでもない。


「あなたは⋯⋯緑の魔女、ラレッタですね」


「そうさ。では、早速本題に入るとしよう。私が君に会いに来たのは、君に緑魔法を教えてほしいからなんだ」


 ミカロナは一瞬、何を言っているのか分からなかった。魔女という存在が本物であるならば、魔法においては最上級の存在であるはずだ。普通の人間ではまず使えないとされる第十階級魔法さえ行使できる、雲の上の存在。それが魔女なのだ。そんな彼女が、人間である自分に魔法の師事を頼む。それも専門であるはずの緑魔法についてだなんて、理解しろという方が無理である。


「⋯⋯はい?」


「聞こえなかったかい? 私は君の緑魔法を知りたい。だから教えてほしいんだ」


「頼むにしてももう少し丁寧に言ってくれませんかね。あと、どうして緑の魔女であるあなたがボクなんかに? あなた、ボクよりよっぽど緑魔法使えるはずじゃないですか」


「丁寧に? 分かりました。⋯⋯私は確かにあなたより緑魔法が使えます。しかし、あなたのような独特な緑魔法の使い方はできないのです。私は知的好奇心を満たしたい。その独特な魔法はどうやって使えるのか知りたい。独自魔法(オリジナルマジック)は本人からしか聞けないでしょう?」


「丁寧に頼んでほしいとは言いましたが、なぜか少し気持ち悪いですね。言葉だけしか丁寧じゃないからでしょうか」


「そうだね。私は基本人間を下に見ているから。君だってペットを人間と全く同等に扱うかい? 私にとって君たちは、愛すべき、そして親切にするべき愛玩動物でしかない。以前のような同族意識はもうないんだよ」


「はい分かりました。⋯⋯で、脅しはもう終わりですか?」


 この会話の途中に受付の人は殺されている。目の前の魔女の手によって。あまりにも自然に殺したものだから、ミカロナはしばらく気付けなかったほどだ。しかし、それが脅しというわけではない。いや、脅しになることだが、ラレッタの脅し文句はまた違っていた。


「どうしてボクのあの魔法のことを?」


「君が私を調べ上げたように、私だって君を調べ上げた。魔女に成りたい人間を、私が警戒しないとでも?」


 なぜラレッタは受付を殺したか。理由はミカロナ独自の、緑魔法の治癒促進能力を逆手に取って相手を破壊する魔法を知るためだった。こうやって第三者を消すことで、ミカロナに恩を売っている。同時に、いつでもこのことを暴露できるという脅しにもなっている。


「なるほど。で、ボクが生き残るにはあなたにあの魔法を教える必要があると。⋯⋯あの魔法は創作者であるボクにさえ理解できない魔法。感覚でしか扱えない魔法。理論なんてない魔法。教え方なんて分からないのですが?」


「ああ、いいよ。今ので分かったから。本来の用途とは全く逆の効果を発揮させる理屈はね。でもまあ⋯⋯それでできるようになるわけじゃない。だから私に一度使って見せてよ」


「ええ。よっと。〈杜撰な治癒(スローピー・ヒール)〉」


 遠慮なく、躊躇なく、前置きなくミカロナはラレッタの体を攻撃魔法で軽く傷つけてから、緑魔法を行使する。すると彼女の全身に軽かった傷が広がり、重症化していく。そのまま殺してやろうとした。が、その前にラレッタは治癒魔法を行使して自らを回復させた。


「今私のこと殺そうとしたでしょ」


「殺せるなら殺しておきたいなと。教えたから良いでしょう?」


 『代金はあなたの命で』論だ。色々と容赦ないミカロナに、遂にラレッタは堪えきれなくなり笑ってしまう。


「ははははは! 面白い。君以外には使えそうにない魔法で、私には使えないと分かったけど、それでも教えてくれた礼だ。君に良いことを二つ教えて、渡してあげる」


 ラレッタは笑顔を浮かべながら二本指を立ててミカロナに話し始める。


「一つ目、魔女化の方法について。この紙に書かれてる手段でできるよ」


 彼女は指の片方を、数を数えるべく折る。


「二つ目、魔女になれるのは同時に六人まで。そして今は全ての席が埋まっている。赤の魔女、ワーシエル、青の魔女、レネ、黄の魔女、ウェルソナ、白の魔女、エスト、黒の魔女、名称不明、そして私、緑の魔女、ラレッタ。この内の誰かを殺すか死ぬのを待って空席になれば、君は魔女に成れるようになるよ」


 ラレッタはそのあとに、「あれ? ウェルソナは殺されたんだっけ。確かヴァシリーとかいうのに。まあいいや」などと続けたが、もうミカロナは聞いていなかった。つまり、自分が緑の魔女となるには目の前の女を殺さなければならないということである。それしか彼女の頭にはなかった。


「──さて。ここでやっても良いよ。私の『欲望』は『自由気ままに世界を謳歌すること』だからね。その障害となるであろう君を殺せるなら、私にはメリットしかないわけだよ」


「ならどうしてボクに選択肢を?」


「仮にも治癒魔法使い。私も君もね。君の命は君だけのものじゃないはずだ。無闇矢鱈に、無意味に命を奪うことを私は嫌っている。だから、殺すのなら意味のある殺しにしたいのさ」


「そこの受付の人は?」


「あと数分で発動遅延された蘇生魔法が効果を発揮するよ」


 ここで殺し合ったとしてもミカロナはラレッタを殺せない。いくら緑であっても魔女は魔女だ。人間が彼女らを殺すには、特別な人間であるか、もしくは奇跡を信じるしかない。つまりは分の悪すぎる賭け事に出る必要があるのだ。


「あなたのことは必ず殺します。いかなる手を使ってでも。しかし、今ではない。⋯⋯ここは診療所です」


「傷を付ける場所でもないでしょ? よく言い訳にできたものだね。でも分かった。言い分だけには賛成。⋯⋯楽しみに待っているからね、ミカロナ君」


 そう言って、ラレッタはこの場から消え去った。

 あとに残ったのは血の匂いが僅かにする診療所だ。この死体が生き返って、受付の人に何があったかを聞かれても口では誤魔化せるが、この惨状が見られては誤魔化せない。まだ誰も訪れてない今のうちに、ラレッタが受付の人を殺した証拠は処理しなければならない。

 ミカロナが事後処理をしている間、彼女は小さな声で呟いた。


「ボクは必ず緑の魔女になる、あなたを殺してね」

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