7−81 青の能力
ロックは竜の王であり、その力も竜の頂点だ。技術そのままに、一切の制限なく振るえるとしたら、それがいかに恐ろしいことであるかは想像に難くないだろう。だが、レネにその凶爪が振るわれることはなく、命中する直前で受け止められる。『守護』の能力を破れるような力がなかったからだ。
「ロックさん⋯⋯」
レネはロックと物理的に同じ目線となるために、飛行魔法を行使する。彼はその巨大な口を開くと、その中で炎が不自然に集まって球体を形成した。
竜の息吹は、まず大きく二つに分けられる。一つ、体内の火炎袋やそれに類似した特有の器官で生成されたものを吐き出すもの。二つ、一つ目のそれに魔力や体力を代償にして、魔法や戦技のような性質を帯びさせるものだ。勿論、単純な威力では後者の方が高い。
「〈魔法防御強化・倍反射〉」
「────」
ロックは魔力を込めたブレスを放つが、それはレネの行使した魔法に弾かれて、威力が倍となり返ってきた。直撃するが、彼はまるで痛そうにしていない。洗脳されているのだから当たり前といえば当たり前だが、外傷もそこまで目立っていない。多少火傷のようなものがあるだけだ。
だが、レネはそれを確認するまでもなく、既に攻撃に移っていた。
「〈凍結〉、〈重力操作〉」
大粒の雨を凍らせて即席の弾丸を作る。普通に氷魔法を行使するより遥かに消費魔力を抑えられる。代わりに重力操作の演算に苦労することになったが、許容範囲内だ。
しかし、肝心の氷の弾丸だが、ロックにはそこまで効果はなさそうだ。やはりあの鱗が固く、装甲の役割をしている。
「⋯⋯まあ、そこまで期待していませんでしたしね」
レネが期待していた本当の効果は、再びロックが動こうとしたときに表れた。彼の動きが鈍っていたのだ。
「竜は環境への適応力が高い。例え普段は溶岩付近で過ごしていても、雪山に行ったからといって死ぬことはなく、ましてや凍えることさえない。少し寒いと感じる程度⋯⋯ですが、体の作りはどう頑張っても火山に適したものになってしまうため、体は比較的容易く凍りつく。雪山に住む竜ならば、そんなことはないのに」
彼女が狙ったことは、雨に濡れたロックの体を凍りつかせることだ。そして冷気を発生させるたびに、雨が凍りつきロックの動きを鈍重にしていく。
「私の能力が使えない以上、仕方ありません。ちょっとだけ乱暴になりますか」
レネの『守護』は障壁を展開する能力ではなく、対象を守ることのできる力を発現する能力だ。その殆どが物理的な壁であったということであり、本質は異なる。故に洗脳や異常を断ち切ることもできるのだが、今回はできなかった。洗脳の力が強いのだろう。
「────」
ロックは我を忘れて、野蛮な魔獣としての竜のようにレネを襲う。鉤爪を振るい、が弾かれて、ならばと口を大きくして飲み込もうとする。しかし、転移魔法によってレネは遥か上空に現れた。
ロックは翼を羽ばたかせてレネに急接近する。彼女はそれを撃ち落とすべく、魔法を行使した。
「〈氷流星群〉」
曇天で太陽光がないため、殆ど不可視の氷の粒がロックを撃ち抜く。一つ一つは僅か数センチメートルほどであるにも関わらず、氷とは思えない硬度と普通ならば目で追えない速度により、ロックの装甲のような皮膚を抉り取り、肉に到着する。同時に内部にも氷を埋め込む。
それでもロックは羽ばたくことを躊躇わず、息吹で氷を溶かしつつレネに接近した。そして、その場で一回転し、レネに尻尾を叩き付けて地面にはたき落とす。
軽々とクレータを作る剛力だったが、肝心のレネは無傷どころか地面に倒れてすらいなかった。能力で自らを守り、衝撃を完全に吸収したのだ。
「〈掌握〉」
ロック本人を掌握し、握りつぶせるのならばとっくにしているが、できない。ゆえにレネは彼の体内になる『自分が埋め込んだ氷』を対象に、一つにまとめる。その力によりロックの体内が掻き回され、抉られた。
レネが数多の氷の幻影が浮かんでいた拳を握ると、ロックは血を吐き出し、大量に出血した。
「〈大火〉」
ロックを丸々飲み込む火が行使された。あまりの熱にロックはうめき声を遂に上げたが、
「⋯⋯⋯⋯」
あの女神とも称されたレネの姿はどこにもなく、そこにあるのは無表情な彼女だった。
レネの欲望は『守る』こと。しかし、そこには手段が含まれていない。例えそれが傷つけることであっても、守るためならば、
「──〈業火葬砲〉」
──躊躇がなくなる。
紅くて黒い炎が発射される。洗脳状態にあるロックはそれは危険だと察知し、回避しようとする。が、動けない。レネの瞳が青く光ったのがロックの瞳に反射した。障壁によって可動域が制限されたのだ。
灼熱。豪熱。業火。石さえ溶かし、蒸発させる炎を正面から受けてしまったロックは、体の表面が蒸発し、沸騰した。
「⋯⋯やはり、私に暴力事は向きませんね」
尚もロックは生きている。煙が体から吹き出して、火傷による出血は一度焼かれて防がれたにも関わらず、また傷は開いたようだ。普通ならば生きている方がおかしな状態である。
「が、あ⋯⋯っ?」
ロックの雰囲気が変わった。
「え? ロックさん、意識取り戻しましたか?」
「⋯⋯痛い。凄く痛いのだが」
彼の正気が取り戻された。どうやら、洗脳者が殺されたようだ。
「ちょっと乱暴しちゃいました」
「ちょっと⋯⋯?」
「はい。〈上位治癒〉」
レネは緑色の魔法陣を展開する。対象はロックだ。そのはずである。にも関わらず、どういうわけか、
「⋯⋯あれ?」
「⋯⋯⋯⋯」
治癒魔法が効果を発揮しない。ロックの傷は一切治らない。たた魔力を無駄に消費しているだけだ。
レネは治癒阻害の魔法を行使した覚えはない。いや、違う。だとしても感覚でそれは分かる。遮られている感覚はない。空回りしているだけのような感覚なのだ。
「──まさか。レネ! 我から離れろ!」
「えっ」
ロックがそれを言った同時に、彼は再び戻る。そして事態を理解しきれなかったレネは、ロックの鉤爪に反応できなかった。
鮮血が舞う。レネの上半身は抉られた。それが即死にならなかったのは、ロックに僅かに残った理性が理由だ。しかし、それも今や完全に失われた。
「────」
ロックは咆哮をあげ、息吹を放つ。痛みにより更に思考が鈍ったレネはそれをまともに受けてしまった。身を焼く炎に包まれ、全身が悲鳴を叫ぶ。彼女の纏っている服には魔法が施されているとはいえ、竜王の息吹を直撃して無傷ではいられない。いくら魔女であっても、体の強度は大して普通の人間と変わらないのだ。だから、レネは全身に大火傷を負うことになった。
しかし、それで焼き尽くされるほどやわなわけでもなかった。体の強度と言うより、無意識下で発動した能力の賜物だ。けれど、レネは耐えきれず、倒れてしまった。
「⋯⋯⋯⋯」
再び洗脳されたロックは、ミカロナの方へ向かう。
◆◆◆
「──レネはさ、本当はもっと強いのに、なんでその力を出さないの?」
とある日の昼頃。その日は過ごしやすい気温と適度な風が吹いており、レネは屋外でお茶と本を嗜んでいた時のことだった。
いつものように唐突に現れたエストに、突然言われたことだった。
「はい? 私がもっと強い? ⋯⋯そんなこと、ないと思いますけどね。私は争いごとが苦手な魔女ですよ。あと、最近の魔女の平均値が高いだけです」
エスト、ヴァシリー、ミカロナ、ロア、そして黒の魔女、メーデア。それぞれの先代魔女と比べても、今代の魔女の平均レベルは非常に高いのである。
その点、レネは前時代の魔女であり、魔法能力も総合的には最も弱い。しかしエストはレネの言葉を信じなかった。彼女はレネを買い被っているだけなのではないか。そう思われてもおかしくないだろうが、そうでもない気がする。
「違うよ。だとすれば、自覚していないのかな。私から何を言っても開けることのできない扉⋯⋯っていうことね」
「何を言っているのですか?」
「母さんもそうだったけど、私は人を見ただけで魔法の才があるか分かるのさ。レネには才能しかない」
「私の魔法能力はそこまで高くありませんよ。あなたのように、〈火球〉で岩盤を溶かすことはできません」
「そうだね。私が言うのもなんだけど、私の魔法の才能はレネより、いや、世界でも一番だろうね。でも、私が言いたいのはそれじゃない。レネには魔法は勿論、それ以上の才能──」
青の魔女、レネは最初から能力の蕾が開いていた。ただそれは不完全なものであり、魔女化の影響で完全に開花した。
そう思っていた。実際は、違っていたのだ。
「──能力者としての才能が、レネにはある」
レネは幼少期より自分を能力を発動させて守っていた。しかしそれを他者に行使するには、あまりに高度な技術を要した。魔女化では、他者への能力行使が容易になっただけだった。
「能力者としての⋯⋯?」
「うん。私より、母さんより、他の魔女よりも、レネは能力を上手く扱える。⋯⋯でも、レネの『欲望』がその邪魔をしている。おそらくだけど、レネの能力は本来自分に使うもの。他者を守るその力は、あくまでもオマケ程度の力なんじゃないかな」
かつて神童と呼ばれた理由。なぜ、レネの師匠は先代の青の魔女だったのか。その全ては、レネの能力だったのではないか。
「⋯⋯私の能力は、弱きものを護るためにあります」
「⋯⋯まあ、レネがそう言うなら。でも忘れないで。レネは、まず自分自身を守る必要があるってことを」
──『守護』。その効果は対象を守護ること。
(⋯⋯そう、ですか)
あの時、エストが言っていたことがようやくわかった気がした。
レネは、自分のことを魔女最弱だと思っていた。唯一、青魔法だけが得意な魔女。だから、誰かと組まなければ本領が発揮されない。
けれど、そんなことはなかった。この思い込みが、自分の力を無意識に封じていたのだ。ただでさえ自覚していなかった力は、時間が経つにつれて記憶から消されていた。
「能力の使い方。私は完璧に扱えていなかったのですね」
レネの重症がみるみるうちに回復していく。
「私の本来の能力は、自分を守るためだけのものだった」
今まで使っていた能力は、オマケの力。今使っている能力こそ、本領である。
レネは知らないが前回の話、彼女はメーデアの魔法や能力を防いだことがある。それは普通ならばできないことであったのだが、なぜできたか。答えは単純明快。それが死の間際の戦いであり、レネのリミッターが一部解除されていたからだ。
「さて⋯⋯と」
レネの傷が完璧に治る。魔法ではない。能力による治癒行為だ。
「『敵を倒せ』」
彼女の瞳が青く光る瞬間──ロックの全身に亀裂のようなものが走る。まるで陶芸品を地面に叩きつけたかのような傷であり、今、何が起こったのかを知る由もない。
「不完全だったあの頃はこれを魔法だと勘違いしていましたね。私には魔法の才能があると勘違いしていた。そして今思えば、師匠でさえ気づいていなかったのでしょう」
ロックは血を吐きながらも、全身を無理矢理に立ち上がらせようとする。しかしまるで力が入らないようで、中々立ち上がれなかった。
「流石は竜王です。私の能力でさえ、一撃で倒しきれない。ならば、『四肢を切断し、止血をしろ』」
竜の手足が真っ二つに切断された。あの装甲は全く無意味であった。また切断されたときの痛みはあったものの、どういうわけか血は流れていない。血管が結ばれて止血されているのだろう。
「『敵の洗脳を溶け』⋯⋯やはり無理ですか」
分かっていたことだが、この能力も万能というわけではないようだ。今の状態は自分自身を守るための力でしかない。ゆえに、他者への干渉能力が暴力的行為に限られる。おそらくだが、障壁を展開することさえもできないだろう。
「殺すことは私の目的ではないですしね。『気絶させろ』」
ロックの意識が完全に失われる。
「⋯⋯がふっ⋯⋯けほっ。けほっ⋯⋯」
レネの瞳の発光が収まると、急に頭が痛くなり、咳が出た。この短時間の能力行使であっても、何百年も使っていなかったことで負荷に耐えられなくなってしまったようだ。が、あと少し使っていれば慣れてくるだろうし、反動と言っても軽度なものだ。
「いえ⋯⋯軽度、ですかねこれ。〈治癒〉」
多少なりとも気分は楽になったが、完治した感覚はない。能力による直接的な干渉は魔法を上回る力だ。それにより、治癒魔法があまり効果的ではないのだろうか。
「少しだけ、休憩しなければなりませんね」
レネは近くの壁に凭れて、やがて眠りに落ちた。