7−73 悪辣な計画
阿鼻叫喚とは何か。それを手っ取り早く説明せよと言われたのなら、目の前の状況を見せつけるだろう。
突然現れた竜人によって鏖殺が行われている。既に少なくない犠牲者が現れており、住民たちは逃げ惑っていた。
「絶景だねぇ、これ」
空中で浮遊する一人の少女は、地獄を見て楽しんでいた。趣味が悪いなんてものではない感想であるが、倫理が欠如しているどころかないかもしれない彼女にとっては普通のことだ。
「さてさてさーて。こんな事態になっているんだし、そろそろ来ると思うんだけどね」
少女は辺りを見渡す。血飛沫と人が死ぬ瞬間だけが彼女の目に入るが、娯楽でしかないそれらは特に気にすることもなかった。
代わりに、殺戮を止めるために現れた竜の兵たちが、彼女の次なる玩具に決定した。
「こんばんは。何か事件でもあったのかい?」
「お前は⋯⋯魔女か!?」
「おや。僕ってば有名人になったね。じゃ、さよなら」
ミカロナの右手に白色の魔法陣が展開されたかと思えば、次に竜の頭が地面に落ちる。同時にその体も落ちた。中々の質量があったため、それに下敷きになった人間は死亡したことだろう。あえてそうした彼女は、まるで偶然を装って死を嘲笑う。
「人間を助けるために来たはずが、死んで、その上、最期に守るべき相手を殺してしまう。なら最初から全部壊しちゃえば良いのにね」
自分がそうしたように、最初から好き勝手にやれば何も気にすることはなかったはずだ。その結果が自分の死であるとしても、果たしてそこまでして生きる意味はあるのだろうか。
全部、自分のためだ。自分が幸せでなくては、何もかもが無意味同然。
「⋯⋯と、そろそろだと思った」
その時、唐突にミカロナの背後から無数のスティレットが投げつけられる。振り返り、防御魔法を行使したことにより全て弾いたが、あともう少し数があれば障壁は突破されていただろう。
「──もう君人間じゃないでしょ」
背後に殺意を感じて、彼女は思わずそう口にした。そして、ミカロナは地面に叩きつけられる。無人の家屋に突っ込み、瓦礫が彼女の全身を貫いた。普通ならばそこで勝負あったところだが、ミカロナには通用しない。
家屋一つは瞬時にして焼き払われ、全身に開けられた穴を塞ぐ。
「ネタバラシしちゃうと、この周辺には君たち三人を大幅に弱体化させる結界を展開したはず。効果時間はまだまだあったはずだけど、どうして君こんなにも強いんだい?」
「弱体化しても尚この強さということです。⋯⋯私が以前と同じだと思わないことですよ、緑の魔女、ミカロナ」
神父服を着た男──アレオスは十字架の剣を構えたかと思えば、ミカロナの直前まで距離を詰め、剣を振るう。ミカロナは鉄以上に硬い氷や、防御魔法を展開し、一瞬だけそれを食い止めるのが限界だった。避けることには成功した。
(速い。見えない。強い⋯⋯前とは別人でしょこれ。人間なの? 弱体化していて⋯⋯僕が攻撃を防ぐのがやっととか)
アレオスの『聖神之加護』の効果と、彼自身の人外じみた戦闘のセンスの相乗効果により、今の彼の強さは生まれる。最早、彼の強さは六色魔女最上位である、メーデア、エストに次ぐミカロナに追いつきつつある。弱体化結界で、全体的にはミカロナは多少の余裕があったが、元より相性の悪い近接戦闘においては互角ではなくなった。
「ははははっ! 良いね、最っ高っ!」
あえて不完全にした『第六感』と、魔法の〈未来予知〉を同時に行使。最早一つの力のように扱う手捌きは、数日前のミカロナにはできなかったことだろう。
本来、魔法の〈未来予知〉は魔法抵抗力のある相手の未来を予知する場合、不鮮明となる。だがそこは能力によって補助し──部分的に完全な未来視を獲得する。
「さあて、死ねっ!」
続いて『擬似即死』を行使した。──しかし、アレオスは死ななかった。
「所詮は偽物。一度は騙されましたが、今度は騙されませんよ」
「へぇ。君の精神力は異常なぐらい強いようだね」
『擬似即死』は実験の結果、一つ分かったことがあった。大抵の対象は何度も術中に嵌まるのだが、一部は二度目以降は効果が発揮されなかった。その一部がアレオスであり、また、自分自身のみだった。
「それは精神が狂っていないと耐えられない。『擬似』でしかないが故の欠点だね。ようこそ狂人の世界へ。君のような行き過ぎた『人間至上主義者』は、頭のおかしな魔族と同じってわけさ」
挑発は思っていたよりもアレオスを怒らせたらしい。ミカロナが見た未来では、数えるのが面倒なほどのスティレットが投擲されていた。だからミカロナは転移し、アレオスの真後ろに現れる。
魔法陣を展開。演算完了。魔力の節約など考えず、己が全てを開放する。
「〈三又氷戦槍〉」
「〈神罰〉」
魔法陣という非実体にスティレットが突き刺さると、魔法は完全に無効化された。しかし、ミカロナはそれを気にしていられなかった。何せ、自分の胸から光のスティレットが生えているのだから。
よく見れば、魔法陣に突き刺さったスティレットも、アレオスが投げたものではなかった。
「ぐあっ!?」
その動揺の隙を突かれて、ミカロナの全身は刻まれる。未来視によっていくつかの肉塊に解体されることはなかったが、少し力めば千切れるぐらいだ。
魔法陣が展開され、傷は治る。だが魔力があり得ないほど削られた。
「ひとつ、哀れなお前に教えてあげましょう。私が戦技を使わないようにしているのは、私に適正のある戦技は尽く反動も大きいからです。例えば〈神罰〉だと、脳への大きな負担ですね」
なぜ、わざわざそんなことを言うのだろう。ミカロナは疑問に思ったが、答えはすぐに分かった。
「⋯⋯負荷が発生するのには条件がある。外したときだろうね。もしくはそもそもないか。今こうして言ったのは自分の弱さを教えるためじゃない。嘘を教えるため。そしてこうやってバレたとしても問題ないから。やるだけ得ってことでしょ?」
アレオスは魔族を見下しているから、彼の先程の言葉は本当に馬鹿にした結果だと思われることだろう。「情報を開示してもお前に勝てる」という煽りならば、やってもおかしくない。
「やはり魔法行使者は頭が回りますね。いえ、これぐらい分かって当然、でしょうか。やはり、私には小細工を弄するより──直接殴った方が合っているようです」
アレオスは左腕をその場で振り上げる。月明かりに反射し、銀色が煌めいた。ミカロナは今度も転移で避けようとしたが、『第六感』が警報を鳴らす。それに従い、彼女は氷の壁を展開しつつ攻撃範囲から逃れる。スティレットは氷を貫通するもそれ以上進むことはなかった。
「⋯⋯あっ」
自らの愚かさを理解したと同時に、氷の壁は真っ二つに割かれた。それはスティレットが氷に刺さったのとほぼ同時であったため、つまりアレオスは投擲速度とあまり変わらない速度で走ったということだ。
「っう!?」
体に斜めの傷が入り、治癒魔法がほとんどオートで発動した。が、完治するよりも早くに連撃が叩き込まれる。それをミカロナは避け続ける。
残像を描きながら回避するミカロナだが、断続的に血飛沫が宙を舞う。アレオスは攻撃に夢中であり、カウンターを叩き込みやすいように思えるが、そんなことはない。しかしタイミングを見計らい、ミカロナは氷の剣を創造した。
「チィッ!」
アレオスの剣が弾かれ、大きな隙が作られる。ミカロナはアレオスの腹部に手を当て、魔法陣を展開。
「〈氷柱炸裂散弾〉」
ゼロ距離で魔法が行使され、とてつもない衝撃と共にアレオスの体は後方に吹き飛ばされる。そして空中のアレオスに、それより速く動いたミカロナは追撃として蹴りを叩き込んだ。凄まじい轟音を鳴らし、アレオスは家に突っ込む。
だが、これでは終わらない。ミカロナは右掌を上に向け、魔法陣を展開した。
「〈巨人の氷槌〉」
魔法陣の上で氷の塊が生まれ、横に縦に、まるで粘土を解すかのように──それより遥かに素早いとはいえ──動き、そして全長十メートルほどの槌が現れた。
ミカロナは本当にそれを握っているかのように振り下ろすと、氷の槌は連動して家屋を叩き潰した。
その衝撃で氷の槌も壊れてしまったのだが、特に気にすることなくミカロナは警戒する。ここまでしても尚、アレオスを殺せたと確信できなかったのだ。そしてそれは間違っていなかった。
「⋯⋯君は強いよ。凄くね。ここまでして死なないって、どうかしてるよ、全く」
アレオスは瓦礫を掴み、ミカロナに投げつけるが、彼女はそれを素手で弾いた。
そして現れたアレオスは、全身に木片が突き刺さった非常に痛ましい姿だったものの、時間が経過するごとにそれらは内側から押されるようにして抜かれ、出血も次第に勢いが弱まり、やがて止まった。
「何が君をそこまで駆り立てるの? 何が、僕をそこまでして殺させようとしているの?」
「──私は神の代理人。私は魔族を滅する者。その使命は、我らが神のために、我ら人類のために、平穏を掴むこと」
「そう。じゃ、カミサマに祈ってね。⋯⋯そろそろ、本気でやらないといけないし」
ミカロナは少し焦り始めた。理由は、この短時間でアレオスは段々と強くなっていたからだ。⋯⋯いや、それには語弊がある。次第に、彼は本来の強さに近づいていっているのだ。
(レネとレイが居ないのはこれが理由。片方はネツァクが無力化したはずだけど、もう片方がクリスタル破壊に周っているんだろうね。とすると、このままだと僕が不利に傾く)
ミカロナは魔力密度を高める。その精密な魔力操作によって行使された魔法は、通常時の魔法より強力だった。
「〈氷結爆裂〉」
辺りに冷気が漂ったかと思えば、一瞬にして空気中の水分さえも凍りつかせた。地面や家の表面は白色の氷に覆われて、周囲を逃げ惑う人間たちもいくらか氷像となったことだろう。
「うーん。なんか違うなぁ。もっとこう、もっと⋯⋯僕の力を開放するように⋯⋯」
ミカロナは何やら悩んでいるようだったが、アレオスには関係がない。十字架の剣を投げ上げて一度手放し、両手に持てるだけのスティレットを投げつける。
「あれれ? どうして当たらないんでしょーか?」
スティレットは空気中で停止している。いやそれどころか、スティレットは刃先をアレオスに向けた。
「答えは単純。空気を凍らせて壁を作った。停止させたモノは重力魔法で操れば⋯⋯ね」
スティレットは全てアレオスに飛んでいく。勿論、全部叩き落とすことには成功するも、ミカロナはこれで終わらない。
「ちょっと、無茶しちゃおうかな。〈白銀の死〉」
魔法行使と同時に、アレオスの肩を貫く氷の槍が空中から生える。そして傷を氷が侵食した。氷は吸血し、水をアレオスの体内に置換していった。
「⋯⋯⋯⋯」
しかし、アレオスは肩ごと抉り取り、侵食を食い止める。切り離された侵食部位はみるみるうちに青白くなっていった。
一秒が経つ前にアレオスの抉られた肩は治った。
「さあさあさあ。まだまだ終わらないよ」
空気──特に窒素を冷却することで液体に凝縮し、液体窒素や氷を生成。それを自由自在に操ることで、空間全体が彼女の攻撃範囲となる。
アレオスの四方八方に氷の槍が生成される。液体窒素を纏うそれは、確実に人体に凶悪だろう。
「ははははははっ! 魔力がどんどん削れていくなぁ。でもここまでしないと君に勝てないようだし、折角だ。楽しまないかい?」
アレオスは氷の槍を切り落としながらミカロナに接近する。両手に十字架の剣とスティレットを握り、乱舞するが、未来視を持つ彼女には当たらない。当たると確信した攻撃は氷によって防がれる。
ミカロナの回し蹴りはアレオスの顔面を狙った。更には、ミカロナは自分の足を氷結させ、液体窒素を纏わせていた。アレオスは躱すが、彼の避けた先に氷の針が地面から勢い良く突き生える。
「〈聖火〉」
針はアレオスを貫く前に燃やされ、昇華した。が、アレオスは目眩に襲われる。
「なるほどねぇ。君の戦技は普通の戦技じゃないようだ。だって普通は、魔法は戦技の上位互換であるはずだからね。だからその分、負荷が重たい。違う?」
「⋯⋯ええ、そうです。私には魔法の才能がない。かといって汎用的な戦技も使えない。ただ使えるのは、人の体には行き過ぎたこの系統の戦技だけ」
ミカロナは奥の手を出した。ならば、アレオスも奥の手を出さねばならない。今この瞬間、アレオスの力は戻ったことを彼は自覚した。レネがクリスタルを全部破壊したということだ。だから、このタイミングが最も有効になるだろう。彼は加護の力を意図的に──、
「──〈次元断〉」