7−64 戦後
目を開くと、そこには真っ白な天井があった。頭に靄がかかっていたのだが、起床からすぐに鮮明になる。
「⋯⋯ん? あれ、僕⋯⋯」
ジュンは上半身を起こした。その時、全身が痛むような気がしたが、けれどそこまで問題になるわけではない程度だった。
「あ、起きましたか」
ジュンが起床したとき、彼に話しかける者が居た。彼女は読んでいた本を閉じた。
「ユナか⋯⋯今、どうなってる? 黄の魔女とかはどうなったの?」
「もう全部終わりました」
それからユナは、ジュンが気絶してからのことを全部話した。クリーシア──マルクトの計画、アンデッドの襲撃、そしてそれらの撃破だ。
そして戦後処理の件も話した。
まず、クリーシア派閥のトップであるマルクトが死亡したことにより、ナンバーツーであったイリス・ゼンバーデンが新たな派閥長となった。勿論、彼女が黒の教団関係者でないことは確認済みだ。ユナの加護の力は、その人の嘘を見破ることができた。ライリーの手伝いもあり、時間はそれほどかからず尋問した結果、数十人の黒の教団員が発覚し、襲ってきたため全滅済みだ。あるいは自殺していたということもある。
現在は度重なる戦争によって破壊された『ヴォリス』の復興作業手に取り掛かっており、また、ユナたちがウェレール王国に行くための用意も既に済んでいた。ジュンには悪いが、翌日にはもう出発するということらしい。
「⋯⋯そう、か。⋯⋯ごめん、何もできなかった」
ジュンは申し訳なさそうに言った。ヴァシリーに負けて操られて、その反動で何日間も寝込んでしまった。現在は都市のアンデッド襲撃事件の翌日であり、今はその復興作業でドタバタしている。
つまり、彼らがララギア亜人国家連合に飛ばされて、既に十一日が経過していた。
「大丈夫ですよ。仕方のないことでしたから」
「⋯⋯ありがとう。でも、もっと強くならないとなぁ。このままだとアイツに何言われるか分からないし」
ジュンが言う「アイツ」とは、エストのことだ。でもなければこうも嫌そうな顔はしない。彼曰く、魔女とは忌むべき存在であるらしいのだが、
「そういえば、ジュンさんはエストさんたち魔女のことが嫌いなんですか?」
魔女には碌なやつが居ない。彼女たちでさえそれを否定しないように、魔女とはそれだけで嫌われて然るべき存在である。ロアやレネと言った、比較的破綻していない魔女が近くにいるから実感はないが、過半数はそういうものらしい。
「⋯⋯前まではね。ずっと『魔女』が嫌いだと思ってた。レネさんにさえ、そこまで良い感情は抱いてなかった。でも最近気づいたんだよ。僕は『エスト』という個人が嫌いだということに」
レネに抱いていた気持ちは、ただの思い込みからなるものだった。魔女には碌なやつが居ないという先入観により、実は王国を裏から牛耳ってるのではないかと。
しかし実物を見たとき、そんなことはないと断言できた。この人は性根からの善人だ。少し魔女らしい、人間とは違う価値観も感じられたが、それでも人に近い優しい性格の持ち主だと分かった。
ロアだってそうだ。確かに彼女は戦闘狂な所があったが、その部分以外は常識人だし、無闇矢鱈に魔法を行使するわけでもなし。一度味方だと思ってくれれば守ってくれる人情だってある。
「え、えぇ⋯⋯そうですか。エストさん、悪くない人だと思いますけどね⋯⋯?」
「だろうね。奴は性悪だけど極悪じゃないし、積極的に殺しに来ない」
「え?」
てっきりエストの悪口が──いや、性悪とは言われたが──ジュンの口から出ると思っていたユナは、予想外のそれに驚いた。
「だけど、性格が終わってる。良いのは顔だけだ。僕と徹底的に合わないんだよ。奴は人の地雷を的確に踏み抜き、しかもそれは意図的だ。そうだよ。あいつは分かってて人を煽るんだ。そんなところが大嫌いなんだよ」
ユナは、ジュンの言っていることが分かった気がした。エストはユナに対して意地悪したことはないし、何なら、おそらくだが気に入られている。ナオトにはユナほどではないにしても人として接してくれている。
しかし、マサカズには遠慮なく言葉をぶつけていた。確か彼らと初めてあったとき、マサカズの腹に怪我を負っていたのだが、治してくれと頼む彼にエストは、唾でも付けてろと言っていた。マサカズは普通に受け流していたし、何なら本当に唾を付けていた。結局、エストが治癒魔法を行使していたが。
「まあ、あの人も本気であなたを嫌っているわけでもないでしょうし、あなたもそうだと、私には思えますよ」
「⋯⋯君の慧眼には何も隠せないようだね」
もしも本当に二人が互いを嫌い合っているのなら、今頃どちらか死んでいるだろう。エストは確かに人殺しを好むタイプではないが、かと言って嫌悪しているわけではない。彼女は殺人に無関心であるのだ。だからこそ殺すも殺さないも、嗜好以外の基準によって決められる。つまり、感情的に嫌いなら殺されてもおかしくないのだ。
「⋯⋯さて、もうそろそろ起きないとな。復興作業手伝わないと」
「大丈夫なんですか?」
「ああ。むしろ体動かさないと。体がなまってるよ」
◆◆◆
ナオトには、マルクトの部屋を物色し、そして彼女らに見つかった直後からの記憶がなかった。目覚めた瞬間、自分が医務室のベッドの上に寝かされていたことから自身に何があったかを察したとき、彼は嫌悪感を覚えた。
「今は、夜か」
見たところかなり遅い時間らしい。窓から見る都市には人が殆ど歩いていなく、耳を澄ませても何も聞こえないほど静かだ。彼の隣で寝息を立てているライリーを除けば。
「⋯⋯多分、見張りだな。だとすれば不用心だけど⋯⋯」
疲れているんだろうと思う。いくらしばらくの記憶が殆どない彼でも、その間にどんなことがあったかを考えることはできた、都市が彼の記憶より被害を受けていて、建造物が焼き焦げていたり崩れていることからも、それは壮絶な戦いがあったのだろうと。
「ライリーさん」
「⋯⋯あ、ああ、起きていたか。⋯⋯と、寝てしまっていたようだな」
「ボクは大丈夫だから、もう寝たらどうだ?」
「その前に一つだけ。お前もう正気か?」
ナオトは自分の境遇について既に理解している、大方、例の魔女に精神を支配されていたのだろうと。ジュンと同じくあの状態になり、そしておそらく、自分はクリーシア派閥かライリー派閥の人間を殺した。でもなければ医務室で寝かされていて、記憶が失われている理由がない。
そしてライリーの一言でそれは確信となった。
「勿論。ぼくは しょうきに もどった」
「心なしか信用できない言い方だな。⋯⋯まあ、嘘はついていないか」
「⋯⋯加護か?」
ライリーは簡単にナオトが正気であることを信じた。それが彼からすれば不思議であって、大抵そういうときは加護や能力、魔法が理由だ。
「ああ。『真実之加護』。それが真実であるか、虚偽であるか分かるものだ。尤も、対象が人間であった場合、その人の主観に左右されるんだがな」
何を考えているかまでは分からないが、実は本人の思い込み以外で、結果を揺るがすことができないという性質もあるため、他の心を読む能力の完全下位互換というわけでもない。
「へー。便利な加護だ。主観的であっても貴重な情報になるし」
聞いている感じだと対象が人間などと生物でなくても使えそうだ。例えば本などに加護を使えば、それが真実を記載しているかしていないかが分かるのだろうか。それとも、それを著した人の思い込みが反映されるのだろうか。
「じゃ、イケザワの正気が確認できたし、私はもう寝る。⋯⋯あまり自分を責めるなよ」
「⋯⋯ありがとう」
ライリーが部屋から出ていくと、ナオトは仰向けになって目を閉じた。眠気はなかったが、体は疲れていたらしく、彼の意識は簡単に闇の中に落ちた。
そして次、目が覚めたとき、外は明るくなっていた。ナオトからすれば、目を閉じた瞬間時間が飛んだような感覚だった。
何か夢を見ていた気がするが、その内容は思い出せない。しかしその代わり、失われた記憶のパーツが数ピース嵌められたようだ。
「二人殺したか」
顔は覚えていない。だが人数は覚えている。そしてその感覚は、なぜかハッキリと手に思い出した。
不快だった。それ以上はなく、ただただ『殺した』という事実だけがある。
「⋯⋯分からない」
自分のこの気持ちは何なんだろうか。
◆◆◆
「じゃあね」
『ヴォリス』から少し離れた場所には大河があり、その上には大きな船が浮かんでいた。船はクリーシア派閥が保有していたものであるが、複数あるうちの一つなのでくれるそうだ。尤も、それはロアたちの活躍があっての報酬だ。
「ああ。頑張れよ」
見送りに来てくれたのは、ライリー派閥の部隊長やクリーシア派閥の上位陣の生き残りである。その代表としてライリーが、ロアにそう言った。
「うん。必ず、黒の教団を全滅させるわ。ライリーたちも復興作業頑張ってね」
そして船は出航する。操舵手はロアが引き受けてくれるらしい。彼女は船を操縦する技術もあるらしい。
船には現在、ロア、ユナ、ジュン、ナオトの四人しか居ない。航海期間は一週間ほどを予定しており、陸路も含めた分の飲食料品が搭載されている。
しばらく船が進んだタイミングで、ナオトは口を開いた。
「──で、そこに誰かいる気がするんだが」
最初は気のせいだと思っていた。しかし、違和感がずっと残っていたのでナオトはそこに誰かいると考えた。
「何言ってるんですかナオトさん。そこには誰も⋯⋯誰も──」
ユナも加護を行使して、ナオトの目線の先を視てみる。何も見えないと一瞬思ったが、凝視していると何だか気配を感じた。普通なら気がつけない程のそれは、ナオトが居なければ分からなかっただろう。
「⋯⋯〈領域──」
「──そろそろ姿を現して構わないようね」
ジュンが戦技を行使しようとしたとき、何も居なかった空間に突如として女が現れた。その姿を見た瞬間、ナオト、ジュン、ユナの三人は武器を構え、女に向ける。
黄髪の女性。顔立ちは日本人でありながら、その雰囲気は明らかな人外。黄の魔女、ヴァシリーがいつの間にか船に乗っていた。
「黄の魔女っ! お前はロアが殺したはず!」
ジュンが知らされていた情報では、ヴァシリーはロアが倒したはずだ。しかし目の前にはその魔女が存在する。
「ああ、もうあなたたちと争う気はないよ」
「なっ⋯⋯信じられるはずがない!」
ジュンは刀を構えて臨戦態勢へと移行する。まさに一触即発の状態であった。
「ジュン、大丈夫よ。ヴァシリーはもう敵対しない」
そんな彼の刀を下ろさせたのはロアだった。「それはどういう?」と彼は当然の疑問を浮かべたが、
「そのままの意味ね。私は心から黒の魔女を信仰しているわけじゃない。それに⋯⋯私にはロアを倒すという目的ができた。私に倒される前に死ぬなんて納得できないから、今こうして協力してるんだよ」
「はぁ? 何だそれ⋯⋯」
ヴァシリーの『欲望』は殺人をすることだった。しかし今、それはロアを倒すことに変化した。ただそれだけのことだが、魔女ではないジュンには理解できなかった。
「⋯⋯ジュンさん、ナオトさん、私にはヴァシリーさんが敵意や殺意を持っているようには視えません」
ロアには敵意でも殺意でもないまた別の感情が視えた。対抗心というもので、少なくとも悪い感情ではなさそうだ。
つまり、視覚情報では怪しいが、加護はヴァシリーが敵ではないと言っている。
「⋯⋯全く、ヒヤヒヤするな」
ナオトもユナも武装を解除した。ジュンもそれを見てから構えを解き、纏わせた冷気を解除したが、刀は鞘には納めなかった。
「で、何で黙ってたんだ? ロア」
「下手に喋ると反対されるだろうからよ。こうして無理矢理同行させれば、納得してくれるでしょ?」
「なるほど。それもそうだな」
反論の余地が一切ない見事な論法に、ナオトは何も言えなかった。納得する他なかったのだ。だから他のメンバーも一先ずは納得、もとい諦めた。
「あとは、敵対していると思しきミカロナに、ヴァシリーの能力は有効的だからだわ。あの魔女を相手にできる戦力は貴重よ」
「ミカロナ⋯⋯緑の魔女」
エストに植え付けられた記憶にのみ登場する魔女の名前とその肩書だ。能力は『感覚支配』。生物のあらゆる感覚を支配する能力であり、触れるとどんな相手にも能力を行使できる凶悪なものだ。そんな相手にヴァシリーは有利に立ち回れる。ジュンは頭では理解できるが、どこか信頼できなかった。
我儘だろう。エストとも違う、ヴァシリーへの嫌悪感。それはもしかすれば、一度支配されたことが原因なのかもしれない。
だが、それについてああだこうだ言えるほどジュンは子供になれない。納得はできずとも、受け入れなければいけないだろう。
「じゃ、よろしく、皆。異世界人同士さ」
ユナ以外の異世界人は苦笑いしかできなかった。