7−63 禁忌の魔法使い
はっきり言って状況は悪い方に傾いていた。ヴァシリーがロアとの戦闘で死亡する、敗北することはマルクトも予期していたことだが、ロアに肩入れするとはまるで思わなかったのだ。
それはマルクトたちの異常とも言える黒の魔女、メーデアへの信仰心が原因だ。あの方を裏切るなんてありえないという、思い込みである。
「⋯⋯この選択はあっていたのかしら」
アンデッドの指揮方法は二つある。一つは個々に命令を送る方法であり、もう一つは一部のアンデッドを指揮官として任命し、彼らにアンデッドの支配権を譲渡する方法だ。
配下のアンデッド数は『ヴォリス』の都市人口とほぼ同数──二十万近く。個々に命令なんてできるわけがないため、現在は後者の方法でアンデッドの指揮を執っている。
アンデッドの数の把握は加護でできるのだが、この短時間で既に三万のアンデッドが活動停止に追い込まれている。マルクトが作り上げたクリーシア派閥は一枚岩ではなく、上位階級になればなるほど黒の教団員の割合が多くなるとはいえ、それでも過半数は何も知らない一般人だ。怪しまれないためにあえてそうしていた。そんなわけだから、今やクリーシア派閥の大多数もマルクトにとっての敵である。
このままアンデッドが勝つことを信じてここに残り、指揮を執るか、もしくは逃げるか。マルクトはその判断に迫られていた。彼女の主ならばどちらを選択しても彼女を咎めはしないだろう。メーデアは優しい主なのだから。しかし、その優しさに漬け込むような真似を彼女はしたくなかった。
自分が死ぬことによる不利益か、魔女二人を殺せる利益か。可能性はどちらも分からない。
主は「無意味な死は愚かなものです。特にあなたたちのようなセフィロトが死ぬことは、私たちの計画に大きな支障を生むでしょう」と言っていた。だから本来であればマルクトが死ぬことは避けるべきだ。
「いや、間違ってなんかいない。──この辺りの強力な派閥が全滅した今なら、わたしたちの役目はほとんど終わったようなもの。あとは邪魔になったクリーシア派閥、ライリー派閥を潰すことで、都市の地下にある大魔法陣が破壊される可能性はほぼなくなるし、魂も十分量確保した⋯⋯なら、わたしがここで命を懸けることは愚かな行動にはならないわ。仮に逃げたとして、計画実行日までに復興はできない」
だからこうしてマルクトはアンデッドを全て一つに集め、ロアとヴァシリーを襲わせた。他の連中はいつでも殺せる。最も危険な敵に全勢力を衝突させることこそ最善だ。
「でも、残り十七万のアンデッドで魔女二人を殺しきれるか分からないわね。⋯⋯こうして加護の力を発揮しているだけでわたしも消耗しているし、何よりわたしは戦えるタイプじゃない。もしアンデッドが負けたならわたしは何もできずに死ぬわね。逃げることもできない。せめてわたし自身も足掻けたならまだマシだったんだろうけど⋯⋯」
マルクトの自己評価は特別高いわけでも低いわけでもない。客観的評価とほぼ同じであり、それだけ自己分析力が高いということだ。
彼女の戦闘能力は自己評価通りであり、ロアやヴァシリーには何もできずに死ぬ。転移者ならばどうにかなるかもしれないが、通常の黒の教団員に毛が生えた程度の身体能力と素人同然の技術では、複数を相手にはできないだろう。だからこそ彼女は今、身の回りを騎士系アンデッドや飛行アンデッドで守らせている。これはユナという射撃手を警戒してのことだ。遠距離から一撃で頭を射抜かれ死ぬ可能性は大いにある。無対策のままでいることはできない。
「⋯⋯やっぱり、あの程度のアンデッドだと魔女相手には塵みたいな活躍しかできないわね」
脳内に送られてくるアンデッドの数情報は目に見えて減っている。共有した視覚情報から分かることは、彼らがマルクトの方に向かってきていることだ。マルクトも移動しているのだが、アンデッドの軍勢の中にいるからこそ、外部から観測されづらくなっているのだ。いずれは追い込まれるだろう。
「『百の凡兵は一人の英雄に劣る』⋯⋯量は必ずしも敵を殺すとは限らないってことね。少し危険だし賭けになるけど、やってやるわ」
『フシノオウジョ』は、アンデッドを支配する加護だ。権能は死体をアンデッドに変えることと、自然のアンデッドを支配下に置くことのみであり、それ以外に特異な権能はない。
しかし、加護の力を使って、アンデッドの特性を利用することはできる。
アンデッドは生者を優先的に狙う。理由は生者への憎しみと、他にエネルギーの確保だ。正エネルギーを負のエネルギーに変換し、活動する。それがアンデッドであるための定義である。
であれば、例えば、生者が居ない場所でアンデッドたちはどのようにして──間違った表現方法だが──生きながらえているのか。
『死者の大地』という地域を観察すれば、その答えは判明する。共食いだ。アンデッドは互いを食らい始める。そして変換作業を伴わずに負のエネルギーを獲得できるため、普通に生者を食らうより早く進化できる。
「アンデッドに互いを食わせ合って、強力なアンデッドに進化させる。食わせるアンデッドを決めれば短時間で可能ね」
『死者の大地』でさえ、そんな短時間で進化することはない。殺し合うからだ。だが無抵抗に片方が殺されることになれば、自然環境のそれより格段に進化しやすい。効率的な強化方法というものだ。
マルクトはアンデッドに共食いの命令を下した。尤も、ロアとヴァシリーの足止めもしないといけないから一部のアンデッドにのみ送った命令だが、彼女のアンデッド知識から判断するに、所謂上位アンデッドが更に強くなるには十分な量を用意できた。
──最上位アンデッド。吸血鬼系統の紅月の吸血鬼、ゾンビ系統の死の王、スケルトン系統の骸骨の禁忌魔法使い、アストラル・ワンズ系統の原始的恐怖。他にもまだ居たはずだが、今ここで作り出せるのはこの内の一体だけだ。
「相手は魔女、この中で相性が良いのは⋯⋯」
吸血鬼系統は総じてバランス型だ。選択肢としては悪くない。
ゾンビ系統は耐久型だ。しかしその分破壊力が足りなく、一体しか生み出せないなら選択外となる。
スケルトン系等は火力型だ。特にタブーは魔法攻撃力特化である。
アストラル・ワンズ系統は特殊型だ。プライマル・フィアーは恐怖感情を刺激することに特化しているタイプである。
「──タブー、ね」
◆◆◆
襲い来るアンデッドたちは脆く、黄髪の少女の拳一つで粉々に砕ける。尤も普通の人間でも同じ結果になるだろうが、傍から見ればさぞおかしな光景だろう。
対して赤髪の少女は範囲魔法を行使していた。彼女が持つ最大範囲攻撃ではないが、それでもたった一撃の魔法で百近いアンデッドが焼き払われるのは圧巻だ。しかも無詠唱化魔法のため、連発されている。
「キリがないわ。一体どれだけ倒したと思ってるのよ。精霊術の範囲攻撃とかできない?」
しかし、何体殺しても減っている気がしない。実際には確実に減っているだろうが、元の数が元の数であるため、実感がまるで沸かないのだ。
「精霊は今、疲弊しているらしい。そりゃ魔女の相手をすれば極短時間でもそうなるか」
「なるほど。なら少し手荒になるけど⋯⋯ちょっと上空五十メートルぐらい跳躍して。ここら一体を吹き飛ばすから」
「は? え⋯⋯まあ、分かった⋯⋯って五十メートル? 僕無理だよ?」
さり気なくとんでもない要求をされた。
ヴァシリーの体は戦士向きではない。魔法使いや精霊術師向きであり、近接戦闘は最低限しかできない。今の人格でようやくまともに戦える程度だ。それも、どちらかと言えば技術で戦うタイプ。そんな彼女にはロアのように直上五十メートル跳躍なんてできるわけがない。
「無理か⋯⋯魔法耐性どれぐらいある?」
「今君の魔法に直撃したら、多分気絶する」
治癒魔法で誤魔化しているだけで、ヴァシリーの体はボロボロだ。ロアもそれなりに消耗しているが、彼女とは違いまだ余裕がある。ミカロナほどの治癒魔法使いであれば一回の魔法行使で完治するだろうが、ヴァシリーの適正はあくまでも黄色。同じ階級の魔法が使えると言っても、その効力の高さは全然違う。
「それなら仕方ないわね」
「⋯⋯君が僕たちに魔力を分けてくれれば、マスターに交代できるんだけど」
「ロアがやったら、多分、お前は魔力過剰摂取で死ぬわよ」
エストの魔力も無限らしいが、あちらの無限の意味は尽きる前に回復させることによるものだ。だから以前までと同じように、普通に魔力を操作できる。その分出力も有限だし、魔力過剰摂取による即死もあり得る。
一方でロアの無限の魔力はそのままの意味である。魔力は空気中で相殺されるし、ロアもある程度制御はできるから普通の魔力のように──まるで空気と撹拌されるように──広がるが、もしそんな特性や制御がなければ世界は一瞬で魔力に溺れる。結果、魔力を高度に操作できる生命以外は全て死滅するだろう。世界規模でそれなら、一生命体の体内など制御できるまでもなく魔力で溢れることになる。
ロアが得意とする魔法でさえ、そこに突っ込む魔力量は他の魔女とは桁違いだ。変換効率が悪いわけではないが、最小の魔力で最大の威力を出すことをモットーにしている魔女らからは考えられない所業だろう。だからこそ馬鹿げた破壊力、範囲を発揮できるのだが、普通なら使い方としては非効率的だ。
よって、ロアは魔力を他人に受け渡すことはできない。無限魔力とはそれほどまでに扱いづらいものであるのだ。保有限界量を無くして、ようやく魔力を受け取る資格を得る。つまり無理だ。
「怖。⋯⋯てかそれなら魔力を毒みたいに放出すれば、このアンデッド全滅できるんじゃないの?」
魔力操作ができるなら大した脅威にはならないが、もしできないなら生命は魔力を吸収しやすい体質のため、過剰摂取による即死をロアは誘発できる。それはアンデッドにも同じことが言えるのだが、
「もうやってるわよ。でもこいつら、多分だけど魔力を保有する器官持ってないわ」
「⋯⋯魂がないとでも?」
「その通りよ。よく見れば、魔法を使うアンデッドが居ない」
魔法みたいな特異なことができるアンデッドは多数存在するが、魔法そのものを扱えるアンデッドは全くと言って良いほど見当たらない。見落としている可能性もあるが、それでも少なすぎるだろう。
「⋯⋯どうしてかは分からないわ。でも奴らが人工的なアンデッドと言うなら、普通のアンデッドとは違っていてもおかしくはない」
「そうか。⋯⋯まあ難しく考えてもしょうがないか。倒すことに専念しよう」
そんな時だった、突然、周りのアンデッドたちが倒れたのは。
まるで操り人形の糸を切られたかのように、それらは活動を停止した。勿論、ロアもヴァシリーも何もしていない。
──それを行ったのは、今現れたアンデッドだろう。
二メートルは確実にあるだろう巨体。しかしその身長に反して、横幅はあまりにも小さかった。当たり前だ。肉がないのだから。
アンデッドはスケルトン系統だった。漆黒のローブに包まれ、右手には目が痛くなるほど真っ赤な金属を素材とし、螺旋階段のような形状の杖が握られていた。見ると、杖には魔力石やいくつもの魔法陣が刻まれており、魔法使いでなくても魔法戦ができそうな代物だ。
それは魔女クラスが持てば邪魔になるような程度の魔法杖ではなく、おそらく、六色魔女でさえ作れない神話の魔法杖だ。魔法武器の作成に特化した魔法工──それも六色魔女クラスの魔力を持つ──がもし居るのなら、あるいは可能なのかもしれない。
「⋯⋯貴様らが、魔女か。我が支配者の命により、貴様らを殺す」
アンデッドは喋った。そして、何もないはずの眼窩の片方に、真っ青で不気味な光が強く灯った。
「会話できる⋯⋯知能があるわね。お前、何者?」
「貴様らが死ぬ前に知ると良い。そして冥土への土産にしてくれる。我はアンデッドの最上位種族、骸骨の禁忌魔法使いだ」
ロアもヴァシリーも知らないアンデッドだ。最上位種と言っているが、彼女らの知るアンデッド最上位種とは普通の吸血鬼などのこと。だがザ・タブーなどと言うこのアンデッドは、確実にそんなレベルではない。
「そう。ならこっちも教えてあげる。赤の魔女、ロアよ。もう死んでいるお前には、土産にもなんないだろうけど」
ロアは唱える、〈悪意ある閃炎〉と。弾丸のような炎は弾幕を作り、そして目の前のスケルトンに襲い掛かる。一軍を半壊させるほどの破壊力は、一体のアンデッドには一見過剰威力に見えたが、
「⋯⋯ふむなるほど。確かに魔法の極地を知る者、あらゆる存在の最上位種族、魔女だ。これほどまでの魔法威力、そうそう耐える者は居ないだろう」
しかし、スケルトンには傷一つついていなかった。杖に内包される魔法も魔力も使われた痕跡がない。だとすれば自前の魔法で防御したのか。いや、そうだとすれば、なぜ魔法が使えるのか。
「っ!」
続いてヴァシリーがスケルトンに接近し、拳を突き出したが、それもロアの魔法同様、防がれる。
しかし、奴が展開した魔法陣はあか色だったが、ロアが知る赤色の魔法ではない。
「⋯⋯紅色」
些細な違いでしかなかったが、赤魔法に精通しているロアには違いが確かに分かった。そしてそれが魔法によく似た何かであるということも理解した。
「お前、その魔法何かしら? 普通の魔法っぽくないけど」
「おや、気づいたか。まあ遅かれ早かれ気づかれただろうが、思ったより早かったな。⋯⋯我だけが使える魔法だ。貴様では絶対に使えない、な」
スケルトンは魔法を行使する。無詠唱だし、ロアの知らない魔法だった。しかし分かることは、ロアやヴァシリーが知る魔法の理からはかけ離れたものであるということだけ。
標的はロア。彼女の足元に紅の魔法陣が展開された。
(転移魔法⋯⋯いや違う!)
瞬間、無数の斬撃がロアを襲った。彼女は咄嗟に魔法陣の外側に跳ぶと、斬撃は止んだが、
「っう!?」
ロアは左手に激痛を感じた。それもそのはずだ。何せ、彼女の手首から先が丸々無くなっていたのだから。そこからは絶え間なく血が流れ続けている。何も処置をせずに放っておけば、失血多量で死ぬだろう。
「くっ⋯⋯」
しかしロアは絶叫することもなく、自分のブラウスを引き千切って止血した。
「ロア、大丈夫か?」
ヴァシリーはロアを気にかける。いくら魔女と言えど首が刎ねられた程度で死ぬ脆い生物だ。しかし彼女は笑みを浮かべた。
「⋯⋯ふふふ、ロアの手首を切り落とすなんて、強いわね」
ロアの体内で強大な魔力反応が発生する。直後、ロアは一直線にスケルトンに突っ込んだ。片手が死んだため、ロアは膝蹴りを叩き込むも、それは紅の魔法陣によって、甲高い音を発しながら防がれた。
「ははは! 当たっていないぞ!」
「じゃあ試そうか。〈爆衝撃〉」
爆裂が発生する。しかし魔法陣は今度、びくともしなかった。
「無駄無駄! 貴様の魔法など無意味だ!」
「──なるほど、ね」
ロアは蹴りを連打する。全て紅の魔法陣が防ぐ。
「何度言えば分かる? 貴様らは我が魔法の前には無力であると」
「本当にそう? ならどうして──」
そのとき、紅の魔法陣が砕け散った。そのことが信じられないと言うふうにスケルトンは驚愕の表情を──骸骨であるため、口が少し動いた程度だったが──浮かべた。
そして骸骨の顔面はロアの足で殴られ、地面に突っ込んだ。
「魔法というのはブラフ。少なくとも階級魔法とは全くの別物。多分、能力でしょ、それ。だからロアの魔法によるその障壁の破壊もできなかった。でも、魔法ではない肉体攻撃なら、確かな感触があったわ。そして何より、お前の瞳に当たる部分が光ったことが証拠よ」
ロアは地面に突っ伏した骸骨の頭を踏み付ける。それは完全に接触しており、もし内部に能力的障壁を展開できないのであればまず間違いなく即死するだろう。
「さーて、と、ロアはあんまり殺すことはしたくないんだけど、ここで生かす価値がないわね」
ロアが敵を殺さずに生かすのは、相手が弱い時か自分が相手を殺さずに勝ったときだが、その理由は相手がより強くなることを期待してのことだ。もしくは、相手を気に入ったとき。
「じゃ、死んでね」
ロアはスケルトンの頭部を踏み潰した。
「⋯⋯うっわぁ⋯⋯ロア、君えげつないね」
「このスケルトンは危険だしね。ここで見逃せるほど今のロアには余裕がないわ」
◆◆◆
タブーが死んだことを理解したとき、マルクトは自分の死を確信した。しかし何もせずに死ぬ気はない。彼女は周りの強力なアンデッドを集合させた。
──が、
「クリーシア⋯⋯いや、マルクト!」
「何っ!?」
アンデッドたちはたった一太刀で半数が死滅する。マルクトをまともに守るアンデッドは居なくなった。それは明らかに、マルクトが知るライリーの強さではなかった。まるで何かに補正されたような、そんな常識外の強さだった。
「なぜお前がここに⋯⋯」
あのアンデッドの軍勢を抜けるには、ライリー程度の力ではかなり時間がかかるはずだ。
「さあ。だが、ここでお前を殺すことには変わらない」
「くっ⋯⋯くくく、やれるものならやって──」
──マルクトの頭部を、一本の矢が貫いた。空気を切る音、血肉がぶちまけられる音、そして、肉体が倒れる音が連続して発生した。
「──狙撃手としては、本当に優秀だ。敵に回さなくて良かった」
あまりにも呆気なく、マルクトは死亡した。
狙撃したのは目標から二百メートル以上離れた場所にいるユナだった。その奇跡だと言われてもおかしくない所業を、彼女は故意に、狙ってやったのだ。
そして自然とは異なる原動力──加護の力を根本に動いていたアンデッドたちは全て、正常な死体へと戻る。知能を持っていたアンデッドでさえそうなったことだろう。
──都市『ヴォリス』は、今この瞬間、彼らの手によって救われた。