7−62 黄の欲望
能力『傀儡』による自己傀儡とは、自分自身の脳によって普段掛けられているリミッターを意図的に解除している状態である。しかし、いつもリミッターを全て解除しているわけではなかった。
そもそも生物が自身をリミッターで制しているのは、力を百パーセントで発揮した場合、体の強度が足りなくて自壊するためだ。だから常時リミッターを全開放なんかしてしまえば生物はすぐに死んでしまう。それは魔女さえも同じである。
だが、魔女には魔法がある。発揮できる能力に耐え切れず自壊してしまう体も魔法で癒やし続ければ、リミッターを全解除した状態で動き回ることができるのではないか。しかしそれには魔法の同時行使能力が必須レベルであったため、これまでヴァシリーは実行できなかった。
そして今、ヴァシリーは無理だと思っていたそれをやっている。
魔法の同時行使だって、リミッターを解除すればできるものだ。
とは言っても慣れないことをするものだから、今は同時に二つが限界である。片方の枠で治癒魔法を行使し、もう片方でいつものように攻撃するしかない。ロアは両手でなければ数えられないぐらい同時行使していたし、あの白の魔女に至っては数十の魔法陣を展開しても余裕そうだったから、ヴァシリーは彼女らがいかに化物であるかをもう一度理解した。
(思えば、自己傀儡状態になってようやく同じ土俵に立てるって、どれだけ実力が離れていたのよ。⋯⋯まあ、それがどうしたって話なんだけど。私はただ食らいつくだけよ)
おそらくだが彼女らはヴァシリーのように自分のリミッターを解除していない。解除せずとも、リスクを負わずとも、それができるのだ。この調子だと最大同時展開数も負けているだろう。
でも、それがどうした。そんなのヴァシリーは分かりきっているのだ。
「〈魔法範囲拡大強化・高電渦巻〉」
青白い電流が空気中を通り、瞬時にしてロアに命中すると、そこで渦を発生させる。渦は肥大化していき、ロアの姿が完全に見えなくなったが、彼女はその渦の中から飛び出してきた。その体には焼跡があったが、まるで痛みに怯んでいる様子は見受けられなかった。
しかしロアはやはり直線上をなぞるようにしか動くことはできず、行動の予測は簡単だ。無論攻撃を仕掛けると回避運動するだろうし、ヴァシリーの赤魔法一発はロアにとって致命的な攻撃にはならないから、ここで仕掛けるのはこう見えて無駄である。
ならばどうするか。答えは単純だった。逆に、ロアの攻撃を真正面から受け止めるのだ。
(少しの間だけ、動きさえ止められれば⋯⋯)
一発の赤魔法で足りないのなら、一発で終わる別の魔法を。しかし、それを叶えるには、ロアという六色魔女における近接戦最強の存在の動きを、十三秒間止める必要があった。それも逃さないように間近で。ヴァシリーの切り札には範囲制限がある。
字面だけなら簡単に思えるが、その実、これほど難しいことは早々ない。ヴァシリーには無理だと言われても反論できない。
──けれど、それは以前までの話。
案外、魔女というのは心持ちだけで変われるものらしい。いや、人であったときからそうだったかもしれない。
女は度胸、という言葉があるように、覚悟できるできないの差は大きいのだと。
〈下位能力強化〉、〈能力強化〉、〈上位能力強化〉、〈未来視〉、〈魔法鎧〉、〈魔法抵抗強化〉⋯⋯ヴァシリーは黄魔法を無詠唱行使していく。そして最後、彼女のオリジナルを行使する。
〈死とは運命である〉──黄系統に含まれるこの魔法の効果はただ一つ、この魔法を発動させた後に行使した即死魔法を、絶対即死の魔法に変質させると言ったもの。
正確には魔法強化系魔法は黄魔法に分類されず、具体的には魔法の一部に組み込むことのできる補助的要素を便宜上そう言っているだけのものだ。しかしこの〈死とは運命である〉は、その本来であれば強化する魔法陣に組み込む要素を、たった一つの魔法陣に集約した、謂わば語弊のない魔法強化系魔法である。
そんな魔法を今の今まで使わなかった理由の一つはこれであり、発動に手間が掛かるということ。〈死とは運命である〉がどんな魔法であるか分からなくても、直後に同格相手にはまず通用しないはずの即死魔法を行使すれば、ヴァシリーの狙いは理解されるだろう。そして二つ目の欠点、強化された即死魔法の発動までに十三秒の時間を要するというもの。〈魔法不能領域〉や、あるいは〈蘇生〉などの魔法を行使され、即死を対策されるかもしれないのだ。しかしこれはロアには関係のない話。ヴァシリーがロアにこの切り札を使わなかったのは三つ目が大きく関わっている。それは、効果範囲があるということ。詳細に言えば、ヴァシリーを中心とした半径十メートル圏内に即死効果が制限されるのだ。確かに、ロアがそのことに気がつくとは思えない。が、ロアは何とかしてヴァシリーにその魔法行使を止めさせようと思い、彼女も魔法を行使するかもしれないのだ。彼女がよく扱う魔法は〈爆衝撃〉などのノックバック性能に優れたものであり、コンボとしてそれで対象を空中に吹き飛ばしてから〈爆裂〉を叩き込むことがある。最悪の場合、ロアの最強の切り札を使うかもしれない。そんなことをされてしまうと範囲内からは確実に逃れられるどころか、下手をすれば確実に死ぬ。
だから、ヴァシリーはロアを近距離で拘束する必要があった。
「〈硬質化〉」
ロアは戦技を行使する。その効果は文字通り、皮膚を硬質化させるというものであり、硬質化した部分は水晶のように変質する。本来は防御に使われるものだが、拳を硬質化したということは単純な破壊力の増強目的⋯⋯それだけ彼女も本気ということなのだろう。普通、戦士でないなら体力を消費する戦技を使えば不利に働く。が、短期決戦を狙うなら、そして高階級の強化魔法が使えないロアには使わない理由がない。
ロアとヴァシリーの距離がゼロとなり、直後、魔女同士の戦いとは思えない近接戦闘が繰り広げられた。
魔法使いの主人格とは言え、ヴァシリーはそれなりに近接戦闘のノウハウもある。魔法を使わなければならない以上、人格交代はできないが、問題はないようにしなければならない。
ロアの拳を受け止めるわけにはいかない。ほぼ見様見真似の受け流し技術で完璧ではなかったが、直撃することは避けられた。
ヴァシリーは組み付こうとするが避けられる。逆にカウンターを叩き込まれる始末だ。それを何度か繰り返してもロアに触れられる兆しは全く無かった。
(⋯⋯他の人格に変わることはできない。でも、まだ魔法は使えない。⋯⋯仕方ないね)
ヴァシリーは精霊術を行使し、各属性の精霊たちを呼ぶ。
主人格にも精霊術の素養はあるが、精霊の力を彼女は直接使えない。彼女の加護、『精霊王之加護』はあくまで精霊たちに好まれるようになって、彼らを強化することに特化しており、精霊の力を術者が借りて有効的に使える効果を及ぼすわけではないのだ。
「精霊たちよ! 最大出力でロアを何としてでも殺して!」
現れた精霊たちは魔法に似て非なる現象を引き起こす。熱を、風を、水を、雷を、土を操り、ロアに攻撃を仕掛けた。
命令は言葉にしたものではない。わざとヴァシリーは虚偽の命令を口にした。精霊術師や召喚魔法使いでもなければ知らないことが多い法則──精霊や召喚した存在とは精神的繋がりを持っており、命令は思念として送ることができる──であるため、こうしてブラフを張ったのだ。
本当の命令はロアの足止め。そして最大出力を出さないこと。
(精霊たちの火力は魔女でも直撃を避けたいもの。魔法とは異なる理の改変能力は、魔法抵抗力では防ぎ切れないからね⋯⋯)
予想通りに、ロアは注意をヴァシリーから精霊に向けた。精霊たちはロアに易易と消されないために立ち回るが、そう長くはもたないだろう。だから、ヴァシリーはすぐさま仕掛けた。不意を突かれたロアは、後ろからなす術無く組み付かれた。
「っ!?」
まさか組み付かれるとは思っていなかったロアは困惑の表情を見せるが、振り払おうとするまで早かった。しかしヴァシリーは簡単に振り払われる気はない。一人では筋力で負けていても、精霊たちにアシストされることでロアを押さえつける。それでも長くはもたないと直感した。
「──〈死〉」
ヴァシリーは即死魔法を唱えた。刹那、真っ黒な魔法陣が展開されるが、通常、一瞬の間に完了するはずの、魔法陣を構成する要素の構築速度が遅くなっていた。魔法使いならば、その構築スピードから算出して、十三秒後に展開が完了すると理論的でなくとも直感的に理解できただろう。
〈死の運命〉は魔力消費が激しい。体術は元より、精霊術でもロアには勝てないだろう。だから、これを外すことはできない。
もうあとは、どれだけロアを押さえつけられるか。それだけがヴァシリーの勝敗を決定する要因になる。
◆◆◆
ヴァシリーに組み付かれ、即死魔法を唱えられたとき、ロアは彼女の狙いを理解した。そしてそのための条件が黒色の魔法陣の展開が完了することであるとも。
(どうにかしてまずは組み付きを払わないと⋯⋯でも、この魔法陣が展開完了するまでにできるの?)
いや、できない。もっと時間さえあればできるだろうが、たった十三秒ぐらいでは無理だ。
ならば振り払う以外の方法だ。
魔法を使う? こんな至近距離で魔法を使えば自爆だし、何より、ヴァシリーを一撃で無理やり突き放すような魔法を行使すれば、
(都市を一つ滅ぼすまではいかないし、切り札ではないからロア自身に影響はないけど、ユナたちを危険に晒すわけにはいかない)
物理的な方法は時間内に終わらない。普通に魔法を行使すれば、都市を壊滅することも半壊もないだろうが、避けるべき大被害を齎すだろう。ならば取れる方法は一つだけである。
(空なら⋯⋯被害を最大限抑えられる!)
ロアは細い子供らしい両足を曲げ、跳躍のための予備動作を取ると、直後、ロアと彼女に組み付いていたヴァシリーは上空に跳び上がった。
ソニックブームが発生して近くの家屋がゴミのように砕かれ、足場となった地面には巨大なクレーターが出来上がることになったが、これから行われることに比べれば些細な被害だろう。
一瞬にして上空数百メートルにまで跳躍したロアを、ヴァシリーは信じられなかっただろう。その身体能力と、突拍子もない作戦に。
「あなたまさかっ!?」
「気づいた? ふふ、ロアにここまでさせるなんて⋯⋯久し振りにヒヤッとしたわ。でも、これで終わりよ!」
彼女の体内の魔力流動速度が速まる。内包する魔力量が急激に増加していき、それは常人どころか逸脱者クラスの魔力保有限界量に匹敵しているだろう。
ロアの両目は真っ赤に光っていた。
「──〈水蒸気爆発〉」
ロアを中心として、魔法により生み出された超高温の水が、空気中に晒されたことで水蒸気に物理変化し、急速な体積の膨張により爆発を生み出した。衝撃は物理的なものに加えて魔法的効果により自然現象以上の威力を発揮する。
ロアとヴァシリーは水蒸気爆発の衝撃と重力によって地面に叩きつけられる。それは二人の距離を離すに十分だった。
「十三秒経過⋯⋯でも、ロアは死んでないわ」
ボロボロな体。全身が激痛に悲鳴を上げているのが分かる。それでもロアは一滴も涙を流さず、痛いとも言わず、ヴァシリーに相対する。
「⋯⋯はは、また、負けた」
ヴァシリーの魔力は魔女同士の殺し合いをするには難しい程度しか残っていないし、体は他の人格に任せてもまともに戦えないほどダメージを負っている。
「でも⋯⋯どうしてだろう。清々しいや。悔しいのに、勝ちたかったのに、全然嫌な気分じゃない。⋯⋯ああ、全力を出すって、こんな気分なんだね」
ヴァシリーは笑顔を見せた。彼女のあの時から変わらないままだった精神年齢に相応しい、少女の笑顔だ。
「ロア⋯⋯私を殺すなら、あなたの魔法で殺って欲しいな。魔女なら魔法で死にたいから」
ヴァシリーは目を閉じる。そして死ぬその時を待っている。
ロアは彼女に近づき、
「殺さないわよ。ロアの『欲望』は殺すことでなく、戦って勝つこと。勝利のための殺害はあれど、殺すことを目的にはしてないのよ」
それを聞いたとき、ヴァシリーは目を見開いて、また笑った。もうそれが本当に可笑しいと、耐えきれなくて。
「ははははっ! なら何度再戦したらあなたは私を殺すようになるのかな? 過去に何人も殺した私を殺さないなんて、あなたはとんでもない悪人なのかな?」
「ふふ、ロアは魔女よ? 善人になった覚えはないし、悪人で上等だわ。今、人間の味方についているのはロアの気分と、あとライバルの願いだから。状況次第ならロアだって人を殺すわ」
魔女二人はそこで笑いあった。ついさっきまで本気の殺し合いをしていたとは思えないほどに。
「あーあ、やられたね⋯⋯もう、あなたを殺す気にはなれないなぁ。でも、勝ちたい気持ちは変わらないよ。ロア、今度また、再戦してくれる?」
「勿論よ。何度でも⋯⋯ロアが死ぬその時まで受けてやるわ」
ロアは手をヴァシリーに差し伸べると、彼女はそれを取った。そして、ロアは彼女を立たせる。
「⋯⋯さて、ヴァシリー、そのためにも、お前にはロアに協力してもらうわ。裏切りは初めて?」
「初めてね。まあ、痛む良心があったら殺戮なんてしないから安心して」
赤と黄の魔女は、この事件の犯人を見る。
マルクトは呆れたような顔をしていた。彼女の計画に、ヴァシリーの裏切りは当然含まれていないからだ。
「何言っても無駄ね。いいわ。ボロボロな魔女二人、わたしが殺してやる」
万全な二人の魔女を殺すことは不可能だ。しかし、あんなにもダメージを負っているならそうではない。
「──何か勘違いしていないかしら?」
追い詰められているのはロアとヴァシリー。だと言うのに、ロアは笑みを絶やさない。
「そうね。⋯⋯確かに、私にはもう魔力は残っていないよ」
「⋯⋯なら、どうしてそこまで余裕がある?」
「え? 分からないの? ここまで言って? ⋯⋯はは、だって、それは魔女レベルの戦いをするには足りないって意味だから。全く無いなんて言っていないよ。それに⋯⋯」
ロアとヴァシリーの傷が治癒していく、完治はしていないが、ちょっとした魔法一発で死んだり気絶しない程度には。
ヴァシリーの様子が変わった。しばらく近くに居たからマルクトには分かった、それが人格変化時の様子であると。
「⋯⋯話はマスターから聞いている。ロア、要は君と協力して、僕たちで奴を殺せばいいってことでしょ?」
「そうよ。ロアに合わせて」
「ふっ、今回だけはそうしてあげる」
ロアとヴァシリーは構える。一方、彼女らと対立するマルクトは、丁度このタイミングで、今度の戦争で新たに得た死体を全てアンデッドに変貌させ終わった。
そして全ての支配下にあるアンデッドに命令する。
「⋯⋯どうでもいいわ。全部潰してあげる」
黒の加護の力を最大限に発揮する。割れそうなぐらいの頭痛に襲われたが、そんなこと些細なことだと、マルクトは無理矢理痛みを押さえつけた。
「──今のお前たちに、この量のアンデッドが捌ききれるかしらっ!」
都市『ヴォリス』に蔓延る全てのアンデッドが今、たった二人を殺すために操られ、一か所に集まる。それはまさしく『死の軍勢』だ。
「ええ、望むところよ」
そして、ロアとヴァシリーは余裕そうに、二人同時に答えた。
転移者三人組編が予定以上に長くなってます。あれこれまじで第七章百話超えます?