7−60 リベンジ・マッチ
ロアは真っ先にマルクトを潰そうとしたが、ヴァシリーはそれを阻止するよう動いた。彼女の行使した防御魔法はロアの拳を受け止めるも、続く二撃、三撃目で障壁は叩き潰された。直後の無詠唱化された〈死神の鎌〉を避ける為にロアは跳躍せざるを得なかった。そしてヴァシリーは追い付いてきて、
「〈魔法三重強化・爆衝撃〉」
ロアは腕を交差させて防御したが、一発目で地面に叩きつけられ、二発目で防御を崩され、三発目はダメ押しと言わんばかりにロアの軽い体に鈍い痛みを走らせる。
魔法防御力が功を奏して、ロアはまだ動ける程度のダメージしか受けていないが、状況は芳しくなかった。
(⋯⋯痛いわね)
痛みに慣れていても、だからといって全てが無痛に感じるわけではない。痛いものは痛いし、それでへこたれなくなるだけだ。
だがロアが今受けたダメージは、体の内部に直接響いたような気がした。外部からの痛みならばともかく、それはロアが慣れていないタイプだった。
(それに、やっぱり前より強い。消耗していない今、ロアでも負ける可能性はあるわね。⋯⋯殆ど五分五分。少しロアのが強いってところかしら)
以前まであった圧倒的な差はもうない。が、未だロア優勢に傾いたままだ。油断すれば一気に負けるだろうが、彼女の辞典にその二文字はなかった。
勝利の方程式。どうやって戦っていくかを脳内で組み立てるのに、最早単位時間さえ必要なかった。なぜならば、その勝ち方はシンプルだったからだ。
ロアはヴァシリーとの距離を測る。目測およそ百メートル。自分の戦闘スタイルを考えると、下手に攻められない状態だ。ヴァシリーもそれを分かっていて、わざわざロアに接近するという危険を冒した、それもこれも、今を作る為に。
「さあ、来たらどう? その瞬間、あなたを八つ裂きにするけど」
見ればマルクトは何もロアにはして来ない。魔女同士の戦闘には力不足だと理解しているからこその行動選択だが、棒立ちというわけでもなかった。両目を閉じて、何かをしている。分からない。でもロアの直感は危険を訴えている。
何か、碌でもないことをしようとしているような気がした。
「この距離は走っても少しは時間がかかる。かと言って詰めなければお前から魔法が飛んでくる。なるほど、ロアの身体能力はもう把握され尽くしているというわけね?」
「⋯⋯一度負けたあの日から、私は魔法を毎日練習して、戦い方も学んで、そしてあなたのことを監視し続けた。矛も、盾も、情報も、今の私に揃っている。もう後は、全力を尽くすだけよ! 〈魔法三重強化・死の雨〉」
光を全て吸い込み、そして真っ黒となった雨が真横に降り注ぐ。知らない魔法。つまりは独自魔法。ロアの直感は命中を愚かな行為だと認識し、カウンターを考えず、回避することに専念した。
それは間違っていなかった。死の雨が降ったところは、原型が完全に崩れた。まるで強力な酸性液にでも溶かされたみたいに。でもそれは酸とは少し違っていた。文字通り、死んでいくような、そんな気がした。
(普通に突っ込むことは愚策も愚策ね。ま、予想はしていたけれど。だから、何も考える必要はないわ)
ロアが無詠唱行使した赤魔法の名は〈隆起する大地〉。大地を波のように引き上げたり、あるいはロアが企むように、長方形に突出させたりすることもできる。通常はそれで対象を叩き潰す魔法なのだが、彼女は少し違う使い方をした。
「はっ?」
速度とは、計算式ではv0+atで表される。簡単な物理学の話で、科学とは時代で大きく変わるものと言えど、これを疑う者はおそらく居ないだろう。
魔法学とは一種の物理法則と言って過言ではない。併せて魔法物理学だなんていう学問もあるぐらい、それらは密接に存在している。魔法学を修めるならば多少なりとも物理学、生物学、有機と無機化学、はたまた天文学などの理系科目にさえ手を出すこともあり、ロアもその口だ。
ならば、今のロアと同じ発想をした魔法使いは当然ながら存在する。しかし、実践に移したのはロアが初めてだろう。何せ、彼女ほど魔法が扱えて、かつ身体能力も高くなくては、ただの机上論でしかなかったのだから。そして同じことができるであろう人物は、大抵転移魔法が使えるからだった。
「ロア以外に、こんな馬鹿げたことをする奴は居ないわね」
内容は至って単純。魔法により大地から突出させた長方体を蹴り、加速する。ロアの加速力は言うまでもなく、突出の際の速度も、無視できるはずがない。それによってロアのスピードは大きくなった。ただそれだけだ。ただそれだけなのだが、ヴァシリーには予想外であったらしい。てっきり攻撃魔法を相殺用に使うのだと思っていたことも相まって、反応に遅れる。遅れずとも問題なかったが、これは嬉しい誤算だ。
「今度はこっちの番よ」
容赦なくロアはヴァシリーの綺麗な顔面に右ストレートを叩き込み、それをきっかけに腹部にラッシュを仕掛ける。腕が数本に増えたと誤解するほどのスピード。一発、一発は当然重く、魔法は行使されていないが、どちらにせよ対象に蓄積するダメージは大きかった。
並の相手ならばこのラッシュで沈むだろう。だが、ヴァシリーはそうではなかった。流石に詠唱できるはずがないから無詠唱化魔法ではあったが、彼女の足元の大地が隆起し、ロアを打ち上げた。
「〈魔法抵抗貫通・重力操作〉っ!」
ロアへの重力負荷が突然大きくなる。空中から地面への強烈な落下と、重力の大きさは地面が陥没するほどであり、彼女ほどの身体能力がなければ一瞬でグチャグチャのミンチになっていたことだろう。
体が重いなんてものじゃない。抵抗力が貫通されている今、対抗するには同じ魔法を行使するか、もしくは範囲外へ逃れるのがセオリーだ。
しかし、そんなセオリー通りに動いては負ける。ロアの研ぎ澄まされた直感はそう囁いたし、彼女も元々そうする気はなかった。
「──〈重力操作〉は本来、同格相手にそこまで有効的じゃない。何故ならよっぽど白魔法に高い適正がないと所詮足止めぐらいしかできないし、仮に抵抗を貫通したところで、今度はロアみたいに、脚力とか胆力で耐えられる。そして何より、重力の操作には脳のリソースを沢山割かないといけないはずよ」
確かにこの魔法は、近接戦闘を得意とする相手には特によく刺さる。ロア相手にこれを使うのも、何ら間違いではない。
「ロアは、お前より強くて性格悪くて厄介な白の魔女と戦ったわ。今更、これぐらいどうってことない。無意味かしら」
ヴァシリーはそのことをよく知っている。ロアに勝つために彼女をストーキングしていた時期があるのだ。その中で、白の魔女エストとの戦闘を見たことがあった。
──次元が一つ違った。それが当時の感想だ。自分に容易く勝ったロアと互角以上に渡り合い、戦闘開始から数分で決着がついた。エスト勝利という形で。
ヴァシリーはその時、獲物が奪われたような気分になった。そしてこうも思った、「最強の魔女の一角を打倒することも、悪くない」と。
その後にミカロナという魔女や、一度しか目にしていないはずなのに姿をはっきりと覚えていられるほど印象深かった黒の魔女と出会ってからは好き勝手に放浪することは辞めたが、それでも目的は変わっていない。何せ、黒の魔女への協力の対価は、自分に稽古をつけてもらうことだったからだ。
「⋯⋯だから何よ。それで何か変わるっていうの? 今のあなたは、そこで立っているのがやっとでしょ?」
これだけ重力が強いと、その中での魔法も直線には飛ばずに行使直後に地面に激突するだろう。
そのはずだ。魔法自体に抵抗力は存在しない。重力に押さえつけられている状況において、ほぼ全ての魔法は実質的に無力化される。対象はロアであるために、ロアから発せられたものも対象となっているからだ。
「それこそお前も同じ状況よね。お前だって、ロアには何もできない。分かっているんでしょう? 今の状態のロアにも、近づいてはいけないと。できる自信があるなら最初からそうしていたはずだし、現にロアはまだ潰されていない。⋯⋯この魔法はロアから距離を取るためのもの。でも一つ勘違いをしているわ──」
ロアはその重すぎる重力の中、走り出した。しかも速い。確かに彼女の全速力からは遅くなっているが、それでもヴァシリーが逃げられないほどだった。
(いや待て。いくら何でも速すぎる。何倍の重力にしたと思ってるの? ロアの身体能力だと本来はまともに動けない計算のはず⋯⋯)
そこには当然ながら、ロアの能力『無限魔力』による身体強化具合も含んでいる。それなのになぜ?
ふと、ヴァシリーはロアの台詞を思い出した。
(──勘違い。勘違いっ! 私の考えていたことは、間違っていた! ロアを重力操作なんかで、止められると思うこと、その前提からっ!)
──赤の魔女、ロアの能力である『無限魔力』には、一つだけどうしても制限ができるものがあった。それは、身体能力の向上だ。ある一定まで身体能力を引き上げてしまうと、それ以降は上昇させたところで無意味どころかむしろ足枷になってしまうライン、限界点があった。
ヴァシリーはこれをロアとの戦闘で学び、こう解釈していた。
──魔力による身体強化には限度がある。オーバーフローしてしまった肉体は発揮できるスペックを負荷という形で処理してしまう、と。
しかしそれは間違いであった。もっと単純だったのだ。
「魔力による身体強化に限度はない! 肉体はオーバーフローを起こさない! 理論上ではいくらでも強化できるけど、ただシンプルに、速すぎるスピードを扱いきれないだけ!」
そう、上昇幅はまさに無限大なのだ。どれだけ肉体を魔力で強化しても、肉体がそれに耐えきれずに崩壊することはない。負荷を受けることも決してない。『無限魔力』の権能の一つには、生物の保有限界魔力量がなくなるという効果があるからだ。
「正解。重力で抑えられた分、魔力で肉体強化して帳消しにした。まあ、魔力が有限である限り、ロア以外が同じことをしようものなら、皆、保有限界魔力量を超えて死ぬだろうから、ロア以外がその結論に至るのには頭を捻らないといけないわね」
現にエストだって最初は勘違いしていたのだ。その後すぐに気づいたものの、それにはロアが『無限魔力』の権能を隠そうとしなかった部分が大きい。
高位の魔女や魔法使いであればあるほど、こう言った初歩的な部分に気がつくのにはかなり考えないといけない。何せ、誤れば生命体が簡単に死ぬような法則に疑問を持つことを、常識人は中々しないものであるからだ。
一体誰が、魔法学の教科書の最初のページに記載されている「魔法は六色に大分される」という一文を疑うだろうか? もしかすれば紫色なんかがあると、誰が思うだろうか? 大抵はそんなものはないと言うだろう。魔力飽和による即死の法則も、それと同じぐらい彼らにおける前提であったのだ。
ロアはヴァシリーに何度目かになる右ストレートを叩き込むだろう。しかしある程度緩和されていると言っても、多少なりとも弱体化しているロアを迎撃する余裕くらいヴァシリーにはあった。
「〈魔法三重強化・死神の鎌〉」
ヴァシリー十八番の物理攻撃魔法がロアに飛んでいく。下手に避ければ他のに切り刻まれるような配置だ。跳躍して避けようにも、空中では身体能力は発揮されず、重力魔法がそのまま効果を表す。大きく避ければ、それはそれで最短距離から離せたということだ。しかしロアが取った行動は、避ける行為ではなかった。
ロアは魔力を纏わせた素手で鎌を弾いた。問答無用の接触ダメージは与えられただろうが、それもロアからすれば微々たるもの。距離は詰められる。ロアとは五十メートルも離れていない。この短距離では魔法詠唱時間さえ惜しい。無詠唱化魔法を、それも素手では弾けない魔法が必要だ。
〈蛇紫電〉──蛇のようにうねりながら空気中を走る紫色の電流は、避けることは難しく、また素手では弾けない魔法だ。魔法階級が第八であるため少しばかり威力が心許ないが、それでもロアの接近に牽制することはできるはずだ。ロアに対しての近接戦闘は、いくらあの人格であっても不可能。距離を詰められるということは相手にとって得しかないのだ。
魔力がなくなれば精霊術に移行できる。その場合火力は下がるものの、継戦能力は非常に高い。どれだけ魔法でロアにダメージを与えられるか。継戦能力が無限の相手に、どれだけ食いついていけるか。それがヴァシリーの勝利に繋がる重要な鍵になる。
ロアは流石にその魔法を受け流すことはできず、フルヒット。しかし彼女の魔法防御力は高く、致命的な一撃になることはなかった。しかしそれでも、彼女は走ることを少しも躊躇わない。
(は、何で。何で、そんな風に突っ走れるの!?)
何度か連続で同じ魔法を行使するか。ロアはそれを承知で受け止め、ヴァシリーに突っ込んでくる。
理解できなかった。いくら第八階級魔法でも、真正面から喰らっていては痛みも相当なはず。ダメージもそのはず。突っ込んで来られるわけがない。無効化もしていないのに。走れるわけがない。
(そんなまさか、有り得ない!)
そして両者の距離がゼロとなった時、ロアの加速した拳が、魔法が併用されたそれが迫ってくる。
「さっきまでのお返し。十分に味わうことよ!」
顔面ではなく、腹部でもなく、ロアが狙ったのは魔法を使う者にとってのある意味致命的になり得る部位。胸だ。もっと言えばそこにある肺を狙った。
まさかこの年齢にしては豊かな胸が、その緩衝材になるとは思わなかった。だから胸骨が折れて肺に突き刺さる最悪の事態は避けられたのだが、その衝撃により彼女は呼吸が困難になった。
ヴァシリーは家屋に突っ込む。そこで意識が朦朧となっていることに気がついた。
「⋯⋯あ、あぁ。これ⋯⋯重力魔法解除してしまったかな」
もう無意味だから使うことはない魔法だ。でもこれは自分から解除しようとして解除したものではないし、魔力消費量が大きい重力魔法を維持できるほどの魔力がなくなったわけでもない。自分の意識が一瞬飛んだのだろう。それが原因だ。だとすれば他の自己強化系魔法も解除されたか。それをもう一度掛け直す時間はないだろう。
「⋯⋯全く、どうして私はロアに追いつけないの。この世界に来て、私はもう二度とこんな思いしなくなったと思ってたのに」
どれだけ努力しても追い越せない天才。それはそれ以外に才能がなかったヴァシリーにとって──いや、彼女にとって、認めたくなかったことだ。
異世界に来たことで元の世界の苦悩を思い出すことはなかった。けれども、彼女は再びその苦しみを味わうことになっている。
この世界にも、自分では追い越せない天才が居るなんて、知りたくなかった。
「⋯⋯あーあ。五分五分だと思ったんだけどなぁ」
間違いなく、実力はそうだった。だが、それは戦闘が始まる前の話だった。
天才はいつもこうだ。こんな僅かな時間で格段に成長する。適応する。ヴァシリーが互角程度に強くなったから、ロアはそれを超えるために成長してしまった。ロアはヴァシリーの魔法をものともせず、そして打撃も、それに併用される魔法威力も上がっていたことが、何度か喰らったことのある彼女には理解できた。
「また生かされるのかな。それとも、今度は殺されるのかな。⋯⋯まあ、どっちでも良いか」
エストちゃんパートが書きたい気持ちと、しっかり他キャラのパートもやらなくちゃいけない使命感に挟まれています。
エストちゃんパートになったら反動で四十話ぐらい書きそう⋯⋯多分ないけどね。
あ、そういえば最近私のリアル口調がエストっぽくなりました。一人称は「自分」のままですけど、やっぱり演じていると引っ張られるんですかね?
じゃあ女性キャラばっか書いてるとオネエになるのかな。