7−53 黄の魔女
そうして戦争は終結の方向に舵を切った。
司令部が潰されたことにより、獣人たちの指揮系統は大混乱。それを突いたクリーシア派閥は戦況を有利へと塗り替え、ロアを始めとするライリー派閥の強力な助っ人の力もあり、大派閥同士の戦争という前代未聞の大戦は、誰もが思っていたよりも遥かに早く終わりを迎えようとしていたのだ。
いや、もう終わっているか。自分たちの負けを悟ったショルマン派閥の獣人兵たちは降参、もしくは自害、逃亡と言った手段を用いて、戦争から手を引いていた。前者はどちらかといえば若者が多く、後者は──特に自害は──老兵が多かった。
このララギアにおいて、敗戦派閥の末路など碌なものではないと知っているかどうか、あるいは、負けるぐらいなら死んでやるという極論的思想故なのか。真意は分からない。
けれども、クリーシアやライリーたちが望むところのララギアには、敗戦派閥を奴隷にするような法はない。確かに彼らは人間の繁栄を望んでいたが、それが亜人蔑視とイコールで結ばれるわけではないし、結局そう言った差別が次の戦争の火種となることぐらい、歴史を見てくれば分かる。自分たちにされて嫌だったこと、自分たちが行って体制が崩されるであろうことぐらい、分かっておらずして何が指導者か。
「⋯⋯終わった」
ナオトは呟く。そして、両手に携えていた短剣を鞘に納めた。まだ慣れていない剣術ではあるが、『短剣之加護』により引き出された才能が剣の使い方を教えてくれるし、あとは見様見真似でそれっぽい動きをしていれば、自ずと剣の技能は上がっていくような気がする。そもそも加護はその人に適したものが与えられるから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「⋯⋯⋯⋯」
逃げていく獣人たちを追ってとっ捕まえてその命を奪う気はさらさらないから、ナオトは彼らとは真逆の方向に歩き出す。負傷兵らは軒並み救助されていて、彼が出る幕はこれ以上なかった。
ナオトは今回、特に何もしなかった。いや、獣人たちを斬り殺したが、それ以上のことはしなかった。単純な殺害量なら、ユナやジュン、ライリー、ロアの方が圧倒的だろう。
なぜか? それは、
「──なんで」
未だ、彼の両手は震えようとしない。死に恐怖しないわけじゃない。獣人たちを殺した自分の冷静さに怖がることができなかったのだ。自分は人を殺しても、こんなにも動揺しないのか、と。
「覚悟は決めた。でも、少しは躊躇いたかった」
──ここまで人殺しに興味がないのは、彼がそれを見失っているからだ。そして原因も彼は分からない。どれだけ聡明な彼でも、分からないものはあるのだ。何せそうなった理由は誰でもない、無意識の彼なのだから。
「⋯⋯ボクはそこまで冷酷なのか?」
彼は、自身の存在が不確かなもののように感じている。いや、元々そうであったのを、ようやく自覚した、と言うべきか。良くも悪くも異世界転移という事件は、彼の問題を顕在化させた。
「ボクは⋯⋯」
「──ナオトさん!」
目の前からユナが走ってきている。彼女とナオトはそこまで付き合いが長いわけではない、というかつい先日出会ったばかりの関係だ。とは言っても急に死地に放り込まれた仲だから、友人と言えるかもしれない。
さてそんな彼女が必死な表情をしてナオトの下に走ってくるだろうか? いや、ユナは優しい性格をしていると言っても、大怪我を負っているだとか、そういった目に見えた緊急事態は除き、そこまで心配はしない。つまり、
「避けてっ!」
「なっ!?」
ナオトは反射的に跳躍すると、直後、そこに刀が突き刺さった。そして地面が凍りつき、そして爆散した。
氷によって生まれた冷気がナオトを襲撃した者を隠していたが、刀を見て、かつ同じことができるような相手をナオトは一人しか知らない。
やがて冷気から現れたのは──刀を握って、殺意を隠そうともしないジュンだった。
「ジュンっ!? 何してるんだ!?」
「何かって? 今ので分からないの?」
彼は刀を構える。先の一撃を避けられたのは偶然に近いこと。もう一度同じことができるかと聞かれると、答えは否定。転生者に、転移者は勝つことができない。
しかし抗うことを諦められるほど、ナオトたちは潔くない。死への恐怖が麻痺していることと、死を望むことは似ているかもしれないが全く違う。
「〈転影〉」「〈属性付与・炎〉」
ナオトの姿が消え、それによって生まれた射線を、炎に纏われた矢が飛んだ。無防備な人間の頭を破裂させるならば過剰な、文字通りの火力だったが、
「炎が凍りつかないと、本当に思っていた?」
炎を纏った矢は成す術なく空中で氷の牢獄に囚われた。氷は全く炎に溶かされていなくて、水どころか蒸気さえ発生していない。あるのは、冷気だけだ。
「それに、あんな不自然な消え方をすれば分からないわけないよ」
影から奇襲を仕掛けようとしたナオトを、それより早くジュンは対応した。彼の体を斜めに切り裂き、しかしナオトの幸運が即死に至らせなかった。が、意識を朦朧とさせるにはあまりにも痛みは強かった。
「あと一人──!?」
ユナを殺そうと戦技を行使したジュンを、妨害した存在が居た。
「──簡潔に、現状を説明してくれるかしら」
真っ赤な服を風に煽らせ、ジュンの〈領域・攻〉を正面から叩き潰したのはロアだった。彼女の顔には目立った困惑の表情はなかったが、その傾向がなかったとは言えない。
「と、突然、ジュンさんが⋯⋯」
「なるほどね」
ロアはユナが何も知らないことを理解すると、現状が意味不明であると把握した。彼女はナオトをチラリと見ると、
(すぐ死にはしない。でも放置することは得策ではないわね)
少し手荒になるが、頭を叩いてでもジュンの意識を奪わなければいけない。
「あらあら、赤の魔女が居るとは」
「⋯⋯お前は⋯⋯ヴァシリーか」
ロアと同じ魔女であるヴァシリー、そして転生者ジュン。この二人を相手にすることは、普通であれば苦しい戦いになるだろう。
ロアは戦うことを『欲望』としており、それ故に彼女がこれまで戦ってきた相手は数多い。直接関わらない相手の名前は覚えず、しかし戦った相手の名前はいつまでも覚えている。それが例えどんなに弱くても。
「⋯⋯⋯⋯」
ロアとヴァシリーの相性は、ハッキリ言ってロア有利の最高だ。ヴァシリーの魔法、精霊術をロアも魔法、体術で掻き消すことができる。近接戦に持ち込めば、ヴァシリーの第二人格を以てしてもロア以上には動けない。
(見たところジュンは消耗している。おそらくヴァシリーとやりあっていたのかしら。だとすれば⋯⋯)
現状はもしかすれば、こう見えてチャンスであるかもしれない。ジュンだって何もできずにヴァシリーに負けたわけではなかろう。
「⋯⋯ユナ、ナオトを連れて逃げて」
「わ、分かりました」
ユナは重症のナオトに向かって走り出す。だが、
「〈魔法二重化・殲滅輝線〉」
「〈連鎖する爆裂〉」
淡く、薄黒がかかった数えるのさえ億劫な数の弾丸──光線が飛ぶも、それを掻き消すように爆裂が生じた。
通常、爆裂系統の魔法は広範囲、高威力が特徴で、制御をしない、とても単純な要素であることもあり低階級魔法ながらも強力な魔法だ。しかしその分範囲調整がほぼ不可能であり、魔法を相殺するために使おうものなら自分ごと吹き飛ばす自殺魔法へと成り下がる。
「⋯⋯赤の魔女は伊達ではないってことね」
だからこそ絶句する魔法使いは多いだろう。何せロアが今やったことは、その制御不可能とまで言われる爆裂魔法を制御し、味方に被害を齎さずに魔法を相殺したのだから。
ヴァシリーはユナとナオトの殺害を諦めて、狙いをロアに定めた。
ロアはユナたちが逃げたのを確認してから、
「さてと、丁度退屈していたころなのよ。あの時の言葉、覚えているわよ」
「⋯⋯そう。なら、分かっているね。二度はない。今度は私が、私たちが勝つ番よ!」
ロアは周りの人物が恐れることを危惧して抑えていた殺気を開放すると、一瞬で威圧感が場を支配した。これまで人間と仲良くするためにやっていたことをなくすと、少しだけ気が楽になった。
「こうして挑戦されるのは久しぶりかしら」
◆◆◆
──赤の魔女、ロア。例に漏れず、彼女はヴァシリーにも攻撃を仕掛けていた。
ロアが魔女になってから五年も経たずに目の前に現れたのだ。その自信は何処から現れたのか。中々に不思議だった。
眼前に自分の命を奪おうとしている存在が居るのに、そういった呑気なことを考えられるのは、ヴァシリーは自分が負けるとは思っていなかったからだ。ロアの幼女の姿が強く見えなさそうというのもあるが、自分の特別性がやはり大きな要因だろう。
だが⋯⋯結果は敗北に終わった。
初めてだった。ヴァシリーが転生者であったころ──まだ名前が日本語名であったときさえも敗北はなかった。『魔女化の儀式』を行って魔法能力などの身体能力が上昇した自分が、同じとはいえ現地人の魔女に負けるだなんて頭の片隅にもなかったのだ。
油断したから、という言い訳もできる。が、油断していた、していなかった程度で埋められる差がそこにはなかった。
彼女は死を望んでいた。尤もそれは緑とは違い、自分以外の全てに限るし、痛みではなくあくまで死そのものだ。ヴァシリー、いや千羽碧依であったころからの『欲望』である。魔女になってより『欲望』が強まった彼女にとって、自身の死という点においては何よりも忌避すべき事だった。それはある意味で劣等種族人間より弱小な面であった。
「あ⋯⋯がっ⋯⋯」
視界が真っ赤に染まっている。肺に穴が空いているのか呼吸ができないし、代わりにそこに溜まった血液を吐き出してしまうほどだ。意識が雲のように不確かだ。自分が今どんな姿なのかもわからない。けれど、それはもう悲惨な状態だろう。全身を巡る激痛、鈍痛がそれを知らしめてくれる。
──このまま殺される。
確かにヴァシリーは魔女で、緑魔法も使えるからここから起死回生を狙うことも無理な話ではない。しかし、ロアがみすみすヴァシリーを見逃すだろうか? こうまでして殺しに掛かってきた相手を、殺さずに?
──ありえない。
それは殺戮者が一番良く知っている。殺せる相手を殺さないか? ましてや魔女が、それも戦いを望むロアが、敗者に温情をかけるか?
彼女は死を覚悟した。して、──何も、それ以上されなかった。
「⋯⋯は?」
それどころか少しだけ体の重さが、痛みが和らいだ気がした。
おそらく治癒魔法が行使された。そう、自分を半殺しにした相手によって。
「あとは自分でやるのよ。ロアはそこまで赤魔法以外は使えないから」
ヴァシリーは恐る恐る自身に緑魔法を行使し、体力を完全に回復させた。魔力は消耗し切っているし、近接戦闘だと勝てる気がしないから、これ以上の戦闘は無意味だ。彼女はロアを警戒しつつも、戦う気も、逃げる気もまるで見せなかった。
「逃げないのね。あれだけ痛めつけたのに」
「⋯⋯逃げても無駄でしょ。私なんて魔力が尽きたのに、あなたはまだまだある。そんな私に逃げ切る術はもうない」
ヴァシリーはロアとの戦闘で、彼女の魔力を削れている感じが全く無かった。あんなにも魔力消費が激しい魔法を連発しているのに、とずっと思っていた。
「『まだまだ』? はは! ロアの魔力は無くならないわ」
ロアはその外見に相応しい可愛い声と笑顔で、笑えない冗談を喋る。思わずヴァシリーは珍しく困惑し、呆気にとられた。
「えっ⋯⋯なんで」
「それがロアの能力、『無限魔力』だからね」
無限の魔力、それは魔女にとって、魔法を扱うものにとっては喉から手が出るほど欲しい力だ。同時、それは敵に回せば凶悪な能力でもあり⋯⋯
「なぜそれを喋ったの? 私があなたを殺しに行かないと?」
魔力が無限だと分かっているなら、それは戦術の組み立てに関係してくる。誰でも分かることなら、長期戦は圧倒的不利だから短期線を狙う。もし魔力ドレイン能力が使えるなら、その魔力を利用してやる、などだ。
つまりそれを喋ることによるメリットなど一つもない。相手への戦術的アドバンテージを投げ捨て去ることに等しい。
「──いや、来るわ。そう確信している」
「────」
「ロアはね、強くても弱くても、勝っても負けても、戦った相手は尊敬するし、殺しはしない。勿論、場合によっては殺してしまうことはあるけど⋯⋯ね。お前は幸運だったわ」
ロアは勝負した相手を殺すことを好まない。しかし、相手が強ければ強いほどロアだって手加減はできない。つまり、殺す気でいかないといけないわけだ。だから、場合によっては殺害してしてしまう。
「⋯⋯後悔するよ、私を殺さないと」
ヴァシリーはロアを、殺意の篭った瞳で睨みつける。それは脅しでも何でもなく、予告だった。
「ならそれが楽しみだわ。──黄の魔女、ヴァシリー、今度ロアの前に出るなら、その時はどちらかが死ぬか、あなたが逃げ惑うかの戦いになると思うことね」
オバロ、リゼロの最新刊、読みました。
前編は盛り上がりに欠ける出来でしたが、逆に言えば後編へと繋げるためのもの。絶死絶命との関わりが気になるところです。いやはや、今月末が楽しみですね。
そしてリゼロは、遂に合流し始めるところですかね? そしてスバルの前に現れた彼があんなのには、どんな理由があるのでしょう⋯⋯?
どちらも次巻が楽しみになるような終わり方でした。