7−49 人間派閥の底力
人間宣言をしたところで、ライリーは再び仕掛ける。
巨漢は思っていたよりもずっと強固だった。厄介な前衛だとは思っていたが、剣士、弓士からの援護もあり、中々殺すことは難しいだろう。
かと言って、人数は早めに減らしておきたいことには変わりない。ならば標的を変えるだけだ。前衛が邪魔にはなってくるが、無理矢理にでもそうしないと、段々と押されてくることになってしまう。
ライリーの標的は変更となった。そして何かを感じ取ったのか、はたまたまぐれか、弓士の前に戦士が出る。
避けることはできなさそうだ。彼女は跳び、そして剣先を戦士に向け、突き刺す。戦士はそれを己の剣で防御したが、衝撃が彼の両腕に流れた。
「若いな」
年齢的な意味ではなく、戦士として未熟という意味。ライリーは戦士の男としての急所を蹴り上げると、彼の顔は激痛に満ち、声のない絶叫をあげた。
横から巨漢が混紡を振り下ろしてくる。だが、ライリーはその棍棒を軽々と躱し、弓士に迫る。
首を一閃。そのまま獣人の弓士は首を刎ねられて死ぬ──はずだったが、先程股間を潰した戦士がそれを防ぐ。
「俺の仲間を殺させるか!」
戦士はライリーにされたように、蹴りを返す。
「仲間意識か、恋愛感情か?」
だが、ライリーにはそんな小技なんて簡単には通用しなかった。それどころか彼女は彼が思う以上に戦いのプロットを組み立てていて、つまり熟練度は圧倒されている。
ライリーは剣をすぐさま戻し、戦士の首を刎ねようとする。
「うっ!?」
鮮血が飛び散った。しかし敵は未だ三人のままだ。
「全く、その動体視力どうなってるんだ? いくらゼロからの加速と言えども、今ので殺せたと思ったんだけど⋯⋯」
戦士の彼は左耳を失ったが、それだけで済んだことに、神に感謝しなければならない。
背後からの棍棒のなぎ払いをライリーは跳躍して避ける。が、弓士の弓矢が空中で身動きを取れないライリーに射られる。至近距離のそれを、剣で弾くには物理的に時間が足りない。狙いは勿論即死を狙える頭だ。
「エグいな」
しかし、ライリーは頭を反らし直撃を避けた。それでも額が少しばかり抉られることになったが、彼女にとってその程度の痛みは大した問題にならない。
彼女は姿勢を低くして、風のようなステップを刻み、敵の三人の中で最も弱いと判断した戦士に直行。剣と剣とが接触し、金属音が発された。そこで、ライリーはラッシュを叩き込む。間隔がほぼない連撃だが、一撃一撃に力がこもっていないわけではない。言うなれば重連撃。それは一瞬で戦士の防御を崩した。
「まずは一人」
そして心臓に一突き。獣人は心臓を刺され即死することはないが、死から免れることはない。彼は口から血を吐き出し、このまま死ぬことが約束された状態だ。
「────」
しかし、戦士は笑顔を作った。ライリーはその不敵な笑みと、彼がやったことに愕然とした。
抜けない剣を素早く手放す。が、それより速く棍棒が迫る。
躱すことはできない。直撃は避けられない。そう悟ったライリーは受け身の体制を取る。
「くっ⋯⋯!」
ライリーは吹き飛ばされる。受け身は不完全で、ダメージを軽減することはできなかった。だからそれは直撃と一緒だ。
地面を転がる。耳鳴りがする。左腕の骨が折れたのか、痛くて熱い。
「っ!」
追撃として矢が飛んできた。ライリーには得物がなく、弾くことは不可能だった。だったら、受け止めれば良い。掴めないなら、
「いったぁ⋯⋯」
ライリーの手の平を鏃は貫通したが、頭を射抜く前に矢は推進力を失った。差し出したのは左手だ。これでいよいよ片腕は使い物にならなくなってしまった。
そんな絶体絶命の状況であるライリーに、棍棒を持った巨漢が走り迫ってくる。今の彼女には敵の攻撃を躱す余裕はないはずだと考えたが故の判断だ。間違ってはいない──相手がライリーでなければ。
「わざわざ来てくれてありがとう」
ライリーの姿が消えたかと思えば、気づけば巨漢の頭は蹴られていた。反応できなかったとか、そんなものじゃない。
見えなかったのだ。転移魔法でも行使したみたいに、ライリーの姿は消えて、そして再現した。
そしてまた、鎧によって軽減されているはずのその蹴りは、今まで彼が受けてきたどの打撃よりも重く、痛かった。
「強く⋯⋯なっている?」
甲と下で鼻血を流し、ライリーを凝視する。姿は瀕死なのに、その体から繰り出される技の威力は万全状態の彼女のそれより強くさえ思えた。
「⋯⋯火事場の馬鹿力、ってわけ?」
でも、長くは続かないはず、と口の中で続きを言って、弓士は弓を射る。矢は寸分の違いなく彼女の思い描く軌道で飛んだ。しかしライリーはまるで空中の鬱陶しい虫でも潰すように掴み、あまつさえ投げ返された。それは弓で射るより遥かに威力が増していた。狙いはあまりにも大雑把だから腕に着矢したが、それでも肩が外れそうだった。
「があっ⋯⋯」
前に出ている巨漢をすり抜けて、ライリーが飛んでくる。そして右ストレートが繰り出され、弓士の顔面に正面から直撃。頭に鼻骨が砕ける音が響き渡り、同時、凄まじい打撃音が鳴った。
そしてライリーは弓士の側頭を回し蹴りを叩き込み、その右足を軸に今度はもう片足で上段後ろ蹴りで顎を突き上げると、弓士の体が鉛直上方に上がった。
「ふんっ!」
攻撃を中断させるため、巨漢がライリーに棍棒を振り回した。だが、その棍棒を避けることを彼女はしなかった。かと言って棍棒が彼女の体を吹き飛ばせたかというとそうではなく、なんと彼女はそれを弓士で受け止めたのだ。巨漢は自分の仲間に自分でトドメを刺したことになる。
「なに──」
ライリーは一瞬で弓士から矢を奪っていて、棍棒を蹴り返し、巨漢の懐に入り込む。そして腹部に膝蹴りをして、怯んだところで目に矢を突き刺す。
重低音の絶叫があがる。更に、ライリーは矢をより深く突き刺した。その激痛は最早、体験しないことには分からないだろう。
痛みに呻き、巨漢は蹲った。それを傍目に、ライリーは棍棒を奪って、それを軽々しく持ち上げる。
──何だ、そこまで重くない。
ライリーは凶器を振り上げ、
「これで終わりだ」
と、蚊でも潰すように棍棒を振り落とした。
グチャ、という水分を多量に含んだものを潰したような音がして、最期の悲鳴はそれに掻き消された。彼女の手には生命を殺した確実な感覚が、得物から伝わった。
◆◆◆
ライリー派閥の仲間たちが獣人と戦い、そして勝利し、しかし敗北も同程度していた。こういう戦いでの敗北とは死を意味し、それは避けられぬ事柄である。
けれども、仲間の死を仕方のないものとして見過ごすことはできない。第六部隊、ウェルイン・ジルスターはそう思う。
彼らの部隊が得意とするのは殲滅だ。それは魔法や弓などの遠距離武器によるものではなく、多種多様な武器によるもの。特に優れた身体能力や技術を駆使し、彼らはどの部隊よりも多くの敵を殲滅してきた。だが、今回のような敵味方が入り乱れる戦場では、好き勝手に動き回ることは避けられた。彼らの性質上、周りを巻き込むような戦い方になるのだ。同じ部隊に所属しているならば、互いの攻撃範囲、仕掛けるタイミング、ましてや呼吸の頻度まで覚えているから同士討ちはまずあり得ないが、それが別部隊となると話は変わる。だから彼らに与えられた命令は、殲滅ではなく、
「今の所順調だな、アセラット」
裏取りである。
「ああ。まさか無警戒だとは思わなかった」
第六と、普段の偵察で隠密力が高い第五は協力し、戦場から逸れて相手の背後を取ろうとしていた。このまま後ろから敵の頭、ショルマンや司令部を殺す算段だ。そうすれば戦場に大きな打撃を与えられるだろう。
隠密しているが、実のところ、彼らはそこまで警戒しているわけではない。と言うのもショルマンはどうやらこの辺りに警戒網を敷いているわけではないようなのだ。あちらから進軍してきたということもあり、警報系魔法や道具も同様にない。
彼らが目視されないのは、〈不可視化〉という魔法を全員に行使されているから。行使者たちの魔法能力は非常に高く、同程度の魔法抵抗力を持つ魔法使いでないと見破ることはできない。獣人は確かに人間より身体能力は高いが、魔法に関しては同程度か、もしくは少し人間の方が優れているぐらいだ。
「しかしまあ⋯⋯三大派閥が衝突するとは思わなかったな」
三大派閥はそれぞれが強大すぎる力を持ち、争うと両者共に小さくない被害が生まれる。そして、所謂漁夫の利を狙う派閥に狙われやすくなるため、それら同士の争い事は、これまで両方が避けようとしていた。
つまり今度の戦争は異例中の異例というわけだ。いくら派閥同士の戦争を幾度とやってきたクリーシア派閥、ショルマン派閥と言えども、同じ三大派閥での戦闘経験なんてない。とは言え、今、ここで行われている戦争はクリーシア派閥優勢である。なぜなら防衛であるし、何よりあの四人がいるから。うち一人は魔女だし、彼女は開戦と同時にショルマン派閥に大打撃を与えていた。
これは誰でも予想できたことなのだが、それでもショルマン派閥が攻めてきた理由は分からない。そんな不利なんて退けられると自信を持っていたのか。だが、そうだとしても、愚かである。
「そうだな。でも、この戦いはこちら有利だ。⋯⋯ここで活躍すれば、クリーシア派閥内での立場も高くなるだろう」
クリーシア派閥にこれから売る恩は、傘下に入れてもらった恩を返し、お釣りもあるくらいだ。全身全霊、挑まなければならない。もしそうしなければ足元を見られることになるし、ライリーの顔面に泥を塗ることになる。それだけは避けなければならない。
「⋯⋯恩を売る、か」
ウェルインはどこか不服そうにそう言った。
「どうした? ⋯⋯まさか」
そして、アセラットにはウェルインの気持ちが手に取るように分かった。確かに共感はできるが、彼はアセラット以上にそう思っているであろう。
「ライリーさんの決定に反対したいわけじゃない。だが⋯⋯ああ、これは我侭だ。本当は、俺たちだけでこの国を変えたかった」
「確かウェルインは最初の四人だったか。だからか?」
ライリー、ベルクト、メルディ、ウェルイン。この四人がライリー派閥の最初のメンバーであることは、そこに所属していれば知っていて当然のことだ。派閥長はライリーとなっているが、この四人はほぼ同等の発言力を持っている。その他が無下にされることはないし、扱いも全然違うということはないが、それでもそこにある絆は、他とは異なっていた。
「そうかもな」
今更、ライリーに文句を言う気にはなれない。ウェルインは分かっている。それがいかに愚かな選択であるかを。しかし、彼はあの状況下でも自分たちだけで生き抜き、そしてもう一度ライリー派閥として活動したかった。自分たちの理想は、自分たちだけでのみ叶えられるもの。クリーシア派閥に入って叶えられるのは、それに似ただけの別物だ。彼らが望むのはライリーが王となったララギアなのである。
理想は無理な願いだからこそ理想なのだ。妥協したりすればそれは理想ではない。
でも理想は、武力、権力、金、カリスマ⋯⋯なんであれ、力がなければ叶えられないものでもある。それを、このララギアに住むウェルインが理解できないはずがない。彼はその理想と現実の狭間で苦しんでいるのだ。そんな彼の苦悩を完璧に分かることができないアセラットは、中身が足りない慰めなど言えようはずがない。
「忘れてくれ。裏切りで首を飛ばされたいわけじゃない」
ウェルインの表情は、不満を持った顔からいつもの彼へと変わった。
「そんなことしないさ。でも忘れる」
その雑談を最後に、彼らが今度言葉を発したのは裏取りを本格的に始める頃だ。
ショルマン本人は、予測通りにこの戦場に現れていた。最上位者が安全な場所に居ることは、国王などの血に価値がある者だけだ。極論、ショルマンの血には価値がない。こう言った戦場に最上位者が出てこないと、それだけで臆病者扱いされる。何よりもショルマンは派閥でも最強の存在。彼はその強さで派閥長となっている。ならば、その傾向はより強くなるのだ。
アセラットは彼の部隊の役名通り、敵数や配置、持っている武器などを確認した。
ショルマンを守る敵数は自分たちと同等。だが、獣人の基礎能力によるアドバンテージを無意味にできるぐらいライリー派閥の第六は強いし、第五も普通のそこいらの兵士より格段に強い。
配置は予想通りの厳重警戒。いくら不可視化魔法があっても、ここまで魔法的な防御が無いことは考え難いし、この人数で侵入すればどちらにせよ不審がられ、発見されてしまうだろう。
敵の武器は魔法武器が殆ど。その魔法の内容は不明だが、武具の差は確実にそこにある。
総合的な評価は──撤退に値しない。勝算は十分にある。
「ショルマンを視認。暗殺は不可能だ。よって──隠密は不要! 敵のケツを蹴り上げてやれっ!」