7−45 都市の秘匿事物
クリーシア派閥が治める都市、『ヴォリス』の地下は迷宮のように入り組んでいた。
ユナの透視では特に何も視ることはできなかったが、彼女の加護も万能ではない。もしかすれば彼女が透視できなかった存在がそこに居るかもしれないのだ。だから、四人は警戒を怠らなかった。
地下での視界は真っ暗闇に包まれており、数メートル先さえも見ることができない。ユナとナオトは『慧眼之加護』、〈暗視〉をそれぞれ使うことができるが、ジュンとロアにはそのような闇を見通す力はない。しかし、光源を確保することは容易だった。
「〈炎珠〉」
それは赤魔法に分類される炎系魔法だが、炎としての性質も当然持ち合わせている。
炎の珠はロアの人差し指の先に浮かび上がり、それは燃え続ける。ロアの能力『無限魔力』のおかげで、その炎は彼女が解除するまで永遠に消えることはない。
「ちょっと怖いですね」
『慧眼之加護』を行使し続けることは、特に目に負担がかかる。だからユナは加護の力を解除しており、彼女もまた暗闇に包まれていた。
ユナは特別暗い所が苦手というわけではないのだが、得意というわけでもない。暗く、自分たちが鳴らす音以外は全くの無音であり、そして発した音も闇に吸い込まれていくような状況は万人に対し恐怖なり得るだろう。
「幽霊とか出てきてもおかしくないな。何て──」
「あり得るわね。実際、死が取り巻く場所だと幽霊が現れやすいって聞いたことある」
「えっ」
ドラゴンやら吸血鬼、エルフなどが居るこの世界には当然ながら、星幽界の者たち──幽霊と呼ばれる種族が事実として存在する。アストラル・ワンズは分類上不死者だが、性質はそれから離れている。彼らは物理干渉を基本受け付けなかったり、魔法もアストラル特攻でなければ無意味だ。ロアは勿論、アストラルに対し友好的な魔法も行使できるが、他の赤魔法ほど使いこなせるわけではないし、何より数によっては処理に時間がかかる。
「幽霊と遭遇すれば逃げたほうがいいわ。ロアが守りきれるとは限らないから」
そして何より幽霊の怖いところは、精神への腐食攻撃を仕掛けてくることであり、まともな精神を持っている相手に関しては絶対的に有効である。それは魔女であろうと例外にはならない。対処法は精神をイカれさせ、自我を崩壊させるのみだ。
ちなみに、上位のアストラルともなれば物理攻撃も油断ならないほどに強力となる。
「まあ、幽霊──アストラルなんてのは珍しいけどね。ボクだって見たのはこれまでに片手で数えられるぐらいだし」
アストラルがうじゃうじゃと虫みたいに湧き出ることは殆どない。しかし、唯一そういうことがあるとすれば、それはそこで大量の人間が死亡したときぐらいだろう。アストラルとは肉体を喪った生物のなれ果て。肉体という器を喪えば、普通、それは死を意味するのだが、非常に強い意思や感情が精神をそこに留める。いわばアストラルとは感情の具現化である。
「だから大丈夫。そんなの──」
「──〈鎮魂の炎〉」
炎は通常赤いものだが、その炎は真っ白だった。そしてそれは熱くなく、心地良い暖かさだった。殺傷能力はほぼないに等しく見えたし、事実そうだ。しかし、それに殺傷能力は必要ない。なぜならその対象は、既に死んでしまっているからだ。
「え⋯⋯?」
ジュンの背後で真っ白な炎は人の形のように広がり、燃え尽きた。一瞬で完了した出来事ではあったが、何があったかは容易に想像できる。
「弱いわ。でも居ることには居るようね」
「嘘⋯⋯本当に居た⋯⋯」
珍しい幽霊との遭遇だが、これを面白く思う者はほとんど存在しないだろう。さもすればよっぽどのオカルト好きか、馬鹿だ。
四人はそれでも先に進むべきであり、幽霊が蔓延る地下を、跫音を響かせながら歩く。
幽霊に対し二つの意味で無力であるユナ、ナオト、ジュンは、ロアという見た目だけならば幼女の後ろに隠れている。これを何も知らない人が見ればとても滑稽な光景だった。
「今誰か私のお尻触りましたかっ!?」
ユナは叫ぶ。そして後ろを見ると、そこには半透明の人が居た。性別は分からない。ボロボロのローブを着ていて、顔は髪の毛で隠れてしまっている。
彼女は声にならない悲鳴をあげるが、直後、ロアの魔法の炎によって幽霊は燃やし尽くされる。が、炎を超えて更なる幽霊が飛び込んで来た。
「〈鎮魂の炎〉」
幽霊は苦痛に喘ぐことなくその留まる意思を捨て去って逝く。もう何度か幽霊を鎮魂しているが、奴らが根絶やしになっていっているとは感じられない。それどころか数は増えていくばかりなような気さえする。
暗闇から現る幽霊は、先に進めば進むほど、大魔法陣に近づくほど大量に、そして凶悪になっていっている。それはまるで守護者のように配置されていた。
「どう考えても人為的。この都市に黒の教団がいてもおかしくないことは分かっていたが、これほどまでのことをしているならかなりの規模か?」
そのことにいち早く気がついていたナオトは、黒の教団がどこまで根付いているのかを怪しんでいた。
アストラルはその場での死者から生まれる。今、こうしてナオトたちを襲ってきている幽霊たちも元々は同数の人間であるのだ。それを考えれば、ここで大量の死者があったと予想できる。
この都市での聞き込みは全くしていないから確信はできないが、これだけの死者が、それも死後、魂に関する世界の理の数少ない一例となるほどの意思持ちなど、まずあり得ない。例え十数年の期間があっても、一体も幽霊が生まれないなんて珍しくもないはずなのだ。そして鎮魂されることもないなんて、より信じ難い。
「⋯⋯クリーシア派閥の調査もすべきかな」
ならばそんなことができる規模の集団とは、クリーシア派閥ぐらいだ。勿論もし彼らが文字通り黒であっても、全員が全員そうではないだろうが、上層部はほぼほぼ黒と言って構わないだろう。
「はあ⋯⋯まさかライリー派閥が頼ろうとしている相手が、黒疑惑だなんて。ショルマン派閥の件と言い、転移の件と言い、踏んだり蹴ったりですよ」
一旦落ち着いてきた辺りで、四人は休憩していた。逃げることに必死だったから迷ったことは全然なく、ユナの眼はゴールまでのルートを問題なく捉えたままだ。
彼女は確認の為の加護の力を解除して、座り込んで、天井を見上げる。
「────」
そして、目があった。
直後、錆びたククリナイフがユナの首を目掛けて突き降ろされる。天井からそうして現れたのは、これまた幽霊──アストラル・ワンズの上位種だった。
骨に薄い黒く褪せた皮を貼り付けただけのような人形の化物。半実体であるため体は少し透けているが、手に持つククリナイフは本物のようだ。赤黒いボロボロの腰巻き以外の衣服はなく、また頭部に関しては皮さえない骸骨だった。
「かっ。がっ。け、けけけ」
意味の分からない、あるいは意味なんてない音を化物は発する。
まだまだ死霊は何か言おうとしていたが、それより先に白色の炎が飛んでくる。
「⋯⋯おお、ロアの魔法を食らっても成仏しないなんて」
しかし幽霊は苦痛を叫ぶだけで、消え去ることはなかった。中々堪えたとは言え、ロアの赤魔法を食らっても一撃で沈まないなんてアストラル上位種でもほとんど居ないかもしれない。
「くああっ!」
死霊は姿勢を低くする──必要はないが、それなりの振る舞いなのだろう──と、瞬間でロアに接近した。しかし瞬間は一瞬より遅く、一瞬のスピードを出せるロアには追いつくことができない。凶刃が残すのは空気を斬った跡、もしくは残像だ。転移者から見ても残像を作る剣技で、普通のアストラルとは次元が異なると思い知らされる。
ロアは近接戦が魔女とは思えないほど優れていることもあり、死霊相手に余裕で立ち回れる。ククリナイフがロアの白い肌に赤い線を作ることはなく、しかし死霊の攻撃は、それに体力という概念がないために止むことを知らなくて、中々攻めづらい。
ジュン、ナオト、ユナはアストラルの前では無力だ。何もできないということは、とても歯痒いものであった。
ククリナイフは本物であるため、ロアは度々得物に触れて軌道を反らせたりしていた。しかし奪うことは叶わなかった。
(攻撃の間隔が狭過ぎる。いなすことはできるけど、埒が明かないわね)
アストラルに対して有効的な魔法は、実体に対しても効果を発揮する。勿論アストラル特攻であるため、普通の魔法ほどの威力を実体に発揮するわけではないが、ロアという赤の魔女が行使すればその限りではない。
(⋯⋯エストに頼まれたことからは少し離れるけど)
「ジュン、自分たちの身を守って」
たったそれだけロアは言うと、ジュンは意図を理解し、自分、ユナ、ナオトの身を守るような氷の壁を生成する。それを見てから、ロアは魔法を選択する。
「魔法は行使者ならば、本来より威力が下がった状態で受けることができる。無意識のうちに、もしくは意識的に魔法の威力を制御し、自分に当たるものだけ弱めているから」
これは優れた魔法使いだからこそできる技というわけではない。自分を殴ろうとしたとき、無意識、意識的問わず力を弱めることができない人は居ないだろう。
だからこそ、魔法使いは自爆するという選択肢を取ることも時としてある。
ロアはククリナイフの剣筋を読み、避けながら体内の魔力の流れを制御する。魔法を行使するとは、魔力の流れを作り、体外に放出し、それを魔法陣に通過させることを言う。体内では魔力の流れには一切影響ないが、体外はそうでない。だから魔法使いは手の平に魔法陣を展開するのだ。可能な限り、体外に魔力を触れさせないように。
魔法陣を通過した魔力は世界の理を一時的に捻じ曲げるエネルギーとなり、魔法陣に刻み込まれた要素を現実化した。
無詠唱化し、ロアが発動した魔法は〈蝕魂〉というものだ。魂に直接影響を及ぼす数少ない魔法であり、赤魔法第十階級に分類される。似たような魔法の〈魂破滅〉は負の要素がとんでもない代わりに凶悪な魔法なら、これは正統派の魂を壊す魔法だが、唯一欠点を上げるなら、
「この広過ぎる効果範囲がネックなのよね」
ロアほどの魔女が制御して、効果範囲は半径三十メートルだ。その範囲に黒い粉末のようなものを出現させ、それが魂を蝕む。これは物理的な障壁によって防げるとはいえ、特に範囲制御せずに行使しようものなら半径百メートルに渡る。
魂を持つもの全てに対し牙を剥く範囲最強魔法。だが行使者にも影響を及ぼすため、ロアもそこまで使わない勝手の悪い魔法だ。
「物理的損害はないけど⋯⋯魂が蝕まれる感覚はやっぱり気持ちが悪いわ」
魂は修復できないものではない。時間経過と共に元に戻っていくが、喪っても影響が全然ないなんてことは決してない。
文字通り大切な何かを喪う。それは死の感覚に近かった。
「もう大丈夫だわ」
鎮魂──と言うにはあまりにも暴力的であるそれを終え、ジュンが氷の障壁を解除してから、再び一行は先に進み始めた。その間も増えていくばかりのアストラルを殲滅していく。無慈悲にも死者の魂を殺していく様は、神父やシスターという神職者が絶叫しそうなくらいだった。
しかしロアにとって死者は所詮死者でしかなく、自分の『欲望』を満たす生者と何も変わらない。
「⋯⋯止まってください」
ユナの一言で、三人はその場で静止する。すると直後、壁から炎が噴射された。ロアはそこに魔力の痕跡を確認し、これは魔法のトラップだ、と確信した。
「いよいよ人為的であることを隠す気がなくなったようね」
先のアストラルの大量発生ならば、まだ自然現象と言えるが、トラップを仕掛けると言い訳も何もできない。もしくはする必要がないと踏んでいるのかもしれないが。
ともあれ、トラップを警戒し、見通せるユナがいれば、まんまとかかることはないだろう。
そうして地下に潜ってから一時間ほどが経過した頃、ようやく四人は目的の場所に辿り着いた。
一気に空間は広くなり、暗闇ということもあり先が見えなかった。地盤沈下が起きないように柱が無数に立てられることはなく、おそらくは魔法的な補強があるのだろう。無闇にその魔力の供給源を潰せば、ここで生き埋めになることは必至だ。
大魔法陣とは何なのか、よく知らない四人でも、目の前のそれこそが目的物であることはひと目で理解した。
超巨大な魔法陣。まず普通の方法では魔法陣を起動することさえ到底叶わないような、最早芸術品でしかないと思えるものであった。