7−42 痛み分け
雨が降る中で、ジュンの戦闘力はより強大かつ凶悪となる。
彼の刀、『死氷霧』は氷を生み出す魔法を使える『生きた武器』だが、他にも液体を氷結させることもできる。その場合、無から氷を作るより消費する魔力は少なくなるのだ。
『死氷霧』には拘束が三重でかけられている。拘束を解除しないとただの刀。第一拘束を解除すると氷の刀身を生み出し、氷結能力の部分解除。第二拘束だと本格的な氷の生成。第三拘束、つまり最終拘束を解くと、周囲の持続的な氷結能力を行使。しかし最終拘束の解除は自分だけでなく周りへの影響も強く、故に危険であるため、滅多に解除することはない。
現在、ジュンは『死氷霧』の第一拘束まで解いているから、雨を凍らせることができる。
「⋯⋯凍らせろ」
向かってくる獣人の兵士の心臓を突き刺し、氷結能力の行使を命ずる。『死氷霧』はその命令に従い、獣人の全身を体内から凍らせる。
『死氷霧』は賢く魅力的な女性だから、ジュンにしか聞こえない思念波で了解の意を示す。これからはわざわざ命令しなくても、彼女が勝手に凍らせてくれるだろう。
一太刀振れば、それが例え死なない傷であっても致命傷へと変化する。凍るということは、即ち死を意味するからだ。死の氷霧、とは武器の本質を表す名前である。
だが、ジュンは未だ本気を出していない。出してはいけない。何せそうしてしまえば、相手はおそらく蜘蛛の子を散らすように敵前逃亡を図るようになってしまうから。手加減しつつも、しかし殺し尽くさねばならない。
「中々無茶なこと要求してくるな、あいつら」
今のジュンの、ナオト、ユナとの関係はほぼ初対面のようなものだ。彼の記憶には初対面以上の関係があるが、けれどもそこまで深い関係というわけでもなかった。
しかし、同郷であるということが、何よりもの関係である。
「にしても⋯⋯あの人、凄いな」
ジュンはライリーの方を余所見する。彼女はこの派閥の長なのだが、派閥の中でも最強の戦士とされるだけはある。彼女は手加減などしている気はないのだが、それでも余裕を持って獣人たちを始末している。他の人間なら獣人一人に対して三人以上で相手にしているというのに、ライリーは一人で何人も相手にしているのだ。他にも複数を相手にしている人は居るが、文字通り桁違いなのである。
彼女が使っている武器は何の変哲もないただの西洋剣だ。それを両手で持ち、振り回す──と表現すると、剣術の「け」の字もないような児戯に思えるが、その実、そこには確かな技術があった。そうでなくては、ああも軽々と肉を、それも毛が生えて普通の人間より斬り辛いはずの獣人を叩き切断することは難しいのだ。それを易易とこなせている彼女の剣技は疑うべきものではなかった。少なくとも、世界でも上位に位置するだろう剣術の持ち主、ジュンが彼女の力量を保証するほどだ。勿論、ライリーがジュンに匹敵するわけではないが、それは加護が理由である面が大きい。純粋な剣技だけで言えば、ライリーのそれはジュンに──加護を授かり、その才を最大限まで引き出された彼に匹敵するほどである。
「はあああああっ!」
疾走しながらライリーは、両手に持ったレイピアのように刃が薄い剣を振り回す。野菜をサクサクと千切りにするように、獣人たちを斬っていく。飛び散る鮮血が花のように咲き誇り、その赤色がもし血でなければ、華麗な剣筋も相まって見惚れてしまいそうだった。
向かってくる獣人共を、殺し尽くしていく。本気を出さないといっても、舐めてかかっていくわけではない。真剣に、しかし全力は出さないだけである。
敵は陣形を組んでいるが、それを正面から破壊する力がジュンにはあった。だかその場合、ライリーは派閥の人たちの命を無視することになる。彼らへの被害を最小限に抑えつつ戦うこと、つまるところ誰かを守りながらの戦闘を、ジュンは得意としない。そんなこともあり、獣人たちの士気は未だ高いままだ。
「⋯⋯ん?」
慈悲ある蹂躙をすること一時間が過ぎた頃。そろそろユナたちが敵の拠点に到着し、そこを殲滅した頃合いだった。そんなとき、ジュンはある音に気がついた。
それは何かを勢い良く引き倒し、飲み込み、迫ってくる大質量の物──そして、人が最も恐れるものの一つだった。
「嘘だろ!?」
迫り来るのは大量の水。泥を、木々を、生命を、何もかもを、まるで満たされない餓狼のように飲み込んでいく。茶色の濁流の勢いは正しく津波という言葉が相応しいほどで、このシャワーのような雨がより地上の波を強くしていた。しかし、いくら大雨だからといってこんな濁流が流れるわけがない。おそらくは人工的なもの──例えば近くの川に何か細工をし、放水するなどしたのだろう。
ともかく、それはライリー派閥を飲み込むものであり、ショルマン派閥さえも飲み込むものであった。仮にこれが人為的なものであったならば、味方ごと敵を滅ぼす作戦だと言える。あるいは足掻きなのか。だとしても、それはどう考えても、
「ボクたちを全滅させたかったらしいな」
敗北濃厚、逃亡不可能ならば、味方さえも巻き込んで敵を壊滅させる。司令官としては無慈悲だが合理的な命令だろう。それを命ずることを躊躇わない常人は居ない。
「うわあああああっ」
至るところで敵味方問わず悲鳴が聞こえる。当たり前だ。目の前に死そのものが迫ってきているも同然。あれに巻き込まれれば溺死、もしくは何かしらに衝突して死亡してしまうことはほぼ確定的なのだから。誰だって死にたくはない。それは共通意思であり、戦争は中断され逃げに徹するまでは一瞬だった。
さしもの『死氷霧』にも、あの濁流を凍らせる力はない。氷結魔法には射程範囲があるし、何より魔力に限度がある。川から流れ続けてくる水を、全て凍らせることは不可能だ。しかし、自分と味方を守るくらいはできる。
「やれることはするしかないか。拘束全解除、あの濁流を凍りつかせろ!」
ジュンの魔力も、純魔法職には遠く及ばないものの少なくない。それを『死氷霧』に譲渡し、彼女に濁流を凍結させる。
濁流はその時、時間が止められたみたいに凍りついた。続き、氷を登る水も氷結させていき、それは自然と壁を形成する。
ジュンはあえて自分たちの陣営のみを守るように濁流を凍りつかせた。だから獣人たちには無慈悲な濁流が襲い掛かり、彼らはゴミのように流されていった。水の中では悲鳴はあげられず、ただただ水音だけが聞こえてくる。
やがてしばらくして、水温が止んだとき、ジュンは氷の壁を登り周りを見渡した。草木が流され、巨大な道のようなものが平原に作られていた。獣人たちの溺死体がいくつか転がっているが、その数はあまりにも少ない。殆どは近くの川などに流されているのだろう。探せば森の中に漂流しているかもしれない。
「⋯⋯あれは、ユナとナオトか」
そして襲撃に出ていた二人と、他多数がその丁度良いタイミングで帰ってきた。もしもう少し帰還が早ければ、彼らは濁流に巻き込まれ死んでいただろう。
「ジュン、何があった?」
「川の氾濫。濁流に襲われた」
馬の上から叫ぶナオトの質問に、ジュンは簡潔に何があったかを報告した。
それから氷に穴を開けて外部に脱出してから、自分たちの拠点に戻る──が、そこにあった彼らの拠点は無残なものになれ果てていた。不運にも、あの濁流に流されたのだ。しかし不幸中の幸いか、少しの物資と、濁流から逃げた馬が残っていたが、再建はほぼほぼ不可能に近いだろう。
これからやることは多い。そう確信した瞬間だった。
◆◆◆
ショルマン派閥第四師団に比べればまだ軽症と言われても、比較対象は全滅だ。絶対評価ならばライリー派閥も、自然消滅からは逃れられない被害を受けたと言えるだろう。
「ライリーさん⋯⋯」
流石に、派閥の存続を掛けた会議にユナたちは呼ばれなかった。だからこの青空会議室に居るのはライリーと、隊長の面々のみ。しかし遠くを見れば派閥の人間たちが会議の内容を聞こうと耳を澄ましているのが分かる。ライリーにはそれを咎める気はなかった。
「会議とは銘打っているが、最初から選択肢は決まっている。それも二つだけだ」
「⋯⋯解散か、どこかの派閥の傘下に入る、ですね?」
第二部隊長はライリーの言う選択肢を答える。
「ああ、そうだ。付け加えるなら、傘下に入る派閥は決まっている」
ライリー派閥は先の濁流で、壊滅的被害を受けている。拠点が流されたということは、生活さえ厳しくなったということだ。そんな状況で、二百人近くの生活を半永久的に行えるほどの余裕は、ライリー派閥にはない。派閥は解体し、各々自由に生きるよう命令するしかないのだ。
「その派閥は、クリーシア派閥だ」
クリーシア派閥。三大派閥のうちで人間と亜人種が共存している唯一の派閥であり、三つの中からライリー派閥に近いものを挙げるとすればこれである。
「私は⋯⋯これは我儘だが、人間が淘汰されることは許せない。例え人間国家でなく多種族国家になろうとも、このララギアから人が居なくなるよりは断然マシだと思う」
ライリー派閥の理想は、人間が淘汰されず、このララギア亜人国家連合に君臨すること。ならばクリーシア派閥の様々な種族が手を取り合い、この争いの国に変革を齎すという理念を真っ向から否定することはできない。
「勿論、お前たちが望むなら完全に解散にする。これはあくまでも私の──」
「俺は、ライリーさんに従う。あなたの願いが俺の願いだ」
第一部隊長が言った。
「そうです! ライリーさんの思想に賛同したからここに居る。私たちはライリーさんの我儘に乗っていく。それがこの派閥でしょう?」
続いて第二部隊長が言った。第三、第四、第五、第六の部隊長も続き、皆ライリーの意見に賛成するという意思を明らかにしていた。
「⋯⋯ありがとう。じゃあ、私たちはクリーシア派閥に接触する。付いてこい、お前たち」
「はい!」
◆◆◆
ライリーたちが会議を行っているとき、ユナ、ナオト、ジュンの三人は集まっていた。戦争について、またこの派閥の行く末について話しているわけではなく、彼らは別のとある人物と話していた。
『──とまあ、そういうわけだから、キミたちが飛ばされた国の大魔法陣を破壊してね』
丁度戦争が終わった頃、エストからの連絡がユナにあった。それを関係者であるナオト、ジュンだけに共有されていた。
「そう言われてもなぁ⋯⋯この国物騒だし、ボクたちだけじゃ何とかなる気がしない」
『そこは何とか頑張ってよ』
「は?」
「まあまあ⋯⋯でも、そうですね。私たちだけだと少し手に余るほどの戦力が相手にあるかもしれません。エストさん、こっちに来ることってできます?」
確かにユナたちは圧倒的強者だが、先の洪水の件もあり、それが絶対的な立場でないことを思い知った。そして敵の数も四百じゃ済まない。場合によっては十数万の敵を相手にしなければならなくなるかもしれないのだ。
『うーん⋯⋯生憎、私は今そっちに行ける状況にないんだよね。⋯⋯あ、そうだ。今暇してる奴居たよ』
ジュンは一瞬セレディナたちかと思ったが、彼女らは今、自分たちに対して敵対的だ。だから寄越されようものなら普通に死ねる。
『赤の魔女、ロア。多分連絡つけられるし能力使えば一瞬だから、数日後には合流できるんじゃないかな。キミたち今⋯⋯アレイツァ平原に居るね。今からどっか移動しようとしてたりしない?』
ユナはライリーたちの会議に耳を貸す。するとクリーシア派閥なるものの傘下に入ろうなどと聞こえてきたから、それをエストに伝える。
『分かった。⋯⋯えっと、クリーシア派閥はあの場所に拠点持ってるからあそこに行くのかな? だったら合流も問題ないね』
クリーシア派閥はショルマン派閥と異なり、一つの地域にしか拠点を持たない。しかしその拠点というか領地はとても広かった。流石は大派閥である。三人が今いるアレイツァ平原からクリーシア派閥の拠点まで行こうとするならば、馬なら一週間ほど掛かるだろう。その道中でロアとは合流できる。
「ありがとうございます、エストさん」
『構わないよ、ユナ。ジュンは別にどうでも良いけど、ユナとナオト、気をつけてね』
「一言多いぞ、魔女」
『嫌っている相手に心配されたいの? それとも、年頃の男の子は可愛い女の子からの激励が──』
「こいつマジでウザイ」
相変わらずの犬猿の仲っぷりを見せつけてくれるが、何だかんだで寧ろ仲が良く見えてきたのは自分だけだろうか、とユナは思う。しかし口にしたら二人から何か言われそうだ。
「あ、皆さんは無事でしたか?」
『全員無事だよ。勿論私もね』
「そうですか。良かったです」
あの場にいた全員の無事も、これからすることについても確認できたし、あとはこの国で成すべきことを成すだけだ。
『じゃあ、また一ヶ月半後に会おうね』
エストのその言葉を最後に、彼女からの〈通話〉は切れた。