7−39 戦争の直前
「──と、そこで俺は彼らに言ったのさ。『それは子供が持つような武器じゃない』ってな。でも直後に、片手で持ち上げられたからすげぇびびった」
馬を片手で上手に操作しながら、彼は呑気に喋っていた。
任務中でもこうして雑談を繰り広げることは、おそらく他派閥ではないだろう。緊張感が足りないとか、任務に集中しろだとかを部隊長から言われるのが当たり前だ。しかしながら、この雑談をしているのはその部隊長のアセラット・ノヴァーノだ。
彼の人柄は今の状況だけで説明できる。良く言えば気軽、悪く言えば馬鹿だ。だが、部隊員の誰もが、彼が馬鹿であるとは思っていない。実力は確かだし、彼が雑談をしている時は、故に、安全であるから。彼の耳は、直感は、異変を確実に察知するのだから。
「大剣を、ですか?」
「ああ。確かに、筋力に自信がない俺でも持ち上げられるとはいえ、あんな細身の体のどこに大剣を片手で持ち上げられる力があるんだか」
話題は前日、この派閥に突然加入してきた三人の子供のことだった。今現在、アセラットの話を真横で聞いている副隊長、ロム・エイラースは彼らのことを懐疑的な目で見ていた人物の一人だ。なにせ彼らの部隊長は優秀でありながらポンコツ。基本誰かを疑うことをしなくて危なっかしいため、副隊長である彼がその役目を担っている。彼自身も子供を疑いたくはなかったが、世が世だ。
「へー。噂に聞く神人でしょうか?」
「さあな。でも、そうだとしても驚かないな」
ウェレール王国に居ると、昔から噂される神人という存在。曰く別世界の人間の血を引き継ぐ者らしい。
「それにしても、あの子供は貴族か何かでしょうか。かなり高い教養がありますし、手に傷も少ない」
彼らはウェレール王国から来たと言っていた。かの国は義務教育というものが無く──それはララギアにも同じことが言えるが──子供でも働くことが多い。しかし彼らの手には労働の跡がなかったし、高い教養も見受けられた。
「そうかもな。⋯⋯っと、お喋りもそろそろだ」
隊長が隊長として信用高いのは、こうした切り替えの速さもある。先程までのお気楽な人柄はどこへやら。歴戦の兵士の顔への豹変具合は、最初は誰しもが驚いたものだ。
もう見慣れた隊長のスイッチが入った状態では、お話をする気にもなれない。ここからは仕事の時間だ。
「馬の走っている音がする。⋯⋯計三つ。前方五百メートルだ」
現在、彼らは森の中を走っていた。スピードもあって、普通なら走ることも困難だったが、こんなこと日常茶飯事である彼らにとってはどうってことない。
そんな中、隊長は視界内に存在しない相手の情報を仲間に伝える。
──『遠耳之加護』と呼ばれるものを授かっているアセラットは、耳が利く亜人と同等かそれ以上に耳が良くなる。そこに彼の判断力、状況把握能力の高さが合わされば、彼に一度捕捉されると逃げられる事はほぼありえないだろう。それこそ、彼自身殺す以外の方法においては。
「お前たちは左右に展開し、逃亡を阻止しろ。俺は後ろから仕掛ける」
アセラットの命令に従い、彼の部下たちは二つに別れる。そして彼は腰の剣を鞘から取り出し、
「殺すなと言うのを忘れたな。⋯⋯まあ、あいつらなら分かってるか」
走っていると、やがて目的の相手を視認できた。数は三人で、予想通りだ。彼の部隊は合計五十人だが、今この場にいるのは十人。そしてその十人は特に優秀な人物であるから、獣人三人に対して有利に立ち回れるだろう。死者は出ない。負傷者もだ。そう、確信できる。
何も合図はなかったし、タイミングも決めなかった。しかし彼は部下の力を把握していて、
「もうそろそろだろ」
回り込み、もう部下たちは対象の横に付いた頃だろうと彼は思う。何度も何度も似たようなことをしていると、タイミングは決める必要がなくなった。
「────」
敵を捕捉すると、彼は馬から跳躍した。そして、目標の獣人たちのうちの一人を容赦なく馬から落とすため、周囲の木を利用し、壁キックの要領で方向転換からのドロップキックすると、獣人の一人は地面に突き落とせた。
「はーい、獣人諸君。捕虜になってもらうぞ」
そうして獣人たちを完全に包囲して、彼らの身柄を拘束したのはそれからすぐ後のことだった。
獣人と言えど、紐を引きちぎるほどの腕力を持つわけではない。両手両足を結び、これから尋問タイムだ。
「さて、質問一つ目。お前たちは何者だ?」
凡そこの獣人たちの正体は分かっている。それでもわざわざ聞いたのは、
「答えるわけ無いだろう、下等種」
「そうか」
アセラットはそう答えた獣人の大動脈を切り裂く。即死はしなかったが、出血する一秒ごとに死へと着実に近づいていっている。
「その下等種に殺されそうになっているお前はクソ雑魚なのか。それとも馬鹿なのか。もしくはどちらもか。⋯⋯ほら、もう一度チャンスをやる。答えろ」
「っ、喋らね──」
──獣人の首に一閃が走る。獣の首が宙を舞い、そして草の上に転げ落ちた。
「殺さないと思ったのかよ。⋯⋯ほら、お前は答えるか? 生首になるか?」
三人のうちの一人は死亡し、アセラットは他の二人に同じことを質問した。質問された方の顔は、別種族でも分かるぐらい恐怖に染まり上がっていた。
「こ、答えたら命は助けてくれるの──」
アセラットはその獣人の足に剣を突き刺すと、獣人は絶叫する。そして更に、剣を深く突き刺すと今度は叫ばなかった⋯⋯いや、声にできなかっただけだ。
「それは俺が決めることだ。お前に許されているのは、情報を話すか死ぬことだけだと知れ。そして処遇はお前の態度が決めるとも」
残酷だ。他の国の人間に、彼と同じことができる人物は限られる。しかしこの国ではこれぐらい残酷であるほうが丁度良い。
「お、おれたちは本部に増援を呼びに行く途中だった!」
彼が言っていることは真実だ。もしこれでも嘘を吐くようなら見せしめとして殺すつもりだったが、その必要はないようだ。
「ふむ。それはなぜだ?」
「ライリー派閥に危険な存在がいるかもしれないという報告があったから!」
あと聞くことと言えば、とアセラットは思考を巡らし、捕虜から情報を吐き出させることを続ける。
「その危険存在の詳細は?」
「詳しくは知らない!」
「なるほど。では次、お前たちは今どのような体制にある?」
「げ、厳重警戒状態⋯⋯だが、すぐにライリー派閥に仕掛けるつもりだ!」
これは舐められたものである。増援を呼ぶこの部隊が襲撃される可能性を考えていないのか、はたまた襲撃されても何とかなると思っていたのか。
「いつだ?」
「三日! 三日後だ!」
その情報を頭にインストールしたアセラットは、
「⋯⋯もう聞くことはないな。ありがとう。そして死ね」
その獣人の返答を聞く前に、首を先ほどと同様に斬った。
「おい、お前。本当の事を言えよ? こいつが言ったことは全て真実だったか?」
斬り裂いた生首の髪を掴み、生き残りの獣人に見せつける。さもなくばこれと同じ状態になると脅しているのだ。それはそれは恐怖そのもので、三人のうち、唯一の雌の獣人は涙声で、
「本当! 本当だった! 全部、本当!」
容赦なく両足の指の先を叩き斬った。
「それは真実か?」
叫ばせる余地もなく、アセラットは追求する。しかし雌の獣人は「本当」という言葉を鳴き声かのように連呼するだけだった。
どうやらあの発言は全て、本当に真実であった、と確認したアセラットは雌の獣人の首に刃を突きつけ、
「ど、どうして! 本当の事を言ったのに!」
雌の獣人は叫ぶ。そして許しを乞うことを無意味だと理解したようだった。
「お前たちも俺たちをこうして殺したんだろ? 拷問して情報を吐き出させ、時にはそれで愉悦を感じ、しかし最後には無惨に殺した。やり返しってわけじゃないが、それに文句を言う資格はないだろ、獣人」
獣人はそれに身に覚えがあったのか、反論はしなかった。
「くっ⋯⋯呪ってやる!」
だがその代わりに恨み言を吐く。そしてそれが、彼女の最期の言葉であった。
「どうぞご自由に」
鮮血が木に飛び散るが、その一滴もアセラットの服を汚しはしなかった。
三人目の獣人の首無し死体が転がり、三つの首が並ぶ。
「どうしますか?」
「魔法が使えた奴がいたよな。そいつに燃やして貰っておけ」
◆◆◆
作戦開始は作戦立案から予想通りの三日後の雨の日のことだった。この三日間で作戦の詳細を決めたり、共に戦っていく仲間であるため、訓練に参加したりしていた。その際に力を見せつけることがあって、勿論こと驚かれたが、それは予想より遥かに強かったからであり、常人離れした身体能力が主な理由ではなかった。
というのも、この国では下等種とされる人間であっても、周辺国家の人間と比べるの平均レベルが高いためである。この派閥の長、ライリーが転移者と同等以上であることからもわかるように、戦闘慣れしていて、また古来より過酷な環境ということもあり、遺伝子から強者になることが約束されたようなものなのだ。
しかし、それでもジュンの強さはまさに桁違いというものであったらしく、魔法の類を使えるのかと聞かれていた。
閑話休題。何にせよ、最初からユナたちを信頼しているわけではなかった派閥の人間からもそれを勝ち取ることは容易かった。たった三日とはいえ、国風が国風であるため既に立派な仲間として、三人は認識されるようになっていた。
「偵察隊より伝達。ショルマン派閥と思しき部隊が、こちらに向かっています。数はおよそ四百」
その数を聞いて、血の気が引いた物は多かった。何せ単純な計算だが、獣人は人間の三倍の戦闘能力を有している。人間換算では、敵兵の数は千二百に等しい。そんな圧倒的兵力差を聞いて、身震いもしないのはよっぽどの自信家か、もしくは馬鹿だ。
「一人で一人か二人倒せば勝てますね!」
その馬鹿が何やら言っているが無視して、ライリー派閥は開戦の準備に入る。
聞くと、敵の到着予測時間は現在から三時間後。既に整いかけている準備を完璧にするには十分な時間だ。ともすれば、あとはその時を待つだけ。
戦場は平地。天候は雨で、今も尚その勢いは強まっている。状況としては最悪とまでは言わないが、やや悪い。しかしそれは敵側にも同じことが言え、防衛側であるライリー派閥の方は寧ろその点において有利に働く。時間はこちらの味方だ。
「よし、では当初の作戦通り、ユナ、ナオトの二人は敵の要塞に侵入せよ」
たった二人で要塞に向かうなど通常ではあり得ないが、彼らにとってはたった二人で行く状況こそ最も力が発揮できるだろう。普通の人間がついていけば、防衛するだけならいさ知らず、足手まといにしかならない力の差がある。
「分かった。ユナ、行くぞ」
「分かりました。⋯⋯皆さん、ご検討をお祈りします」
二人はその場から、ライリー、ジュンたちを置いて去る。
持ち物は最低限だ。食料、水、武器だけ。責任重大、失敗は許されない作戦の開始である。
馬を走らせる経験はこれまでなかったが、たった二日で走らせることはできた。それは馬が賢いという要素が大きく、操るというより乗せてもらっていると言ったほうが良かった。
合羽ではない普通の外套でも無いよりは遥かにマシだった。寒くて、服が濡れて肌につく感覚は気持ち悪かったが、しばらくすれば慣れてしまった。体を温めないと風邪を引きそうだなぁ、とか緊張感のないことを考えながらも、走り続ける。目的地までは一時間もかからない。
が、その道中だった。
「⋯⋯ユナ、止まれ」
先行していたナオトが急に立ち止まった。そして彼はユナに隠れるように指示する。
近くの茂みに二人は馬と一緒に隠れる。探されなければバレないような場所だ。
しばらくすると、馬に乗った獣人が複数人、目の前を通り過ぎる。何事もなくやり過ごせたようだ。
「行きましたね。ナオトさん、もう居ないようですよ」
ユナは自分の加護を活用して周りを見るが、敵は確認できない。だからすぐに出発しようとしたのだが、ナオトは何かを考えているようだった。
「あいつら⋯⋯何しに来てたんだ?」
「何って⋯⋯あれ? どうしてこんなところで」
勿論のこと、ナオトたちはライリー派閥とショルマン派閥の正面衝突が予想される地帯から離れて走っている。ショルマン派閥に回り込んで来る別働隊が居たとして、それと今遭遇したと考えることもできるが、にしても彼らが行った方向はライリー派閥の拠点とは全く別方向だ。
「⋯⋯いや、今は目の前のことに集中すべきか」
何だか嫌な予感を覚えたが、何時までも防衛側が耐えられるとは限らない。ジュンが居るとはいえ、時間が経過するだけ死傷者が増える可能性は高くなる。ナオトはそう判断して先に進むことにした。