7−22 死中の希望
「う⋯⋯ん?」
白くて柔らかな布に包まれている感覚。天井は真っ白で、次に見渡した部屋も真っ白だった。清潔感のある部屋、という印象だ。
「目覚めましたか」
隣で座っていたのはユナだ。
そこでようやく、マサカズは自分が気絶していたことに気がついた。そして起き上がろうとしたところで、激痛が走った。
「うっ⋯⋯いてぇ」
「大丈夫ですか?」
「少し大丈夫じゃないが⋯⋯筋肉痛みたいなものだな」
一日か二日くらいすれば治るようなものだろう。少なくとも安静にしていれば、だが。
ユナが「飲んでください」とマサカズに薬剤と水を渡す。彼はそれを飲むと、体の痛みが消えていった。
「鎮痛剤です。傷が完治したわけではないので、あまり動き過ぎないでくださいね?」
「分かった、ありがとう」
マサカズはもう一度横になる。それから、いくつか聞きたい事を聞き始めた。
「皆はどうなった?」
自分が夢でも見ているわけではなかったら、今ここに生きているというのはメーデアを封印できたという証だ。あるいは『死に戻り』したか。だが、後者は限りなく可能性はゼロに近い。
「エストさん、レイさん、カブラギさん、サンデリスさんはエルフの国に行きました。それ以外は帝国で黒の魔女の監視をしています」
「エルフの国⋯⋯ああね。そういうことか」
現状を把握すると、マサカズは「後は消化試合みたいなものか」と判断した。今のエストであれば、破戒魔獣に手間取ることも無さそうだ。イシレア、メレカリナも同じで、戦えば前回のように力を奪われることもないだろう。
安堵してマサカズは眠りに就こうとした、その時だった。
「──は?」
何か、硬いものが砕けるような音がした。それも、悲鳴とセットで。
まず頭の中に過ぎった可能性はメーデアだ。アレであれば、封印魔法も自力で突破することも考えられたが、それなら今頃ここは更地と化していても可笑しくない。
第二の可能性は、襲撃者だ。おそらくは黒の教団関連。ならば誰か? 幹部──だとすればケテルだが、メーデアはつい先程封印されたばかりだし、ケテルを呼ぶならばなぜティファレトと同行させなかった、となる。
つまり、襲撃者はつい先程のメーデアの封印にいち早く気が付き、この短時間で帝国に来れる存在、となる。
これまでのマサカズのループの記憶は、たった一人を今度の襲撃者だとして判断した。
「エストめ、やらかしたな」
まさか彼女が負けることはない。だから、ここに来たのは裏を掻かれて、だろう。
「ユナ、行くぞ」
「わ、分かりました」
マサカズは痛みを感じないだけの体に鞭を打ち、ベッドから飛び起きる。剣は近くに置かれていたのでそれだけ持って、医務室から走り出した。
「黒の魔女はどこに保管した?」
「こっちです」
ユナが先行し、それにマサカズが続く。向かっている先は丁度、先程の炸裂音がした辺だった。
剣戟や魔法の音が鳴っていることから既に戦闘は始まっているのだろう。つまり、まだメーデアは解放されていない。
「急がねぇと⋯⋯」
イシレアは『影の手』が極短時間ではあるが使える。その瞬間だけでも、辺りに壊滅的被害を齎すには十分だろう。
ユナの足は遅いことはないが、マサカズの全力よりは遅い。それにもどかしさを感じた彼はユナを抱き抱えた。
「ひゃっ!?」
「この先だな?」
城の内部を把握しているわけではないマサカズだが、ある程度まで近づけばおおよそ目的地は分かる。ユナは驚きながらも「はい」とだけ答えると、マサカズは走る速度を速めた。
それから少しだけ走り、扉まで到着する。音から分かるように、この先で戦闘は行われている。わざわざ手で開ける必要もない。少し悪気を感じながらも、マサカズは蹴り開けた。同時にユナも離してやった。
「〈一閃〉」
豪快な登場に一瞬気が緩んだのか停止したイシレアに、マサカズは戦技を行使。イシレアの胸を切り裂くことはできたが、致命傷ではない。すぐさま完治し、生成された礫がマサカズの体を打ちのめした。だが鎮痛剤のおかけで痛みを和らげている彼は何事もないように受けた。
場にはレネ、ナオト、マサカズ、ユナの四人、そしてイシレアが対峙していた。四人はメーデアの封印体を背にしている。
「チっ⋯⋯」
人数により差をつけられたイシレアは舌打ちする。レネ以外は殺すに容易いが、チームワークを見せつけられれば話は別だ。
このままでは押し切られてしまう。ただでさえ不利な状況なのだ。
「──来るぞ!」
イシレアの瞳が光ると、彼女の影が実体化した。それは手を形取り⋯⋯『影の手』と成る。
初めて見たレネ、ナオト、ユナは動揺した。メーデアと同じ凶悪な能力までもを使えるのだから。しかしマサカズは、攻めるチャンスだとも思った。
イシレアの体は影を展開した瞬間から崩壊を始めていた。あと一分ぐらいで彼女は完全に死亡する。能力を酷使すればよりタイムリミットは短くなるのだ。
だが油断もできない。あれはメーデアのそれと同等だ。コクマーが魔法で再現したそれとはまるで異なる。
「死ねェェェェッ!」
敬語口調は早くも崩れる。殺意のみで体を突き動かし、痛みを感じるのは二の次だ。イシレアは慣れない影を操作することを諦め、ならばと無茶苦茶に振り回す。
メーデアのように技術的に影を操られるのも厄介だが、イシレアのように闇雲に振り回されるのもまた厄介だ、予想できないという意味で。
更にそこに、イシレアは現実改変を加える。
礫、氷の弾丸、炎の矢、更には酸素の削除。やりたい放題にイシレアは現実を不自然な正常へと改変していく、
レネはマサカズ、ナオト、ユナを影以外の攻撃から守り、マサカズとナオトはイシレアに接近する。だが影がそれを妨げ、二人は吹き飛ばされた。
目まぐるしいほどに変わる影の合間を、ユナは射抜く。矢はイシレアの眉間を貫通し彼女から命を奪うが、すぐさま彼女は生き返る。
「〈次元断〉!」
レネは能力を行使しつつも魔法も唱える。だが影はそれさえも弾いた。
「くっ⋯⋯!」
動けば動くだけ人は酸素を必要とする。しかし部屋内の酸素量は次第に減っており、時間が経てば経つほど体の動きは鈍くなっていく。それも短時間の間で、だ。人間は思ったより低酸素状態では動けないらしい。
いくら肺に空気を貯めたって、そこに貯まるのは窒素と二酸化炭素と残り少量の酸素、そしてその他様々な元素だ。このままではイシレアの限界より先にこちらに限界が来る。
「────」
戦技を使う体力は実感はないがもうなかった。だからマサカズは自力でイシレアに接近する。
伸ばされる影を躱して躱して、首を目掛けて剣を振る。しかし斬ったのはイシレアの首ではなく石像だ。
「なっ」
そして石像は砕け、それらは散弾銃のようにマサカズに襲い掛かる。
「マサカズ!」
マサカズの影からナオトが飛び出し、両手に持った短剣で石の散弾を弾いた。しかし全てではない。回り込んだのだ、石が。だが数は少なく、マサカズはそれを弾く。
「────」
イシレアは四人から距離を取った。そこで、マサカズたち全員は何か不味い予感がした。そしてそれは見事に的中している。
「アイツ⋯⋯まさか」
イシレアはより影を大量に伸ばした。あんな数は──正確には数えられないが、およそ千ほど──マサカズの記憶にもない。
勿論、千ほども影を伸ばせは、体への負荷は比例し重くなる。おそらく、これから数秒で、イシレアは完全に崩壊するだろう。
しかしその数秒間、マサカズたちは生き残れるか? 答えは否。良くて二人くらいは死ぬし、悪ければ全滅だ。
イシレアが襲撃してから数分経過しているが、エストたちが助けに来るのを期待することはできない。もし来るとしても残り数分か。
(⋯⋯『死に戻り』するか?)
いや、したところでどうなるのか。エストにそのことが伝わるだけで、それ以上の意味はない。彼女にはそんな余裕ないだろうから。
(考えろ俺⋯⋯どうするのが最善だ?)
魔法は二度と使えない体になってしまっている。剣もそこまで有効的でないどころか、近づくことさえままならない。レネの能力では影を防げない。影を躱すなど無理難題だ。
──押して駄目なら引いてみろ。行き詰まったときは、しなければならないことと逆のことをしてみることだ。
尤もここでのしなければならないことの逆とは、メーデアを解放することだ。勿論そんなことは、自殺にも等しい。自ら毒を飲むことなどない。だから──、
「────」
マサカズは、メーデアの方を振り返り、剣を振りかぶる。剣先はメーデアの心臓に迫った。
それを見たイシレアは、反射的に影を伸ばす。
無茶苦茶に振り回される影より、的確に殺意を持って伸ばされる影のほうが遥かに読みやすい。
(その狂った忠誠心を利用してやるよ)
マサカズは以前のマサカズではない。確かに身体能力こそ以前のままだが、使い方は全く異なる。どんなに脆い剣でも、鋼鉄は斬れるのだ。
「死ね」
その死の数秒間をマサカズは生き抜き、そしてイシレアの体は崩壊した。伸ばした手の指先から、風に吹かれて飛び散る灰のように、砕け消えていく。
「⋯⋯やった、か」
イシレアの崩壊が完了したことで、マサカズたちの命は救われた。レネも、ナオトも、ユナも、皆生きている。
「皆さん、大丈夫ですか?」
「ああ。びっくりするぐらい無傷だ」
イシレアの目的がマサカズたちの抹殺ではなく、メーデアの解放だったから、彼らは傷一つなく生還できた。傷があればそれは致命傷だろうか。
ともあれ全ては順調だ。特に何事もなく、今まで死なないでいられている。死ぬことに慣れたからか、順調過ぎて怖いくらいだ。
「生きてるっ!?」
直後、その場に現れなのはエストだ。血でも吐いたのか服が赤く染まっているが、外傷は無さそうだ。
彼女はレネの姿を見ると安心したようで、気絶でもするように倒れる。それをあとから来たレイが抱き抱えた。
「エスト様!?」
「あ、すまないね。少し目眩がしただけだよ」
それからエルフの国に行っていた組と合流し、その場を立ち去ろうとしたときだった。
「⋯⋯は?」
マサカズの両足を、真っ黒な尖ったものが貫いた。それは即死はしないような傷だ。全く致命傷にはならないような傷だ。しかし、行動力を奪うには十分だろう。
マサカズは立っていられなくて倒れる。
「──っ」
隣りに居たナオトは、振り返り何を見たのか。その顔には恐怖と絶望が張り付いていた。
これほどまでに分かりやすい問題はないだろう。
「⋯⋯⋯⋯」
彼女は影で包まれる。最早それが本体であるかのように見えた。
──いや、違う。それは影ではない。手のような形を取っていなくて、それは液体のようなものだった。そしてマサカズにはその正体が理解できた。
「魔力⋯⋯っ!?」
魔力は物質として存在する。しかしそれは、通常気体のようなものだ。こうして液体として存在するわけがない。
しかし、もしメーデアが意識的にそれを行ったならば。そしてその目的が──、
「そういうことか!」
だが何より不味いのは、今のメーデアには理性がまるでないことだ。つまるところ暴走状態。本当に何をするか分かったものではない。
「────」
メーデアの下にエストが走り、彼女が何かする前に魔法を唱え、行使した。
「〈虚空支配〉!」
今のメーデアであれば、虚空世界に引きずり込み何とかできるのではないかと思ったエストの決死の一撃だ。虚空は無事展開され、メーデアをそこに引きずり込めた。
「『支配者命令:永続的神聖ダメージの付与』っ!」
尤も厄介な再生能力を封じるのだ。それが有効的だと知った今だからこそでき、そして虚空世界に引きずり込める数少ない、あるいは最後のチャンスかもしれないのだ。自殺命令などという不可能かもしれないことを命令するよりは遥かに意義的だ。
「っう!?」
またもや激しい頭痛に襲われ、虚空の展開を維持できなくなり、メーデアを解放してしまう。エストは膝を付き、黒みの混ざった血を吐き出した。目も充血し、いよいよ命に関わる負荷が掛かり始めている。脳回路が焼けているようだ。
「────」
メーデアの魔力は液体化し、部屋の床を濡らす。通常ありえない事象であるが、マサカズはそれがどうなるかを予想できた。
魔力とは現実を捻じ曲げる力そのものだ。魔力の持ち主の意思によって力は使われる。
レネの封印魔法の原理は時間停止と空間凍結。つまり、メーデアが望む力は時間と空間への干渉だ。
よって、魔力は時空間異常を引き起こす。暴走しているメーデアにはそれを制御できず、辺りを丸々巻き込んだ。
──真っ黒な魔力がマサカズたち全員を飲み込んだ。