7−14 一分という時間の稼ぎ方
顔面を地面で強打し、マサカズの体は指一つ動かなくなって、地面に倒れ伏せた。
(なん⋯⋯だ。動か⋯⋯ねぇ⋯⋯)
死にかけることはあった。実際に死ぬほどの傷を負ったことも幾度もある。数え切れないくらいある。しかし、どんな時でも体は動いたし、あるいは戻った。
だから、今の感覚は珍しい。意識はあるというのに、体が動かないのは。
(クソ⋯⋯メーデアめ。峰打ちならもう少し優しくしてくれよ)
その理由は、メーデアがマサカズを殺さないようにしたからだ。殺さないように殺されたからだ。
(──まだだ。俺はまだ、動かなくちゃならない。お前は俺を殺せないし、殺したとしても戻る。俺は何度でも立ち向かう。魂が終わるその時まで)
マサカズは魔法が扱える。第十一階級魔法だ。彼の無意識はそれを抑止しているが、彼の意思は無意識を超える。
だがそれは体に非常に大きな負担を掛けることであり、少しでも出力を誤ればマサカズの体は直ちに崩壊する。そして、仮に肉体の崩壊に耐えたとしても、魂には不可逆的な損傷が与えられ、少なくとも自力では魔法が使えない体になってしまうだろう。
──だが、それがどうしたというのか。
(そうだ。何かを捨てなくちゃ、お前には勝てないよな、メーデア)
圧倒的強者であるメーデアに対抗するためには、マサカズは何かを捨てなければならない。
既に人間性は捨ててある。メーデアを殺すためならば、皆を救うためならば、マサカズはどこまでも冷酷になれる。
(⋯⋯俺は)
魔法を、捨ててやる。自分が創り出したそれを、手放す。そうすることが勝ち筋に繋がるのならば。
(殺してやる、きっと)
マサカズの動かなかった指が動いた。メーデアはそれに驚き、思わず彼から距離を取った。
ゆっくりと彼は立ち上がる。ゆっくりと。
「⋯⋯なぜ動けるのですか」
メーデアの力加減は完璧だ。本来、マサカズの体は動けないはずだし、それは間違っていなかった。⋯⋯メーデアに与えられた情報で判断するならば、それが最善であった。
「お前と同じだ。正気な奴に同じことはできないぜ」
マサカズの右手に真っ黒な魔法陣が展開されていた。それはメーデアも見たことがない魔法陣──第十階級以下の全てを覚えている彼女は、そして特定の要素が加えられているそれが第十一階級魔法であることを確信した。
「っ⋯⋯!?」
「驚けよ、転移者が第十一階級魔法を使うことを!」
マサカズは作ったことのある魔法から、現状を打開できる唯一の魔法を選択した。
攻撃魔法──否。再生能力があるから、メーデアに物理的な損害は無意味だ。
封印魔法──否。メーデアを封印できるような魔法は、マサカズの専門外だ。レネに任せたほうがよっぽど良い。
即死魔法──否。メーデアを即死させるだけの魔法行使能力をマサカズは持たない。
神聖魔法──否。精々再生力を相殺できるくらいだ。決定打にはなり得ない。
時間魔法──是。
「〈完全なる停止〉ッ!」
〈世界停止〉を基礎に、焦点を変えた時間停止系魔法、〈完全なる停止〉。その効果は、行使者の体の時間を停止すること。
効果時間は丁度一分間。その間であれば、自由に一時解除と再開が可能だ。
体の時間が停止している最中は、ありとあらゆる外部からの干渉を受け付けないが、自分は動くことはできる。
欠点は自分の心臓などを含むありとあらゆる生命活動も停止させること。血液が流れていない体を動かすため、勿論のことだが意識を失うことがある。そして停止中のあらゆる苦痛は停止解除後に一度に襲ってくる。
そして、停止中は心臓の鼓動も止めている。だから、長い間心臓を止めていることは死を意味するため、十五秒ほどで一時解除する必要があるだろうか──いや、その前に、本来であれば魔力が足りないというのに行使したため、その魔力過剰消失による即死が先か。
魔法は魔力消費と同時に効果を発揮する。魔力が無くなると肉体は崩壊するが、それは死ではない。厳密にはその瞬間だけならば生きている。直後に死ぬだけだ。だからこそ、魔力消失による肉体崩壊寸前の体を停止させれば、生存可能なのだ。
「──っ!」
脳と神経系などの体を動かすのに必要な最低限度の器官のみを停止させなかったが、それでも尚『縛り』としては弱いらしい。魔力を過剰に失い、魂を削られる感覚は停止した体にも苦痛を与える。
吐き気が酷い。目の前が見えない。耳鳴りが五月蝿い。脊髄を冷水に突っ込まれているようだ。ともかく不快なのだ。
「まだ時間は経ってない!」
満身創痍とはこのことを言うのだろう。そんな状態でマサカズはメーデアに肉薄し、剣を振るう。
停止した肉体には影も無力だ。首を絞めようとしている影をもろともせず、マサカズはメーデアの首に聖剣を突き刺す。
「なっ⋯⋯!」
「へっ!」
そのまま剣を滑らせ、メーデアの右肩を斬り裂く。肉体の再生能力は阻害されていて、瞬間的に完治はしなかったが、比較的遅いとは言え再生はしていた。
「〈世界を断つ刃〉」
「無駄だァッ!」
概念さえ切り裂く刃も、マサカズには傷一つ付けられなかった。
何事もないようにマサカズはメーデアに再度、剣を振るったが、今度は肉を断つことができず、避けられた。
メーデアは魔法も体術も繰り出さず、転移魔法によりマサカズから距離を取る。
「相変わらず察しが憎たらしいほど良いな」
メーデアはマサカズの現状に気がついたらしく、攻撃は無意味だと察した。そして、更に、
「時間稼ぎが目的でしょう。大方、レネの魔法発動のための。でなければ、魔法効果が解除されると同時に死に至るようなそれを行使する理由はありませんもんね」
マサカズの狙いにも気づかれた。否、今の今まで気づかれていなかったのが奇跡のようなものだ。
「ようやくか。馬鹿め。焦りすぎたんじゃないか?」
「⋯⋯お喋りはあまり好きではありません」
それに気がつけばレネを叩くだけだ。しかし、分かっていて無視するわけにはいかない。魔法は使わない。メーデアの肉体能力は、短距離移動なら転移と変わらない。
マサカズの経験則から弾き出された答えは予知に等しい。メーデアは大抵対象の眼前に現れる。だからマサカズはレネの正面に移動したのだが、
「──っ!?」
居ない。後ろだ。
「──〈神域・捌〉」
紅い水晶の弾幕を、ジュンは全て捌ききった。全て一刀両断されて、威力も削がれた。
「──攻〉!」
そして〈神域〉を維持するという至難の業をやりのけ、別の型を出す。無数の斬撃はメーデアの肉体を抉った。鮮血が吹き出し、肉片が地に落ちる。
「〈裂風〉!」
更なる斬撃は、よりメーデアの体を細々とした肉片に変貌させ、上空に飛ばした。
「レイ、ジュン!」
ボロボロではあったが、二人はまだ動ける。肩で呼吸し、気絶していないのがおかしいくらいの出血量は、最早長時間活動できないことを示していたが。
全ては残り一分の時間稼ぎのため。文字通り命懸けの戦いだ。
「──急がないといけませんね」
しかしながら、肉片は一瞬で一つに固まり、人の形を作る。
瞬間、マサカズの目の前に生成されたのは夥しい量の紅い水晶の巨大な塊だ。先端は鋭利に尖っているが、侵食される前に即死しそうな質量である。
メーデアが片目を閉じて発言した、「急がないといけない」はよく分からないが、彼女はようやく全力を出すらしい。何かしらの『縛り』のようなものがあったのだろうが、今、彼女は『縛り』を解いた、あるいは解かれた。
「死になさい」
雨のように降り注ぐ水晶を、各々剣術や魔法、能力で無力化していったが、それでメーデアは彼らを殺そうとはしていない。レネに狙いを定めて、影を伸ばす。しかしレネは転移魔法を行使して躱して、マサカズがメーデアに接近する。
「〈一閃〉」
「鈍いですね」
紫色の水晶がマサカズの剣戟を防いだ。
レイはメーデアを挟撃するように〈大火〉を詠唱、そして行使。しかしメーデアはそれを平然と受け、続くジュンの斬撃は素手で受け止めた。
「〈白夜〉」
不可視の影はレイとジュンの首を締め付け、マサカズは相手にしないように転移魔法を用いてメーデアは彼との距離を取った。
「〈転移──」
レイによって展開された魔法陣は直後に弾ける。〈転移不能領域〉の効果だ。
このままではレイとジュンがやられる。メーデアがマサカズの動きを少しでも遅らせるために展開した岩の壁を掻い潜り、メーデアとの間の障壁が無くなったとき、彼は戦技を行使した。
「〈十光一閃〉!」
メーデアの影は十の斬撃を完全に受け止めたが、マサカズの狙いはそれではない。メーデアの顔面に膝蹴りを叩き込むが、彼女は簡単に受け止める。
「⋯⋯人間は心臓を十五秒止めると意識を失うそうですね?」
マサカズの停止した肉体は、そのとき再動した。それまでに受けていた苦痛がマサカズを襲った。体が真っ二つに切り裂かれる激痛や、部位が容易に砕け散る打撃の衝撃も、だ。しかし、襲うのは痛みや苦しみだけで、肉体にはなんの影響もない。ただ、苦痛は耐え難く、その隙はあまりにも大きかった。
「四肢を喪う感覚は最悪でしょう?」
メーデアはマサカズの四肢を、影でねじ切った、雑巾の水を絞るように。骨が露出し、肉は水気が混じった音を立てて、千切れた。
肉体に影響のある苦痛を更に味わった。しかし、殺されはしなくて、ボロ雑巾のようにそのあたりに適当に投げ捨てられた。
レイとジュンの首も締め上げ、折る。あまりに呆気なく二人は死亡した。
「まだ五分半も経っていませんが⋯⋯魔法陣は描ききれましたか?」
答えは分かりきっていた。
「できていたら、もうやってます」
あと残るはレネだけだ。彼女を殺してしまえば、消耗したエストとアレオスを殺害するだけ。
「惜しかったですね」
「⋯⋯っ」
背後から不意打ちをしようとしたエストを、影が捉える。完全無音、殺意も完璧に隠したはずだし、どんなに感覚が優れていようと察知は不可能なはずだ。
「来ることがわかっていればどうとでもなりますよ。後ろを確認したいなら、目を作れば良いとは思いませんか?」
メーデアから伸ばされた影の一つに、眼球が付いていた。
「もう一人もそうです。もう、チェックメイトなのですよ」
アレオスの猪突猛進も、メーデアは軽々と影で受け止めた。
それからメーデアは閉じていた片目を開いた。『影の手』に付いていた眼球は、今、萎むように消え去った。
「賞賛しますよ、私を相手にここまでしたことを」
メーデアは手を叩く。拍手というものだ。パチパチと、心から彼女は、自分をここまで追い詰めた彼らを賞賛する。
「ですが、その程度です」
影の力は指数関数的に増加していく。エスト、アレオス、レネの意識はどんどんと白くなっていく。このままだと死ぬことは確定的に明らかだ。
「さあ、終わり──」
「──終わるのはお前だ」
メーデアの胸に、趣味の悪い剣先が突き出た。それは神聖属性が付与されていたようで、彼女は目眩を起こすほどの激痛を感じた。
「な、ぜ⋯⋯ッ!?」
「魔法巻物だ」
メーデアの心臓を後ろから突き刺したのはマサカズだった。千切った四肢は元通りだったし、使った武器は予めエストが作成していた神聖属性の短剣だ。その神聖属性は、マサカズが持っていた聖剣とは比較にもならないほど強い。
「四肢をもがれたときは気絶しそうだった。だが、何とか耐えて治癒魔法が込められたスクロールで回復した。⋯⋯お前にはそれぐらいやらなければ不意打ちもできないだろうからな。俺から抵抗力を完全に失わせたと思わせるために、この武器だって隠し続けた」
魔力過失による体の崩壊を治すために治癒魔法の力は殆ど使い果たし、空の魔力はエストの手によって回復したとはいえ魔女の魔力だ。繋げただけに等しい体は動けるのが不思議なくらいだし、慣れない魔力への拒否反応も相まって今にも、
「意識が飛びそうだ。でも、それまでにお前を切り刻むことぐらいできる」
「──くっ。くふふふふ⋯⋯」
これからメーデアは細切れにされる。神聖属性武器だから、意識が回復するまでの再生だって何分もかかるはずだ。つまりそれは、メーデアの完敗を意味する。しかし彼女は笑った。
遺言は訊く気もない。マサカズはその笑顔を、細切れにしてやった。
◆◆◆
「⋯⋯もう駄目。エスト、俺のこと寝かしといて──」
メーデアを細切れにした直後、マサカズは遂に意識を失って倒れ伏せた。その際に無理やり繋げていたようなものだった四肢がカパッと割れたので、エストは治癒魔法でマサカズの傷を今度こそ完治させた。
ついでに死んでいたレイとジュンの蘇生も完了させる。
「終わった⋯⋯のかな」
目の前にあるのはメーデアの肉片だ。未だ蠢いて、一つにまとまろうとしているから完全には死んでいない。しかし、再生するより先にレネの封印魔法が行使されるだろう。
「⋯⋯よし、出来上がりました」
レネの封印魔法、〈永久時間停止牢獄〉が行使されると、それら肉片は蠢くのを辞めた。それぞれが光の立方体のようなものに囚われる。それらを一つに纏めた。
この魔法は元々、基本的に閉じ込められた対象が自力で脱出することは不可能だ、青魔法と白魔法への高い耐性を持つ存在でもなければ。だから事前にあの魔法の改良はしていた。描く魔法陣はより複雑になって準備に必要な時間が伸びるし、即効果発動ではなく、詠唱から五秒後に効果発動するようになって、更には外部からの封印解除が、意識すれば誰でもできるようになった代わりに、一度封印されれば自力脱出は不可能となるようになった。
エストという魔法の天才と、マサカズという魔法の創造主の力があってようやくできたものだ。
「あとは黒の教団の残党を壊滅させるだけ⋯⋯だね」
黒の魔女、メーデアを殺したところで彼らが活動をやめるとは思えない。きっとメーデアを奪取しに来るはずである。
だが、メーデアを失った彼らは今更そこまで脅威ではない。強いて挙げるのであれば魔王だが、彼女がメーデアのために命をかけるとは思えない。おそらく、彼女はこちらに接近しようとはしないはずだ。
「⋯⋯あっ」
あとは消化試合。そう思っていたエストだったが、あることを思い出した。
「皆、今すぐにでも──」
メーデアは今封印した。マガもまだ現れないはずだ。ミカロナも同じく、まだ猶予はある。
しかし、次に迫る脅威があった。
「エルフの国に行かないと!」