7−9 敵に塩を送る
メラオア・ボッサ・ララ・リゲルドア・ウェレール。
第六代目ウェレール王国国王である彼は、王としての能力は高くもなければ低くもなく、安定的な政治をしている人物であり、民に優しいこともあって、支持率は高い。
しかし、今度の異世界人召喚は大失敗とも言える。
「⋯⋯何故だ」
異世界人とは、古くから度々現れる人間である。人類を多くの脅威から救ってくれた存在でもあり、今回もそれを願って黒の魔女から人類を守るため、召喚した。
しかし、召喚した直後、その件の相手が王城に襲撃してきた。あれで死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだが、異世界人でさえ対処できない災害であるとも判明した。
もし、あの白髪の女性が助けに入ってこなければ、王国は滅んでいただろう。そんな気がする。
だが、あの白髪の女性も人間ではない気がした。あれは、そう、まるで、
「入れ」
王城の玉座の間の天井や壁は破壊されたが、それ以外には特に影響はなかった。
国王は自室に居たのだが、そこで、扉をノックする音が響く。
「失礼します」
入ってきたのは近衛兵団『神人部隊』のアキラ・アルファ・サイトウ。アルファの名をミドルネームに持つ彼は、その部隊長である。通常、彼のような人物がわざわざ連絡係などしない。するならば、よっぽどの緊急事態くらいだろうか。
「何だ?」
「レネ様と⋯⋯白の魔女、エストが国王にお会いしたい、と」
その時、ウェレール国王は目を見開き、心臓の音が激しくなった。
白の魔女、エスト。名前以外のあらゆる情報がなく、存在さえも不明であった魔女だ。
もし、あの場所に現れたのが白の魔女なら?
しかしそれだと、なぜレネと一緒に現れたのかが分からない。
「⋯⋯分かった。二人を──」
客室に招き入れろ、と言おうとした瞬間、部屋の扉が乱暴に開かれる。
そして現れたのは、件の人物であった。
床に付きそうなくらい長い白髪は雪のように繊細であった。この世の美を集結させたような姿に惹かれない男は居ないだろう。白い衣装に身を包む彼女は、もし先程の話を聞かされなければ、どこかの貴族令嬢かと見間違えそうな気品がある。
しかし、国王は彼女の正体に気づいている。
「時間がない。だから待ってるのも無駄。さっさと話をしようか? 私は今、機嫌が悪いんだよ」
アキラが国王とエストとの間に入り、剣を構える。これから殺し合いが始まるかのような緊張感が場を支配した。だが、
「エスト、やめなさい」
レネの一声で、エストの殺意は瞬時にして収まる。
「失礼しました、国王。あまり人と話したことがなくて、礼儀というものを知らないのです」
エストの中に渦巻いていた魔力は沈静化し、アキラも剣を下げる。先程の緊張感が嘘のように、空気は戻った。
「⋯⋯いや、構わない。それより時間がないのだろう?」
「ええ。⋯⋯端的に言うならば、私たちはガールム帝国に向かう必要があります。その為にも、今から帝国にその旨を伝えに行って貰いたいのです」
王国はガールム帝国と仲が悪い。しかし、だからと言って向かった先でいきなり魔法や弓を撃たれるわけではない。話し合いの余地くらいはあるだろう。
「これから? それは⋯⋯あまりにも時間が」
「転移魔法です。エストを連れてきたのもこのため。彼女の作成した魔具ならば、国家間の転移を可能とします」
「なっ⋯⋯国家間の、転移!?」
反応したのはアキラだ。彼の部隊にも転移魔法を扱える者は居るが、国家間の転移など不可能である。
「白の魔女。私の二つ名だよ?」
空間系を含む白魔法。それを司る魔女であるならば、異世界人の血を持つ人間では不可能なことも可能とする。
「なるほど、了解した。帝国にその旨を伝えるメンバーは⋯⋯アキラたち『神人部隊』に任せよう」
レネやエストは魔族であり、人間至上主義であるあの国に使者として送り込むにはあまりにも不適切だ。ならば、力があって人間である『神人部隊』が適任である。
「それで、要件は?」
次に訊いてくるのはその要件内容だ。理由もなく、仮想敵国に使者など送れない。
「黒の魔女及び黒の教団の討伐。そのために、同盟を申し込む、ですね」
ある程度予想はついていた。だから国王はレネのその言葉に特に驚きもしなかったが、
「帝国と同盟を結ばなければ、それは不可能なのか?」
今日の朝、この王都で起こったことはまだまだ記憶に新しい。その過程で、エストは黒の魔女の撃退に成功していた。あるいは彼女のみで、黒の魔女の討伐は可能ではないのか。それが疑問だった。
「寧ろ帝国のみとの同盟では心許ない程ですね。可能であれば、この大陸全土の国々と同盟を結び、対黒の魔女国家連合を作りたいです。しかし、そんなこと短時間ではできない。ならば⋯⋯魔女を殺すことに長けた魔物殺しの専門家という戦力を持つ帝国と同盟を結ぶべきではないか、と」
アレオス・サンデリスはたった一人で一国の軍に相当する戦力。言うなれば『人類最強』である。純粋な戦闘能力でそれならば、専門とする魔物殺しでは国滅ぼしを容易とする魔女をも上回る。
そして更に、帝国には人間を主とする周辺諸国最強の軍事力もある。真っ先に同盟を結ぶには最適だ。
「⋯⋯ああ、分かった。アキラ、今すぐに『神人部隊』に告げろ。帝国にこの要件を伝えろ。そして、帰ってくるときには帝国への入国許可証を持って来い」
「はっ。承知致しました」
アキラは急いで部屋から出ていく。マナーは守っていたが。
「ありがとうございます、ウェレール国王。本来であれば事前連絡が必要であったというのに」
「いや、構わない。レネ様であれば、これくらいのことは許されるべきだ」
何十年も前の話だが、レネは王国滅亡の危機を何度も救ってきた。大飢饉も、魔物の大量発生も、大災害も。今こうして王国がこの地に君臨しているのだって、全て青の魔女、レネのおかけであるのだ。
だから、その偉業を直接目で見ていない国王だって、敬意が薄れるわけではない。そして今こうして、王国の為──果ては世界の為に動く。なんと慈悲深いことか。
「こちらこそ、私の部下が無礼なことを。貴女様の⋯⋯」
国王はエストの方に目を向ける。
「えっと⋯⋯ああ、私の旧友の娘ですから、名前呼びで良い──」
「私のことは女神様の妹のように扱ってね」
「⋯⋯失礼を許してほしい、妹君」
「ま、今回だけね。私は義姉と違って人間にはそこまで優しくないから」
レネからすれば勝手に自分の妹とエストは名乗っているようなものだ。確かに彼女もそういうふうに扱っているような心当たりはかなりあるが、意識はしていなかった。
「⋯⋯ルトアが見たらどう言うか」
今は亡き親友をレネは思い出す。彼女ならばおそらく、「姉様〜」と、笑いながらレネをからかうだろうか。
◆◆◆
『神人部隊』は王国近衛兵団でも最強の部隊である。その部隊員は異世界人の血筋であるからだ。単純な戦闘力では転移者に及び、極希に転生者クラスの実力を発揮する場合もある。
メンバーは、部隊長かつ軽戦士のアキラ・アルファ・サイトウ、副部隊長かつ重戦士のウィリアム・ベータ・パーカー、盾持ちのマクシム・ガンマ・シリノフ、魔法使いのエレン・デルタ・ベーカー、弓使いのショウ・イプシロン・アサノ、斥候のアンジェラ・ゼータ・チェンバースの計六人である。
今回、彼らに与えられた任務はガールム帝国に向かい、そこで黒の魔女についての話し合いの予定を取り付けてこい、である。
「凄い⋯⋯!」
手の平サイズの結晶は、一見すると変哲ない自然結晶であるが、魔法を使える者が見れば異なる。
『神人部隊』で魔法を扱えるエレンは、その金色の瞳を輝かせながら結晶を見る。
「二回しか使えないけど、範囲内の全ての対象を一度に転移させられる魔法が込めてある。王国の最南端から帝国の最北端までの距離でも転移可能だよ」
エストの最大魔力量では、精々二つの国を横切る距離しか転移できない。だから、これでモルム聖共和国に転移することは当然、ラグラムナ竜王国など命をかけても無理だろう。
しかし、帝国ならば転移可能範囲だ。
「ありがとうございます。エスト様」
部隊長のアキラはエストに頭を下げる。レネの──自称が付くが──妹であるため、敬意を払う対象であるからだ。それに今回は、まだ何もやらかしていない。
「様付は要らないよ。私、キミたちに崇拝されるほど何かしたわけじゃないし」
しかし、レネと違ってエストは王国に何かしたわけではない。それに彼女は、レイ以外に様付される気はないのだ。
「了解しました、エストさん」
「⋯⋯もう一回言っとくけど、それは二回しか使えない。つまりは往復分しかないってわけ。その辺り気をつけといてね」
魔族であるエストからしてみれば、帝国の考え方は少し怖い。実際問題過激思想であるが、彼の国が繁栄したのにはそういう思想が関係する。人間──弱者と言えど団結すれば馬鹿にはならない。
「じゃ、頑張ってきてね」
エストに見送られて、『神人部隊』はガールム帝国に転移した。
◆◆◆
ガールム帝国に存在する聖教会は、有事の際には軍として徴兵される。というのも、聖教会の一部教徒は冒険者と同等かそれ以上の戦力を有しており、特に魔物を殺す場合においては、下手をすれば帝国軍より殲滅力が高い。
そんな聖教会だが、そこには切り札とでも言うべき人間が居た。名を、
「アレオス・サンデリス神父。緊急だが、皇帝の護衛を命ずる」
丘上の聖教会で、いつものように信者たちに神々の言葉を告げ終わった後のアレオスの元に、一人の老人が訪れた。彼は帝国軍部の制服を着ており、つまり彼は軍部のお偉いさんだ。彼のような年を取った人物は、前線で戦えはしない。
「相手は化物ですかな? 職業軍人ではなく、この私に護衛を頼むということは」
神父服は彼のような高身長で筋肉質な男には似合わないように思われるが、これがまた様になっているのは、長年それを着ているからだろうか。
ステンドガラスから差す白色の光が彼を後ろから照らし、その青い瞳だけが、影の中で一際目立つ。
白い手袋の口を引き、ズレを直す仕草は彼の癖である。
「ああ。つい先程、ウェレール王国『神人部隊』がこの国に転移してきた。ただの連絡係だ。翌日、また来るからそれまでに黒の魔女を殺す為に同盟を結ぶかを決めておいて欲しい、だそうだ」
アレオスは背後にある彼らの神を模した像に一瞬目をやり、老人──ガールム帝国軍部、ゼルシス・スルヴェルト中将に近づく。普通ならば敬礼をしたりするべきであろうが、アレオスはそうはしないし、中将はそれを気にしない。
「異教徒は構いません。信じる神が違うことは、何らおかしいことではないのですから。しかし、神は神であり、それ以外の何者でもありません。⋯⋯神人部隊とは、また偉く大層な名前でしょう。⋯⋯なぜ、殺さなかったのですか?」
アレオスは首にかけていた十字架を触る。
「仮にも他国の要人だ。殺せば国際問題になるからな」
「左様ですか。しかしアレらは魔女を崇める狂信者共。話を聞いたのは?」
「⋯⋯サンデリス神父。お前が人一倍魔族を嫌うことはよく知っている。しかし、あまりにも度が過ぎるぞ。話を聞くことを決定したのは皇帝陛下だ。お前はあの方に盾突くのか?」
神父は中将の横を通り過ぎてから立ち止まり、答える。
「いえいえ。気になっただけです。⋯⋯まさかこの帝国が、黒の魔女に恐れをなしているのではないか、と」
「貴様⋯⋯っ!」
ゼルシスはアレオスの方を振り返る。そのシワが多い顔には怒りの感情が浮かんでいた。
「スルヴェルト閣下。護衛であれば引き受けません。しかし⋯⋯殺戮であれば引き受けましょう」
「⋯⋯アレオス・サンデリス神父、分を弁えろ。貴様にはそれを決める権限はない。言ったはずだ。これは命令だ、と」
ゼルシスが聖教会に訪れた目的は、アレオスに皇帝の護衛命令を伝えることである。決して冒険者のような依頼ではない。
「⋯⋯ふむ、ならば仕方ありませんね。武器の使用は自己判断ですか?」
「相手が我々に敵対行為をしたと、皇帝陛下が判断してからだ」
「それが皇帝陛下の意志ならば」
教会内に足音を響かせながら、アレオスはそこを立ち去る。その間際、アレオスは神父服の内側にいくつものスティレットを仕込んだ。それら全ては魔法によって神聖属性が付与されていた。
「国家間の転移魔法。ここに魔女が来る可能性もある」
神父、アレオス・サンデリス。ガールム帝国が有する戦力の中でも最強の存在。皇帝直属の四騎士全員を相手にしても尚勝てないと言わしめた男。人類最強の戦士である彼は、魔族を人より強く憎悪していた。
「⋯⋯それが青の魔女であろうと、それが白の魔女であろうと、そして例え黒の魔王であろうと、魔族であるならば殺すべきだ」
魔族は人間にとっての共通敵であるのだから。