7−7 初めまして、久しぶり
明らかに不味い相手が王城の天井を突き破って落ちてきたとき、ナオトとユナは全身が凍りつくかのような錯覚に陥った。毛という毛が逆立ち、二人は一目散に逃げたのだが、同時に召喚された青年──マサカズ・クロイという人物だけは逃げなかった。
そこから何やら白髪の女性が王城のステンドガラスを割りながら家屋に突っ込み、少ししてからそこからマサカズが出てきたり、そして黒装束の襲撃者がどこかへ消えたり──と、ナオトとユナは今、何が起こっているのかさっぱり理解できない状況に居た。
分からないことは分かる人から聞けば良い、というのがナオトのモットーだ。おそらく当事者である白髪の女性と、マサカズという青年のもとに向かった。
「⋯⋯大丈夫か?」
「これを見て大丈夫だと言えるなら、眼科に行った方が良いぜ、ナオト」
マサカズとナオトは、当然だが面識はないはずだ。彼はそれについて動揺すると、マサカズが片手を上げて、
「ああ、今回は初めましてか。よう、俺はマサカズ・クロイ。よろしくな、池澤直人、神崎由奈」
「私の名前も⋯⋯?」
「いや、ユナ⋯⋯確かにナオトと同じように俺は君──お前を知っているが、元の世界だと有名人って自覚ある? その反応はないだろ」
ユナは、日本では、特に弓道業界では知らぬ者は居ないとされるほどの天才児だった。それは弓道をよく知らないマサカズでさえ名前くらいは知っていたほどである。
「ちなみに私はエスト。よろしく、人間」
ナオトとユナは、エストの正体に本能的に気づいたようで怯える、が、マサカズが何とか二人を安心させた。
「⋯⋯色々と聞きたいことはあるが、まず一つ。アレは⋯⋯」
ナオトとユナの二人からしてみれば、本当に現状は理解に困難するだろう。しかしそれでも、あの黒い女性がただならぬ者であることは分かっていたようだ。
「俺たちがこの世界に転移してきた理由であり、諸悪の根源。何度かアレのせいで世界滅ぶ一歩手前まで行ったし、前回だと俺とエストが居なきゃ多分終わってた」
ナオトは深いため息をする。彼のように理解能力が高いと、マサカズの遠回しな言い方でも普通に言われるより深く理解できるということだ。
「えぇ⋯⋯っと?」
ただ一般人に近いユナからしてみれば何のこっちゃ、という話でもある。
「⋯⋯つまり、マサカズとエストは世界を何度かループしていて、その過程でボクたちとも知り合っている。あの黒装束はボクたちがこの世界に召喚された理由⋯⋯大方魔王とか、その類か? 何にせよ、あの化物を殺すことが目的。信じたくないし、ストレスで胃に穴が空きそうなんだが?」
「話が早くて助かる。一つ付け加えるなら、あれは魔王じゃなくて黒の魔女ってことだな。魔王は別に居る。⋯⋯そういうことだ、ユナ」
「⋯⋯えぇ、何とか」
ついさっきまで日本で過ごしていたのに、いきなり異世界に来て、いきなり目の前で殺し合いが勃発して、世界はループしているとか言われて、頭がどうにかなりそうだったが、ナオトとユナは何とか現状を理解してきた。
「──さて、と。とりあえずレネのところに向かおうかな。詳しい話はそこでしたいし」
「だな。情報共有は人の多いところでやっときたい」
そしてエストの転移魔法でレネのところに向かおうとしたときだった。
「う、動くな! 王国兵だ! い、いますぐに投降しろ!」
兵士が、四人を囲う。やろうとすれば秒で鏖だ。しかし、やる意味がないし、何よりこれはされて当然の扱いだった。
何も知らない人たちから見てみれば、エストは犯罪者と似たようなもの。怪しさ満点の人物だ。人ならざる者のオーラがそれに拍車をかけていて、ハッキリ言っていきなり殺しに来られても文句は言えない。
「分かったよ。ほーら、か弱くて無抵抗な女の子の両手を拘束しなよ」
しかしそれでも、世界滅亡ルート一直線だったのを救ってやったというのに、こんな扱いをされているエストたちからしてみれば不快極まりない。客観的には仕方ないとわかっているつもりでも、感情的には許せない。
「ジョークにしては面白くないな。お前がか弱かったら、人間は皆赤子か?」
「そうかもね。ま、こんな鉄の塊如きで私を拘束できたと思うのが人間なのさ。ねぇ、兵士様?」
どんどん機嫌が悪くなるエスト。マサカズの精神は未だ人間なままであるが、二百年生きた──『死に戻り』の総回数分を含めればそんなもの誤差に過ぎないとは言え──記憶がある。それは人を人でなくするには十分な時間であった。
精神と肉体は相互に影響し合う。体が人間なら精神も人間だ。
「⋯⋯ん? エスト、なんでお前第十一階級魔法使えるんだ?」
兵士に連行されているとき、マサカズは一つ気になることができた。それをエストに訊くと、
「第十一階級魔法を使える素質は既にあった、ってこと。あとはきっかけだけが必要だったのさ」
マサカズは初めて魔法を使えるようになってから第十一階級魔法も扱えた。だからこそ魔法について分からないこともあるのだが、エストは違う。彼女は成長することで、第十一階級魔法を得た。それは、肉体的な成長ではないが。
「⋯⋯お二人さん、そんな話は置いといて、これからどうするんだ? まさか、これも計画通りか?」
余裕そうに連行されるエストとマサカズを見ていたのは、焦燥感に駆られるナオトだ。
「なわけないだろ。⋯⋯だがまあ、死にはせんよ。最悪でも鏖殺すれば済む──っと、これは駄目な記憶だな。思い出しちゃ駄目な奴だ」
今思えば、アサイフ聖王国に居たときのマサカズの精神変貌も、六万回繰り返した中のルートでの記憶が人格に影響した結果だったのだろう。殆どあの時には忘れていた記憶とはいえ、塵も積もれば山となる、だ。マサカズはループの中で何度か人外──多くはアンデッド──と成っており、人間的な価値観がほんの少しだけ薄れている。
ただ、その中には殺戮を平然とする記憶もあった。王国全土を焦土に変えてやったり、メーデアと協力するものもあった。
「⋯⋯そういやなんで、メ──っ。ああ、クソ。呪いがあるのか」
心臓を握りしめられるような感触及び激痛に眉を顰める。もしフルネームを言葉にしていたならば、今頃マサカズは『死に戻り』していただろう。自動発動型の呪殺能力は初見殺しにも程があると思う。
(メーデアは、なぜ今回に限って前回の記憶を保っていたんだ? 『逸脱者』であるならば『死に戻り』の時間逆行に耐性があるってわけではないだろうし⋯⋯)
それならば、既にマサカズはメーデアによって魂を殺されているはずだ。考えられない。しかし、何かしらの要因があることは確実だ。
(これまでと違うことと言えば⋯⋯エストと友好的になったことか?)
実のところ、エストと協力関係になったのは前回が初だ。それまでは彼女と敵対していたり、あるいは無干渉を貫いていたりしていた。六万回もあるループで、前回とその他が違うことと言えばそれくらいだ。
「⋯⋯ま、いいか。要因分かったところでどうってわけじゃねぇし」
少なくとも、これからの『死に戻り』をメーデアは察知できる。彼女の記憶保持が完全であるか、はたまた一部であるのかは不明であるが、どちらにせよ要警戒であることには変わりない。あの様子であると、また近いうちに襲撃に来そうだ。
「やだなぁ。やること多すぎだ」
一先ずは戦力の確保だろう。魔王軍は前回の記憶を見せ付ければ良いだろう。何せセレディナたちはただ利用されているだけなのだ。緑の魔女ミカロナとは違っていて、知らないのだ。
他に当たるとすれば、イザベリア、イリシルだろうか。これはマサカズが頭を地面に叩きつけるが如く謝れば、力は貸してくれそうだ。レイは召喚すれば良いだけだ。
次に──、
「ここ、ここで、ま、待っていろ!」
そんなことを考えていると、いつの間にやら目的地についたようだ。四人は牢獄ではなく、取調室のようなところに立たされた。
部屋に用意された人を出迎えるにまるで相応しくない──犯罪者であれば相応しい椅子に各々座る。
そして暫くして、取り調べ係が部屋に入ってきた。
「おうおう。お前が俺らを何としてでも有罪判決にしろって言われた国の犬──か⋯⋯?」
その入ってきた人物は、マサカズの予想外の人物だった。
背丈は百七十センチメートル後半。黒い髪は少し長く、目も黒い。この辺りでは珍しい顔立ちである彼だが、マサカズ、ナオト、ユナにとってはそこまで珍しくなかった。
腰に携えた刀をいつでも抜けるように手を掛けており、まるで油断も隙もありやしなかった。
「初めまして、転移者⋯⋯と、君は誰かな?」
冒険者組合組合長、ジュン・カブラギがマサカズたちの取り調べ係に抜擢された。理由はその戦闘力の高さだ。
「ほいほーい。『記憶操作』っと」
白く目が光る。
不意打ちのエストの能力によって、ジュンに前回のことと、ついでに終焉時の光景も送りつける。当然彼は寝耳に染料でもぶち込まれたみたいに体を跳ね上げ、過呼吸となり、テーブルに倒れた。
「え、今、何しました?」
ユナが問いかけてくる。エストは何をしたかを簡潔に説明した。
「⋯⋯ボクたちになぜ同じことをしなかった、と言いたいとこだけど、ああ、うん。これされたくないわ」
ナオトは、ジュンを横目に、そう口に溢した。
「まぁねぇー。私は人間の記憶についてはよく知っているんだよね。だから、どれくらいの情報量を詰め込むとどうなるかも知ってるんだ。で、前回についての最低限の情報量でも、人間は処理落ちするんだよね」
ちなみに、その最低限度の情報量には終焉時の記憶などは含まれない。つまり、ジュンの脳内メモリーには理不尽に多くの情報を詰め込まれた。
何度か咳き込んでから、ジュンはようやく平静を取り戻したようだ。
「やっぱり僕はお前が嫌いだ、白の魔女、エスト」
「久しぶり、転生者」
正しく言えば、人格は今回のままだ。だから、エストとジュンは今度は初対面である。しかし記憶は前回のものをある程度引き継いだ。それはどちらかと言えば、知識に近いものである。
「にしても、まさか発狂しないとは。少し人間を見くびっていたようだね」
「そりゃお前、感覚が鈍ってるんじゃないかな? 年取りすぎだ。そろそろ老死するだろうから、安静にしといたら?」
「は? まだ若いですけど? キミの目は節穴かな? 私超絶美少女なんだけど?」
「あ? 分を弁えろよ、六百歳。そんなんだからモテねぇんだぞ、不細工。気取るなよ、見苦しいなぁ?」
「はぁっ!? 魔女ってこと隠して貴族の催し物に出れば私引っ張りだこだと思うけど? というかそうだったし? ノトーリス家のゴミ共を虐殺してやるために行ったけど、いやー引く手数多だったわ。全然興味なかったけど、ありゃ上級貴族の男ばっかだったよ。多分、そこらの女じゃ到底付き合えないような奴ばっかだったんじゃないかなぁ!?」
「あぁっ!? 僕が言ってる不細工は内面的なものですぅー! テメェの外面なんか、内面を知れば唾棄されるだろうさ。僕なら君を選ぶわけがないね。金だけあって、体目当てなだけの坊っちゃんにしか好かれない自分への嘆きはそれくらいにしたらどう? テメェなんかそれくらいしか価値がないってことだ。ほら、娼婦にでも行ってこい」
エストの中で何かが切れる音がした。だから、彼女は魔力を練ると、黒に近い紫色の珠──虚無が、手の平の上に顕現した。収束するそれから保護壁を無くせば、この建物は容易に消滅するだろう。
「ふざけるのも大概にしろよ人間。今なら、ごめんなさいエスト様って言って、土下座してくれたら許してやるよ、下等生物が」
ジュンも『死氷霧』を抜刀する。刀には氷が纏われていて、部屋内の気温を急激に低下させていた。もし一般人がここにいたなら、その人物は凍死していてもおかしくない。
「上等だ、薄汚れた魔女め。そうするのはお前の方だ。表出ようか。それともここで犬死するのかなぁ? テメェには泥水啜ってる様がお似合いだね」
まさに水と油。猫と鼠。どんな時間軸でも二人の仲が良くなることは決してないだろう。
空気が火山噴火直後みたいに悪いし、殺意が部屋中に満ちている。脊髄を氷の槍で貫かれたみたいな恐怖にナオトとユナは襲われていたが、
「⋯⋯やめろ、二人共。今はそれどころじゃないだろ」
マサカズは、エストとジュンの肩を叩く。それに気がつくと、部屋中にある殺意は瞬時に薄まる。
エストは虚空を解除し、ジュンは『死氷霧』の力を抑制させた。
部屋内部の気温は元に戻り、改めて五人は席に座る。
「⋯⋯まあ、事情は把握した。僕から言えば、君たちはすぐにでも自由になるだろうね。あれらも君たちを敵には回したくないだろうし」
「そうか。なら頼む」
「じゃ、取り調べはなしだ。少し待っていてね。言ってくる」
ジュンは部屋から出ていく。
もし、エストとのひと悶着がなければすぐに終わっただろう。マサカズはそんな意を込めてエストを睨んだ。
「⋯⋯ごめんって」
「分かればよろしい」
それから暫くしてジュンが戻ってきて、マサカズたちの自由が言い渡された。ウェレール国王にも状況は説明したとのこと。
そこで、マサカズはジュンにレネの屋敷に付いてくるように言った。戦力は多ければ多いほど良い。彼にもこれからの方針について情報共有をする意味は大いにある。
「分かった。丁度暇だったし」
これを嫌がったのはエストだけだったが、マサカズが黙らせた。