7−1 世界を創りし三人
──夜明けが訪れた。
それはこれまでとは何も変わらない。ただ、その夜明けはいつもより、そう、ほんの少しだけ世界にとって違っていた。
男女三人。皆年齢は十三歳の少年少女たちだ。
彼らは、気づいたらここに居た。辺り一面は草原だった。明るくなっていく空は青かったし、風は心地良かった。でも、これは彼らの知る世界ではなかった。
「⋯⋯生き、てる?」
ここに来る前の記憶を辿れば、彼らは死んだはずだった。
一人は事故死。凍った路面だったために乗っていた車がスリップし、対向車と激突。その衝撃に耐えきれず、不運にも死亡した。
一人は病死。幼い頃から患っていた心臓の病が悪化し、延命も無意味。余命宣告され、その言葉通りの日に病院のベッドの上で、見舞いに来ていた家族に看取られて死亡した。
一人は自殺。優秀な父と平凡な自分を比べられる日常に嫌気が差し、そして父を逆恨みする自分自身を嫌悪し、誰も居ない自宅、孤独に自室で自分の首を吊って死亡した。
「あなたたちは、誰? わたしは鈴木里香」
少女は二人の少年に誰かと問う。
一人は答える「僕は森亮太」と。
そしてもう一人も答えた──「黒井正和」と。
◆◆◆
一つ、思い出したことがある。
ここに来る前、正和たちは辺りが真っ白な世界に来ていた。そしてそこで、とても美しい女性──正和はそう見えたのだが、里香と亮太はそれぞれ別人の姿に見えた──に言われた、「世界に三つ、何かを創って欲しい」と。
正和たちはその『何か』が、単なる銅像であるとか、建物であるとか、国であるとか、そんなものではないと直感的に理解した。言うなれば理だ。そんな、具体的でなく、概念的なものを創って欲しい。そう言われたのだと。
そして、自分たちにはそれを可能にするだけの力が感じられた。だが、それはたった一回限りである気がした。
「これからどうする?」
森亮太。身長は百七十センチメートルほどと年齢の割には高く、全身がほっそりしている。かなり着込んでいたが、ここでは暑かったようで今はシャツ一枚とズボンだけだ。上着は腰に巻いている。
「一先ずは夜を越せる寝床か、人の居る場所を探しましょう」
鈴木里香。身長百五十センチメートルほどで、外に出ないんだな、とひと目でわかる色白な少女。白のブラウスに赤色のスカートを穿いている。
「⋯⋯だな」
里香の提案に男二人は乗っかり、特に何もなさそうな平原を歩くこと数時間。そこであることに気がついた。
「お前らってさ、もしかして体力むっちゃあったりするか?」
いくらそこまで速くないとは言え、数時間も歩きっぱなしで誰も苦言の一つ零さないのは明らかな異常事態だ。正和は体力にはそこそこ自身があったが、こんなに長時間あるけるとは思っていない。
「確かに⋯⋯わたし、普段殆ど運動しないのに」
「言われてみれば。僕もそこまで体力はないのに、なんで全く足が痛くないんだろう?」
そもそも、状況の把握の時点から色々とおかしかった。どうしてこうもあっさりと、当然のように今の異常を受け入れているのか。
「⋯⋯よ、っと」
そこで正和は試しにジャンプしてみた。すると、彼は鉛直方向に人を飛び越えられるほどの高さを跳んだ。
──どう考えても身体能力が向上している。それも並の人間レベルではない。
「異世界、転生、おまけに身体能力向上か。この感じだと魔法もありそうだな。あとモンスターとか」
そんなこんなで自分たちの身体能力を確認しつつも平原を歩いていると、やがて森を見つけた。
とりあえず、今晩はあの森で過ごそうと決めて、三人は森へと入っていった。そして適当な木の枝を集めたりして、そこから火を作る。
転生時に身体能力が高まったとは言え、テレビの見様見真似の火起こしにはかなり手間取り、ようやく火がついたのはそれから三時間後であった。見たこともないが他に食べられそうにない中、木の実もいくつか採取する。寝床も確保したりして、最終的にやるべきことが終わったのは日没直後。本当にギリギリであった。
炎に手を翳しながらじっくりとそれを眺める。森から聞こえるのは虫の音や風で葉が擦れる音だ。
月下、三人はこれからのことをきちんと話し合うことにした。
「まず、気になるのはこの力だ」
正和たちは前世とは比べ物にならないほどの身体能力を有しているが、他にも力が感じられた。
何か一つ、概念であっても創れるという情報だけが頭の中に漠然と存在し、具体的な方法は分からない。
誇大妄想のようであるが、三人の共通認識であると分かった途端、この力は本物である気がしてきた。
「なんでも⋯⋯これは大事な時にとっておくべきね」
現段階では何もかもが不明なままだ。下手に切り札みたいな力を使うのは止しておこう。期間限定で使える力ではなさそうだから。
「で、次。明日何をするか」
何をするにしても、まずは安定した生活環境を確立しなければならない。この何でも創れる力でそれを何とかできるかもしれないが、本当に追い詰められてからでも良いだろう。
「人か、僕たちに友好的な存在を探そう。僕達だけってのは、少し怖い」
「そうね。人を探しましょう。村、国なんかが見つかれば良いのだけど」
明日からの方針は決まった。
いくら身体能力が高くなっているとはいえ、精神疲労までは軽減してくれないし、眠らなければならない時間は変わらないようであった。何が起こるか怖かったので、三人はローテションを組み、必ず一人は起きて警戒しているようにして──朝を迎えた。
◆◆◆
この異世界に転生してから既に数週間が経過した。サバイバル技術はかなり上達し、キャンプの用意は何もない状態から二時間もあれば用意できるようになった。
そして、今日、ようやく人を発見したのだった。森の恵みを採集していた半裸の少年少女を見つけたのだ。
「こんにちは」
「──!」
声をかけてみたが、少年少女は槍のようなものを亮太たちに向ける。どうやら防犯教育は行き届いているようだ。
「大丈夫、何もしないよ」
「──! ──!」
少年少女たちは何かを喋っているが、まるでなんと喋っているかはよく分からない。それは向こうからも同じなようで、おそらくは亮太たちの言葉も分からないのだろう。
それが分かった亮太はジェスチャーで敵意はないことを示す。これは通じたようで、時間は掛かったが一先ずは敵意がないことを示せたようだ。
「さて、どうするかな」
言葉が通じないというのは最悪の事態だ。予想はできただろうが、対策なんてまるでできない。彼らの言葉は未知の言語だ。文法なんかも分かるはずがない。
「⋯⋯わたしが何とかする」
そう言ったのは里香だった。そしてその方法も、亮太にはすぐに理解できた。
言語の壁なんてそう簡単にはどうにもならない。解決には年単位の時間を要するだろう。なら、さっさとそんな壁取り払うべきだ。
力は使う為にあるのだから。
里香がその力を行使したとき、それはあまりにもあっさりだった。何か変わったのか? と思えたが──その変化は、すぐさま確認できた。
「とりあえず村に行こう。長老様なら何か知っているかもしれない」
「だなー。オレたちじゃどうにもならない」
先程までまるで理解できなかった言葉が、理解できるようになった。しかしそれはどうやら翻訳されているものであるらしく、その言語をその言語のまま理解したわけではなさそうだった。口の動きと聞こえる音に乖離があったのだ。
「ねぇ、君たち、僕たちの言葉、分かる?」
今度は通じたようで、亮太の言葉に原住民たちは驚く。しかしどうしたかなど説明するのも面倒なので、さっさと話を進めた。
一先ずは長老様のところへ行くことになった。彼らには村があるようであったのだ。
「⋯⋯? 正和、早く行こう」
先程からずっと、正和は黙っていた。この数週間で亮太と里香は、正和がこういうときに黙っているような人ではないことを知っている。
「エ、エ⋯⋯」
彼は指を厭らしく動かし、現住民たち──特に女の子を見る。完全に変質者だ。しかし、普段の彼はそんな変態ではない。里香という美少女相手に手を出さないのだから。
「エルフだッ!」
「え?」
現住民──耳がやけに長い人によく似た種族は、首を傾げた。
「異世界⋯⋯やはり素晴らしい。作りものでない長い耳。理知的な瞳。そして美形。本物のエルフだ!」
正和は誰がどう見ても興奮している。現代日本で、かつ彼が大人ならば即通報ものだ。
エルフたちと亮太、里香は若干彼に引いた。
そんなこともありつつ、彼らはエルフたちの村へと向かった。
◆◆◆
鬱蒼とした森を進んでいると、唐突に暗かったそれが明るくなる。なぜならば、そこには木々がなかったからだ。
森を切り拓かれ、そこには村が作られていた。家々はすべて木造であり、木の暖かさが充分に感じられそうだ。
畑も大変肥えており、そろそろ収穫できそうな作物が多くある。そして村の近くを流れる川の水は透き通るようで、そのまま手で掬って飲めるだろう。
そこで農作業をするのも、走り回るのも、全員人によく似た人外だ。耳は長く、髪色は黒ではなく梔子色が主であった。
そんな彼らが正和たちを見て驚くが、それは珍しいものを見たという反応であり、忌避されているわけではなさそうだった。
「長老様、居ますか?」
正和たちを連れてきた子供エルフの一人が、周りのものと比べても立派な家屋の戸を叩く。しばらくして中から男性が現れた。
長老、と言われるのだから、髭が長く、しわしわの顔を持つお爺さんかと正和たちは思っていたが、彼は齢二十代ほどのように見えた。しかも美形だ。ウィッグでもつけて、それなりの格好をさせれば女性にも見えるだろう。
「おや、ヒデュー、その人間さんたちは?」
「森で迷っていて、困っていたから連れてきたんです」
「そうかい。偉いね」
長老はヒデューと呼ばれたエルフの子供の頭を撫で、他二人にも同じことをする。そして彼らに家に戻るように言った。そう言えばもうそろそろお昼時だ。
「人間さんたち、昼食のついでに話を聞こうか」
「あ、はい。ありがどうございます」
正和、亮太、里香の三人は長老宅に招き入れられ、テーブルに座る。
内部は思っていたよりしっかりしていた。外は少しばかり暑かったが、ここはヒンヤリしていて心地よい。
台所で料理をしていた、これまた美人なお姉さんはおそらく長老のお嫁さんだろう。
「あら、その人たちは?」
「森で迷っていた人間さんらしい。彼らの分も作ってくれるか?」
「丁度良かったわ。作りすぎてしまっていたのよ」
そう言って、巨乳のお姉さんは正和たちの目の前に料理を置く。
パン、野菜スープ、そして何かよくわからない焼肉。どれもこれも美味しそうで、栄養たっぷりだろう。久し振りにまともな食にありつけた三人は涎を飲んだ。
「人間さん、とわざわざ呼ぶのもアレだし、まずは名前を訊こうか。私はルーンファーム・エルストロフと言う」
食事の際中、長老は話しかけてくる。流石に食べながら話すことは行儀が悪いので、三人は食べることをせず、各々名前を答える。
「ふむ。珍しい名前だね。どこから来たんだい?」
「えっと⋯⋯東の遠いところからですね」
素直に答えたところで信じてくれるとは思えない。異世界物ではこういう風に言えば大抵は信じてくれる。
「東? ⋯⋯と言うと竜王国辺りか? しかし、あそこには人の国はなかったはずだが⋯⋯」
「あ⋯⋯いえ、もっと東で」
「⋯⋯別大陸? ⋯⋯そうか、そんな遠いところから」
何とか誤魔化せはしたが、竜王国という言葉が引っかかる。エルフがいるからドラゴンも居ておかしくないだろうが、それだと人間という種族は生存競争に負けていそうだ。
「あの、この辺りに人の国ってありますか?」
里香は気になったため、長老に訊く。
「ないね。離れた場所になら、確かレヴェリオン王国があったはずだけど⋯⋯そこへ行くなら一月はかかると思う。だが道のりは険しい」
一月で行けるとしても、道中には魔物が多いらしい。この時期は魔物が活発化しているらしく、旅は危険だ。安全になるのは半年後くらいだ。それならば、しばらくはエルフの村で過ごすべきだろう、と長老は言った。
「部屋はあるし、しばらく住んでも良い。まあ、無償というわけにはいかないから、仕事は手伝ってもらうけど⋯⋯どう?」
これまで野宿してきた三人にとって、衣食住が保証されるならば仕事をするくらいどうってことはない。何しろ三人は今、到底人とは思えない身体能力を持っているのだから肉体労働もばっちこい状態だ。
「わかりました。よろしくお願いします!」
長老の提案を受け入れ、三人はエルフの村でしばらく過ごすこととなった。