6−26 白昼夢じみた欲望
まず仕掛けたのはエストとマサカズだった。
エストは剣を地面と平行に構え、そして一気に加速する。恵まれた身体能力から繰り出される刺突攻撃は凄まじい破壊力を発揮し、ソニックブームを発生させた。
しかし、刃はミカロナを捉えることはなく、そして続くマサカズの斬撃も同様だ。
「ボクも魔力がもう少ないんだよね。だから、本気で相手するよ。いい?」
YESと答える間もなく、ミカロナは〈極冷氷柱〉を行使。彼女を囲むようにして氷の柱が地面から突き出るが、エストとマサカズは掠ることもなく回避する。
「みっ──」
言い終わるより先に、マサカズの正面にミカロナが現れる。魔法でも戦技でもない、単なる移動でさえ、マサカズには見えなかった──否、見させなかった。
暗闇の視界の中だったが、それ以外の感覚は正常だ。想像を絶する激痛と共にマサカズの体は飛ばされた。
おそらく腹を蹴られたのだろう。何もないはずの胃の内容物を吐きそうになる。
「っ⋯⋯!」
回復した視界、ミカロナはマサカズに追撃を加えようとしていたが、エストが助けに入る。
ミカロナはエストを対応し、その杜撰とも言える行為に報いを。マサカズはミカロナを後ろから突き刺した。
彼女はマサカズの攻撃を察知したようだったが、遅い。腹を刃が貫通し、マサカズは内蔵を抉ってやろうとするが、
「ガアッ!」
激痛がほんの一瞬だけ全身に走り、その隙を突いてミカロナは二人から距離を取る。
「なんで⋯⋯いや、そうか。エスト、君の能力が!」
ミカロナの『感覚支配』を、エストの『記憶操作』で無効化したのだ。
痛みという記憶を脳に保管される前に消去する。視覚は外部の映像を記憶という形で送り込む。エストの演算能力を以てすれば、限りなくゼロに近いタイムラグでそれらは行える。
「正解。キミと私との相性は最高なのかな?」
ミカロナの最大の脅威は払えた。だがそれでも彼女には『第六感』がある。敵がチートプレイヤーから界隈最強プレイヤーになったみたいなものだ。
「チッ⋯⋯」
今度はミカロナから仕掛ける。狙いはマサカズだ。
当然のように消え、当然のように目の前に現れる。だが予測できていれば対処の仕様もある。後ろ回し蹴りをしゃがむことで避けて、片足を払う。
勿論、魔女がそれで無様に転げるわけがない。ミカロナは飛行の魔法で体制を崩すことはなかった。だが、
「マサカズだけに構うなんて、寂しいね!」
エストがミカロナの背後を斬りつける。必然のようにミカロナは避けるが、エストも戦士としての技能がある。元より初撃は躱されること前提だったから、そのままエストはミカロナを斬り上げた。
斬りつけ、避けられ、またそれを何度も繰り返す。マサカズには入り込む余地がない剣戟。
「狡だぜ、全く」
愚痴を零し、マサカズはその死の嵐に剣を投げ込む。そういう記憶を送り込まれたからだ。
剣を受け取ったエストの手数は二倍となる。急な変化にミカロナは対応が遅れ──ることもなく、『第六感』で察知して対応する。
刺突、斬り落とし、斬り上げ、薙ぎ払い、多種多様な斬撃に加えて蹴りやフェイントなども織り交ぜるも、ミカロナには効果が薄い。しかし、
「っ!」
予感はできても体が追いつかない。エストのスピードはただでさえ速かったというのにより加速し、ミカロナの胸に鋭利な鉄が突き刺さる。
即死こそしない。痛みは快感だ。しかし、不安が頭に過ぎった。そしてそれは杞憂ではなかった。
ミカロナの体は家屋の壁に叩きつけられる。そう、彼女はエストによって誘導されていたのだ。
「避けられるなら避けられないようにしてやれば良いよね」
胸に突き刺さった剣に、魔法陣が展開される。色は赤。要素は〈天使の威光〉のものだ。
エストとミカロナを、神聖属性の光が包み込む。だがそれは包容ではなく、魔を焼く炎に等しい。熱と激痛を全身でくまなく感じ取る。
そして光が無くなる直前、マサカズがミカロナの居た場所を殴りつける。拳は捉えた、彼女の腹を。
女性を殴ることはハッキリ言ってやりたくない。しかし相手が魔女なら、そして彼女が今回の騒動の一端を担っているのなら話は別だ。
顔面を殴りつけ、痛みが反射する。しかしそれでは止まらない。止めれない。
マサカズの筋力は人間を越している。いくら化物といえど、華奢な体のミカロナくらい吹き飛ばせた。彼女は地面を転がる。
「わー、最低。女の子を殴るなんて」
「お前に言われたくないな」
棒読みのエストに、抑揚を込めて返す。彼女は一瞬不満そうな顔をしたが、ミカロナの声ですぐ真剣な表情に戻る。
「ああ⋯⋯痛いなぁ。凄く痛い。屈辱だよ、人間に殴られるなんてね。でも、まあ⋯⋯それが良い。この不快感は、この痛みは、この感覚は、至上の幸福だね」
ミカロナは自分を治癒魔法で治す──ことはしなかった。
「魔法はもう使えない、なんて嘘だったのかな、エスト」
「嘘はつくし騙しもする。それでも許される環境で育ってきたからね、私」
何せそれを咎める相手はその時には既に死んでいるからだ。許されるも何も、それを決めることさえできない。
「にしても変態趣味だな。痛みが好きってのもそうだが、殺し合いで傷を治さない余裕なんてあるのか?」
「節約だよ。連戦でもうそこに回す魔力がないもん。まぁ、まだ⋯⋯」
ゼロではないけどね、という言葉と共に、氷塊を生成、射出する。それをエストが前に出て斬り刻み、マサカズが続く。
足元に魔法陣が展開。マサカズは跳躍しミカロナに飛び込む。遅れて氷柱が地面から突き出たが、それがマサカズを串刺しにすることはなかった。
拳を突き出すも、ミカロナは片手で受け止める。蹴りを入れるがもう片手で止められ、投げられる。
ミカロナの後ろにはエストが居た。彼女は既に剣を振りかぶっている。
しかし無詠唱化された〈爆氷〉が行使され、エストは吹き飛ばされ、体表が一部凍る。関節を集中的に狙っていた。
そして吹き飛ばされたエストにミカロナが迫り、手を翳し魔法陣が展開される。だが、魔法が発動するより先にエストはミカロナを斬りつけるも、命中しない。
後ろから投げつけられた家屋の残骸を氷の柱で貫き止める。前後で挟撃されることを予感したミカロナは空へと跳び、
「〈零下の苦痛〉」
エストとマサカズを巻き込み、その空間を凍りつかせる。
氷点下およそ二百二十度の極低温状態。二人の体が凍り始めるが、完全に氷像になる直前に魔法の効果範囲外に逃れる。
「〈殺人氷茨〉」
複数の氷は茨を模し、自我を持つかのように、エストとマサカズを傷つけ、捕縛しようと蠢く。
エストは氷の茨を斬り落としたが、刃が欠けた。刃こぼれしたのだ、氷を斬っただけで。それに斬り落としても威力を削ぎ切ることはできず、吹き飛ばされた。
マサカズは茨を避けようとしたが、それはミカロナが操作している。そう簡単に避けることはできず、茨に捕らえられ、巻き付かれる。
棘は普通の茨とは比べ物にならないくらい太く、長く、鋭利だった。
「あが⋯⋯っ!」
肉を容易に貫通し突き刺さり、そしてそこから肉が、血液が凍結していく。皮膚を介さないため、激痛は想像を絶した。
より強く締め付ければ簡単にマサカズは死に至る。だがミカロナはそれを許さない。マサカズには死を与えない。代わりに気絶するほどの激痛を与えてやる。
ミカロナの瞳が緑に輝く。
ただでさえ絶叫するほどの激痛はより激しくなり、最早声を出すことさえできない。神経だけは凍らされず、直接神経を痛めつける。更には『感覚支配』によって痛覚が増幅されていた。
無音の叫び声、発狂にも似たそれを上げて、彼の意識は闇の中に葬られた。
乱暴に彼の体は地面に投げ捨てられる。血管は氷結しているから出血はない。
「あと一人」
家屋の瓦礫の下からエストは抜け出し、一直線にミカロナに向かう。
刃こぼれしたとは言え、人を、魔女を殺すには十分な得物を全力で薙ぐ。
長い緑髪さえ斬らせることなく、ミカロナはエストの斬撃を躱し、左フックを繰り出した。だがエストは刃を向けたためミカロナはそれを中断、反撃を避けた。
「腕の一本くらいくれてもいいじゃん。治せるでしょ?」
「無理ではないけど、ボクが不利になるなんて分かりきってるよ」
ミカロナは〈鋭利な六花〉を行使。大気中に非自然的な雪結晶が形成される。それは剃刀──とは比較にならないほど強靭かつ鋭利だが──のように、エストの身を引き裂いた。
白い服装は赤く染まる。全身の神経が逆撫でされるような激痛は耐え難い。だが、それでも止まってはいられない。
加速度は指数関数的に上昇し、つまりエストは瞬間移動的にミカロナとの距離を詰める。
予感できても情報処理機構はミカロナの従来のスペックそのままだ。『第六感』は万能ではない。ならば、予感し得た情報が脳に送られる極々短時間の間に決着させれば良い。
血を流すことはエストにとって成長となる。完全な球体は存在しないが、漸次的にそうなるよう角を削り続けることはできる。彼女にとっての負傷とはその角を削る作業であるのだ。
天才は九割の才能と一割の努力だ。しかし、その一割は常人のそれとは比較にもならない。故に、天才は何時も人の想像し得ない領域に居る。そう例えば、たった一秒で急成長することもエストにはあり得た。
ミカロナが認識、思考、想像、行動の全てができない時間の間に、エストは認識、思考、想像、行動の全てをし、彼女を上回る。
気づきたときにはもう遅い。双剣の刃はミカロナの首の両端を斬り裂き入り込む。肉がはち切れ、骨が切断され、脊髄が斬られる。
ミカロナは首を落とされた。彼女には自己蘇生できるだけの魔力はもうなかった。だから、彼女は本当の死を迎える。
しかし魔女は人間ではない。生首になっても意識はすぐにはなくならない。
残滓とも言える微かな意識、ミカロナは思った。
──これが、本当の死か、と。
「⋯⋯⋯⋯殺されたのに、なんでそんなに嬉しそうなのかな」
安らぎに、安堵に、嬉しさに満ちた死に顔。まるで看取られ、寿命を全うした人間のような笑みだった。
魔女の『欲望』は生きている限り満たされないし、死ぬとしても満たされるとは限らない。だがミカロナは最後に叶えた──最高の死を迎えるという『欲望』を。
「素晴らしいですね、『欲望』がそうでなくなった魔女の死というものは」
コツコツという足音と共に、それは現れた。
「何しろ私たちにとってのゴール。達成感に溢れた姿は正に理想となるものですから」
それは狂気だった。それは純粋だった。それは死だった。それは絶望だった。そしてそれは、魔女だった。
「先を越されてしまいました。ならば、私も早く追いかけなければなりませんね」
黒の長髪。黒の瞳。黒の服装。彼女は黒の魔女。
エストの転移に等しい速度を黒の魔女は見切り、双剣だけを的確に『影の手』で取り上げ砕き、エストの腹部に巻き付けて拘束し、持ち上げる。
「魔力が空ですね。あなたは魔女です。でしたら、魔法で殺しにかかってきなさい」
その時、エストの魔力が回復した。瞬間的に彼女の残存していた少ない魔力が増殖させられたのだ。
「⋯⋯間抜けだね、お前」
「そうですか? 私は平等主義者であるだけですよ」
返答を嘲り、エストは唱える。ならばその綺麗な顔面を虚空にしてやると。
「──〈虚空支配〉」
エスト、黒の魔女を中心として虚空が展開される。
一面はモノクロの世界へと変換され、その世界の支配者権限をエストは獲得した。
『ワタシノセカイ』では、エストは絶対だ。それが例え、最強の魔女であってもその絶対には従わなくてはならない。
「⋯⋯なるほど。これは、これは⋯⋯なんともまあ、素晴らしい」
余裕を保っていられるのは現状を理解していないからだ。しかしエストには説明義務なんてない。黒の魔女には何も分からないまま死んでもらう。
「『支配者命令:頭を破裂させ死亡せよ』」
対象は勿論黒の魔女。目の前の女だ。
命令通り、彼女の頭は風船のようにパンッという音を発しながら破裂し、脳味噌を虚空世界にぶちまける。それは生命でないと判断され色が奪われた。
「──は?」
だが、黒の魔女は死なない。
破裂した頭部は再生した。ただ、それだけのことだ。
「⋯⋯!『支配者命令:無力化』!」
黒の魔女の体から力が奪われ、彼女は立っていられなくなった。しかし、すぐさま立ち上がる。
「なんで⋯⋯」
命令は効果を発揮するが、黒の魔女は復活する。
「単純なことですよ。それが私の能力であるからです」
第十一階級魔法の現実改変。能力による現実改変。その二つに差異はない。つまるところ、これら二つの対抗には純粋な二者の力量が反映される。
〈虚空支配〉の術中に嵌った黒の魔女には、それを跳ね除けることは既にできない。それがこの魔法の絶対力であるからだ。しかし、その効果に抗うことはできる。『支配者命令』は、あくまでその副次的な権能に過ぎない。
「〈虚空支配〉は展開維持にも微量ながら魔力を消費するようですね。長くはあっても永遠ではない。⋯⋯比べますか? 私の精神力と、あなたの魔力。どちらが先に潰れるかを」
出来レースだ、そんなのは。
「私は死にも老いもしません。いくら力を奪おうとも、その力はすぐに回復させられます。あなたには私の能力を喪失させられるほどの力がない。そして私はそれさえあれば、永久に生き続けられる⋯⋯その意味が、分かりますか?」
黒の魔女は『影の手』を行使し、エストの顔を硝子細工のように優しく触り、撫でる。
「あなたが絶対者ならば、私はその絶対に縛られない『逸脱者』です」
虚空世界は閉止され、エスト、黒の魔女は現実世界に帰還する。
「⋯⋯だったら、権能ではなく力で終わらせてやる」
エストは〈虚空支配〉を元に、新たな第十一階級魔法を創造する。それが、黒の魔女を殺すための手段だ。
「──面白いですね、ああ、とても。最後の食事としては期待以上です」
黒の魔女は艶美な笑みを見せる。白の魔女はそれに扇動するような笑みを返した。
「でもそれは劇薬入りの食事だよ。だから死ね。キミの最後の食事は昨日の夕食だね。それを思い出しながら死ね」
絵を描くのが楽しくて二日くらい執筆をサボってました。
エストの新ビジュ描いてます。前よりはドレス感があるかな?