6−25 犠牲の受容
レヴィアは弓で射抜かれた。それを行ったのは誰だったのか。
「────」
セフィロト、マルクトの加護、『フシノオウジョ』は対象を殺害すると、アンデッドとして使役できるという効果を持つ。
だからだったのだろう──ユナが、レヴィアを射殺したのは。
「⋯⋯⋯⋯なんで」
アンデッドになったユナには、動きのキレがなかった。もし彼女が生者だったならば、いとも簡単にマサカズは殺せなかったはずだ。
彼の手に持つ聖剣には、血が流れていた。
ナオトもユナに殺されていた。生き残りはマサカズだけだ。そして彼は仲間を一人、自分の手で殺害した。
「⋯⋯クソが」
彼らの傷は、蘇生魔法が問題なく使えるような傷だ。しかしそれでも、仲間を殺すようなことは不愉快極まりない。最高に最悪な気分だった。
全ては黒の魔女が原因だ。諸悪の根源は黒の魔女である。奴さえ殺してしまえば、全て終わる。
ユナ、ナオト、レヴィアの死体を丁寧に並べて、マサカズは歩き始めた。
「殺す」
──最悪な気分は、より悪くなっていく。
ついさっきまで生きていたマサカズの仲間が、そこら中で死んでいた。敵らしき者も同じように死体になっていたが、彼らが死んだのは黒の教団のせいだ。
「────」
マサカズを蝕むのは憎しみだ。殺意だ。心を燃やそうとする狂気の感情だ。
憎悪はより強い憎悪を産み、殺意はより強い殺意を産む。だが、頭は冷静になっていった。殺すという作業ほど単純なものはなく、思考を整理するには都合が良いからだ。そして何より、殺してしまえば全て解決するというゴールが明確だったからだ。
「────」
マサカズが見たのは、レイ、フィル、メラリス、セレディナの死体だった。そしてそのとき、マサカズは奈落に突然突き落とされたみたいに絶望した。
彼らの死体は凡そ蘇生魔法が使えるような状態ではなかった。体の三割を超える損害があるのは、目に見えて明白だ。
「そんな。嘘。嘘だろ。嘘だと言ってくれよ」
マサカズは彼らの死体に近寄る。そして血肉を、冷えきったそれを、パズルのピースを嵌めるように集める。だが、パズルはピースが足りなければ完成しない。
「なんでだ。どうしてだ。なぜ、なぜ?」
彼は正気を保てない。彼は狂気に陥った。思考が同じところをぐるぐる、ぐるぐると回り続けている。
「なぜ、殺されているんだ。誰が殺したんだ。魔法じゃ、なんで蘇生できないんだよ」
彼は俯く。赤色に染まった地面に、透明の液体が零れた。
「皆、何で死ぬんだ。死ぬのは俺だけで、死ぬのは化物だけで、死ぬのは黒だけで十分だ。何で、お前らは死ぬんだ。何で、お前らは死ぬ必要があったんだ」
声は震えていた。そこには悲しみが篭っていた。彼は嘆き、苦しみ、泣いていた。
「嫌だ。誰も死んで欲しくない。誰も死なないでくれ。その分俺が死ぬから、俺から何も奪わないでくれ」
彼は聖剣を抜く。
「そうだ。俺が死ねば、皆助かる。『死に戻り』すれば、皆生き返るんだ。そうだ。そうなんだ。俺が、死ねば、死んじまえば⋯⋯」
そしてそれを、自分の喉に──突き刺した。
──。────。──────だが、死ねなかった。
「死ねば助かる? 君如きの命一つでボクたちの邪魔をしないでくれるかな?」
『死に戻り』をするより早く、マサカズは蘇生された。だから彼は戻れなかったし、そしてそれは死ねないことを示していた。
「『死に戻り』ね。それは君の加護かな? 効果はその口振りだと時間を巻き戻すと言ったところか。トリガーは死ぬこと⋯⋯ならボクとの相性は最高だね」
マサカズは急に現れた緑髪の少女に対し、剣を向ける気もなかった。どうせ向けても、振ることなく負けるだろうからだ。
「お前は⋯⋯誰だ?」
「ミカロナ。緑の魔女、ミカロナさ。ボクは医者でもあるんだ。だから、君の喉の傷を治してあげた。ほら、感謝しなよ」
感謝の代わりにマサカズは鋼鉄の刃を投げつけた。勿論それがミカロナを命を奪うことなんてなく、彼女は剣を掴みとって、容易に折り曲げ破壊した。
「大胆な謝礼だね。君のような男の子も嫌いじゃないよ。ああ、ゾクゾクするよ、──その殺意」
マサカズは一瞬でミカロナとの距離をなくし、拳を叩き込む。ミカロナの知る転移者たちの平均的な力からしてみれば、マサカズの身体能力は非常に高かった。しかし、それでも彼女からすれば、容易に対応できるスピードだ。
右ストレートをミカロナは躱し、続く回し蹴りを掴むと、投げようとするが、
「──へぇ」
マサカズは掴まれることを予想していたのか、彼は左足のみで跳躍し、ミカロナの顔面を潰すべく蹴りつける。
これは躱すことができず、ミカロナは左手で受け止める。だが衝撃を消すことはできなかった。
足を開放され、マサカズは自由となると、体制を崩したミカロナに再び殴り掛かる。
「いいねぇいいねぇ!」
殴りかかって来たマサカズを、ミカロナは氷の槍で迎撃しようとした。だが、マサカズはそこから消えて──
「後ろか」
マサカズは瞬間にミカロナの背後に回り込み、踵落としで彼女の頭をかち割ろうとしたが、『第六感』を持つ彼女にはまるで不意打ちとして機能せず、避けられる。
地面に叩きつけられ、痛む足に構いはしない。マサカズはすかさずミカロナの懐に入り込み、ラッシュを畳み掛ける。
「転移者としたら最高だね。君には素質がある。もしかすれば、君は転移者には例のない、魔女に匹敵する人間に成れるかもしれないね」
転移者の殆どは、殺すことに関しての素質を持たない。それは転移者のほぼ全てが日本人であることが原因なのだが、そんな中でもマサカズは特別だった。彼には、人殺しとしての、現代日本では決して発揮されないだろう殺人鬼としての才能があった。
「ただ⋯⋯それには少し時間が足りなかった。惜しいね」
マサカズのラッシュを躱し続けたミカロナは、ついに反撃に移る。彼の鍛えられた腕を掴み、引き寄せ、腹を殴る。骨なんて小枝のように折れて、マサカズは血反吐を吐いた。
「はは⋯⋯っ!」
ミカロナは蹴り上げ、マサカズの体は宙に浮き、そして落ちる直前、彼女は彼の頭を踏み付けた。額と後頭部に傷が入り、血が流れる。
「可愛いなぁ。弱いのに、そんなに必死になって」
だが傷は、一瞬で完治する。
「傷は治る。痛みも消える。でも、痛い思いはし続ける⋯⋯君はどれだけ耐えられるのかなぁ?」
ミカロナは魔法を行使する。赤色の魔法陣だ。氷の魔法だ。それはきっとマサカズを痛めつける魔法だ。
展開され、魔法陣から氷の槍が出現し──
──次元を断つ刃が、ミカロナの肘から先を切り裂いた。
「──何」
白髪の少女──エストがミカロナに肉薄し、両手に持った黒い剣を振るう。ミカロナはそれを躱しつつ自身の腕を治癒すると、彼女を迎撃すべく、氷の魔法を行使する。
「〈極冷鋭爪〉」
冷気を纏う氷の爪が作り出され、それは意思を持ったようにエストを切り裂く。だが炎の魔法が行使され、ミカロナの氷魔法は溶かされた。
火炎放射の範囲からミカロナは脱出するも、エストが目の前に転移してくる。
──何かヤバイ。
己の『第六感』がそう訴えかけて来た。だからミカロナはそれに従い、エストから余剰とも言えるくらいの距離を取った。
すると次の瞬間、エストを中心に半径十メートルに渡って白い魔法陣が展開された。その構成要素をミカロナは知らなかったが、それが人智を遥かに超えた何かであることは理解できた。
「────」
白い魔法陣は効果を発揮しなかったようだ。するとエストは急に血を吐いた。ゴホ、ゴホと咳込む。それは魔力を使い過ぎたことによる反動症状だ。
「⋯⋯何が何だか分からないけど、ともかくエスト、君は選択を間違ったようだね。そのよく分からない魔法を行使しなければ、ボクともう少し戦えただろうに」
〈虚空支配〉はまだ完璧に扱えなく、そのためエストは他の第十一階級魔法と比べて余分に魔力を消費していた。
「⋯⋯傲慢ね。緑の魔女、ミカロナ」
エストは口を拭いながら、ミカロナに話しかける。
「私が、これで終わるとでも思っていた? 魔力がなくなったくらいで。それでもまだ私は強いよ」
「ギフテッドか。神は二物を与えないどころか、いくつも君に与えているように見えるんだけど?」
ミカロナがこの台詞を言い終わる前に、マサカズが横から殴ってきた。しかしミカロナはそれを見ずに躱した。
「⋯⋯一対二か。厄介だね」
マサカズはエストの方に寄る。
「生きていてくれて嬉しいよ。あ、その傷治せないよ、分かってると思うけど」
エストの魔力はもう枯渇寸前だ。これ以上使えば命に関わる話となるだろう。
その代わりとでも言うように、彼女の持っていた片方の黒い剣を渡された。
「ああ。俺もだ。お前まで死んでいたら、いよいよ狂ってた」
発狂寸前だった精神を正気に戻したのはエストの生存だった。それが今ではマサカズの心の支えとなっている。
「──俺の『死に戻り』なら、やり直せる。やるか?」
今ならば、ミカロナに阻止されることなくマサカズは死ぬことができるだろう。そうすればここまでの死をなかったことにできる。
「博打だね。もしかすればここまでのことは奇跡であるかもしれないんだよ? 黒の教団を壊滅させ、敵はあと黒と緑だけまで追い詰めた」
マサカズは他のルートを知らない。だからこそ、今回が最善のルートである可能性もあった。
そして何より、今度死ねばどの時点に戻るのかも不明だ。無駄な死になる可能性だってある。悪化する可能性だってある。
「自殺は確定した未来を知っているからできるものだ。可能性がある以上、詰みでもないならすべきでないと思うね」
エストの言葉には一理ある。しかし、
「⋯⋯レイ、セレディナ、フィル、メラリス。この四人は復活しない。それでもか?」
蘇生魔法が使えない死体となった四人。魔法が魔法であるならば、彼らは絶対に蘇生されない。本当の意味で、彼らは死亡した。
「⋯⋯⋯⋯うん。それでも」
そのときエストが見せた顔は、酷く悲しそうだった。しかし、決意した顔でもあった。怒りに支配されるでもなく、彼女は仲間の死を受け入れたのだ。
「分かった。じゃあ、やってやろうぜ」
「そうだね」
二人は剣を構える。盾を持たない片手剣であるが、それは二人でようやく一つの武器──双剣となる。
「最期の話は終わった?」
「ああ。お前の、な」「ええ。キミの、ね」
◆◆◆
「⋯⋯マガが死にましたか」
生贄の生体反応が消失したことを確認したメーデアは、そう口に零した。
マガは、メーデアの計画において最も重要であるパーツだ。それが消失することは計画の瓦解を意味するのだが、
「悪くないですね。エスト、あなたをその代わりとしましょうか」
つい先程感じた魔力の波動。それは第十一階級魔法のものだと、メーデアは直感した。それは、エストがマガの代わりの生贄になるということの証明であったし、彼女がメーデアを消滅させられる可能性を持ったということでもあった。
「⋯⋯誰を、代わりにすると?」
声がしたから、メーデアは振り返る。
そこにはボロボロの女性が居た。ワンピースの所々は破れていて、青髪も千切れていたり、飛んでいたりして汚い。片目に傷が入って隻眼となっている。
だがそれでも、その女神としての神々しさは失われなかったし、メーデアにもそれが理解できた。
「ミカロナが無力化したと聞いたのですがね」
それは間違っていない。レネの状態ははっきり言ってどうして動けるのか不思議なくらいの重症だ。魔法的な処置はされていないから、傷は今も痛むはずで、普通ならまだ気絶しているものだろう。
「私の体が動くなら、私の目の前に傷つけられる人がいるならば、私は誰かを見捨てるなどできません」
レネの右手に赤色の魔法陣が展開される。
「時間稼ぎだとしても、ほんの僅かでも意味があるならば、私はそれを全力で成し遂げる! 例え、私が死に至るとしても!」
神聖な力を内包した無数の氷塊がメーデアを目標に撃ち出される。メーデアは『影の手』でそれらを全て破壊して、レネの首をねじ切って処刑することを決定した。
しかし、『影の手』はレネの首を捻ることを、障壁によって遮られた。
「⋯⋯『影の手』を防ぐとは。その能力、素晴らしいですね」
メーデアは初めて、回避される以外で『影の手』を防がれた。レネの防御系能力は、『逸脱者』であるメーデアの能力に効果を発揮するほど高い性能だったのだ。
「どうしてこうも、ルトアの娘であったり、友人は私を愉しませてくれるのでしょうか」
メーデアはレネを相手に本気を出すこととする。イザベリアと同じように、彼女を相手にしなくてはならない。そうしなくては、きっとレネの防御力を貫通できないだろうからだ。
「さあ、来てください。あなたの時間稼ぎに付き合ってあげましょう、青の魔女、レネ」
津波が凄く怖かったです。私の住んでいるところでは特に何もなくて、本当に良かったです。