6−24 最強の魔女
数え切れないほどの本数の『影の手』を、メーデアは全て完璧なまでに、それこそ自分の手のように扱う。
『影の手』がイザベリアの命を徹底的に壊しつくそうと襲ってきて、彼女の体を掴み、潰す。
しかし、メーデアに殺した感覚はなかった。そして背後に殺気を感じた瞬間、彼女は無数の紅い水晶が飛んでくるのを見た。避けることはできたが、避けないことよりそれには、魔力を消費するというデメリットがあったため、メーデアは敢えて紅い水晶を受ける。
メーデアの身体は水晶化し、趣味の悪い人形が出来上がる。だがイザベリアはそれで満足せず、魔法を唱えた。
「〈無限結界〉」
白系統第十一階級魔法に分類されるその魔法の効果は、対象を無限の結界により封印するものだ。効果に囚われれば内部からの脱出は不可能である。
「ふーむ。それの意味は『無限』ですか。インフィニティ⋯⋯『永遠』を意味するエターナルとは同義語でしょうか?」
赤い水晶となったはずのメーデアだったが、彼女の能力でその状態から回復した。
「実のところ『無限』という概念が理解できないでいたのです。言葉の意味が分からないなら、魔法は使えない。皆さん知らないようですが、魔法には想像力が必要なのですよ。単に知った気になっている程度でも十分なのですが、私には悪い癖がありましてね。実際に見たものしか理解できない。覚えていられないのです。ですが、私は完全な『無限』という概念を観測し、理解できました」
イザベリアは紅い水晶を剣状に生成し、それをメーデアに飛ばす。すると彼女の瞳が黒く光り輝き、水晶は勢いを失い、あまつさえイザベリアに飛んできた──否、返された。
「今、創りました。『魔力支配』とでも命名しましょうかね。魔力を含むものを支配する能力です。ただこれも理解する必要があるようですね。紅い水晶は一度受けたからこそ支配できますが、他の私の知らない魔法、あるいは理解できない生物は、私の支配下に置けませんね」
『影の手』がメーデアの足下から無数に出現し、イザベリアに向かう。彼女は空中に逃げるが、『影の手』は追跡を辞めない。
「チッ⋯⋯」
魔力を持つものを支配する能力、なんて狡にも程がある。試しに〈紅水晶〉を行使してみたが、同様に撃ち返された。
「無駄だと言ったでしょう?」
そんな能力の存在は本当のようだ。つまりこの魔法はもう使えない。
イザベリアの飛行速度は〈飛行〉の魔法とは比べ物にらないくらい速いが、それは単に彼女の魔法行使能力が非常に高いだけであった。しかしそれでも、メーデアの『影の手』から逃れることはできず、少しずつ、少しずつそれとの距離が縮まってきている。
『影の手』がイザベリアを回り込み、前方に現れる。彼女は空中で急停止し、後方に一回転しようとしたとき、
「しま──」
メーデアがイザベリアの真上に転移して来て、赤色の魔法陣を展開していた。その魔法は〈爆衝撃〉。ノックバック性能に優れた魔法だ。
魔法に抵抗することは叶わず、イザベリアの体は地面に叩きつけられる。石畳は衝撃で跳ね上がり、クレーターを生成した。
メーデアは愛想と加虐嗜愛に満ち満ち、嫣然とした笑みをイザベリアに見せて、〈紅水晶〉を行使する。
魔法陣は数えることも嫌になるほど多かった。回避不可能だ。
紅色の死が文字通り豪雨のように降り注ぐ。地面は、建物は、そこにあった死体も水晶化していく。およそ三秒の掃射の後、メーデアは魔法行使を終わらせた。
「素晴らしいですね、この魔法。消費魔力量が効果に対して少ない」
「でしょ? 丸一日掛けたからね」
イザベリアは無傷で先程の掃射を回避し、メーデアの周囲を紫色の水晶の篭で囲む。
「⋯⋯殺せないなら生きたまま捕らえると言うことですか」
メーデアは魔法を行使し、篭の破壊を試みるが、篭は傷一つもつかなかった。
「〈世界を──」
「〈完全魔法遮断領域〉」
篭内でのあらゆる魔法行使が無力化される。しかしそれはイザベリア自身にも効果を発揮し、篭内はある意味で魔法を絶対に通さない安全域にもなった。
「外部からの魔法的な救助は見込めないと思った方が良いね。物理的であっても、その篭はそう簡単には壊れない」
「そうですか⋯⋯考え得る対策法では、なるほど、最善と言えますね」
メーデアの黒い瞳が煌く。だが──強い光が、篭内を照らした。
「その能力は影がないと使えない。大方自分の影を操り、実体化したものなんでしょ?」
イザベリアの推論は間違っていない。メーデアのこの能力の原理はまさにその通りだったため、影は消滅し、『影の手』も使えなくなった。
「⋯⋯では、これからどうするのですか? この檻は物理的破壊耐性は絶対でないようです。それに私の部下たちも未だ現存しています。しかしあなたは私を見張らないといけない」
イザベリアがここを離れたなら、メーデアはきっと『影の手』で檻を破壊するだろう。そしてイザベリアがそれを阻止したということは、檻はそれで壊れる、もしくは壊れる可能性があることを示唆していた。
「⋯⋯信じる。彼らがお前の信者を殺し尽くすのを、ね」
「それもまた美しい信頼関係ですね」
メーデアは篭の格子に背を掛け、休む体制に入る。
そんな彼女に対して、イザベリアは質問を投げかけた。
「今度はこっちの疑問に答えてもらおうか。お前は何が目的だ?」
メーデアはイザベリアの質問に対してほんの僅かに目を開き、驚いたようだった。
「まさか、知らなかったのですか? あなたが?」
「⋯⋯確認だよ」
メーデアは既に、自分の目的が知られていると思っていたからだ。尤もそれは合っていた。イザベリアともあろう者が、わざわざ確認するとは思っていなかっただけで。
「そうですよ。あなたの思っている通りです」
メーデアはイザベリアの方に近寄る。彼女は少し警戒し、魔法遮断領域外で水晶の剣を創造した。
「──世界を滅ぼすこと」
事前に、それは分かっていた。この大陸のほぼ全ての国々を滅ぼす理由なんて、それが目標であるからだ。しかし、事実を張本人から聞くと、驚きを隠せない。
「⋯⋯ですがまあ、あなたは⋯⋯いや、あなたたちは勘違いをしているようですね?」
そして続くメーデアの言葉は、よりイザベリアを驚愕させた。
「世界滅亡。それはこの世界の知的生命体を殺し尽くすことではありません。言い換えるならば──『消滅』ですよ、私の望みは」
人々を、動植物を、知的生命体を、生きとし生けるもの全てを殺し尽くすのではない。この世界という存在自体を殺す。
「なっ⋯⋯そんなことをすれば、お前も」
「そうでしょうね。私も世界と心中するでしょう」
つまり、黒の魔女の『欲望』は、
「──傍迷惑な自殺志願者め」
世界全体を文字通り巻き込んだ集団自殺だ。
「⋯⋯なせ? なぜ、お前はそうして自殺を選ぶの?」
メーデアは笑顔を見せた。狂気がない、おそらく彼女が初めて他人に見せる純粋無垢な笑み──そして純粋故の凶悪な笑みだ。
「──退屈になったからです。終わりたいからです。そして終わらせるなら、私という存在を生んでくれた世界と共に、私のこれまでを彩ってくれた全てと共に、最期を迎えたいと思ったからです。私とて孤独に死ぬのは怖いものですからね。皆さんを、私の手で、私の力で、私の意思で、私に最期の輝きを魅せてください。ありとあらゆる終わりを、私に堪能させてください」
メーデアは言い終わると、水晶の格子を触り──それを砕く。イザベリアの予想以上の怪力だ。
瞬間、メーデアはそれでイザベリアに殴りかかった。
速い。見えない。フィジカル的にもメーデアは化物だった。
空を斬る音は実際に振られるそれに遅れているようだった。つまり彼女のスピードは音を超える、何も自己強化の魔法を行使せずとも。
イザベリアは自己強化魔法を多重させてようやく回避できるくらいだった。
メーデアの影から手が現れ、イザベリアは発光の魔法を行使しようとしたが、その隙をメーデアは逃さない。すかさず折った水晶を投擲し、命中。イザベリアの心臓を的確に貫いた。
「がっ──」
そして消されなかった『影の手』がイザベリアの両手両足を掴み、拘束する。そのまま動けなくなったイザベリアに突き刺さった水晶をメーデアはより深く刺した。
絶叫が響き渡る。
「死なせませんよ。あなたを殺せば、時間が巻き戻る。そうでしょう?」
明らかにイザベリアは即死の傷を受けているが、それでも死なないのはメーデアが治癒しているからだ。本当の意味で、イザベリアは死なないように殺されている。
「なぜ、知って」
「推察しました」
メーデアはイザベリアの四肢の関節という関節を真逆に折る。再びイザベリアは金切り声を上げた。
痛みはすぐさま暖かさによって消え去るが、折れた関節が戻ることはない。
「私も日々学ぶ。痛み、出血、即ち死に繋がる要素を排除しつつも、壊した部分は治らないようにする治癒魔法の使い方です」
そしてメーデアはイザベリアの声帯を指で刳り取った。激痛と刳られた肉は一瞬で完治するが、失われた声帯は戻らない。
「第十一階級魔法は私たちでさえ詠唱が必要。声を失えば、唱えることはできないでしょう?」
第十一階級魔法は無詠唱化できない魔法でもある。少なくとも現時点ではそうだし、それが事実である可能性は九割を超える。
「尤も、最早意識さえ保っていないようですが」
イザベリアの表情は廃人そのものだ。
メーデアの時間は巻き戻っていないし、イザベリアは沈黙している。
「⋯⋯ふふふ。少し危なかったですが、危険因子は排除できましたか」
メーデアがこれまで会ってきたいかなる相手より、イザベリアは単一としても、そして多数と比べても最強であった。
メーデアが負ける可能性もあったほどだ。彼女に勝てる可能性がある時点で、イザベリアは賞賛に値する存在であった。
「あなたは強かった。ですが⋯⋯あなたはあくまで『最強の魔法使い』でしたね」
イザベリアは沈黙したが、死んだわけではない。拘束する必要があるだろう。だから、メーデアはイザベリアから盗んだ〈紫水晶〉で彼女を拘束する棺を作成した。
そして次に、ある悪魔を召喚する。
「⋯⋯⋯⋯黒の、魔女様」
召喚された悪魔は一瞬でメーデアに跪く。良く見ればとても怯えていて、体は震えているし、声もそうだ。それは死を前にした弱小な人間に近い様子であった。
「あなたには心底失望しました⋯⋯と言えば嘘になりますかね」
前半の台詞で悪魔はこれ以上にないくらい恐怖に怯えていたが、後半の台詞では少し安心したようだった。メーデアにはそんな感情の動きがよく見て取れた。
「すみません。折角、再戦と機会を与えられたと言うのに敗北してしまい⋯⋯」
悪魔──セフィロト最強の存在、ケテルは、今、三度目の召喚を遂げた。
二度も白の魔女、エストに敗北するという失態。どちらも『契約』において死ぬことはなかったが、ケテルは今度の召喚は真なる意味で殺されるためのものであると思っていた。
「いえ、謝る必要はありませんよ。負けても別に構わなかったので。しかし⋯⋯次こそは失敗は許されませんよ、ケテル?」
威圧感、重圧感、そして殺意がそこに加わり、ケテルは大岩を背負っているかのような錯覚に陥った。
呼吸ができないし、冷や汗も止まらない。メーデアの本当の殺気に、ケテルは顔を上げることさえ許されず、視界も真っ白だし、音も何も聞こえない。
ただ、メーデアの美しく艶があり、しかし絶対者らしい聞いた者に畏怖を抱かせる声は、鮮明に聞こえた。
「そこの始祖の魔女、イザベリア・リームカルドを何者にも助けさせないように。そして助けようとした者を必ず殺すように。これを失敗すれば⋯⋯死という慈悲も与えません。永劫を虚無の中で過ごすことになるでしょうね」
世界を終わらせたあとでも、ケテルだけは生かし続ける。万物が消失したあとのその空間は虚無そのものであり、あったとすればそれは実態を持たない虚数的存在だけだろう。
それは完全なる孤独だ。それは終わらぬ悪夢だ。死よりも恐れるべき叶わぬ終焉だ。
死という慈悲。終わりのない終わり。それがケテルに唯一許された永久に続く贖罪。
「はっ。必ずや」
そしてケテルは、その命令に従い、成し遂げるしかない。
だがしかし、ケテルには命令を成し遂げられる力を手に入れていた。それはメーデアがセフィロトたちに与えた力ではない。ケテルが『魔の世界』で獲得した他を絶する圧倒的な力だ。
悪魔の世界における最高位種族。以前までのケテルは侯爵悪魔であったが、その上位種公爵悪魔でもない。それらの更に上位である、
「頼みましたよ、地獄の王、悪魔の支配者」
──皇帝悪魔だ。
いよいよ第六章も終盤です。