6−23 逸脱者
赤黒いオーラは実体を持っていた。そして、それはマガの一部であり、魔法のようにレイは消失させることはできなかった。
「────」
「さっき会ったときは随分お喋りだったのに、今や無口だね」
マガ──赤黒い長髪、赤と黒を基調とした服装の美少年。彼の半身には黒い未知の紋様が描かれている。その瞳には光がなく、そして口も一切開かない。叫び声を上げたりはするが、会話らしい会話は元より、よく分からない独善思想さえ口にしない。
だがしかし、その能力は先程と変わらないどころか、寧ろ上がっていた。
否、能力自体は上がっていない。マガは救うのではなく、殺すために力を使うようにしただけだ。痛みさえ感じる暇を与えずに救うのと、何が何でも殺すのとではわけが違う。
「──ッ!」
マガは跳ぶ。背中から赤黒いエネルギー、『禍』が触手のように展開され、それらはエストたちを襲う。
勿論、エストたちも抵抗せずに殺される気はない。セレディナとレイが前に出て、それら触手を黒刀と鎌で受け止めた。
「フィル!」
「エスト様!」
名を叫ばれた二人は同時に〈次元断〉を行使する。展開された白の魔法陣から不可視の斬撃が飛び出し、マガを狙う。
マガは魔法が使えない。同じく空間魔法でしか〈次元断〉は防御ができないため、彼はそれを躱した。
「〈災禍・崩〉」
マガは左腕を薙ぎ払うと、禍々しい色の斬撃波が生み出される。
「避けろ!」
セレディナとレイでもあの斬撃は受け止めきれない。だから四人は跳躍することでそれを避けた。
斬撃波は家屋を真っ二つに裂く。あんなものに当たれば即死は免れないだろう。
「インチキにも程があるんじゃないかな」
フィルは目の前の禍を見てそう口に溢した。
白の魔女、エスト。魔王、セレディナ。虚飾の魔人、レイ、強欲の魔人、フィル。全員が全員世界最高峰クラスの強者たちであるにも関わらず、マガというたったひとりの少年に苦戦を強いられている現状はハッキリ言って最悪だ。
「〈滅禍〉」
『禍』の棘がエストたちの体を穿くように生み出される。空中にいる彼らにとっては回避が困難な一撃であるが、マガの技は殆ど即死級だ。死ぬ気で生きなければならない。
各々刀、鎌、魔法で棘を破壊することに成功したが、その衝撃を完全に打ち消せたわけではなかった。
「ぐっ⋯⋯!」
四人が着地したとき、無傷だったのは一人もいない。
エストは左肩に棘が刺さって風穴が開いているし、レイは右脇腹が抉られている。セレディナは右手が小指と薬指を残して消し飛んでいるし、フィルに至っては右腕の肘から先がなくなった。
無詠唱の治癒魔法で傷を即完治させたり、吸血鬼としての生命力で再生したりするため致命傷にはならないが、全力で防御してもしきれない事実が力量差を物語っていた。
「本当、化け物だな」
セレディナが黒刀を構えた直後、マガが突っ込んでくる。触手が振られた黒刀を受け止め反撃のモーションに入ったが、エストが〈次元断〉で、セレディナの頭をぶち抜くはずだった触手を切断。続いてレイの鎌がマガの首を刎ねるべく振るわれ、フィルの水晶の弾丸が彼の体に無数の風穴を開けるために放たれるが、
「〈風禍〉」
それら全て、赤黒い風によって吹き飛ばされた。
『禍』が四人の命を直接傷つける。裂傷が全身の至るところに刻まれるが、比較的それは見た目より軽症だ。
しかし、その技は対象にダメージを負わせるためのものではない。
「厄介ですね」
傷は治癒、再生させられるが、無限ではない。持久戦は不利になることくらい容易に理解できる。だから、狙うは短期決戦だ。
「〈裂風〉」
マガを中心に斬撃を伴う竜巻が発生する。それはマガの体に傷をつけたが、直後彼の『禍』によって相殺され、傷も赤黒い半固体状のものが埋め、変色し元通りになって完治する。
「〈魔法強化・大火〉」
「〈階級突破・煌く結晶矢〉」
マガと周辺を燃やし尽くすかのような業火の柱が立ち上がる。酸素はマガを燃やすために使われ、地面は炭化した。
そして光り輝く矢を模した結晶が炎を通り、マガを突き刺す。普通ならば追討ちになっただろう一撃であるが、ことマガにおいては連撃となる。
焼け爛れた肉は焦げ臭い匂いを発し、体毛や服は焼失していた。結晶は突き刺さっていて、そこから致死量を超えるだろうほどの黒い血が流れている。
しかし、それでもマガは立っていた。
「──ッ!」
セレディナはその焼死体と遜色ないマガの胴体を真っ二つにしようと黒刀を振るう。長い刀身が彼の体に触れる瞬間、セレディナの胸を『禍』が穿き、そのまま引き裂こうとしたが、レイの鎌によって触手は切断された。
穿かれた胸が塞ぐセレディナを傍目に、エストは困惑していた。
「嘘でしょ⋯⋯?」
マガの体は『禍』に包まれ、そして気づけば服まで元通りとなっていた。
完全な自己再生能力を見せつけ、マガは姿勢を低くする。そしてその後の変化が、エストたちから言葉を奪った。
──マガの心臓に穴が開く。しかしそこから血は流れず、代わりに黒の煙のようなものが漏れ出た。それはやがて線となり、纏わり付くようにマガの全身を覆う。彼の半身にあった紋様が付け足され、それは全身へと広がった。
髪は赤黒から白に変化する。片方の瞳は黒洞々としていて、そこに光はない。もう片方の瞳は同じく真っ黒だったが、充血でもしたように赤色の線が入っている。
冒涜的かつ神秘的。叛逆的かつ恭順的。暗く、そして明るい。弱者にして強者。悪であり善なる存在。
神に対しての天邪鬼。狂気に対しての下僕。相容れぬ逆存在の完璧な中間的事象、あるいは文字通りの両極端的現象。
運命おける例外的事柄。奇跡とも言える天文学的確率さえも存在しないが、命運における絶対。
形而上、形而下のうちのどちらにも属さず、しかしどちらにも属する。それは分類できない。それは分類することしかできない。不明であり、解明済み。過去であり、未来。普遍的であり、変則的。
────人間であり、人間でない化物。
人間がそれを人間と呼ぶならば、それは人間となる。
化物が彼を化物と呼ぶならば、彼は化物となる。
それが自分は化物と言ったなら、それは人間となる。
彼が自分は人間だと言ったなら、彼は化物となる。
命は始まりから終わりまでが決まっている。レールは開始直前でも直後でも、ずっと前からもずっと後からも敷かれておらず、それが決定するのはその命が生まれたその時だ。瞬間でなく完全な同時に、それの全ては決定される。そしてその決定の下、ありとあらゆる、つまり全に矛盾は生じないようプログラムされる。
だが、全知全能の神などは存在しなかった。その証明は既にされている、全知全能なんていう言葉が作られたその日以前に。
世界は決まりきったルートを辿るだけの一方的な流れだ。時間はその指標に過ぎない。
世界は確実性で構成された箱庭。言い換えるのであれば物語。最初から最期は決まっている。そしてその最期は、静かな終焉。安楽的な死だった。
しかし、だが、けれども、世界は欠陥を孕んだ。
一人目は変化性。観測し決定されたはずのレールを自らの意思によって切り替え、作り変える。その力は他者にさえ、果ては世界にさえ影響を及ぼす。
二人目は不確実性。レールが存在せず、彼女の命運は闇、あるいは光に支配され、満ちていた。他の人生との擦り合わせはできず、不確実性は伝染していく。
三人目は破壊性。本来あったはずのレールを、万物の終わりまでの道を、徹底的に破壊するための中心核。
そしてその三人目こそエストたちの目の前の少年である。
そしてこの三人──イザベリア・リームカルド、メーデア、マガこそが世界における三つの特異点であり、異物である。
彼は世界という概念存在の一部であるもの、もしくは守られたもの、あるいは支配されたもの、または呪縛されたものではなく、除外されたもの、もしくは反発したもの、あるいは逃げ出したもの、または壊したものである。
即ち──マガは『理外の存在』だ。
◆◆◆
「────ッ!」
マガは、化物は、『逸脱者』は、咆哮を、雄叫びを世界に響かせる。
直後、彼の姿が消え去った──否、速すぎて見えなかったのだ。気がついたとき、レイの頭はマガに握られ、地面に叩きつけられていた。
凡そ生物が出して良いパワーではない。家屋一つを丸々粉々にできそうなくらいの破壊力だ。それは巨大なクレーターを生成し、その中心にレイは居た。
マガの腕から無数の『禍』が出現。それは最早意識を失い動けなくなったレイの体に突き刺さされ、次の瞬間、レイの体は八つ裂きにされた。
見ていることしかできなかった。手出しをするという判断は文字通り致命的なまでに遅れた。それくらい、残された三人は生物的な恐怖を覚えていたのだ。
──アレは生物としての格が違う。
──アレは生物にカテゴリーされてはならない。
──アレは破壊の化身だ。
「──ッ!」
瞬く間に今度はフィルが死んだ。何が起こったか、ひと呼吸の間、マガからセレディナを庇って死んだということを、当の本人とエストは理解できないでいた。
本当に、全く、見えない。
「──しま」
そして、エストの目の前でセレディナの頭は潰れた。心臓は抉られた。内蔵がブチまけられ、ほぼ全ての血液を頭からエストは被った。
マガはセレディナを殺害した。
「⋯⋯⋯⋯」
エストは後退り、倒れ込む。
彼女は今、今まで生きてきた中で最も強い恐怖に苛まれている。頭が動かない。何も考えられない。ただ怖いという言葉が頭の中で連鎖する。
顔面はこれ以上にないくらい蒼白しており、恐怖による涙が目の端から流れている。口は半開きであるし、失禁もしていたが、それにエストは気づいていない。
「何⋯⋯して、やがる」
メラリスは目の前の惨劇を信じられなかった。
フィルは死んだ。仕えるべき主、セレディナも死んだ。人形のように、何の抵抗も許されず、ゴミのように殺された。
彼の瞳はエストを捉えず、光り輝く。能力が発揮され、この辺りが灼熱地獄になるかと思われた次の瞬間──メラリスもまた、刹那さえも持たず、即死した。首、両手両足が捻り切られた。
「────」
考えることを放棄したエスト。化物から目を逸らそうとする白の魔女。それは、死を受け入れることに等しい。
──だが、そんなこと、許されない。
──────抗え。白の魔女、エスト。お前はルトアを超える魔女になるのではないか? お前はその仇を殺すのではないのか?
「うああああああああッ!」
──死ねない。死ねるものか。死んでたまるか。ここで殺される気なんて毛頭ありやしない! 私は、黒の魔女を殺すと、母さんの仇を取ると誓った!
エストは恐怖を跳ね除ける。白の魔女は叫ぶ。全身全霊、生きたいと願い、殺したいと『欲望』を抱く。
そして彼女のそれは無意識だった。魔女としてのプライドなんて意識外だ。泥臭くても、成し遂げるため。
覚悟が、エストを突き動かした。
──〈虚空支配〉
その時、展開された白魔法はあまりにも不完全だった。だがそれでも構わない。消滅せずに展開しきられたのならば、不完全でも効果はある。
魔法は『世界の理』そのもの──否、それどころではない。別の世界に影響を及ぼした。エストはその世界の支配者に君臨し、マガをその世界に引き摺り込む。
──白と黒のみで構成された世界。そこに生命体は本来存在しなく、あるのは無機物と、自然に酷似したその偽物だけだ。
そんな中、色がついた生者が二人居た。マガと、エストだ。
「────」
両者とも、現状に困惑している様子はない。何せ片方はそんなことを気にしておらず、目の前の少女を殺すことしか考えていないからだ。もう片方は現状についての情報をある程度頭の中に記憶され、知ったからだ。
マガは目にも止まらぬ速さでエストに死という暴力を振るうため、肉薄する。エストはそれを見切れなかった。しかし──それは行われなかった。
「────」
もう一度、マガは同じことをする。だがもう一度もなにも、一度たりとも彼は何もしていない。
「⋯⋯『支配者命令:無力化』」
その瞬間、マガの『禍』は封印された、呆気なく。それどころかマガは指一本も動かせないほど力を発揮できなくなり、死ぬように倒れ伏せる。
「『支配者命令:譲渡』」
そして、今度は封印された力が喪われた──エストがマガの力を奪ったのだ。確かにそれそのものを変哲なく奪ったわけではない。エストは『禍』の力を、自分に適した力に変換して奪った。
二回の権能の行使で、エストはこの魔法の使い方を完全に理解した。もうこれでマガは用済みだ。
「レイとセレディナたちを殺した報いだ。『支配者命令:自殺』」
支配者命令は絶対である。この『虚空』において、エストは絶対の最上位存在である。そのため、彼女の命令に逆らうことは決して不可能だ。逆らう方法は、そもそもこの世界に引き摺り込まれないことか、同じ第十一階級魔法、〈虚空支配〉を行使して、エストの虚空の支配権限を消失させるかの二つだけ。
そしてマガは、このどちらも行えなかった。
今の彼は非力でまともに動けもしないのに、体は自殺以外の行為をしようともせず、ただ思考のみ自由を与えらたマガは、弱い弱い力によって、ゆっくりと少しずつ自分の首を毟る痛みを感じながら死んでいくしかなかった。
エストはそんなマガを虚空に閉じ込め、その世界を去った。