6−22 死者への冒涜
死の騎士、デスナイト。それの材料の面影は既にないが、元人間であることには変わりない。
マルクトの加護、『フシノオウジョ』は、格下の生者を不死者に変貌させ、使役する力だ。殆どはゾンビやスケルトンという低位のアンデッドとなるが、数体程度であれば高位のアンデッドにも変貌させられる。
そしてマルクトの使役するアンデッドは自然発生するそれより遥かに強力であった。
「────」
バスターソードが薙ぎ払われるが、ナオトは飛び込むようにして斬撃を躱し、デスナイトに直行。両手の短剣を逆手に持って、兜の隙間に突き刺す。
手に伝わる肉を刺す感覚。しかし殺す感覚ではなかった。ナオトは顔面から腐った返り血を浴びて、それからデスナイトの鎧を蹴って後転宙返りし、離れると、先程まで彼が居た場所を刃が空振りした。
一歩間違えば自分をも斬っただろうが、アンデッドは自傷行為を厭わないし、大した問題にもならない。
「っ!?」
デスナイトは盾で全身を守りつつ、ナオトに突進してきた。車が突っ込んでくるようで、威圧感と切迫感を纏っていた。
避けようにもデスナイトは速く、ナオトは轢かれ、空中に打ち出される。デスナイトは追撃を加えようとするが、
「〈爆矢〉」
矢が鎧に突き刺さることはなかったが、炸裂弾のように背中で爆発する。
それはデスナイトの鎧を壊すことはできなかったが、衝撃を与えることはできたようで、デスナイトは蹌踉めいた。それに気がついたユナはすかさず両足にも同じ戦技を使って矢を放つと、二本の矢は狙い通りに膝の後側に突き刺さって爆発する。
風を置き去りにしてナオトは走り、デスナイトの頭にドロップキックを叩き込む。正に阿吽の呼吸と言うべき絶妙なタイミングだったため、デスナイトは仰向けに倒れた。
「今だ!」
ユナはナオトの合図に従い走り出し、矢を弦に掛けるのではなく逆手に持つ。そして〈爆矢〉を詠唱し、それをデスナイトの兜の隙間に突き刺した。
外部からの爆発は駄目であるが、内部からの爆発は有効的ではないか。答えは是。デスナイトの頭部は鎧の中で細々とした肉片になれ果てた。しかし、デスナイトは化け物だ。生物ではないアンデッドの騎士だ。頭が潰れ、破裂し、消失したところで死ぬことはない。
「────っ!」
ユナは血を吐く。彼女の胸を、心臓を、デスナイトの剣が貫いたからだ。そしてデスナイトは彼女のまだ温かい死骸を剣から抜き取り、それを、
「っ⋯⋯!?」
まるで矢のようにナオトに投げつけた。ナオトはそれを受け止める。避ければ死骸はグチャグチャの肉片となっただろうからだ。しかしそれを知ってか知らずか、デスナイトはナオトに間髪入れずに斬りかかった。
それを眠れるお姫様のように抱えたままデスナイトの剣戟を回避する。だがそれの重量はナオトから必要以上に体力を奪っていた。
「クソっ!」
ナオトはそれをできるだけ優しく投げ捨て、デスナイトのバスターソードを両手の短剣で受け止める。
「クソがっ!」
そして受け流して、ナオトはデスナイトの中身のない空白の兜を蹴り飛ばした。首も勿論消し飛んだため、そこに見えるのは首の断面だ。血が溢れていて、絶えず流れ続けている。
振り降ろされた剣をまたもやナオトは受け止める。しかし今度は横からのシールドバッシュされたことによって右肩、肘の関節が外れ、腕の骨が粉砕される。
地面を一度バウンドしつつ回転するも何とか立ち上がり、クラウチングスタートのような体制から急加速し、ナオトは弾丸のようにデスナイトに飛び掛かる。
右腕の痛みに顔を顰めることも忘れ、ナオトは動く左腕を前に突き出す。
アンデッドとは言っても、破壊されては不味い器官はいくつかある。その代表例が頭部であるのだが、一部例外はそれが破壊されたとしても死ぬことがない。
だが、重要な器官がいくつも破壊されたならば、流石の例外的なアンデッドと言えども活動を停止する。
そして脳以外の重要な器官こそが、
「心臓──!」
ナオトはデスナイトの首の肉を短剣で抉り取る。デスナイトは自身の危機を察したのか、ナオトをユナのように串刺しにしようとするが、
「間抜けが」
ナオトの体は黒色の液体となり、デスナイトの影に零れ落ちる。
デスナイトは対象の位置を感覚で把握していた。目を失った今、デスナイトの視界は真っ暗闇だった。だからこそ、デスナイトは狙いを外し、自分の鎧を自分で刺した。
バスターソードは鎧を突き破れず、折れる。そして脅威が去った直後、ナオトはデスナイトの首の断面に左腕を針のように突っ込んだ。彼の腕は冷たい肉を貫通し、鼓動を感じた。だから、ナオトはデスナイトの心臓を握り潰した。
騎士は倒れ伏せる。
「──ユナ」
ナオトはようやく、右腕の痛みを感じた。気絶しそうになったが、それでも彼は彼女の死体に手を伸ばす。
まだ温かさはあった。しかし、薄れ──神崎由奈は死亡した。
それを理解した途端、ナオトの視界はボヤケた。涙が流れているのだ。しかし、まだ泣き喚くには早すぎる。まだ何も終わっていない。
「気絶、してる暇、なんて⋯⋯」
眠たいし、痛い。死ぬことはないだろうが、それでもナオトの体は、心はもうボロボロだった。
「⋯⋯はっ⋯⋯ま、だ⋯⋯終わっ⋯⋯ない、の、に⋯⋯」
──ナオトの意識は途絶える。
◆◆◆
以前、マサカズはケテルには手も足も出なかった。動きさえ見切れなかった。あれから彼は強くなったが、それでもケテルを殺せるかと聞かれれば首を横に振らざるを得ない。
──そして、マルクトはそのケテル以上の能力を現在、保有している。
「っ!」
断言できる。マルクトの力は魔女にあと一歩で及ぶほどだ。唯一の救いは、彼女はそこまで戦闘技術に優れているわけではなかったことである。力こそあれど、スピードこそあれど、剣の扱いは素人同然だった。だから、マサカズはマルクトのスピードに追いつくことはできずとも、剣筋を予測して回避することは、本当に間一髪ではあるが可能だった。
「そんなものかよ。まるでド素人だな。本来格下であるはずの俺に傷一つつけられないなんて」
「だって実際ド素人なんだもの。それに、口では余裕そうだけど、お前もわたしに傷一つつけていないわよね?」
「どうだろうな? 殺せなくて焦っているのは、お前の方じゃないか?」
「あたかも他人のことを言っているように、自分の状況を頭の中に留めず独り言みたいにわざわざ口にしたけど、お前の世界じゃそれが一般的なのかしら? 異文化はやっぱり奇妙に思えるわ」
挑発も受け流され、更には返される。
状況としては最悪でもあるが、そうでないとも言える。
マルクトの扱っている剣はただの剣ではない。『生きている武器』とも異なる。近いものを挙げるとするならばそれだが、正しくは『武器を模したアンデッド』だ。
マルクトが持つ剣は骨でできている。柄の部分が人間の手のようで、そこから刃を持つ骨が伸びている。二つのスケルトンの歪な腕が絡み合っているような外見だ。
形状的、大きさ的に近いのはレイピアの前身とも言われるエストック。リーチは百三十センチメートルほど。それをマルクトは振り回している。
(本来は刺突専門の武器。だから切断力は弱いはずなんだが⋯⋯)
それは、普通の人間が扱うならば、の話だ。
本来の扱い方でなくても、使い手が化け物なら凶器は凶器のままである。
勿論、子供のお遊びのように振り回されているだけの骨のエストックでも斬られれば、マサカズの体ごとき簡単に両断される。
「埒が明かない⋯⋯」
ずっとマサカズはマルクトに対して、回避行動しか取れないままでいる。
マルクトはマサカズを必ず殺さなくてはならないことなんてない。黒の魔女が『計画』を終えるその時まで、時間さえ稼げば良いだけだろう。
もしかすれば助けに来てくれるかもしれないから、マサカズもその時間稼ぎに乗る選択はある。だがこれはリスキーだ。助けが来てくれるなんて確信できない。
「──っ!」
マルクトのエストック捌きはどんどんと良くなっていっている。戦いの最中、彼女はどのようにしてマサカズを殺そうかと考えているからだろう。
そう、彼女は時間稼ぎになっても良いし、マサカズを殺したって良いのだ。
不意に繰り出された刺突攻撃をマサカズは受け流し切れず、左肩に突き刺さる。
肉が裂け、抉られる。痛みは熱さのように感じられ、神経を逆撫でされるこの感覚はいつになっても慣れない。
しかし、でも、いやだからこそ、マサカズは気がつけたのだろう──勝てる可能性に。
「な⋯⋯!?」
マルクトはエストックを動かせなかった。よりマサカズに深く刺すことも、抜くこともできなくなった。そういう細工をしているわけではない。
理由は単純明快──マサカズは自分の肩に突き刺さったエストックを握っていたのだ。
手の平が斬れて血が滲む。強く握れば握るほど傷は深くなっていく。だが、決して離さない。
「避けられねぇだろ?」
マルクトが武器から手を離すより早く、マサカズの剣がマルクトの首を貫いた。
──違和感を覚えた。
だから、マサカズはマルクトの胸を蹴り、肩に突き刺さったままのエストックを抜き取る。血が飛び散って、失血と痛みによる頭痛と吐き気を覚える。だが、気絶なんてしてられない。
「カハッ⋯⋯い、痛い⋯⋯やってくれたわね」
マルクトの首には穴が空いている。だと言うのに彼女は生きていた。
マサカズは目を見開き驚くが、すぐに納得した。
「⋯⋯加護、か」
「正解」
彼女は自らの体をアンデッドにしていたのだ。だから、彼女は死ななかった。
見れば首の傷は塞がっていっているし、出血もなくなった。
状況は最悪から超最悪へと変わった。
マルクトの姿が消えたかと思えば、次の瞬間にはマサカズの目の前に現れ、首を掴みに掛かってきた。マサカズは姿勢を低くし、彼女の腹を一突き。斬りあげ、胴体を真っ二つに割いてやろうとするが、
「お返しよ」
マルクトの腹から剣が抜けないし動かせない。肉が刃に絡みつき、離さないのだ。更に、彼女の両腕がマサカズの体を抱き寄せる。
彼女の意趣返しとその狙いを理解した途端、マサカズは血の気が引いた。
「────」
マルクトの女性らしい体は柔らかいし、特に起伏は包み込まれるようだ。仮に彼女の体に叩きつけられたところで痛みは少ないだろう。だが、それでも人外的な力で締め付けられれば話は違う。
段々と締め付ける強さは大きくなっていく。マサカズは暴れることもできない。肺が圧迫され、呼吸ができない。骨が軋む音がする。全身に痛みが走る。
「可愛い可愛い女の子に抱きしめられて逝くなら、本望でしょう? だってお前は男の子なんだから」
クソ食らえだ。そんなわけがない。
苦しくて痛くて怖い。彼女の体の柔らかさはまるで感じられない。圧迫感がこの上なく気持ち悪い。ゆっくりと殺されていく感覚は最高に不愉快だ。
空気が取り入れられないから声も出ないし、両腕ごと胴体も締め付けられているから動くこともできないし、苦痛に意識も薄れつつある。
「が──」
遂に肋が折れて、肺に、胃に突き刺さって痛み感じた。口からコポコポと赤い液体が溢れ出て、それを舌の全てで味わった。
視界に白い靄がかかり、死が近づく──
「大丈夫?」
──直前、マサカズは開放された。
力なく彼の体は地面に倒れ伏せたが、彼の微かな意識は現状を理解できないでいた。
しかし、その時、マサカズの視界を覗き混んだ少女の正体こそが答えだ。
外見にまるで似つかわしくない黒のウエディングドレスを着た十代前半に見える黒髪の少女。その隠されていても、とても美しく可愛らしいと思える彼女をマサカズが見たとき、彼女はそのヴェールを下ろした直後だった。
『嫉妬』の魔人、レヴィア。彼女がマサカズの命を救ったのだ。
「うーん⋯⋯生きてる、よね?」
マサカズは彼女の声こそ聞こえるが、自分の声は出せないし、反応もできない。当然だ。彼の今の意識は無意識に限りなく近い。現に、彼女の声は聞こえていても、最早認識しているわけではなかった。
「どうしよう。⋯⋯カルテナとか、フィルお姉さんなら何とかできるかな。後エストお姉さん」
レヴィアが知る治癒魔法が使えるメンバーはこの三人だ。
マサカズはかなりの重症を負っているが、すぐに死ぬことはないだろう。だがしかし、魔法でも医学的な方法でも良いから、手当しなければ命は危険に晒される。
レヴィアはマサカズを助けるため、先程口にした人たちを探しに行こうとしたとき、風を切る音が微かに聞こえた。だが反応することはできず、直後、レヴィアは倒れていた。
──矢が、レヴィアの頭を射抜いたのだ。