6−21 訃報
ワイヤーはまるで生きているかのように蠢く。常人を逸したワイヤー裁きは、認識されることもなく相手を細切れにできた。しかし、
「──っ!」
ロアが刀を持つのは初めてだ。これまで、彼女は刀剣類を武器に戦ったことはなく、拳のみで生きてきた。それでも天賦の才能は発揮され、彼女の刀剣術は既に達人の域にあった。
ほぼ不可視のワイヤーをこうも簡単にガードできるのは、勿論ロアの身体能力と『死氷霧』の硬度もあるが、やはり大きな理由は、
「どれだけ速くても、見えるようにすればいい、ってね」
冷気の霧を辺りに漂わせれば、ワイヤーはその霧ごと切り裂かなくてはならない。それでさえ常人には判別が難しいだろうが、ロアにはそれで充分。
ワイヤーを潜り抜け、弾き、ホドに肉薄するのにはそれほど時間を必要としなかった。刀の射程圏内に入ったとき、ロアは刀を振り回す。
技術は才能だけ。培われた経験はまるでなく、暴力そのもの。しかし、一撃一撃には殺意が篭っている。
ワイヤーを壁のように編み、剣戟を防ぐ。鉄と鉄が干渉し合う甲高い音が響く。
「ちっ⋯⋯!」
ワイヤーを『死氷霧』に纏わりつかせ、そのまま切り裂こうとするができない。だからホドは刀を投げ飛ばしたが、ロアはそれより早くホドに飛び膝蹴りをかました。
顔面にクリーンヒット。鼻柱が折れて、鼻血が撒き散らされる。ホドの体は後ろに吹き飛ばされて、家屋に突っ込んだ。
ロアは『死氷霧』を拾うと、そのまま地面に突き刺した。すると、地面は氷に覆われて──ホドが突っ込んだ家屋を瞬時にして丸々凍りつかせる。
「〈魔法範囲拡大強化──」
ロアの翳す右手に赤色の魔法陣が展開されると、瞬間、辺りの気温が上昇し、陽炎のような現象が発生する。
「──超新星爆発〉」
同時、家屋の周りを更に氷の球が包んだ。
透明な氷の壁の内部で、破壊が巻き起こされる。衝撃、光、熱──それは対人魔法としてはあまりにも強大過ぎた。
氷の壁はロアの魔法を完全に封殺することはできず、途中で砕け散る。しかし威力を削ぎ落とすことには成功し、通常の〈爆裂〉と同程度の被害にまで抑えた。
「⋯⋯中々耐えるね」
爆煙が晴れて姿を現したのは、ボロボロのホドだった。
右の片腕が無くなっていて、断面は引き千切られたかのように荒れていた。脇腹には家屋の破片が突き刺さっていて、血が流れている。太腿は抉れていて、立つことさえ困難だろう。ホドはドス黒い血の塊を吐き出す。
「⋯⋯ええ、これしきで死んでいては、セフィロトではありませんからね」
「ほう」
ホドは残った左手でワイヤーを扱い、脇腹に突き刺さった破片を邪魔にならないように切る。抜くことはわざとしなかった。おそらく、抜いてしまえば失血多量で動けなくなるだろうからだ。
ホドは家屋の破片をワイヤーで掴み取り、それをロアに投擲した。ロアは破片を斬るも、ホドが今度は接近し、左ストレートをロアの顔面に叩き込む。
「お返しです!」
そして跳躍すると、遅れて地面が割れた。ホドはワイヤーで地面を抉ったのだ。
「ッ!」
そしてワイヤーを引くと、地面ごとロアを空中に放り投げる。
地面ごとロアを持ち上げるようなことをしたため、ホドの左手の負担は凄まじく、骨にヒビが入った。しかし痛みは無視できる程度。声を荒げて喝を入れて、その所業を成し遂げた。
「空中で回避できるならしてみなさい! 細切れになれ!」
地面はワイヤーで切断され、ロアを握るも、ロアは刹那で全て斬る。だがそれでホドもロアを殺せるとは思っていなかった。
ワイヤーの包囲網がロアの周りに展開されていた。肉片にするどころかミンチにできるだろう。
ロアは薄く笑う。それを不適な笑みだと思ったホドは不安を覚え、左の指を動かし、ワイヤーを操作しようと──、
「魔女以外でこれほど楽しい相手は久しぶりだった。でも⋯⋯これでチェックメイト」
だがそれより早く、事態は急転換した。
──ホドは、血反吐を吐いた。
それは先の傷が原因ではない。その吐血は、そして頭痛は、吐き気は、目眩は、怖気は、悪寒は、これら全ての体の不調は、
「魔力酔い⋯⋯!?」
涙の代わりに血を流し、体の異常は加速度的に酷くなっていく。体内で虫が蠢くような、血液が溶岩みたく熱くなるような錯覚。視界が二重にも三重にもなり、虹彩が必要以上に光を取り込んで目に痛みが生じる。大きくて不快な高音が聴覚を支配し、それは耳を防いでも治まらない。
生命体の保有できる魔力には限界がある。そしてそれを超えたとき、生命体は体に異常をきたす
通称、魔力酔い。正式名称、魔力中毒。魔力を過剰に摂取したことによる中毒症状であり、幻覚、幻聴、全身の痛み、神経系の麻痺、重度の意識障害、出血等々の症状──そして多くの場合、死に至る。
「が⋯⋯はっ⋯⋯ああッ⋯⋯!」
ワイヤーはもうまともに使えなくなり、ホドは過呼吸になって四つん這いになる。心臓の動悸がとんでもなく早く、遅くなってようやく幻肢痛を感じ始めた。
発熱による発汗が酷く、ホドは仰向けになる。
「お前のような存在は、魔力保有限界値も当然高い。だから、少し時間がかかったんだ。ロアの『無限魔力』も、一瞬で魔力が増えるわけじゃないから」
この能力の性質は、増殖することにある。ロア自身の魔力は無制限に増殖させられるのだが、ロアの魔力以外は増やせない。そして、元の魔力量が多いほど当然増殖幅も大きいが、それは逆説的に少ないほど増殖し辛いことも意味する。
よって、他者を魔力酔いさせるほどの魔力量に増殖させることは、自分の体内で増やすより格段に時間がかかるというわけだ。
「魔女だともっと時間がかかった。同格の魔法使いにも同じことが言える。でもお前は魔法使いではないから、こうやって殺せる」
魔力は使えば使うほど、最大保有魔力量と魔力保有限界値が増加する。つまり、魔法使いとそれ以外では、魔力酔いへの耐性がまるで違う。
「楽しかった」
ロアは魔法ではなく、能力でもなく、拳でもなく、『死氷霧』を振り上げる。そして、
「だけど、これでもう終わり」
──ホドの首が、落とされた。
◆◆◆
「クソが⋯⋯ふざけるなよ」
マサカズは目の前の状況を見て、小さく愚痴を吐く。
つい先程、マサカズたちを襲ったのは黒の教団幹部、マルクトと名乗る女だった。
黄金のミディアムヘアに、金色の瞳。雪のように白い肌はほぼ露出しておらず、その体の殆どは紫と黒を基調としたセーターにも近い服と、ロングスカートによって隠されている。年齢はマサカズたちと同じか少し幼いように見える。
「同感だ⋯⋯本当に、最悪だ」
「⋯⋯酷い」
マサカズたちを囲むのは、無数の人間たち。しかし、彼らには見覚えがあった。何せ、彼らは、
「守るべき人たちを殺され、さらには自分たちに襲ってくる。どんな気持ちなのかしら?」
およそ千人いたはずの、避難民。──正確には『元』という言葉が付く。
彼らはアンデッドだ。一度死んで、人の形をしただけの化け物に成り下がった。
「っ!」
その中には、当然見知った相手も居た。以前、冒険者組合で会話した男だ。彼もゾンビに成っていて、マサカズを判別できずに、己の空腹感と憎悪に流され、その手を伸ばす。
あるいは救いを求めているようにも見えた。だが、それをマサカズは、
「クソがっ!」
──斬り捨てる。
せめて苦しみを味あわせないよう、首を両断して。
それを皮切りに、ナオトとユナもアンデッドたちの掃討を始めた。今更この程度のアンデッドに苦戦するほど三人は弱くなかったが、
「ごめんなさい。ごめんなさい⋯⋯」
知らない顔のアンデッドではない。知っている顔のアンデッドだし、元々人間だと知っているアンデッドだ。
やっていることは人殺しにも等しい。しかし、やらなければ自分たちが殺される。哀れな人を、自分たちの命のために殺す。
「────」
間違っているのは、悪いのはマルクトという少女だ。だが、実際に手を汚しているのはマサカズ、ナオト、ユナたちだ。
肉を斬る感覚。殺す感覚。アンデッドでなく、人間の命を奪う感覚。そしてそれに心の中では嫌悪していても、殺すことをやめない自分への怒りと呆れ。
「あーあ。死んでいく死んでいく。やっぱりこの程度じゃあ殺せないか」
マルクトはどんどんと殺されるアンデッドたちを見て、そう口にした。
元より期待はしていなかったが、こうもあっさり突破されるとも思っていなかった。その落胆は、彼女を不機嫌にさせた。
「でも、仕事はしてくれているわね」
殺せはせずとも、消耗はさせられている。脂が剣の斬れ味を悪くして、体力をどんどんと削っていく。
この死者たちを抜けたときには、三人はかなり疲労が溜まっているはずだろう。ならば、殺すことは容易になる。
叫んで、ただひたすらに剣を振るう。弓を射る。それはたった一撃でゾンビ共の首を切断し、頭を潰し、活動を停止させる。
殺し、殺す、殺して、殺し尽くす。
「⋯⋯⋯⋯」
そうして、三人はマルクトの目の前に立った。
「こんにちは、転移者諸君」
マルクトはそんな三人を満面の笑みで迎えた。精一杯の嘲笑だ。人を煽るにはあまりにも十分過ぎる。
「まずはあれらを超えたお前たちに称賛を。素晴らしいね⋯⋯知り合いも居るだろうアレらを殺せるその並外れた胆力。流石は人殺しの専門家だ」
マサカズは一瞬でマルクトに肉薄し、その首を斬り落とすために全力で剣を振るう。しかしその剣は、また別の剣によって受け止められた。
マルクトを守ったのはゾンビだ。しかし、そのゾンビは普通のゾンビではない。騎士のように鎧を着用しているゾンビ。死の騎士だ。
漆黒の鎧、ボロボロのマントは血のように赤かった。フルフェイスの甲の隙間からは赤い双眸が煌めいている。
マサカズの二倍はありそうな巨体。黒色のバスターソードを片手剣のように扱い、その巨体に相応しいほど巨大な盾を持っている。
それは雄叫びを上げる。人形ではあるが、最早獣のようだった。
「デスナイト、そこの人間たちを殺せ」
無慈悲にマルクトはそう命ずると、デスナイトはマサカズにバスターソードを振り下ろす。マサカズはそれを受け止めるが、両腕に衝撃が走って、痺れる。
「〈灼刃〉」
赤く熱した双剣がデスナイトの鎧を斬り裂こうと振るわれる。だが金属音と共にナオトの刃は弾かれた。
ユナも弓を射る。狙いは鎧ではなく、兜の隙間だ。彼女の射撃能力はそれを可能としたが、デスナイトはすかさず盾で矢を防いだ。
「嘘⋯⋯」
デスナイトはマサカズを蹴る。肋骨が折れて肺に突き刺さり、血を吐きながら地面に突っ込み、転がる。そしてナオトは盾で殴られて、空中に放り出された。
「────」
そしてデスナイトはユナに一直線に接近し、バスターソードを振りかぶる。
「っ!」
横に飛び込み、一撃を回避する。バスターソードは舗装路の石を砕いた。
ユナは再び矢を放つも、またしても盾で防がれた。バスターソードが薙ぎ払われる。
「〈真紅眼〉」
ユナの瞳が紅く染まり、身体能力が大幅に上昇する。腰からスティレットを取り出し、デスナイトの懐に飛び込んだ。
狙うはやはり兜の隙間。しかしそれはデスナイトも理解しているようで、シールドバッシュが繰り出される。
ユナは盾を蹴り、威力を消すことには成功したが刺突には失敗した。
「無駄よ」
ユナがデスナイトを引きつけている間、マサカズはマルクトを殺しに向かった。
死角からの一撃。しかしそれをマルクトには察知され、次の瞬間、マサカズの体は吹き飛ばされ、斬撃を伴う風はマサカズの体に切り傷を負わせた。
「⋯⋯なぜだ」
そこで、マサカズは気づいた。──奴は、ケテル以上の実力者であると。
「何が?」
「お前の力が、だ。⋯⋯幹部最強は、ケテルじゃなかったのか?」
それを聞いたとき、マルクトは笑みを浮かべた。美少女らしい笑顔であったが、マサカズからしてみれば、それはサディズムの極まった笑みであった。
「たしかに、わたしたちで最強なのはケテル。本来のわたしたちは白や赤、青、転生者、魔王、魔人には及ばない実力者だわ。でも⋯⋯黒の魔女様は、わたしたちに力を分け与えてくれた。本当に慈悲深い御方よ。自らの力を分割するなんて」
その事実を聞かされたとき、マサカズは嫌な予感を──否、最悪な現状を理解し、一息の間絶句した後、声をなんとかして絞り出す。
「いつ⋯⋯からだ。いつから、アレはお前たちに力を分け与えた?」
「慣れることも大切だから、一週間前からね。⋯⋯もう質問は終わり? 絶望はし終わった?」
マルクトは、そんな黒の魔女の力を分け与えられた自分に、マサカズは絶望したのだと思っていた。しかし、彼は違うところに絶望していたのだ。
──黒の魔女は、力を一部失っているというのにイザベリアと戦えた。
「もし⋯⋯黒の教団幹部を殺したなら、その力はどうなる?」
その問いかけはマルクトには聞こえなかったし、マサカズにもその気はなかった。
「⋯⋯消えるわけがない。それは、黒の魔女に還元される」
そして黒の魔女は、このウェレール王国に来ているはずだ。つまり、それは、
「もう何をすれば最善なのかも分からねぇ。でも」
例えこの選択がイザベリアを、エストを苦しめる結果になったとしても、例えこの選択が間違っていたとしても、選択しないという絶対的な過ちにはならない。だから、マサカズは、マサカズたちは、
「──抗うしかない」
武器を持つ手の力が強くなった。