6−14 黒の教団
「⋯⋯イザベリア?」
会議が終了し、しばらく時間が経過した頃。突然エストの目の前にイザベリアが現れた。その姿はかなりボロボロで、現れるやいなや地面に仰向けに倒れたのだ。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ⋯⋯し、死ぬかと思った⋯⋯というか一回死んだ⋯⋯」
「何があったの⋯⋯?」
どう見てもイザベリアはかなり消耗しており、戦闘が拮抗していたのだと分かる。ただ、こっちに来ているということは勝利したのだろう。
「端的に言うと、メ──ッ!?」
何かを言いかけたイザベリアだったが、その瞬間、彼女は口を閉ざし、一気に顔色が悪くなった。
見たことがある。『死に戻り』をした直後のマサカズにそっくりだ。
「声にしようとしたらこれ⋯⋯どんな呪いを」
「どうしたの? さっきから様子が変だけど」
「ごめんね。結論から言うと」
イザベリアは何があったのかをエストに話す。
マガを追い詰めたところで黒の魔女が乱入し、その後敗北。マガではほぼ消耗していなかったため、万全で負けたも同然だ。
確かに、情報が少ないことが敗因の一つになったかもしれない。しかし、黒の魔女も同じ条件だったはずだ。
「⋯⋯そんなことが」
「⋯⋯実戦は久しぶりで勘は鈍っていることは確か。でも、あれは⋯⋯仮に私が勘を取り戻したとしても、勝てるとは断言できない。悪い意味で予想通りだったよ」
魔力量では勝っているが、攻撃力では劣っている。そこにブランクが重なれば、不利なのはどちらかなんてすぐ分かる。
そして、これからの短時間で全盛期にまで戻るのには時間が足りない。せめて一ヶ月もあればあるいは可能だったが、一週間でさえ時間はなさそうなのだ。
「まあ、悪い話ばかりじゃないよ。ジェーン・ドウ──いや、名無しの魔女ではないか。黒の魔女は、マガを殺されることを見過ごさなかったし、彼女はそれを必要な物だと言っていた」
「つまり⋯⋯今回の騒動は、そのマガという人物が鍵ってこと?」
「ああ、そうだろうね。逆に言えば、マガさえ殺せば黒の魔女の計画は瓦解する可能性がある。どちらにせよ邪魔な存在なんだ。あなたたちで殺してね」
「そうは言うけどね⋯⋯はあ⋯⋯骨が折れそうだよ。二つの意味で」
マガの実力はイザベリアからしてみれば弱い。パワーくらいしか褒めるべき点がなく、戦いの技術はない。搦手の一つも使えないのだ。
しかし、エストたちからしてみればマガはとてつもなく強い。単体では勝てる気さえしない。セレディナとジュンを前衛、後衛にエストとフィルを配置する必要があるだろう、とイザベリアは思った。
「黒の魔女は私を殺したと思っている。ならここに攻めてくるのも時間の問題だろう」
「⋯⋯あと一時間で王都の捜索部隊が帰ってくる。勿論、その中にいる私たちの仲間もね。キミは、どっちの方が早いと思う?」
◆◆◆
夜が明けたのはつい先程だ。太陽の光が街道を照らし、草原は夜明けを喜ぶように靡いた。傍から見れば、それは平和的な景色だっただろう。ここでお弁当を食べたならば、いつもより美味しく感じそうだ。
整備された石の道をコツコツと靴で鳴らしながら、二人の男女は歩く──否、実際はもっと多くの人が居る。見えていないだけだ。
しかし、その男女を襲おうとしているわけではなく、勿論男女を罠にしているわけでもない。男女は男女だからこそ、目立っても良いだけなのだ。
「ケテル⋯⋯あいつが殺されるとは思わなかったな」
男にしては長い髪は明るい赤色で、瞳は銀色。片目は濁っていて、視力があるとは思えない。薄ら笑いを浮かべるその顔は整ってはいるも、そこまで目を引くようなものではない。教団員のローブの前の方を切り裂き、コートのようにし、中にはこれといった特徴のない黒の服装を着ている。
身長は高く、しかしそれを遥かに超えるバスターソードを背中に携えているが、歩く姿に重そうにする様子はまるでない。体付きは一般的な成人男性と同じくらいだ。
「ええ。相手が白の魔女だったから、仕方ないといえばそうなのだけれどね」
答える女声の持ち主は人間ではなかった。限りなく人間に近い種族ではあったが。
黒髪はサラサラしており、長さは腰くらいまである。両目は閉じていて、僅かにも開いていないように見受けられるし、実際そうだ。しかし、彼女は視力は正常なように歩く。
服装は布面積がかなり少ない、白を基調としたものだ。胸の一部と腰くらいしか隠れておらず、痴女と認識されてもおかしくない。
そして耳は特徴的なほど長く、その、褐色肌からも分かるように、彼女は森妖精の近縁種、闇森妖精だ。
「つか、俺たちがこれから行く先は、魔女が複数体居るんだろ? 命令だから仕方ないとはいえ、俺も無駄な命の消耗は避けるべきだと思うんだが。あの方は何を⋯⋯」
「不敬ね。あの御方の考えに背くことは、私たちが一番してはならないことよ。それに、私たちだけではないわ。本当に話を聞かないのね、あなた。ここには全員が来る。定期連絡でその方針に変わりはないって、さっき彼らが言っていたでしょう?」
女は辺りの護衛に目を一瞬だけ向ける。
「っせーな」
女は男を難じるが、男は全く反省する気概を見せない。しかし、彼に忠誠心がないというわけではないことを彼女は知っているので、その程度で済ませる。それを快く思わないのなら、あの御方に彼は殺されるだろうからだ。
「はあ⋯⋯。ねぇ、ゲブラー」
「なんだ、ビナー」
女、ビナーは、男、ゲブラーに一つ問いかける。
「ヤらない? ここで」
先程までの発言を全て忘れたみたいに、ビナーは言った。よく見れば頬はほんのり赤くなっているし、局部辺りの衣服の布は湿っている。
「⋯⋯お前、そういうとこだぞ」
ゲブラーはバスターソードに手をかける。周りの黒の教団員も、ゲブラー側によった気配を感じた。
「エルフの国が滅亡したから、同族相手が不足していて退屈なのよ。それにここ数十年仕事しっぱなしだったし、何より黒の魔女様のお姿を見たから、もうさっきから濡れていて⋯⋯」
ちなみに、ビナーが最後に黒の魔女の姿を直接見たのは数ヶ月前だ。
「お前マジでそういう所だぞ⋯⋯」
ビナーは顔を赤らめ、誰がどう見ても発情したように見える。元から大きな胸を寄せ、更に大きく見せかけ、彼女はゲブラーを誘う。
「満更でもないでしょう? ほら、早く⋯⋯」
彼女は数少ない服の紐を解き、その双丘を布から開放し──
「どっちが不敬だ!」
ゲブラーはバスターソードを抜き、平面部でビナーの頭部を叩く。この程度では死なないと知ってはいたが、同僚を金属で殴ることに躊躇さえなかった。
身を小さくし、頭を擦るビナーを見下しながら、
「任務中に誰が性行為するか! 大体、お前に抱かれた男の末路知ってたら、そんな誘いに乗るわけ無いだろ。女でさえお前以外じゃ満足できない体になるってのに」
ビナーとゲブラーの寝泊まりしている部屋は真隣だ。よく男や女を部屋に連れ込んでは、翌日まで喘ぎ声が止まらないし、特に男が部屋からマトモな状態で出ていったのをゲブラーは見たことがない。
「大丈夫。あなたからは搾り取らないわ」
「い・や・だ。次は斬るぞ」
「連れないわねぇ、もう⋯⋯」
ビナーは周りに潜み、二人を警護する教団員に目線を向ける。すると、目線を向けられた男の教団員は明らかに動揺したような仕草を取った。
「幹部命令。私とセ」
「幹部命令。ビナーの誘いを断れ」
男の教団員はゲブラーの影に逃げ込む。
「はあ⋯⋯」
幹部命令は、黒の魔女と幹部を除く教団員は全員従わなければならないものだ。そして例え自死せよと命じられたとしても、それを躊躇う教団員は居ない。
しかし、二つの幹部命令が命じられたならば、どちらに従うかは本人に選択が許される。
「⋯⋯そういえば、白の魔女って凄い美少女らしいぞ」
このまま放置しておけば自慰行為に走りそうだったので、ゲブラーはビナーにそう言って、釘を刺す。
ビナーは両刀だ。男でも女でもいける。特に好物──好きなのは、少年少女だ。可愛かったり、美しかったりすれば尚良い。
「それだけじゃねぇ。青も、赤も、あと魔王もいるらしい。それに冒険者組合の組合長は童顔だと聞くし⋯⋯だから、それまで我慢してくれ」
「分かった。でも一番は私に堪能させてね」
「ご自由に。飽きるまで使ってくれ」
黒の魔女からは、『エストは殺さないでくださいね』と言われていた。ビナーも殺しはしないだろう。なるとしたら廃人だ。問題はそれが許されるかどうかであるが──そんなゲブラーの悩みは一瞬で解決した。
「駄目ですよ、ビナー」
声を聞いた瞬間、二人は、そして周りの教団員たちは平伏した。その間コンマ一秒さえもなかった。到底人には到達できないほど早い行動だったのだ。
「顔を上げてください。言ったでしょう? そういう場面でもなければ、特に平伏す必要はないと。時間の無駄です」
「はっ。ですが、我々はあなた様の被造物。あなた様に頭を垂れることは至極当然のこと。あなた様を同じ立場から見るなど、あってはならないのです」
先程の荒い言葉遣いとはまるで違っていて、ゲブラーのイメージからかけ離れる、しかし、それこそが自然。それこそが当然。それこそが正常。そうあるべきなのだ。
「はあ⋯⋯まあ、良いでしょう。しかし、顔は上げてください。それも失礼ではありませんか?」
ゲブラーとビナーは二人とも面を上げ、黒の魔女の顔を見る。
「では、まず、一つ目。エストを犯さないこと。殺すのも駄目ですよ、ビナー。彼女は才がある。私はそれに滅ぼさなければならないのですから」
──自らの主人が、殺されたいと言う。普通、従者は、そんなこと辞めてください、と言うはずだ。しかし、黒の教団は違う。
「申し訳ございません! 黒の魔女様! 願わくば、この私に、愚かさを償う機会を。自死せよと言うのであれば、即座に⋯⋯」
ビナーは自分の首にナイフを突きつける。それはもう少し動かせば、彼女の首に突き刺さり、命を容易く奪うだろう。
だが、黒の魔女は手を翳し、それを静止する。
「やめなさい。あなたにはまだ生きて貰わないといけませんし、あなたの死には意味がないので」
「はっ。慈悲深き御方」
ビナーはより深く、地面に頭をめり込ませるかのように平伏す。
「おっと、本来の目的を忘れるところでした」
黒の魔女が何か話そうとすると、辺りは一瞬で静まり返る。風の音も、草の擦れる音も消え去り、呼吸音一つもまるで聞こえない。心臓の鼓動音が聞こえそうだった。
「これから、あなたたちが襲撃するウェレール王国王都には、転移者三名、転生者一名、魔王およびその配下七名、大罪魔人一名、魔女三名が存在しています」
うち青の魔女は緑の魔女の手によって気絶まで追い込んでいる。先の情報も含め、既に共有されているものだ。
しかし、黒の魔女がもう分かっていることを二度も言わない。その情報に訂正があるのだろう。
「そして、追加で──始祖の魔女、イザベリア一名」
その瞬間、ゲブラーとビナーは目を見開いた。そんなお伽噺の存在が実在したなんて、と。確かに、つい最近『始祖の魔女の墳墓』に黒の教団の調査隊を送った。だがあれも、居ないと確証を得るために行ったようなものだ。
「アレと戦い、私は勝利しました。しかし⋯⋯殺せませんでした」
黒の魔女は思い出す。
イザベリアには、自分の『呪い』を伝え、殺した。しかし、殺したあれは、イザベリア本体ではなかったのだ。そう、確信できる。あれは精神体の人形だ。そしてもう一つ、違和感があった。
イザベリアは、自分が名前を伝える直前でその分身体と入れ替わった。まるで、知っていたかのように。
そこまで分かれば後は簡単だ。
──イザベリアは能力者であり、その能力は、死を発動条件、もしくは含めて任意のタイミングで発動する過去への時間軸移動。言うなれば、
「イザベリア・リームカルドの能力は『死に戻り』とでも言いましょうか。少なくとも、あれは殺すべきではありません。しかし⋯⋯すみませんね。私が早めに気づいていたならば、生け捕りにできたでしょうに」
黒の魔女は口で謝罪した。頭など下げないが、ゲブラーとビナーは焦った。
「なっ⋯⋯! あなた様が謝るなど⋯⋯」
「いえ。これは私の失態。なので⋯⋯私自身がこの襲撃に加わり、今度こそイザベリアを生け捕りにするということで汚名返上とさせてください。いいですか?」
「まさか。誰もあなた様の決定に異論などございません」
やはり、この御方は素晴らしい。普通ならば、わざわざ自分の失態を部下に伝えないはずだ。しかし、黒の魔女様は違う。
「全ては御身のままに」
より深く、より敬意を込めて、感極まったように、ゲブラー、ビナー、そして隠れていた黒の教団員全員が、平伏し、頭を垂れ、跪く。
「ええ。⋯⋯では、行きましょうか」
計画の大詰めに。
これまでの集大成に。
亡き仲間たちの弔いのために。
前代未聞、永劫不変の伝説を作るために。
──最終決戦に。