6−10 守護者
──青色に、瞳が光った。
その瞬間、本来であれば効果を発揮するはずだったミカロナの能力『感覚支配』が無効化された。
自分の能力が無力化されたことにミカロナは驚くも、すぐさまその場から離れると、ジュンには一切被害無く、そこに巨大で、先が鋭利に尖っていた氷柱が突き刺さる。
「〈点火〉」
ジュンの凍結した両腕が熱され、氷が溶ける。芯まで冷えていなかったため問題なく両腕が動くことを確認する。
「すまない。ありがとう、レネさん」
助けてくれた相手は青の魔女、レネだった。
「いえ。死にそうな人を見つけたら助けるのは当たり前ですから」
レネはジュンに対して微笑む。その姿はまさに女神のようで、魔女の中で唯一人々に畏れられていないとは伊達ではないのだと彼は知る。
「青の魔女⋯⋯レネ⋯⋯!」
ミカロナの髪の間から不気味に光る緑目がレネに向く。そこに含まれるのは殺意と歓喜。それは、新たな遊び道具を与えられた子どものように純粋な狂気だ。
「転生者に、魔女。最高だ! ボクにはあまりにも豪華! 前言撤回! 今ならボクは死んだっていい。だって君たち二人との剣戟は、魔法戦は、戦いは、きっと最上に気持ち良いものだろう!」
戦闘狂でも、殺戮者でも、嗜虐者でもない。ミカロナという魔女の『欲望』は苦痛を見ること。そして、彼女の望む最期は⋯⋯苦痛を味わいながら死ぬこと。
「君たちを痛めつけ、死んでしまえばそこまでだ。でもそれで生き残ったなら、でも尚立つのならば、ボクを殺すのは君たちということになる。⋯⋯ボクは苦痛を観測したい。ボクはボクの、ボク自身の、ボクという相手の苦痛の表情を最期に見たいんだ」
サディズムを極めて、マゾヒズムをも求める。苦痛を愛し、苦痛こそ至高だと確信したのがミカロナという魔女だ。
「さあ、痛めつけ、痛めつけられよう! さあ、傷つけ、傷つこう! さあ、苦しみを与え、受けよう! さあ、殺し、殺されようッ!」
両腕を広げ、演者のようなオーバーリアクションをミカロナは素でやる。
「──ああ、そうだな」
ジュンは瞬間移動じみたスピードで恍惚な表情を浮かべるミカロナの懐に潜り込み、抜刀する。亜光速の刃がミカロナの喉笛を掻っ斬ったが、
「完全に両断しないと、ボクは死なないよ」
ミカロナは緑の魔女だ。わざと緑魔法の陣を崩し、効力を真逆にしているが、本来の緑魔法として行使することも容易である。
彼女の半分ほど切断された首は刹那に治癒される。傍から見れば斬られてさえいないようだった。
「私の目の前で、私が生きている限り、誰も傷つけはさせません」
右手でジュンの胴体肉を抉り掬おうとするミカロナだったが、それは薄い板のようなものによって、鈍い音を立てつつ防がれる。
見るとレネの瞳は光っていて、この影響が彼女の能力なのだと分かった。
「おお⋯⋯素晴らしい! 何と利他的な『欲望』。何と尊い使命。流石は青の魔女、レネ。女神とまで呼ばれた存在。ボクは特に、君のような、可愛くて、高貴で、優しくて、所謂人類の味方っていう、力のある、そして綺麗な者を痛めつけ、崩し、ぐちゃぐちゃにし、切り裂き、砕くのが大好きなんだ。綺麗な者を壊してしまったその瞬間こそ、壊す刹那こそ、壊した直後こそ、美しい。天使が堕天する瞬間。美人の顔に痣ができる瞬間。絵画の上に汚い色をぶちまける瞬間。純血の女の子の子宮を刳り貫く瞬間。まだまだ熟しもしていない男の子の陰茎を潰す瞬間。女神から尊厳を奪ってしまう瞬間。愛らしくて心が踊る。可哀想で昂る。優しく包容してやりたいとも、もっともっと壊してやりたいとも思える。そうは思わないかな、レネ。ボクは君を壊してやりたい。同感にはなれないかな、ジュン。ボクは君を殺してやりたい」
レネの魔法を、ジュンの剣戟を、ミカロナは『第六感』で知覚し、全てを軽々と避けながら自身の性癖を語る。声は聞き取りやすく、早口であるというのに何の問題もなく二人の頭に保管される。
「こんなものじゃないはずだよね? 青の魔女、レネ! 転生者、ジュン・カブラギ!」
ミカロナは能力によって、自分の『第六感』とやらを覚醒させ、行使している。それが具体的にどんなものであるかは不明だが、現段階でもある程度の予測は付く。
(危機の回避。部分的な未来予測⋯⋯ってところか)
『第六感』に明確な定義はない。それは五感を超えた何か。あるいは五感ではない何か。
ここでは単に、『第六感』は未来予知であったのだろう。はたまた、人によって異なるだとか。
何はともあれ、ミカロナの不自然な絶対回避能力はそれが原因だ。能力の特性上、他者への干渉ならば打ち消す可能性はあるが、能力者自身への能力行使を打ち消すことは不可能だ。
(だが⋯⋯負けたわけではない。未来予知とは言っても映像化されているわけではないだろう。もしそうなら、擦り傷も負わないはずだ)
ミカロナも全くの無傷というわけではない。直ちに回復するとは言え、時々レネとジュンの攻撃は命中している。それが致命傷ではないだけだ。
つまり、あくまでミカロナは感覚的な戦い方しかできないということ。攻撃の軌道を、自分たちより遥かに上の次元で読んでいるのと変わりない。未来を視ているわけではなく、感じているだけなのだ。
暗闇や森の中で生物の気配は感じられても、どんな生物であるか、どれだけの数がいるかまでは正確には分からないように、ミカロナの『第六感』も万能ではない。
「だったら、予感程度の情報量では捌ききれない攻撃を与えてやれば良い!」
ジュンはミカロナとの開いた距離を詰める。その間、ジュンを亡き者にするには充分過ぎる火力の魔法が連発されるが、全てレネの『守護』によって打ち消される。
「〈領域・嵐〉」
ジュンを中心とする半径三メートルの円陣が展開される。
それは領域。青白く光る円陣の範囲内にのみ効力を発揮するが、その分効果は絶大だ。
同時、彼女にも、
「拘束全開放。全力を尽くせ!」
力を最大限にまで引き出させる。
『死氷霧』が氷を纏い、雹を纏い、冷気を纏い、死を纏う。そして本当の、全力の、最高の生きた武器へと変貌する。
鋼より遥かに硬い氷の刀身は身長並みにあり、冷気が辺りを支配する。ミカロナの魔法より冷たいそれは、周辺の温度を一気に低下させる。
アイスダストが月明かりを反射し、妖しくも煌びやかな美を作り出していた。
長時間拘束を解いていれば、周辺どころか自分自身にまで大被害を齎す文字通り諸刃の剣。そう長くは持たない切り札だ。即刻、対象を排除しなくてはならない。
「ああ。アア。嗚呼。死の美。まさに芸術。致死的な氷のアート。なんと、素晴らしいことか」
戦技が行使され、『死氷霧』の全力が解き放たれた猛撃。斬撃は嵐のように乱暴に、暴力的に、圧倒的な力が、無作為に、しかし一刻の隙もなく振るわれる。
制限付きとはいえ、通常の戦技を超えた戦技。然しものミカロナと言えど、全て回避することは不可能であるどころか、着実に傷を負っていく。
足が抉れる──植物の成長のように肉が蠢き、傷を覆う。
腰が削れる── パテを塗られる玩具のように、肉が削れた部分を埋める。
腹が乱暴に開かれる──チャックを閉じるジャケットのように、開かれた穴が塞がる。
肩の骨が叩き折られる──ボンドで、割れた木製の家具を直すように、骨が接着する。
頭部が丁度上顎と下顎に別れ、輪切りにされる──裁縫でぬいぐるみの千切れた部位を縫い付けるように、頭は一つに戻る。
細切れにしなくてはならない。生半可な攻撃では致命傷にはなり得ない。
やがて領域は効果時間を全うし、終了する。同時、
「〈極冷吹雪〉」
ミカロナの肌を、空気中の水分さえも凍らせる極寒の風が触れる。瞬時にして彼女の体の一部は凍りつき、それはきっと凍傷を引き起こし、激痛を味あわせているはずだ。
いや、そうだった。だが、ミカロナはそれを痛いと、苦しいとは思っているが、
「冷たく、痛い。逆に熱いと錯覚してしまいそうなくらい冷たくて苦しい。ああ、これは本当に麗しい」
彼女にとって痛みとは、苦しみとは一種の快楽要素でしかなかった。だがしかし、凍結は自然治癒力が作用しない。凍傷はそうだが、凍った部分を緑魔法で溶かすことは不可能だ。
それは逆説的に、全身を凍らせさえすれば、あとは高いところから落として砕くなり、溶岩に突き落とすなりすれば良いのだが、それを予想できないほどミカロナは馬鹿ではない。彼女は炎の魔法によって乱暴に氷を溶かし、火傷は魔法で治癒する。
「埒が明きませんね⋯⋯」
ただでさえ高い回避能力。そして例え傷を与えたとしても即完治する魔法。致命傷でさえ彼女にとってはそうでない。
憶測でしかないが、裏に蘇生魔法が控えていないだろうことは唯一の救いと言える。が、彼女に心変わりがあったなら、その救いは、熱された石に蒸発する水のように消え去るだろう。
「『第六感』⋯⋯得体のしれない力。それを何とかしなければ、このまま持久戦に持ち込まれる」
ミカロナは身体能力も高い。流石に戦士ほどではないにせよ、どこかの魔女二人ほどでないにせよ、脅威は大きい。
魔法も、僅かな傷さえ与えれば能力による痛覚支配で、掠り傷の痛みは瞬く間に千切れた身体の痛みへと変わる。故に燃費は最高だ。
しかし、レネとジュンには、常時最高出力を求められる。持久戦に持ち込まれれば負けは確実。かといって可能な効果的な戦略もまるで思いつかない。不可能なそれならジュンは思いつくが、生憎そのために必要な人材はこの場には居ない。
「⋯⋯カブラギさん、ミカロナの『第六感』は予感でしかない。だからこそ、波乱攻撃は通用する。だからこそ、全て避けられるわけではない。そうですよね」
「え? ⋯⋯ああ、そうだ。でなきなゃ、掠り傷も与えられない。完全な予知ならば、もっと上手く動けるはずだからな」
ミカロナの動きは、少し上の次元の勘のようなもの。
「だったら、私に良い考えがあります」
レネは彼女にしては珍しく、悪巧みのような笑みを浮かべる。外見が外見なので、それは可愛らしい悪戯をするような、優しい人が悪いことを必死になってするような笑みであったが、あくまでそれは印象だ。レネには時に、無慈悲になれる残虐性がある。魔女は魔女である。彼女も、本質的には魔族であるのだ。それがあまり表面化されていないだけであって。
「それは?」
「何。単なる普段の応用ですよ。緑の魔女が緑魔法を奇想天外な方法で扱うならば、私も同じく、守る力を非常識に扱うだけです」
レネの瞳が青く光る。
「動きを止めます、なので、合図したら全力を」
レネの能力、『守護』は、対象に降りかかる物理的、精神的なもの含めあらゆる被害に対して高い破壊、貫通耐性を持つ防壁を展開する。複数人に対して使えばその分防御性能は落ちるが、そうでなければとんでもない防御力を有する鎧そのものだ。
「ボクの動きを止めるって? まさか、そんなことできるはずないでしょ」
「さあ、それはどうでしょうか」
そして鎧とは、その人の行動力を低下させる。だからこそ動きやすくするため、鎧の脇や、股、膝の裏側なんかは無防備なのだ。しかし、もしその部分も鎧で覆われていたならば?
「何を言って⋯⋯っ!?」
「──今です。ジュン・カブラギ」
「はああああッ!」
能力に抵抗するには、そこに圧倒的な力の差がないならば、意志が必要だ。例外を除き、意思さえあれば能力は容易に抵抗できることが殆ど。
しかし、意志がなければどんな能力でも他者に干渉できる。それがもし、本来守りにしか使わない能力なら。それがもし、普通、敵に使わない能力なら。
「動けない!?」
『守護』により、レネはミカロナの体の動きを完全に封じた。真空パックでもするようにして。防御壁ではなく、鎧として。
ミカロナがレネの守りへの抵抗が完了するより早く、ジュンが彼女の首を貫く。そして、
『────』
氷が、ミカロナの頭部を覆い、上半身を覆い、下半身を覆い──全身を覆い、芯まで凍りつかせた。
刀を抜くと血が飛び出すが、それは瞬時にして凍結し、真赤な氷へと形を変える。
「⋯⋯あとは、砕くだけだな」
氷像となったミカロナを見て、ジュンは呟く。しかし直後、レネが倒れた。
「レネさん!?」
「す、すみません⋯⋯極短時間と言えど、能力に抵抗されるのは初めてで⋯⋯少し、疲れました」
本来ならば、あとコンマ一秒ほど早くミカロナはレネの能力への抵抗を成功させていた。そしてその刹那があれば、未来は大きく変わっていただろう。世界最高峰たちの戦いにとって、その時間は勝敗を分けるには十分なのだから。
だからこそ、レネは肉体スペックを遥かに超えて、抵抗を抑えていた。元より抵抗されることがあるはずのない能力者なのだ。エストのように抵抗されることがあるような魔女とは違い、その疲労感は凄まじい。
「⋯⋯メイドたちは居ないようだし、今日は組合施設の客室で寝て貰おう」
気絶したレネを抱きかかえる。体は細いため、ジュンの筋力ならば問題なく持ち上げられる。
そしてそのまま施設に戻ろうとした時だった。
「──チッ⋯⋯アイツ⋯⋯まだ、仕事は終わっていないってことかな」
「なっ⋯⋯」
声が聞こえた。先程聞いたばかりの声だ。聞き間違えるなんてないはず。
ジュンが振り返ると、そこには⋯⋯氷像と成り果てたものではなく、黒い靄に包容されていたミカロナが生きた状態で居た。
「あーあ。折角ボクは死ねたというのに。⋯⋯この代金は高くつくね、黒の魔女」
「なぜ⋯⋯黒の魔女だと!?」
「ああ、そうさ。黒の魔女がボクの雇い主さ。まさか、ボクが自分からこの国を襲ったと思うの? こんな下らない国を。今回は君たちのような者が居たから良かったけど、本当なら今頃、ここは氷河になっていただろうね」
黒い靄は黒の魔女の力。その力によって、ミカロナは生き返ったのだろう。
「ボクへの依頼はずばり、この国を滅ぼすこと。一人残らず死滅させ、地獄を作り出すこと。代金は至上の苦痛を味あわせてくれることだ。まあ、ボクはあんな奴より君たちに殺される方が良いけど、それは彼女が許してくれないらしい」
魔女までもを、黒の魔女は利用する。支配しているわけではないのが厄介な所だ。もし支配したならば、それが解除され、逆に敵に回すことになるかもしれないだろうから。
「ボクは死ねるなら、死んでいいなら、死にたい。その機会を得るためにも、ボクは今ここで、君たちを殺さなくちゃいけない。ボクは君たちになら殺されても良いのに⋯⋯本当に惜しい。本当に残念だ⋯⋯」
ミカロナは本当に悔しがって、そう口にしているのがジュンには信じられなかった。
「⋯⋯また生き返るという感覚を味わうのは御免だからね」
死というものは、常人にとって最悪なものだ。今までに覚えたことのない、つまり言語化できない不快感。
普通なら死ぬ度に──否、一度死んだだけで発狂する。しかし、ミカロナにとって、死ぬということは状態異常の一種でしかない。
「ボクに最高の表情を。君に最上の苦痛を。──さあ、ボクの為に踊り狂え!」