6−7 災と禍
その時、先程まで目の前で生きていたモートルが、突然消滅した。
「──は?」
エストの記憶上、そこにはモートルのコアがあったはずだ。何の前触れもないたった一撃は、的確にモートルの弱点を貫いた。
そうすることで、確実な死を、モートルに死を感じさせることもなく、それを殺した。
「────」
周りを見ると、他の破戒魔獣たちも同じくして殺されたようだ。皆が、それを行った相手を見つめている。恐怖と、懐疑の目で。
「⋯⋯キミは一体何者?」
黒い髪は長く、黒のシンプルな服装を身に纏う美少年。彼の右半身には赤黒い、禍々しくもどこか繊細で、芸術品のような、少なくともエストの覚えている、いかなる文化とも異なる文様が浮かび上がっており、片目は真っ黒、片目は濁った水色の後天的であろうオッドアイだ。
「⋯⋯⋯⋯安らかな死を」
「────」
刹那、彼から伸ばされた赤黒い霧状のものが、エストたちを囲んだ。それらは針だ。極微細で、非常に鋭利な刺突物だ。エストたちの体は見るも無惨に全身を突き刺され、死に至る。それが迎えるべき未来だった。だが、
「殺させやしないよ」
少年の頭部の半分ほどが抉れる。大口径のライフル弾に撃ち抜かれた樹木みたいに、脳髄を頭蓋骨を肉片をグチャグチャにされる。目玉が地面に落ちて、遅れてその体も仰向けに倒れる。
「イザベリア!」
いつの間にか、イザベリアはエストの前に立っていた。実体化したのだ。だからこそ、分かることもあった。
「⋯⋯あなたたちはもう足手まといにしかならない。だから逃げてね」
イザベリアは振り返らず、少年の死体を見ながら、そう、エストたちに言った。
「それはどういう⋯⋯」
「次会う時があったなら、それは全てが終わったときだ。良いか悪いかは分からないけどね」
エストたちの立っているところに、白い魔法陣が展開されている。それは転移の魔法であり、つまり、イザベリアは、
「良い方を期待してるよ」
エストたちを、逃がした。
「⋯⋯そろそろ修復も完了した頃だろう? 化物め」
少年はゆっくりと、足の力だけでその身を起こす。先程イザベリアが吹き飛ばした頭部は赤黒い何かがそこを埋めて、そして肌色へと変化し、顔を作る。
「どうして、死を拒む?」
少年はそう言う。少年はそう訊いた。少年はそう口にした。さもそれが不自然であるかのように。非常識であるかのように。心の底から理解し難きものであるかのように。
イザベリアは応える。
「死にたくないから。逆に聞くけど、あなたは死にたいと思うの?」
「死よりも怖いものがある。それが今から行われる。僕は皆に恐怖を感じさせたくない。僕みたく、恐れて欲しくない。だから、皆殺す。殺してしまえば、恐怖せずに済むから」
イザベリアは彼の即答に一瞬唖然とするも、すぐ気を取り直し、侮蔑を、皮肉を返す。
「何と独善的な考え方なんだろうね、あなた。死とは恐怖の最たる例だ。死のあの不快感も知らないようなあなたが、それを救済だと思うのはとても滑稽だよ。吐き気がする。無知な愚者はいつもどうしてこうも自身を正義だと、絶対だと思いこむのか⋯⋯」
イザベリアの周りに紫色の水晶が生成される。
「英雄はいつだって殺戮者だ。血を伴わない英雄なんて存在しない。でも血を求める英雄は居ない。血を流すということは手段であり、目的じゃないからね。手段のための目的としたいならば、そんな利他的な言い方をするのは虫唾が走るよ。ただ殺したいと言えば良いんじゃないかな?」
少年の周りに赤黒い触手にも似た何かが浮遊する。
「そんな君でも、分かっていない君でも、僕は救おう」
「ルビは殺す、かな。Nope.あなたに殺される前に、私が殺してあげる⋯⋯名称、禍君?」
イザベリアが少年のことをそう呼ぶと、少年は目を見開き、彼女を睨んだ。先程と異なってそれには純粋な殺意が籠っていた。
それを待っていたと言わんばかりにイザベリアは口角を上げる。
「いいね、いいよ。それさ。それこそあなたにお似合いなのさ。私のために私を殺すと言うより、自分自身のために、子供が起こす癇癪みたいな殺気の方が、私は好みさ!」
「その名前で僕を呼ぶな!」
少年は──マガは、赤黒い力を振るう。河がイザベリアを飲み込む。巨大な猛獣の口が少女を食らう。だがイザベリアは、指でそれに触れるだけで消滅させた。
「消滅⋯⋯何てね」
純粋な魔力をそのまま使うことは非効率にも程がある。魔法を知るならば、まずそれを、本気で有用だと思って使う者は居ないだろう。
純粋な魔力でイザベリアは、マガの力を消滅させた。
「そんなに怒るなよ、マガ君」
嗤いながらイザベリアは、彼の名前を呼ぶ。マガの表情に冷静さは欠片もなく、あるのはただの殺意のみだった。
「〈災禍〉!」
マガの赤黒い力が触手を多い、炎のように、氷のように、不明ではあるが効果を付加する。それぞれがイザベリアを殺すべく、意思を持った単一生命体のように振るわれた。
イザベリアはそれを魔力により強化した身体能力のみで軽々と死を避けた。
「はっ! 足りないねぇ。足りない、足りない、足りない。その程度じゃあ殺意とは言えない。あなたの力はその程度なのかな? 力を十全に使うこともできないのは未熟である証明さ!」
「ああああっ!」
イザベリアの更なる挑発によって、マガの頭に血が上る。触手から意思は取り除かれ、ただの殺戮用具と成り下がり、しかし代わりにスピードは増速し、大地を抉り、一瞬真空をそこに作った。
「ほらね。あなたは未熟なんだ」
イザベリアがマガの目の前から消え去り──紫色の水晶がマガを包囲した。
「肉が裂け、内臓をグチャグチャにされる感覚はどうなんだろうね? ⋯⋯顔色が悪いよ。病院にでも行く?」
マガの体は一度、水晶によって抉られ、分解され、内臓という内臓が土とシェイクされた。しかし彼は死ぬことはなく、赤黒い霧が崩壊した体を修復する。
「僕は⋯⋯生き返る! 君を殺すその時まで!」
「私はあなたを何度でも殺そう。そう⋯⋯あなたが救われるときまでね」
イザベリアは後半の台詞を、笑いを含みながら皮肉気味に発した。またそれはマガの逆鱗に触れたようで、
「〈風禍〉」
赤黒さを含んだ風がイザベリアを巻き上げた。空中にかち上げられ、
「ほう。少しは考えられたか」
そこに、マガは強力な一撃を叩き込む。
「〈炎禍〉!」
赤黒い炎が──禍々しいエネルギーが空中のイザベリアを捉え、燃やす。
マガの攻撃はどれも即死級の威力ばかりだ。まともに命中さえすれば死ぬし、良くて重傷だろう。防御魔法なんて正面から潰せる。
「⋯⋯終わり。次は──」
マガは先程、イザベリアが逃したエストたちの位置を特定すると、振り返る。ウェレール王国に居る。
「──悪くない。悪くないよ。ああ、気分が昂る。少しだけ見直した。でも、足りない」
歩く音が聞こえる。軽く、強者の風格などまるでない足音だ。しかし、マガは目を見開きながら、彼女を視認した。
「ふふ⋯⋯これが戦い。初めてだ。本当の、命を懸けた、不確実的な殺し合い。殺すか殺されるか。蹂躙とは違う美しさ。殺戮とは異なるこの高揚」
イザベリアの瞳に、ハイライトの無かった真紅の、ルビーのような眼球に、光が灯っていた。だがそれは、あまりにも狂気的であった。
「ああ、もっと。もっともっともっと。足りない。足りないからさァ⋯⋯私に、より強く、より多く、より広い死を見せてよ」
イザベリアは、血のように紅い水晶を空中に生成した。
彼女の紅い瞳が、暗闇から獲物を狙う獣のように、鋭い目線をマガに向けた。
「──っ!」
マガは紅い水晶の弾幕を避ける。赤黒い力でそれを受け止めることもできたが、それは不味いと本能が訴えたからだ。
「避けてばかりじゃ私には一向に近づけないよ。早く来い。腕をミンチにしても。足をグチャグチャにされても。頭が潰されたとしても。心臓を抉られたとしても。全身を犠牲にしてでも。私を殺しに来てみろ。あなたにはそれだけの力があるから」
紅い水晶の弾幕は止まない。避ける度に避けづらくなっていっている。躱すことができるのも時間の問題だろう。
「──くっ! うおおおおおおっ!」
赤黒い触手を盾のように構成し、紅い水晶の弾幕を受け止めながら猪突猛進する。
やはり、本能が訴えていた通り、それは受け止めるべきではなかった。触手が硬質化し──同質量の紅い水晶へ変化していっている。
しかし、それは即時ではない。盾として使うにはあまりにも余裕があった。
触手を切り離すとき、自らの体の一部が再生しない形で切断されたような感覚を覚えたが、イザベリアに肉薄することに成功する。
「死ね! 〈滅禍〉」
赤黒いエネルギーが、イザベリアを討ち滅ぼすべく、天を穿つ柱のように立上がる。
高密度で破壊に特化したエネルギーの運用。それは純粋なままぶつけること。魔力とは異なり、純粋な状態が最も威力があるのだ。問題は、制御がほぼ不可能であるほど難しく、このように接近しなければ命中させることもできないことである。
「まだだ!」
普通なら肉片の一つも残らない最高威力の技であるが、マガはそれで攻撃を辞めない。
「〈災禍・崩〉」
失われた六本の触手の代わりに二本の触手を生成。手数が減るが、その分代わりに大きさと質量が大きくなったことで、威力とスピードが増した。
触手でイザベリアが居たと思われる場所を叩きつけ、大地ごとその肉体を粉砕する。
「〈爆禍〉!」
そして、駄目押しの技を詠唱する。
空中に赤黒い円状のものが幾つか重なって展開される。それは魔法陣にもよく似ているが、魔法陣とは明確に違ってもいた。
一瞬、辺りを真っ黒な闇に支配され、そして、そこで爆発が発生した。
赤く、黒く、禍々しいエネルギー波が周辺ごと吹き飛ばす。地図を書き換える破壊がそこで行われ、地震が起きたと錯覚するほどだった。否あるいは、それ以上の禍にも思えただろう。
「はあ⋯⋯はあ⋯⋯はあ⋯⋯」
マガが生き返るには、この赤黒い力が必要不可欠だ。そしてこの力には限界があるし、すぐ回復するわけでもない。少なくとも今使っただけの力が回復するのは、一日後ではないだろう。
まだ彼は、三桁近くは生き返られるだけの力を持っている。ただしイザベリアを殺そうとするなら、その半分以上は確実に攻撃に回すことになる。
つまり、マガには殺される可能性がある。それもかなり高い確率で。
──そんなことを考えているのは、マガが今の一連の技の連発でイザベリアを殺し切れていないと思っていたからだ。そしてそれは杞憂にならなかった。
「────」
忽焉、マガの四肢が吹き飛ぶ。鮮血が宙を舞い、紫の水晶の槍が彼の頭部を貫くと、それに続くように胴体にも無数に突き刺さる。そして不自然な重力がマガを支配し、全方向から押し潰された。最早赤とピンクの混ざったドロドロとした何かに成り果てる。臓物と筋肉と脂肪と血の判別なんてまるで付かない。
「HURRY,HURRY,HURRY,HURRY,HURRY! 肉体を再生させろ。戦う意志を見せろ。まだまだ殺し合いは始まったばかりだよ? あなたはまだ私に一撃も与えていないよ? あなたの力はそんなものじゃないでしょ? 私を殺せるはずだ。私に傷を与えられるはずだ。力を十全に使え。力を使いこなせ。力を自らのものにしろ。まだだ。まだまだまだまだまだまだまだ。終わるなよ。終わらせるなよ。終わらせてたまるものか。私はまだ全力じゃない。まだ本気になれない。まだ殺意を持てない。あなたが未熟で、生熟で、幼くて、青くて、半可で、半端で、不慣れで、初心で、若くて、稚拙で、幼稚で、すぐに殺し終わってしまいそうだからさ。私に闘争への憧憬を抱かせるだけ抱かせておいて、消化不良に終わらせるのは赦さないよ」
イザベリアはゆっくりと歩き、マガに近づく。
──ああ、殺される。
このまま何もしなければ、いや、抗ったとしても殺されることには変わりない。イザベリアはマガの技に満足せず、失望され、殺される。
死ぬ。
「────死ねない」
死ぬのは全てが終わってからだ。
「僕が皆を殺すときまで、僕は死ねない」
このままでは、何もできずに死んでしまう。それだけは駄目だ。そんな終わり方は最も避けなければならない。ここで僕が皆を殺さないと、皆は幸せに終われない。もっと悲惨な状態で終わることになる。それだけは駄目なんだ。
だって、そうなったら、天国に行けない。
死ねたなら天国に行ける。でも終わってしまったら消えてしまう。それだけは、絶対に、なってはならない。
それが理解されないとしても、僕はそれをする使命が、義務がある。
「⋯⋯⋯⋯僕は君を殺す」
取り繕っただけの自己満足ではない。純粋な殺意でもない。それは、心からの善意。正義。決意だ。
マガは命を懸ける。イザベリアとの殺し合いを始める意志を持つ。
「ようやく⋯⋯その気になったね」
イザベリアは笑う。
マガはそんな彼女を正面から、殺意でもない、偽善でもない信念を持ち、相対する。
──禍ノ人
そうして、覚悟する。諸刃の剣を振るうことを。