6−4 破戒魔獣殲滅作戦Ⅲ 〜飴と鞭〜
並列思考。つまるところ形成できる新たな人格数は合計三つだ。単純計算、演算能力は当初の三倍であるのだが、フィルはまだ人格の制御が完璧ではない。
演算処理の結果の擦り合わせ。各々が別々に魔法陣の構築をすることはできても発動タイミングの息が合わないのだ。主人格というものがある以上、下手をすれば自分の魔法で自分を攻撃することになるかもしれない。
だがそれでも、演算能力の上昇はそれ以上の戦術的価値があった。
「まずは小手調べに⋯⋯〈重力渦〉」
超重力がそこに発生し、渦を作る。触れれば対象を飲み込み、極小の肉塊へと変貌させるだろう。通常の重力系魔法と異なり、それは抵抗が難しい。
フィルはそれをイドルの分身体に飛ばすと、分身体はそれを複数の触手で弾いた。
結果、弾くことには成功したものの、そのために用いた触手は見るも無残なミンチの状態だった。蜥蜴の尻尾切りみたく分身体は触手を自ら切断する。
「ふむ。耐久力は変わらない、か。でも、敏捷と力は遥かに上昇しているね」
フィルにもう一体の分身体が突っ込んでくる。先程より遥かに素早かったが、彼女が見切れないスピードではなかった。
フィルは体を軽く捻り、触手の猛撃を躱していく。しかし、いくら見切れると言っても数が多過ぎて、全てを避けきることは難しく、負った傷は少なくない。
「〈治癒〉」
が、そんな傷もすぐさま治癒する。服だけがどんどん削れていくので、全裸になる前に終わらせないと、とフィルは思った。
「〈次元断層〉」
防御系魔法は言ってしまえばかなり硬い物質を生成する魔法である。だから、それは使い用によっては攻撃となる。
次元の断層を分身体の頭上から、それを押しつぶすように生成。普通の物理攻撃は無効化するため、分身体の体は破裂しかける。だが、伸縮性のある体であったためか、何とか分身体はそこから抜け出すも、
「捕獲完了ってね。〈硬質水晶散弾〉」
次元断層の鳥籠に囚われた分身体を、無数の青白い水晶の弾丸が襲う。血肉を撒き散らし、瞬時にして体はボロボロになった。
そこでもう一体の分身体がフィルの頭上から攻撃を仕掛けてくる。だが、
「私は感情を読み取ることで凡その思考も分かる。帰還途中でエストから聞いたんだ。そうすることで、情報量は多くなるってね」
後方に居たカルテナの思考を読み取り、ノールックの状態でフィルは触手から逃れる。
「〈硬質水晶槍〉」
地面から先端の尖った水晶が複数生成され、それが分身体の体を貫く。フィルは追撃と言わんばかりにその魔法を今度は分身体を上から貫くように行使し、分身体は身動き一つとれなくなった。
「〈重力操作〉」
フィルは右手を大きく上に振ると、水晶が──それと連動して分身体が真上に飛ばされる。そして、今度は腕を振り下ろすと、分身体は地面に激突。
血が平原を汚し、分身体は動かなくなった──と思った次の瞬間、
「────」
フィルの胸を、一本の触手が貫いた。
分身体は尚動こうとし、蠢こうとし、水晶にひびが入る。だが、
「死に損ないね。今度こそ終われ」
カルテナの治癒魔法により、フィルの致命傷は刹那の間しか持続しなかった。優秀な治癒魔法使いが居るとこういうこともできるのだ。
フィルは無詠唱で複数の魔法陣を展開。それらからは水晶の塊が出現し、今度こそイドルの分身体の息の根を止める。
さて、次は本体だ。しかし、視界内にイドルの姿はなかった。だが、フィルもカルテナも、その状況には困惑も、ましてや恐怖も覚えなかった。何せ、
「──ああ、面倒な。どうしてあんたは分かっていて、アタシにそれを任せようとするの?」
地面からフィルを殺そうと現れたイドルだったが、次の瞬間、その体は破裂していた。
傍から見れば何が起こったのか分からないくらい速かったし、その後を見ても分からなかった。
いつの間にかそこに女が一人増えて、いつの間にかイドルは死んでいた。ただ、それだけの話だ。
「大罪魔人で最強の君に任せるのは、至極当然のことじゃないかい? シニフィタ」
「あれならあんたでも相手できたわ。フィル」
「さあね。君の情報分析力は宛にならないから」
地面を擦るくらい長い金髪は所々飛んでおり、眠たそうな瞳は緑色。ワインレッド色を貴重とした寝間着さえもきちんと着ておらず、肩は落ちているし、大きな胸もギリギリ隠れている程度。太腿が大胆に露出していて、まるで着替えている途中で現れたようだ。
外見年齢は二十代中盤ほど。艶やかな美を持つ高身長の女性だ。
「シニフィタお姉様、ありがとう」
カルテナが歩き寄ってきて、満面の笑みでシニフィタに感謝する。どっちか分からなくても、どっちであっても、その笑みは庇護欲を沸き立たせる。
「感謝はいらないわ、カルテナ。アタシはあんたなら守ってあげるし、それが当然だから」
フィルへの態度とは全く異なり、シニフィタはわざわざ膝を折り曲げ、カルテナに目線を合わせながらそう言った。まるで母親、あるいは姉のようだ。
「私も守ってくれないのかい? シニフィタお姉様」
「守る必要があるとは思わないわ。それにその呼び方は辞めて。して良いのはカルテナとレヴィと、そしてセレディナお嬢様だけだわ」
「そうかい。シニフィタ。私は君よりか弱くて、愛想のある妹だと思うのだけれどね」
「どの口が言うのか⋯⋯」
シニフィタは呆れるようにそう言い捨てた。
◆◆◆
風圧が生じたと同時。彼は現れた。
赤色が基調の軍服にも似た服を着た大男。身長は百九十センチ後半はあるだろう。もしかすれば二メートルかもしれない。
服の上からでも分かるくらい筋肉隆々で、見た目ではあのアレオスよりも力強そうだった。
黒に赤のメッシュが入った短髪。そして、見ただけで震え上がりそうなくらいの強面。無数の傷が、それをより強調していた。
彼はその灼熱の如き真っ赤な目でマサカズたちの方を見て、口を開く。低く、覇気のある声が響いた。
「⋯⋯セレディナ様の命より、お前たちを助けよう。私は『憤怒』、サンタナと言う」
サンタナはサーベルをどこからともなく取り出し──、
「あの心臓の表皮を破壊すれば良いんだな?」
「え、あ、ああ」
それを、投げる。
サーベルはエフミテルの外皮に弾かれる。しかし、同時に、その外皮にはひびがはいった。そして、またもやサンタナはサーベルをどこからともなく取り出し、両手に持った。
「私があれを壊す。お前たちは援護し、トドメを刺せ」
有無を言わせぬ口調、低くドスの聞いた声は肯定以外の回答は許されないようだった。
すかさずマサカズたちは「イエス・サー」と言うと、サンタナは軽く地面を蹴るようにして──地面が砕け、次の瞬間には十五メートルほど直立跳躍していた。
「──すげぇ」
サンタナはエフミテルの胸にサーベルを二本突き刺すと、あの硬い皮膚を突き破り、血を噴かせる。そして更にサンタナは、突き刺したサーベルの柄を足場に更に跳躍し、エフミテルの頭部に到達。右ストレートを繰り出すと、エフミテルの溶けた顔面を陥没させ、二十メートルの巨体を揺るがせた。
「今だ」
サンタナのその言葉の意味を理解するのは一瞬だった。
マサカズとナオトは再生していた足首の裏側をまたもや断ち切る。
エフミテルの体は地面に仰向けに倒れて、大地を揺るがす。
「────」
サーベルを両手に持ち、サンタナはエフミテルの胸の外皮を斬りつける、斬りつける、斬りつける。
刃が使い物にならなくなれば新たにサーベルを取り出し、古い物は胸に刺す。
だが、エフミテルもいつまでも斬られ、刺されっぱなしでいるわけがない。手を伸ばし、サンタナの体を掴み、地面に叩きつける。
足を完治させ、エフミテルは立ち上がった。
煙が立ち込める中、エフミテルは的確にサンタナの居る場所を踏み付けた。
「っ!」
あんな巨体の踏み付けを食らえばただでは済まない。サンタナは死亡、良くて致命傷を負ったと思い、マサカズたちの血の気が引いた。彼が死んでしまえば、今度はマサカズたちの番だったから。
──だがそれは、杞憂であった。
「憎々しい⋯⋯。火山の如く、灼熱の如く、炎の如く、怒っている。この、私の弱さに。なぜ私はこんなにも弱い? なぜ私はこの程度に押されている? ああ、ああ、ああ⋯⋯憤りが隠せない、血管が切れそうなくらい、私は今、憤怒している」
エフミテルの足を、サンタナは両手で受け止め、あろうことか耐えている。
足が重量に耐えられずにはち切れている。腕は骨が露出し、筋肉繊維が一本一本切れていっている。顔には新たに裂傷が刻まれている。
傷だらけだ。死にかけだ。しかし彼は、生きている。憤怒している。その心に灯った炎は、更に火力を上げ、燃え滾る。
「URAAAAAAAA!!」
雄叫びを上げ、サンタナはそこから離脱することに成功。
エフミテルは誰も居ないところを踏み付けると大地が悲鳴を発した。
「〈十光一閃・連斬〉」
両足首を狙い、マサカズの体は光に達し、削ぐ。
しかしそれはそこで終わらない。〈縮地〉をこれに組み込むことで、体力が、気力が、覚悟が続く限り、連撃は止まらない。
エフミテルの足に、再生を許さずに合計八連の斬撃を加え、裂傷を負わせる。
「〈疾風迅雷〉」
ナオトはマサカズと同時に、エフミテルの肩を、脇を、腕を何度も何度も切り裂く。右腕を動かせなくすれば今度は左腕だ。
刃が皮脂と血で使えなくなるのとほぼ同じくして、エフミテルの両手両足は使い物にならなくなる。
そして、サンタナが両手に、両手剣を持った。
「──ッ!」
サンタナの腕に凄まじい衝撃が走り、痺れる。それほどまでにエフミテルの胸の外皮は硬く、鎧だと言っても過言ではない。
斬るというよりは叩き壊す。サンタナは剣を乱暴に振り回し──しかしそれには技術があった──、バキッ、という音と共に、サンタナの両手剣は砕けるが、外皮も完全に破壊した。
そして、外皮が破壊され、コアを包む柔らかい肉に向かってユナは接近しつつ連射し、肉を抉って、水晶体のようなコアが露出した。
「〈深紅眼〉」
ユナの目が真っ赤に染まる。頭に尋常ではない殺意が浮かび上がり、身体能力が大幅に向上する。
地面を蹴り、跳躍し、右手に持っていた矢をコアに全力で突き刺す──、
──刹那、ユナの体に触手が貫通した。
右脇腹から一直線に、貫通したのだ。
矢はコアに傷をつけるだけで、破壊まではいかなかった。
「う、え、あ⋯⋯?」
触手は振り上げられ、地面にユナを叩きつける。触手は縮み、本来の長さに戻った。
「ユナ!」
ナオトがユナを助けに向かうと、触手は新たな餌を見つけ、喜んだように見えた。マサカズも走り出し、触手を断ち切る。
断ち切ることには成功できた。しかし、聖剣には油と血肉が纏わり付き、すぐにもう一度斬ることはできなくなった。
「⋯⋯フィルたちは何をやっているんだ」
マサカズの目の前に居たのは、薄紫色の肉塊──『偶像』イドル。
「──は?」
イドルの体がその時、とんでもなく巨大化した。否、袋でも広げるように伸縮した。そして、エフミテルの体を一旦飲み込み、すぐに吐き出すと、エフミテルの斬った両手両足は完治していた。
「嘘だろ⋯⋯そんなのありかよ⋯⋯!」
エフミテルの体が完治したこともそうだが、マサカズが驚いたのはそれだけではない。
イドルの体が蠢き、四つに分裂したのだ。
マサカズ、ナオト、ユナの三人に、分裂したその一体が襲い掛かってくる。
もう体は限界だ。戦技をこれ以上使うことはできない。
今度こそ死ぬ。そして、マサカズにはこの状況が詰みかのように思えた。
もし、『死に戻り』が詰みの状況で発動しないなら? そうなれば、マサカズは本当の意味で死に至る。
イドルの無数の触手がマサカズたちを襲う。サンタナが助けに間に合ったとしても、この数はどうしようもない。
死ぬ──そう思ったとき、突然目の前に女性が現れた。長い金髪の、寝間着を着た長身の女性だ。
間に彼女が入り込んだだけで、イドルは身動き一つ取らなくなり、女性に触手が当たる直前で静止する。
「え」
「⋯⋯面倒な。たった一回でアタシの能力を看破するとは」
イドルは女性を恐れたから触手を静止させたのではない。女性の能力を理解したから、それは悪手であるから、攻撃を辞めたのだ。
女性はイドルに軽く殴りかかる。ひ弱そうな一撃だったが、イドルは全力で回避し、距離を取った。
「シニフィタ。助かった」
「これはアタシの落ち度だわ。だから謝らなくて良い」
『怠惰』の魔人、シニフィタが殺したのは本体ではなく、分身体であった。フィルたちが殲滅したのは全てイドルの分身体であり、本体は、
「あの四体のうちのどれか。あるいは隠れている残り一体⋯⋯それを殺さない限り、イドルは無限に分身体を作り出すね」
フィルは、イドルの能力を考察し、その結論がこれだ。
──破戒魔獣は、一体につき転生者五人で挑まなくてはならないのだ。今の戦力では、足りないにもほどがあると、ようやく自覚した。