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白の魔女の世界救済譚  作者: 月乃彰
第六章 黒
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6−1 英雄にはならない

 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。

 体が不思議なくらい軽い。いや、質量を感じない。そうまるで、意識だけがそこにあるようだ。

 体を動かすことはできたし、体を見ることもできた。だから、いやしかし、その表現は──当たらずとも遠からずだった。


「────」


 酷く記憶が曖昧だ。自分が何者であるかさえ分からなかった。体つきから男であるということは分かる。だがそのくらいだ。名前シールなんて貼っていない。


「────」


 声も出ない。喋っている気はするのだが、音がしないのだ。いや、それどころか、ここには音が存在しない。動いて、おそらくそこにあるだろう床を擦る音もしないのだ。

 辺りは真っ白だった。床も天井も壁も何もないように感じるし、あるようにも感じる。感覚が曖昧で、正しいことが分からない。これが現実であるか、夢であるかさえ、判明しない。


「────」


 誰か、と言ってみた。勿論のことそれは自分自身にさえ聞こえないし、誰にも聞こえていないようであった。

 しばらく、時間が経過した。そして気づいた。

 どうやら、自分は動いているらしい。辺りの景色が、心なしか変わった気がするのだ。白い靄が少しずつ、少しずつ薄れていっているようなのだ。

 自分自身、動いているつもりはないので、この空間が動いているのか、はたまた水流に身を任せるプランクトンみたいに移動しているのかもしれない。

 何にせよ、状況には変化があるようだった。


「────」


 ここでは時間の感覚も曖昧であるらしい。気づいてから既に数日経った気もするし、数秒である気もする。

 分からない。だが、恐怖はなかった。まるで、母親のお腹の中にいるような、そんな安心と暖かさがここにはあった。

 そして遂に、大きな変化は訪れた。

 視界を、光が満たした──。


 ◆◆◆


「⋯⋯うおっ! ⋯⋯と、危ねぇ」


 ぼーっとしていて、もう少しでマサカズはアンデッドの馬から転げ落ちるところだった。それを見ていたユナはマサカズに、


「何してるんですか? 本当に大丈夫なんですか?」


「あ、ああ。大丈夫だ。だが少し⋯⋯眠たいのかもしれないな」


 いや違う。全然マサカズは眠たくなんかない。

 ──思い出したのだ。自分が『死に戻り』したとき、どうなったのかを。


(まあ、そりゃそうか。俺の『死に戻り』は世界の時間を巻きもどす力⋯⋯世界全体の時間を巻き戻している間、俺の記憶やら何やらの集合体──魂は、あの真っ白な空間に置かれていた、ってわけか)


 世界全体の時間を巻き戻すということは、勿論記憶なども巻き戻すということだ。マサカズが記憶のみを継承する理由は、その巻き戻しの間に魂が別空間──言ってしまえば隔離されているのだろう。それによって、世界の巻き戻しの影響を受けないでいる。


(にしても、なぜこのタイミングで思い出したんだ?)


 思い返してみれば、ここ最近、どうも頭の調子がよろしくない。


(って、誰が馬鹿だ、ってな。でもまあ、こう表現するしかないか)


 人間の上位種であるかのように振る舞う人格が時々顕現したり、ガイアと名乗る神と夢の中で出会ったり、そして『死に戻り』の時に何があったかを思い出したり。

 これまで起きなかったことが、どんどんと起きてきている。果たしてこれは良い傾向なのか、はたまた悪い傾向なのか。それこそ神のみぞ知る、と言ったところだろう。


(⋯⋯味噌汁飲みたいな。この世界ないよな、味噌)


 考えても分からなかったから、マサカズは考えるのをやめた。そんなことはどうだって良い──わけではないが、現状、優先度は低めだ。今すべきことを終えてから、後はじっくり考えれば良いだけの話。


「⋯⋯『大樹の森』が見えてきたぞ」


 そんなことを考えていると、目的の場所が見えてきた。

 時刻は夕方。これから夜になろうとしているところだ。できるなら日が昇る時まで待って居たいが、今はその一刻さえ惜しい。


「破戒魔獣は⋯⋯居ないようだな」


 憶測では、破戒魔獣たちは黒の魔女に支配される恐れがある。そのため、黒の魔女に支配される前に破戒魔獣は殲滅する必要があるのだ。

 勿論、それは容易いことではない。しかし、黒の魔女に支配され、指揮を取られればより強力になる。それだけは避けなければならない。


「あとは大罪魔人たちと合流するだけ、か」


 集合場所は決めていないが、近くまで来た場合、従者となった魔人は主人の場所が分かるらしい。魔力を感じられる以外にも、オーラとやらが云々⋯⋯とのことだ。それを話していたレヴィに、レイが頷いていたので、魔人にしか分からない感覚なのだろう。


「──ああ、憂鬱だ」


 『大樹の森』の木の葉が夜風に吹かれ、葉音が鳴る。夜の冷たさは心地良く、夜空を見上げれば──マサカズの知らない天体ではあるが──綺麗な星々が精一杯煌めいていた。

 しかし、そんな、一見素晴らしい場所であるが、マサカズはそれらを堪能できなかった。これから起こるであろう戦いが、この世界の命運に繋がると知っているからだ。


「十六歳の俺たちには重すぎる責任だぜ」


 転移直後にも、似たような事を言った覚えがある。あれから二ヶ月しか経っていないのが嘘みたいだ。否、マサカズの体感時間だともっと長いのだが。

 時間が経てば経つほど、皆の感情が現れてきているようだった。

 マサカズは憂鬱を。ナオトは不安を。ユナは恐怖を。レイは心配を。セレディナは僅かな憂慮を。レヴィは悔しさを。カルテナは分からない。フィルは苛立ちを。

 兎に角、良い感情を抱いている者は居ないようであった。現実が見えてきているといえばそれまでだが、これは良くない傾向だ。


「ねえ」


 そんな彼に、エストが話しかけてきた。彼女から話しかけてくるのは珍しいことだ。

 ──違う。エストはマサカズに話しかけてきたのではない。マサカズを含めた、ここに居る全員に話しかけてきたのだ。


「これから、私たちは死闘を繰り広げることになるだろうね。私は強いし、セレディナ、キミも強い。ここに居る皆だけで、一体幾つの国を滅ぼせるだろうね?」


 おそらく、時間さえあれば幾つでも、だ。そしてその方法も千差万別。各国撃破できるなら大陸を滅ぼすことも叶うし、全部を相手にしても、神話の大戦を繰り広げられるだろう。


「時間があれば、もっと仲間を呼べたかもしれない。黄、緑の魔女を説得できたかもしれない。確かに私たちは強いけど、強さとは相対的なものだ。始祖の魔女からしてみれば私たちは弱くなる」


 エストがやっているのは、皆を元気付けることではない。


「でも⋯⋯今、この瞬間に用意できる戦力で最強なのは私たちだ。たら、れば、かもの話なんて建設的じゃない。今この瞬間こそ、最高の状態だと私は思うね」


 彼女がやっていることは、皆に喝を入れること。鼓舞することだ。


「私は、世界の救世主なんていう名誉を狙っているわけではない。でも⋯⋯それも悪くないんじゃないかな。畏れ多き魔女であるより、レネのように、尊敬され、信仰される方がマシだ」


 憂鬱であったマサカズの気持ちは晴れてくる。


「キミたちもそうだろ? これは誰の為でもない。ましてや世界の責任を負うなんて真っ平ごめんだね。⋯⋯そう、これは私たち自身のため」


 エストは息を呑み、


「──『欲望』さ」


 世界の救世主など誰がなってやるものか。そんな面倒な事、押し付けてくれるな。

 

 英雄になんてならない。


 世界の為だとか、愛する人を守る為だとか、そんな崇高な願いの元、英雄になんかなるわけがない。

 英雄は物語の中のもの。現実にそんな他者優先主義なんてない。多くの人々は自分の命が惜しく、少しでも長く生きようと死地から遠ざかろうとする。

 だが、エストたちは自ら死地へと飛び込んだ。


「そうさ! 私たちは誰の為でもない、私たち自身のために世界を救ってやろうとしているのさ。だったら、どうしてそんなにも気負ってるのかな?」


 責任を感じているのは馬鹿らしい。


「元の世界に帰るため。この世界に生きるため。私を殺すため。そして⋯⋯この世界には生きていてもらわないといけないため」


 エストは、なぜ、自分たちがこの場にいるのかを彼らに自覚させる。


「誰も、世界のためじゃないでしょ? だったら、責任なんて自分一人にしかない。だったら、気負う必要なんてない」


 失敗しても、それは自分だけの責任。なら、気負う必要はない。なにせ、失敗したところで誰の迷惑にもならないから。


「『欲望』のために、私たちは戦う。それ以上でも以下でもない。その付加価値に惑わされるのは非常に愚かしいことを自覚したら良いと思うよ」


 英雄。勇者。伝説。そんなもの、付加価値でしかない。全員自分のためにやったことで、誰のためでもない。ただその結果として、そう謳われるようになっただけ。


「幻想なんてこの世にはない。現実を見れば幻滅するだけでしょ? もし幻想があるなら、それは素晴らしき勘違いさ」


 エストは笑って、哂ってそう言い終わった。


「⋯⋯全く。お前と俺とが同じとは、よく言ってくれるぜ。少なくとも俺は、平気で人を殺したりはしたくないな。だが、まあ」


 エストの、彼女なりの励まし、基喝に返したのはマサカズだ。


「俺のこれが──『欲望』であることは否定しないぜ。俺だって嫌だ。勇者なんて言う堅苦しいものになるのは」


 その後、場に変化が訪れた。先程まであった良くない雰囲気は綺麗さっぱり消え去り、皆、やる気に満ちていた。

 そうだ。気負う必要なんてない。全部自分のためにやっているのだ。その結果で他の人からとやかく言われる筋合いはない。やらなかったお前よりマシだ、と言ってやりたいくらいだ。

 

「さて、忘れていたけどご飯にしよう。戦う前に食べとかなきゃ、肝心な時に体が動かないからね」


「でもこの場所で食事が必要なのは俺たち人間だけだろ?」


「それはそれ。これはこれ。だね」


「そうですよマサカズさん。必要でなくても食べることによって気が引き締まることはあります」


「だな」


「おいおいおい⋯⋯ナオト、ユナ、お前ら、ただのジョークにそこまで言わなくて良いだろ⋯⋯」


「エスト様、食事の準備できました!」


「え、まだ一分も経ってないよね?」


 マサカズ、ナオト、ユナ、エスト、レイの四人の団欒は、ひどく賑やかだ。


「⋯⋯アンデッドって食べ物を消化できるの?」


「ん? ああ。必要ないだけで、不可能ではないからな」


「フィル、言葉慎む。魔王様、失礼」


「君もその喋り方は辞めたほうがいいと思うけど? 凄く分かりづらいから」


「何? ボク、怒るよ」


「こら。喧嘩しない。魔王様の御前だから。⋯⋯ワタシの顔でも見て落ち着く? フィル姉、カルテナちゃん」


「いや、お前こそ落ち着け、レヴィ」


 セレディナは三人の子どもをあやしている。本人は大変だろうが、傍から見れば微笑ましい。やろうとしていることは冗談じゃすまないが。

 皆は戦う前の食事時間を楽しみ、それを終えたのは開始から三十分後。もうそろそろ大罪魔人とも合流できる頃だろう。

 そんな時、


「セレディナ。話がある」


 セレディナに、エストが話しかけてきた。

 

「何だ?」


「ここじゃ話しにくいから、あっちに行こう」


 エストはセレディナを、マサカズたちから離れた場所に連れてきた。

 まさか、これから戦いだというのに喧嘩をするわけではないだろう。ただ少し心配しながら、セレディナはエストの口が開くのを待つ。

 

「⋯⋯キミは、私を殺すために私たちと協力しているよね」


「それがどうした?」


 そんなことは既に言っていたはずだ。今更なにを、


「許してほしいなんて思わない。あれはキミからしてみれば許し難いことだろう。だから、なかったことにはしない。⋯⋯させない」


 セレディナは赤い目を大きくし、エストを見る。彼女は空を見ていて、セレディナが見たのは彼女の横顔だ。


「ごめんね。キミの両親を殺したことは謝る。⋯⋯でも、私は死ぬ気が──」


「──誰がお前を殺してやるものか」


 エストは驚愕の顔でセレディナの方を見た。それもそのはずだ。彼女は何度も殺してやるとエストに言っていたのだから。


「私はこれまで、お前を殺すことだけを目標にして来た。王国でお前を見つけたとき、あれほどまでに殺意を覚えたのは初めてだった」


 セレディナは黒刀を造り出し、それを眺める。だがそれを構えて、刃をエストに向けようとはしなかった。


「⋯⋯お前がクロイらと喋っているのを見て、お前はただの殺人鬼じゃないことに気づいた。そして、どうして私の両親を狙ったのか、ようやく──五百年も掛けてわかった」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯なあ、エスト。私の両親を殺したのは、私の両親がお前を殺そうとしたからだろ?」


 ──セレディナの両親は、魔王と勇者だった。二人は世界平和を望み、そのために脅威であり、平和を乱す者である魔女たちを危険視し、全滅させようとしたのだ。


「────」


「私の両親は、お前⋯⋯いや、お前たち魔女を全滅させようとした。そして、お前は自己防衛のために、私の両親を殺した。そうだろ?」


 自己防衛のために相手を殺す。一見やり過ぎのように思えるが、彼女たちの実力者が相手だとやり過ぎくらいが丁度よいのだ。

 つまり、エストにはセレディナの両親を殺す理由があった、と言える。


「──私はお前を許さない。だが、殺さない。全力をぶつけて、殺さない程度に殺すだけで済ましてやる。だから、お前ももう、気負う必要はないぞ」


 セレディナは黒刀を空中に投げ出すと、黒刀は離散するように消え去った。そして、彼女は仲間たちがいる場所へ一足先に戻って行く。


「⋯⋯はっ。言うね、魔王セレディナ」


 エストは薄く笑みを浮かべた。

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