5−30 再・エルフの国へ
時刻十八時。あれから仮眠を取ったりして体力を可能な限り回復させ、いよいよ聖共和国から出発することになった。
そして肝心の乗り物についてだが、
「⋯⋯え、なんですか、これ」
それを見たユナは、第一声に困惑の意を込めた。
それもそのはずである。何せ、自分たちが乗ることになるものが──明らかに異形であるのだから。
四足それぞれには鋭利な爪があった。体色は黒と紫から成り、禍々しさを追求したみたいだった。
一番外見が近いのは馬であるが、足が骨のような質感であったり、牙が鋭かったり、頭部に至っては白色の骨。眼窩には真っ赤な光が灯っている。
そのアンデッドの名は、黒い死の使者。
「簡単に説明すれば、黒死病を周りに振りまくアンデッド。一体現れればその国では大量の民が死亡するね」
ユナが知る元の世界でも、黒死病はあった。何でも当時のヨーロッパの人口の三分の一が死んだという感染症だ。
そんな一体で──時間はかかるが──大虐殺を引き起こせるアンデッドを、人数分。
「⋯⋯俺たち、国を滅ぼしに行くわけじゃねぇよな? というか、俺たちも黒死病なんかに感染したくないんだが」
「勿論。それらはカルテナに従属している。だから私たちに危害を加えることは絶対にない」
当然だが、ペストホースは常時ペスト菌を振り撒いているわけではない。なのでそれを制御させれば、ただの馬として活用できるわけだ。アンデッドなので疲労も、食事も、睡眠も必要なく、自分たちの休憩時間さえ確保すれば良いだけなので、足としては優秀。しかし、
「飛竜で二日くらい。休憩は最低限で良いとは言え、馬だと時間がかかりすぎるんじゃないか?」
「そこも大丈夫。ペストホースと飛竜はさして変わらないスピードを出せるから」
ナオトの疑問は一瞬で晴れた。飛竜と同じくらいの速度──それも地上を走れるアンデッドの馬。
カルテナは死霊系魔法の使い手なのだろうか。しかし、マサカズのあの死の記憶では、カルテナは確かに魔法使いだが、使っていたのは水の魔法だった。
「能力」
「え?」
「だから、能力」
「あ⋯⋯そうか。というか、お前俺の心読んだ?」
「特技」
エスト、セレディナ、記憶を失う前だがフィルと、当然のように人の心を読むことができる相手が多すぎる。彼女らと敵対する道を選ばなくて良かったと、マサカズは心から思った。
「それでは、行くぞ」
セレディナがそう言うと、各々ペストホースへと跨る。するとペストホースは何も指示をしていないというのに、動き始めた。
「ボク、全部操作してる」
カルテナの命令によってペストホースたちは段々と加速していき、車と同等の速度に達すると加速は終了。以降は速度の維持する。
砂漠の地面をまるで石畳の上のように、あまり揺れなくペストホースは走っていた。はっきり言って乗り心地はかなり良い。
「夜はやっぱり寒いな」
一応、風除けと寒さ対策にフード付きマントを着用しているが、それも完璧ではない。しかし無いよりは断然マシであろう。
白色の月明かりがマサカズたちを照らす。夜の砂漠というのも、こうして見てみれば悪くない景色だ。
アンデッドの馬に乗ることに恐怖を覚えなくなったのは、それから十二時間後、日が出る時だった。
◆◆◆
日が出ている間は暑く、本来なら行動は控えるべきだ。しかし、今回は時間優先。暑い中も、マントを纏いながらマサカズたちは走っていた。
そのため日中は夜中よりも高頻度に水分補給を兼ねた休憩を取っており、苦しくないと言えば嘘になるものの、無理難題というわけでもなかった。尤も、転移者としての身体構造がそれを可能にしており、普通の人間なら限界点は疾うに過ぎていただろう。
「──そう、いい感じだね」
そしてその休憩時間に、フィルはエストから魔法を教わっていた。
「ふーむ。記憶を失う前はかなり魔法を使えたのかな。どうも、身に馴染んでいる気がするよ」
第一から第十一階級までの魔法を一通り行使してみると、やはりフィルは容易に魔法を行使できた。ただどうも、『ゔぉいどどみねーしょん』なる魔法は使えなかった。
「ゔぉいど⋯⋯どみねーしょん⋯⋯虚空支配?」
直訳だが、どう考えても高階級の魔法なのは確実だろう。しかし第十階級を易易と行使できるフィルがどうして、その魔法は行使できなかったのか。
「第十よりも高階級の魔法がある、とか? ⋯⋯勘弁してくれよ」
マサカズの予想は見事的中しているが、彼はそれをきっと喜ばないだろう。
何にせよ、これからは共闘する仲なのだ。こうしてフィルに魔法を学ばせることは大事だ。
魔法は一に知識だが、二に才能。どちらかがなければ魔法は行使できない。その点フィルは、知識さえあればあとは実戦だけ。計数時間であったが、『記憶操作』による知識の獲得により、その短時間は魔法を使えるようにするには十分だった。
「〈次元断〉」
不可視の斬撃がフィルの展開した白の魔法陣から飛ばされた。それは空間を切り裂き、そしてある程度飛んだところで消えた。
「魔力の操作がまだ不完全だね。⋯⋯そうだね、水をイメージすると良い。魔法を発動するには、流れが必要なんだ。魔力を流動させ、渦を作る。それを手のひらから出すようにし、同時に魔法陣のイメージもするんだ。慣れないうちはイメージも大切なのさ」
魔力の感覚というものがよく分からないマサカズにとって、エストの説明する魔法は全く意味不明だ。
しかし、フィルは分かったらしく、なるほど、と言うような表情をした後、もう一度同じ魔法を使った。
標的がいないためマサカズは、先程と何が違うんだろうかと思ったが、エストはそれを「素晴らしい」と言っていたので全く違うんだろう。
「ほら、もう行くぞ」
休憩時間は終わり、マサカズたちは再びペストホースに乗馬する。
移動中に他者と話すことは難しいが、できないわけではない。カルテナの操作による強制はある程度緩和されており、今ではある程度なら乗者の自由意志によってペストホースを動かせるようになった。
「セレディナ、他の──『傲慢』、『憤怒』、『怠惰』、『暴食』の魔人たちとは合流できないのか?」
『強欲』がそうであったように、他の大罪魔人たちの実力がかなり高いなら、戦力として欲しい所だ。しかし、セレディナがそれについて話さないのを見ると、ある程度予測はつくが、一応聞いておくべきだろう。忘れているかもしれないのだから。
「連絡手段がなくてな。私たちの中で〈通話〉が使えるのはフィルだけだったんだ。カルテナは黄魔法を使えないんだ」
肝心の連絡員が記憶喪失により連絡できないので、合流は難しいということだ。しかし、
「ならエストから教えてもらえば、その〈通話〉が使えるんじゃないか?」
「〈通話〉は相手の容姿だったり、声だったり⋯⋯とにかく、その人物と断定できる情報を知っていなければ使えないんだ。だから、繋がるとしたらこのメンバーだけになるな」
「そうか⋯⋯ん? ちょっと待ってくれ」
マサカズはそれを聞いたとき、あることを思い出した。ちょっと考えれば思いつく簡単な事だった。
「レイ、七大罪魔人と連絡できるか?」
以前、レイは七大罪魔人と交流があったことを仄めかしていた。ならば、顔などを覚えているはずだ。そうでなくても、見たことはあるはずで、そうならエストの能力を使えば良い。
「え? ⋯⋯あっ」
マサカズの言いたいことに瞬時に気づき、完全に意識外だったことをまずレイは謝った。それから彼は〈通話〉を行使した。
「あー、レイです。⋯⋯いえ、そんなわけないでしょう。⋯⋯えっとですね、あなた方の主人と協力することになってですね、多分翌日の夕方くらいにはエルフの国につくので、そこに来てください。⋯⋯ええ、『傲慢』と『怠惰』には私から伝えておきます。⋯⋯分かりました」
無事繋がったようで、レイは大罪魔人と話しているようだ。そしてその話し合いはかなりスムーズに進んでいた。
「セレディナ⋯⋯さん、あなたと話したいとのことです」
当然の願いと言えばそうだ。主の許可と証明がなければ、従者は動くことは許されない。
レイはセレディナに通話を変わると、少し彼女が話した後、魔法は終了した。
その後も、『暴食』と『憤怒』にも話をつけ、思わぬ戦力を追加できた。
「これで戦力は十分⋯⋯と言いたいが、不安定がちょっとマシになった程度か」
「だがそれだけでも嬉しい、だろ?」
「まあな」
時間が経過すれば経過するだけ、周りの景色は砂から平原へと変わる。
そうなれば朝も夜も走っていけるが、やはり夜の大半は睡眠時間に割り当てた。
そうしてあと数時間もあればエルフの国に到着する頃だった。
「──ん。わかったよ。皆、少しそこの川辺で休憩しよう」
唐突に、エストが休憩を提案してきた。彼女は魔女であり、疲労などほぼしない。マサカズたちもまだまだ疲れていない。一見体力が少なそうなレヴィも、疲労はあまり感じないとのこと。
「どうしてだ? まだ休憩の必要はないが」
「出発前に、今の私の状況について話したよね? そういうことさ」
エストは、エルフの国に出発する前に彼女の現在の状況──イザベリアという始祖の魔女の魂が彼女の魂と混ざり合っていると言っていた。それが完了するとき、イザベリアは実体化できるはずだと言っていて、その時が来たのだろう。
「じゃあ、イザベリア、大丈夫だよ」
川辺に来て、エストが立って、そう言った瞬間、少女が現れた。
地面に付くくらい長い黒髪には艶があり、赤い瞳は吸血鬼のものとは異なる美しさ。幼い顔立ちだが、それでも成長したならきっと美人になるだろうことが分かる。喪服がほぼ全身を包んでおり、僅かに露出している肌は健康的な白さ。
外見は少女であるが、誰も彼女の頭を撫でたりはできないだろう。
「──初めまして。私はイザベリア⋯⋯始祖の魔女よ」
オーラはなかった。殺意もなかった。彼女が魔女の始祖であるという風格はまるで感じなかった。
しかし、鍛え上げられた勘が言っている。彼女は常識外の存在であると。
「⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯なんだ」
イザベリアはマサカズを見ていた。外見は美少女であり、またどういうわけかマサカズは彼女に対して良い印象を覚えていた。しかしその理由が分からない。
「⋯⋯いや。あなた、転移者、よね? そこの二人も。異世界に来たのはいつ?」
「大体二ヶ月前くらいだ」
イザベリアは溜息をつき、少し考える素振りを見せた。
「⋯⋯そう。なら⋯⋯うん。ねえ、あなたたちが戦力になるかどうか確かめたいし──私を懐疑の目で見てくるあなたと、エストとレイ以外に証明したいから、ちょっと殺しに来てくれる? 相手は破戒魔獣なんでしょ?」
「あ、ああ」
どうやら、彼女を始祖の魔女だと、強者であると確信していたのは、既にそれを見ていたエストとレイ、そして勘で分かったマサカズの三人だけであった。
マサカズの戦士の勘はそこまで鋭くない。それ以上のセレディナさえ気づけなかったのに、なぜ自分だけが分かったのかは分からない。
(俺が死を知っているから。死を恐れているから。だからこそ、強者を見極めることに優れている⋯⋯?)
常人より遥かに死を恐れているからこそ、マサカズは戦士の勘ではなく臆病者の勘で気づいたのだろう。
「転移者三人組だけでも、魔王と従者たちを加えても良いよ。全員でかかってきても、私には傷一つつかないだろうから」
傲慢な発言だが、マサカズにはそれこそ当然の発言だと思われた。強者の風格。強者のみに許された言動だ。
結局、エスト、レイ以外の全員がイザベリアを殺すことになった。傍から見れば一人の少女を寄って集って虐める集団にしか見えないが、その一員であるマサカズはむしろ少女にこれから虐められる集団にしか見えない。
開始の合図はエストの声。もう聞き慣れた美声と同時に、マサカズたちはイザベリアを殺しにかかる。
しかし、
「〈恐怖〉」
──瞬間、マサカズたちの体が停止する。そして武器を落とし、あるいは魔法詠唱を取り止め、または顔を見せるのを辞めた。
理由は、たった一つ。とんでもないほどの『冷たさ』。心臓を貫くような氷の槍。
痛みなどはない。外傷はない。命に危険性は全く無い。だが、心は屈した。
「⋯⋯まあ、合格。これで精神崩壊したなら不合格だったけど、怖気づく程度なら十分かな」
〈恐怖〉は、第二階級の黒魔法だ。エストが同じ魔法を使っても、セレディナは当然効果はないし、マサカズたちでさえちょっと呼吸が乱れる程度だ。
つまりそれは──イザベリアの魔法能力が異次元にあるということ。
「あなたたちの力は分かった。転移者である三人も、戦力として数えてあげる」
怪物。しかし逆に言えば、これくらいしてもらわなければ黒の魔女には対抗できないということなのだろうか。
「⋯⋯私は黒の魔女と全力で戦わなくちゃいけない。だから破戒魔獣に力を振るうことはできない。おそらく、すぐに黒の魔女と相対するからね。だから、前哨戦は任せたよ」
破戒魔獣の殲滅を前哨戦と言う少女。それこそ魔女の始祖、イザベリア。──この世の理から逸脱した者の名前だ。