5−29 暫しの休憩時間
治癒魔法というのは素晴らしい。自然治癒力がそこにあるなら、大抵の傷は完治するのだから。更に〈疲労回復〉 を使えば、疲労も無くなる。
尤も、負荷が全く無いわけではない。疲労感がないとは思うが、おそらく一度でも眠ってしまえば、普段の倍近い時間眠ることになるだろう。それに魔法も永続するわけではなく、効果が切れてしまえば疲労感は元に戻る。重ねがけも体に負担をかけるだけなので、単なる一時的な誤魔化しに過ぎないと言っても過言ではない。
「⋯⋯うっ」
目覚めとしては最悪だ。人が気持ちよく眠っていたのに叩き起こされるのは不愉快極まりないし、腕の欠損を完治させたことによる負荷はかなり重い。
だが、それを咎めるのも場違いというもの。どちらかと言えば、
「ありがとよ」
「全く⋯⋯よくもまあ負けてくれたね」
人の感謝を何だと思ってるんだこの魔女、とマサカズは言いたくなったが、彼女の気持ちも分からないことはないので、言葉を飲み込む。
「別にいいけどさ。それを承知でやったことだ。これ以上とやかく言うつもりはないよ」
フィルの提案を採用したのはマサカズたちだし、自分たちが負けたからと言ってそれに従わないための言い訳をするほど二人は子どもではない。
「マサカズ、大丈夫か?」
そんなところで、ナオトが声をかけてきた。彼も回復しているようで、傷や疲れは──
「待てよ。俺、ナオトに一撃も与えてないよな?」
思い返してみれば、ナオトに一撃も与えた覚えがない。全部回避された記憶だけがある。そして自分が受けたダメージは深刻そのものだ。もしこの世界に治癒魔法がなかったなら、もしくはエストのように高階級の緑魔法の使い手が居なければ、マサカズは再起不能になっていただろうほどである。
「そういえばそうだね。さっきのは前言撤回するよ。キミは弱い。だから私がもっと⋯⋯そう死ぬ気で、というか何回か殺すレベルで⋯⋯」
「いくら俺が『死に戻り』できるからって、あれ精神的ダメージデカイ上に、体の経験値は全く貯まらないからな!?」
『死に戻り』はあくまで知識の持ち越しだけだ。効率よく力を使えるようにはなっても、力が増えるわけではないのである。
「いやそれより、腕欠損してそれを治したマサカズには悪いが、明日にでもここを出発することになった。だから準備してくれ」
「ああ、分かった。⋯⋯ここからエルフの国まではどれくらいだ?」
マサカズたち五人に加えて、セレディナたち四人。計九人という大所帯──とまではいかずとも、中々数が多く、勿論飛竜もそれほど確保するのは難しい。かと言って徒歩で行くわけにもいかないのだが、
「ボク、それ、やる」
ピンクと白を基調としたセーターに、黒のスキニーパンツを穿いた桜色のボブヘアーの──彼、あるいは彼女。
中性的な容姿は万人を魅了し、声には甘さがあった。そして特徴的な話し方をしている。
「⋯⋯分かりづらい喋り方だね。正しいローンル語教えようか?」
自動翻訳されているマサカズたち異世界人には分からないが、エストたち原住民からしてみればより分かりづらい喋り方をカルテナはしているらしい。正し、分かりづらいというだけで、全く理解不能ということはなさそうだ。
「知ってる。癖」
「⋯⋯そうですか、っと」
「あんまり人の癖に言うもんじゃないぞ。俺らの故郷だと多様性が重視される世の中だったからな」
「こんな多様性なら不必要だと思うけどね。そういうのは他人に迷惑をかけない範囲でしといて欲しいものだよ」
エストとセレディナは仲が悪いどころではない。一歩間違えれば殺し合うような関係である。その部下にも辛く当たるのは必然といえば必然なのだが、
「これから協力する相手なんだ。そこまで邪険に扱うのは止してくれ──こう言ったほうが良かったか?」
「⋯⋯はいはい」
「⋯⋯話は終わったか? まあ、つまりそういうことだ」
どういう方法なのかは不明だが、カルテナはマサカズたちの足を用意する術を持っているらしい。
その足を今すぐ用意することは難しいので、出発は夜になるとのこと。
「じゃ、また夜に」
◆◆◆
『エストちゃん』
そう言えば聖共和国に入ってから一睡もしていなかったことを思い出し、エストは宿屋で眠っていた。もう少しで眠れそうになったのに、そこで頭の中に声が響いたのだ。
彼女をちゃん付けで呼ぶのはこの世界に一人しか居ない。しかしその一人は今、彼女の魂に入り込んで四日程しか経過しておらず、馴染むまでにあと三日ほどあり、その間はこちらに干渉しないはずだった。
『それについては後で話すね。でも今、あなたに話したいことがあるの』
魂は記憶も司る。つまりエストの考えていることはイザベリアに流れるので、こうして言葉を一つも発さずに会話が可能だ。
『⋯⋯うん。あなたは今、特に何もする必要がないよ。ただ、少し⋯⋯気になっただけだから』
一体なんのことだろうか、とエストは思う。彼女としては、今この瞬間にも気になることなんてないように思われる。だがイザベリアと同程度の力があると自惚れているわけではないので、彼女にしか分からないこともあるだろう。
『この都市の地下に魔法陣があるでしょ? そしてそれは黒の魔女が関係している⋯⋯ってクロイは言っていたよね?』
エストはマサカズの言葉を思い出す。確かに彼はそう言っていた。彼女自身はその魔法陣を見ていないのだが、この後見に行くべきだろうかと思う。
『いや、その必要はないよ。必要ない。だって⋯⋯分かるから』
なら早く寝たいので、言いたいことをさっさと言って欲しいものだ。
『あー、うん。ごめん。⋯⋯で、言いたいことってのは』
イザベリアは言葉をそこで一旦区切り、まるで自分の発言が正しいのかどうかを確かめているようだった。否、そうだった。
『──あの魔法陣、第十一階級魔法だよ』
「はぁっ!?」
エストはイザベリアから聞いたことに、思わず声を荒げてしまう。近くにいたレイが驚くが、エストは彼を無視し念話を続ける。
『そう。つまり、黒の魔女は最強の魔法使いと同等以上の実力者、ってこと』
有り得ない──とエストは言いたかったが、思い返してみればそういう節もあった。
ルトアを容易く殺害できる。セフィロトたちを部下にする。大陸規模での大魔法の計画。そして、
『え? ⋯⋯まあ、私なら一夜で大陸中央を滅ぼすことはできるけど⋯⋯時間異常を起こす瘴気? え? 何それ。ちょっとまって⋯⋯あ、そうか』
──七百年前、黒の魔女は大陸中央の国々を全て滅ぼし、その周辺には瘴気が漂った。その瘴気は時間経過に異常をきたし、時間は非常に遅くなっている。
『⋯⋯黒の魔女は厳密には黒の魔女ではない、って前に言ったよね』
黒の魔女はイザベリア曰く、彼女の力を分け与えられた相手ではなく、イザベリアと同じく自分の力だけで魔女となった者だ。だから厳密には黒の魔女ではない。
ちなみに、そのために黒の席は現在空席であるのだが、そもそも魔女適正を持つ者が世界に極僅かしか存在しない上に、黒の魔女とアレは名乗っているので、誰もその空席に座ろうとはしない。というかしようものなら殺されるだろう。
『多分、いや確実に、アレは──ややこしいから名無しの魔女と呼ぶね。ジェーン・ドウは、私と同じ『逸脱者』だ』
いきなり知らない単語が出てきた。
『あ、そういえばあなたにはまだ教えていなかったね』
そして、イザベリアはそれについて話し始めた。
──『逸脱者』とは、『世界の理』に囚われない者、つまり、法則から逸脱した者のことである。
有り体に言えば、『世界の理』を完全に無視して好き勝手に色々できる権限を持っているも同然の者であり、理内にいる限り正面から激突すれば勝てるわけがないとのこと。
『逸脱者』は無数にある理の一つでも超えればそう呼ばれるが、超えている理の量は実力には、全くないわけではないし、ものによっては関係があるとはいえ、大部分はあまり関係がないらしい。というのも一つでも理を超えたなら、他の理を超えるのは時間の問題──人間からしてみれば途方もない時間だが──であるからだ。
ちなみにイザベリアは、全ての理を超えていると、ドヤ顔したのが見れずとも分かる声調で自慢していた。
『第十一階級魔法が使えるってことは、まず間違いなく魔法の理は超えているね。魔法の理にもまだ種類があるんだけど⋯⋯問題は何の第十一階級を使えるか』
『逸脱者』にとって、超えている理の量は関係ないとは言ったが、その数少ない例外が魔法に関する理。
魔法には六種類あり、それらは赤、青、黄、緑、白、黒である。それに応じて、魔法に関する理も六つに分けられている。
『最悪なパターンが全て超えている場合。こうなれば私でも勝敗は予測できないし、ジェーン・ドウの魔法行使能力次第では負けも有り得る。というかもしそうなら、五分五分ではないね。最良でも一種類だけ──そしてそれはあの地下の魔法陣を見るなら、黒だけ超えている場合。確かにこれは最良だけど、超最悪の中の最良に過ぎないよ。これでも、私が負ける可能性があるんだよね』
最悪なパターンだと、イザベリアと互角以上の相手になる。イザベリアの実戦は実に千年ぶりなので、まだ全盛期の勘は取り戻せていない彼女だと、黒の魔女の方が有利と言える。
最良のパターンで、ようやくイザベリアに勝算が少し傾く──数値に表せば6:4──程度である。
『そこで、エストちゃん。あなたには少し、頼みたいことがあるんだ』
ようやく本題に入った。
『それはね⋯⋯ジェーン・ドウと最初に五分──いいや、二分で良い。戦って欲しいんだ⋯⋯アレに本気を出させるように』
こいつは何を言っているんだろうか。まともな思考回路は備わっていないのだろうか。
黒の魔女の実力はイザベリアと互角以上。そしてエストはイザベリアに超手加減されてボロボロになって一撃を加えるのがやっと。
率直に言おう。できるわけがないと。
また、これはエストは知らないことだが、墳墓内に居たイザベリアはあらゆる力が、特に特殊能力に対する抵抗力が著しく低下しており、本来なら『記憶操作』も無意識下で無効化できた彼女が不味いと言っている悲壮さは言うまでもない。
『そこをなんとか、ね? ⋯⋯まあ、全力を出させなくても、力の片鱗を見るだけでも構わないんだけど、やっぱり全力を見たいのさ。それに、何も力を見せつける以外の方法でも良いんだよ?』
煽れば良いのだろうか。いや、アレが乗るような挑発は思いつかない。アレなら笑って飛ばしそうだ。
『そう例えば⋯⋯あなたのお母さんを貶すとかね』
殴ってやろうかコイツ。
『違うよ。ジェーン・ドウはどうやらルトアのことを愛おしく⋯⋯ああ勿論私があなたに向けるのとはまるで異なるものだよ? それは愛しき好敵手って意味なんだけど、⋯⋯つまり、アレはアレなりにルトアのことを敬っていたみたいなんだ』
流石はお母さんだ。あの化物にさえ好敵手と思われるとは。いや、比べることはお母さんを侮辱することも同然──
『⋯⋯ちょっと? あなたの考えていること私にも入ってくるから妄想はそこで辞めてくれない?』
イザベリアの一言でエストは現実に引き戻された。彼女は話の続きをする。
『こほん⋯⋯えっと、だから、ジェーン・ドウを怒らせればあなたを本気で殺す気になるんじゃないかな。それに、ルトアの娘であるあなたがルトアを侮辱すれば、どこかの他人がやるより効果覿面さ』
正直な話、いくら理由があるとはいえエストは、自分の尊敬する母親を貶すことはしたくない。例えそれが偽りであっても。
『もししないなら、私は情報がないまま戦うことになる。当然、勝率も下がる。それはつまり⋯⋯滅亡を意味するだろうね』
エストは葛藤する。ルトアを貶すか、世界の為にしたくないことをするか。
しかし、答えは最初から出ていた。感情がそれを拒絶していただけなのだ。
感情論など大抵、唾棄すべきものだ。世の中の殆どは合理的な考え方をしてこそ、成功するというもの。エストはそうしてこの六百年、生きてきたはずだ。
「──キミは本当に性格が悪い。でもそれが最善なのは認めるよ」
エストにとって、悩む時間は長かったが、実際の経過時間数秒の後、答えを出した。
イザベリアはそれに『ありがとう。そしてごめんね』と言って、エストはため息を付く。
「何があったのですか?」
傍から見れば、エストは一人芝居をしていた。学校の授業中に突然、「なんだって!?」と言って教室から出ていく創作物の主人公を、何も知らない人が見れば変人だ。それと同じようだったのが先程のエストだったのだが、それについて知っているレイは、凡そ何があったかは理解できている。
彼が聞きたいのはイザベリアと何を話していたのか、だ。隠す必要もないのでエストは何があったかをレイに話した。
「なるほど⋯⋯そんなことが。いや、しかし⋯⋯」
黒の魔女はあの始祖の魔女を凌ぐ強者であると説明され、レイはすんなり納得したようだ。
「今度こそ、エスト様のお役に立ちましょう。ご迷惑はもうおかけしません」
つまりは肉壁となる、ということだ。その忠誠心は嬉しいが、平然と従者を犠牲にする主人になりたいとはエストは思っていない。
「⋯⋯レイ、私はそれを望まないよ。私が望むのは、全員の生還。勿論その中にキミもいる。だってキミは、私に永遠に仕えるんでしょ? なら死ぬことは契約違反ということさ」
──その後、感極まって泣きそうな表情をしたレイを見て、エストは「どこで育て方を間違ったのかな」と後悔した。