5−23 血が、疼く
リオア魔国連邦は、数多の種族が共存する、世界的に見ても非常に珍しい国であった。しかし、その数多の種族に人間種や、亜人種はあまり含まれなかった。
国民は異形種──三種族において最も力のある種族──が殆どを占めている。その理由として挙げられるのは、異形種には人間種や、時として亜人種を餌とすることが多く、国民としてそれらは数えられていないというのもあるが、それより大きな理由は、リオア魔国連邦が実力主義を掲げるからだろう。
実力主義国家、それは、単純な腕力でも、高い知力でも、奇想天外な発想力でも、圧倒的な財力でも、何でも良いから力を持っている者こそが上位者となるのだ。
その国では弱者は、つまり力無き者は淘汰されるべきという価値観があり、故に国民数は少ない。だが、その分力も強い。ラグラムナ竜王国に次ぐ、大陸二番目の軍事国家でもあり、工業、農業にも非常に優れている国家でもある。
まさに文武両道。欠点らしい欠点がない、完璧ほどではないにせよ、敵など竜王国を除いて存在しない。
そんな魔国連邦は、十二名の元帥がそれぞれ行政、司法、立法を担っており、大元帥がそれらの最終決定権を持つ。
ちなみに、十二名の元帥が全員可決したならば、大元帥が否決しようとも議決は可決されるため、大元帥絶対主義ではない。
その大元帥こそ、魔王だった。
「お母様! お父様!」
魔王、ツェリスカ。金色の長い髪に、真紅の瞳の吸血鬼。
勇者、ケント・ノザキ。少しだけ長い黒髪に、黒目の男。
そして──魔王の娘、セレディナ。黒髪に真紅の瞳の半吸血鬼。
「セレディナ、そんなに走ると危ないから⋯⋯」
ケントは走ってやって来るセレディナにそう言って、心配する。過保護な気もするが、娘を溺愛するが故の対応とも取れるだろう。
「お父さん、怪我をすることも成長よ。何でもかんでも危ないと言っていては、強い子にならないわ」
「でもなあ⋯⋯」
父に対して母は、過保護ではなくその逆、若干放任気質があった。
しかしそれらのどちらも、セレディナの為だと思ってやっていることには変わりない。
「お父さん、私大丈夫だよ! ケガしても絶対泣かないもん!」
セレディナは無い胸を張って、ケントにそう言う。流石に娘本人から「大丈夫」と言われれば、それ以上煩くするのも嫌われるかもしれないとケントは思い、渋々引き下がる。
そんな父を見て、ツェリスカは笑みを浮かべた。
──現在、家族はピクニックに来ている。
晴れた日だった。雲一つなく、太陽光が熱いくらいだ。白いワンピースを着たセレディナは、丘上の開けた場所で走り回り、それを父母が眺めている。
そして先程、セレディナが父母を呼んだのは、彼女が見つけてきたものを見せるためだ。
「えっとね、これ見て!」
セレディナが父母に見せたのは、一本の魔法杖だった。使われている基礎素材は、魔導率、軽量性、剛性が高い希少な種類の木であり、魔力石はとてつもなく大きく、純度も比類ないほど高い。その他の装飾品も、徹底的に魔力のエネルギー変換率や魔法攻撃力の上昇、更にはいくつもの魔法を封じ込めた宝石もあり──価値なんて誰が見ても、最低でも城が立つくらいだ。落とした者が居たとしたら、きっとその人物は今、とんでもなく慌ててこれを探すだろう。
「すっごい綺麗だったから拾ったんだ!」
「そ、そう⋯⋯セレディナ、これはきっと誰かの落とし物だよね、だったら、どうすべきだと思う?」
ツェリスカはその価値を認識し、少しだけ困惑するも、それを奪おうなどとは思わない。
「落とした人を探す!」
「よくできました。さあ、お父さんとお母さんと一緒に、これを落とした人を探そうね?」
「うん!」
セレディナは魔法杖を大事そうに抱え、ピクニックのためのバケットをケントが持ち、その場から落とし人を探すために歩き出した。
そうしてしばらく歩いて、落とし物について聞きまわった。
だが、結果は芳しくなく、誰もが「知らない」と答えた。中には「自分のだ」と答える者も居たが、明らかに嘘であった。ツェリスカはそういう嘘を見分けるのが得意であるのだ。
「どうしよう⋯⋯このままだと、落とした人が可哀想だよ」
夕焼けが辺りを照らしている。そんな中、セレディナは呟いた。
「大丈夫よ、明日も探そう?」
「⋯⋯うん!」
ツェリスカがそんな自分の無力を嘆くセレディナを慰めた。彼女は帰路を早足で先に先にと小走りに行った。
そんな娘を見て、ツェリスカとケントは二人だけで話す。
「⋯⋯ツェリスカ、あの魔法杖、どう考えたって人間のものじゃない。これ以上詮索するのは避けるべきじゃないか?」
ここで言う人間とは、この世界における一般人のことだ。
この人間たちの力では、あんな魔法杖を作ることはできない。希少な木は非常に危険な場所──『大雪原』と呼ばれる、極寒の場所にしか生えないし、魔力石も人類が辿り着けるはずがない、または未知の場所にしかないだろう。数々の宝石に込められている魔法だって、おそらく全てが第十階級の魔法。第十階級など、世界でも一握りの魔法使いしか行使できない魔法だ。
この魔法杖は正に神話などのおとぎ話に登場するような代物なのだ。
「ええ、そうだわ。詮索は避けるべき⋯⋯だけど──」
そこまで言ったところで、ツェリスカは話すのを辞めた。それについてケントは聞くと、
「──これは、私の妄想かもしれない。それでも良いなら」
「ツェリスカの勘はよく当たる。僕も何度か助けられたから、信じるよ」
「⋯⋯これは、おそらく意図的に落とされた」
突拍子もないことだ。論理的にそれを説明するにしても、根拠不足にも程がある。だがその勘が、何度かツェリスカやケント、そしてセレディナや──この国を救ったこともある。
「と、言うと?」
「もし、偶発的にこれを落としたなら、落とした人は血眼になってこれを探すべきだと思うの。でもそんな人は居なかった。だとしたら、これを落としたのは意図的」
「落としたことに気づいていないなら? もしくは、あれでさえそこまで価値があるものだと見ていないなら?」
価値など所詮、それをどう見るかによって変わる。例えば芸術など全く分からない者にとっての絵画など、落書きと何ら変わりないが、人によっては手に入れるために何億も出すだろう。
大量に作れる物の価値は自ずと低くなるが、それでも少なくしか流通しないなら、価値は高くなる。
「──あの魔法杖、何で他の人たちには拾われなかったの?」
いつからあそこにあったのかは分からない。だが、あの丘上の開けた場所は人が少なくない。そしてこれほどまでに高価なものが、どうして今まで誰にも見つからなかったのか。
「⋯⋯まさか。ならあの魔法杖を調べれば」
「無駄だと思うよ。細工は杖に施されていない。ここまで考える相手なら、ね」
──六色魔女。彼女たちのうち、黒はラグラムナ竜王国を単身で滅ぼした。
竜王国は世界で最高峰の軍事国家だ。その他の大陸全土の国を相手にしようと、圧勝はされずとも、勝率は5:5という高確率である。
そんな国を、たった一人で滅ぼす。
確かに、黒を封印したのは同じ魔女、白だったが、それでも彼女たちへの畏怖は収まらない。いつ、黒と同じような魔女が現れるか分かったものではないからだ。
だから、ツェリスカは魔女を手中に収めることを目標とした。そうすれば、世界一の軍事力を得られるし、何より危険因子を制御下におけるのだから。
「──キミ、その魔法杖はどこで拾ったのかな?」
「え⋯⋯」
セレディナの前には、いつの間にか女が居た。年齢は十代後半くらいだろうか。白髪で、服装も白を基調としたものだ。そしてその美貌も、セレディナがこれまで見たことがない。
「そんなに怯えないでよ。私は単に、その魔法杖をどこで見つけたのか、って聞いているだけなんだよ? お嬢さん」
白髪の女性はしゃがみ、セレディナと目線を合わせる。とても綺麗な声で、優しかった。だが、威圧感が、生物的な恐怖がそれらを掻き消した。
「その、えと⋯⋯私が、公園で、拾っ⋯⋯いました」
涙目になり、しかし精一杯セレディナは答える。
「そう。あそこでね。⋯⋯じゃあ君は、多分⋯⋯いや」
瞬間、白髪の女性に剣が横薙がれ、木の幹くらいの太さの氷塊が飛んできた。しかしそれらは、セレディナには一切影響を及ぼさなかった。
「白の魔女──」「──エストッ!」
ツェリスカとケントは同時に、白髪の女性の名を叫んだ。
◆◆◆
剣はエストの首を斬る前に、不自然な重力の働きによって中頃ほどで真っ二つに割れ、氷塊はそれを超える大火によって文字通り、比喩でもなんでもない意味で氷解した。
二重魔法。普通の魔法使いができるはずがない魔法技術を有しており、そのどちらもが魔法の最高階級とされる、第十の魔法。
その魔法の行使能力で、彼女こそ彼女であるという証明ができた。して欲しくなかった、明らかになってほしくなかった証明であるが。
「流石は魔王の娘。少し計算外だったけど、慈悲をかける必要はないと判断できて良かったよ」
魔王の娘。計算外。慈悲。不穏なワードが羅列され、それはセレディナを殺すという意味なのだろう。
「──セレディナ、逃げるんだ」
ケントは、セレディナにそう言った。優しい声だった。だが、どこか悲しそうだった。まるで、もう二度と会えないと思ってるみたいに。
しかし、セレディナは何も言わなかった。泣きたい気持ちを我慢して、いや泣いて、しかし無言で逃げた。
エストはそれを追おうとはしなかったようだ。おそらく、察知しているからだろう、追おうとしたとき、一気に攻撃を加えられると。
(行かせるわけないでしょ。ここでコイツを──)
──圧倒する。殺すのではなく、気絶するまで追い込むのだ。そうすることで、支配下に置くため。
ツェリスカは念の為、『魅惑の魔眼』を行使すると、彼女の瞳が光った。しかし、エストにはまるで効果がなかったようだ。
「そんな下らない子供騙しで私がどうにかなるとでも? それが通ずるのは弱者だけさ」
「まさか。でも、試してみるだけなら何のリスクもないでしょ? それに」
エストの挑発をツェリスカは簡単に受け流した。
傲慢。自分の力に絶対的な自信を持っているからこそできる強者の余裕。しかしその余裕が仇となる──
「〈雷轟〉」
雷が落ちたような音と共に、剣撃が上からエストに向かって叩き込まれる。
転生者の一撃。折られた剣は捨て、予備の短剣を取り出したのだ。しかしそれでも、まともに受ければ魔女であろうとただではすまない。
「転生者は久しぶりだね。こんなに強かったけ?」
エストは左腕を振り払うようにすると、反重力が発生し、重力加速度が大幅に上昇。ケントの体は宙に吹き飛ばされた。更に追撃が加えられるところだったが、
「〈魔法強化・凍てつく嵐〉」
とてつもなく低音の冷気を含んだ強風が吹き荒れる。それは空気を凍てつかせつつ、瞬時にしてエストを襲う。
「〈灼熱の風〉」
しかし、冷気を纏った嵐は炎の風によって熱せられ、掻き消される。蒸気が発生し、そこをエストは突き抜け、
「〈魔法抵抗貫通化・重力操作〉」
貫通力を上げる魔法は、それ本来の力を下げるデメリットを持つし、魔力消費量も多いし、抵抗を貫通させる力は絶対ではなく、あくまで貫通力を高めるだけだ。しかし、ツェリスカの魔法抵抗力ならば貫通できると、エストは見抜いていた。
ツェリスカの体にかかる重力の向きは変化し、上に投げられる。効力も低くなり、単に重力の向きを反転させただけだった。
「っと」
そこでエストは握ろうとしていた左手を狙った斬撃を避ける。その後の連撃も魔法的な力なしで回避していくも、エストもケントに対して攻撃する隙がない。無呼吸の連撃だった。
そして重力魔法の効果が切れると同時にツェリスカの体が地面に落ちたが、彼女はその吸血鬼の力で着地すると、魔法によるケントの援護に回る。
「〈氷爆〉」
「〈倍反射〉」
エストの周りに氷の爆弾が生成され、彼女を爆破する。しかしエストの防御魔法によって爆破のエネルギーは二倍となった上で反射されるが、ツェリスカは跳躍することで回避。
「〈凍てつく霧〉」
刹那、辺りに霧が生じた。その霧も普通のものではなく、冷気を纏ったもの──エストは体からゆっくりとだが、確実に熱を奪われている感覚を味わった。
視界を奪われ、熱を奪われ、体の動きは鈍くなっている。
「〈獄──」
炎の魔法によって霧を晴らそうとしたとき、エストに剣の一閃が走る。ほぼ無意識的な回避運動によって致命傷は避けたが、エストは左脇腹に深い剣傷を負った。
「チッ!」
エストは右回りに身体を捻り、右拳をケントの顔面に叩き込む。しかし彼は彼女の拳を掴み、その腕力で地面に投げる。だが彼女は自身の体に転移魔法を無詠唱で行使し、地面に叩きつけられる直前でケントから離れ、空中に転移した。
追撃のためにケントは地面を踏み、エストに接近するが、彼女はそれより早く魔法を行使した。
「〈獄炎〉」
赤黒い炎が凍てつく霧を晴らした。ケントの身も焼こうとしていたが、それはツェリスカの氷の魔法によって弱まり、彼はそれを斬り、無力化したのだ。
そうしてエスト、ツェリスカとケントは地面に立ち、互いに距離を取った。
「⋯⋯はあ。全く、優位に立てないね。キミたちの連携には然しもの私も手を焼くよ」
エストはやれやれ、と言ったように手を広げ、目を閉じ、頭を振る。まるで隙だらけだが、片方は勘が、片方は経験が「今攻撃を仕掛けるのは危険だ」と警報を鳴らしていた。
「⋯⋯この世には知らなくて良いことの方が多い。なら知らせないことも慈悲⋯⋯だけど、仕方ないね」
そう口は言うが、表情は哂っていた。そんな普通なら下品になるはずの仕草なのだが、エストがやれば美貌は崩れることはなく、しかし、だからこそ、残虐心、嗜虐心が強調されていた。
「あの魔法杖、ただの判別のためだけの道具だと思う? 私が仕掛けた細工が、アレの周りの空間に干渉し、特定対象しか視認できないようにしただけだと思う?」
教師が学生に問題を教えるように、解説するように、エストは話す。
「まさか! そんなわけないでしょ? わざわざ魔力を込めた魔法杖を、判別のためだけの道具に使うわけがない。適当に高価なものを落としとけば良いだけなのに、なんでわざわざ、私はあんな作るのが面倒で、しかも私には必要ないものを作ったのだと思う? ねえ、キミたちは分かるかな? 分かるよね? ここまで言ったんだしさ!」
嗤った、哂って、ツェリスカとケントの判断を待った、嘲笑いながら。
エストは確証的なことを言っていない。だが、彼女のこの嗜虐心と残酷な性格からも、何をしようとしているかは、短時間ながら、嫌でも良く分かる。
エストは、ツェリスカとケントに何もせず、待っていた。しかし、瞬く間にいくつもの白色の魔法陣が展開されていて、その全てが同一の第十階級白魔法であった。
あんなものを喰らえば、まず間違いなく死ぬ。だからこそツェリスカとケントは、二人の力を以てして、全力で防御しなければならない。しかし、
「──ツェリスカ、セレディナを頼む」
「⋯⋯え」
ケントは、ツェリスカにそれだけ言って、短剣を構えた。
それ以上は何も言わなかった。何も言う必要がなかった。
短い言葉。しかしケントは決意したのだ。妻と娘を守るため、自身を犠牲にすると。
「早く行け! ツェリスカ!」
「──っ!」
エストの展開した魔法からの魔力反応が一気に強まったのは、選択が決定されたと同時。
ツェリスカはその場から、ケントを置いて逃げ出した──のではなく、セレディナの元へ走って行った。