5−22 飢える者
演説と同日の夜。
モルム聖共和国、都市アセルムノの防衛要塞の会議室にて。
「⋯⋯顔を上げてください、魔王様」
中年くらいで、それなりの身なりの男、この都市の最高責任者、ゴーリフ・ヴェルサイアは、頭を下げているセレディナにそう声を掛ける。
セレディナはその言葉を聞いてから頭を上げた。
「まさか、魔王様がこんなにもお可愛らしい御方だとは思いませんでした。もし怖い魔物だったらとヒヤヒヤしましたが、要らぬ心配だったようですね」
冗談のつもりだろう。おそらくこの緊迫した空気を緩くするため、彼はわざわざロリコンじみた発言をしたのだ。
「とにかく、本題に入りましょう。ヴェルサイアさん、お掛けになってください」
マサカズが場を仕切る。こんなことあまり慣れていないのだが、最近良く慣れていないことをするな、とマサカズは思った。
「まず⋯⋯今回の件を我々で話し合った結果、魔王様たちを許すことになりました。勿論、何もなかったことにするわけではありませんが⋯⋯私も、あなた様の誠意を見せて貰ったので、ね」
──この都市の権力者十一名で今回の件についての議決を取った結果、賛成五、反対五、そして棄権一だった。その棄権者こそゴーリフであり、セレディナの対応によって議決は決定することとなっていたのだ。そして今、議決は可決された。
「ありがとうございます」
「そんな畏まらないでください。弱者が強者に淘汰されることは自然の理⋯⋯あなた様に頭を下げられるほど、私は上位者ではありませんので」
少し前のマサカズでは理解できなかった価値観だが、ゴーリフのそれを、今なら理解できる。この世界は弱肉強食なのだ。今回のことは、それを考えれば例外も例外である。
「⋯⋯分かった。ではいつもの話し方にしよう」
「ええ、そうしてください」
まず、確認から始まった。
『死者の大地』のアンデッド掃討、そして、黒の教団及び黒の魔女の打倒を約束するということ。また、金銭的な援助を要求されたが、セレディナの自宅には財宝が山ほどあるらしく、実質的に国を支配することができるだろうほどとのこと。
無論、それだけを寄付されることはどう考えてもやり過ぎなので、都市のほぼ全ての道や建物を新品に作り変えられるくらいの金額を賠償金として払うことになった。
「もうちょっとなら渡せるが、良いのか?」
「いえ、十分です、魔王様」
その『ちょっと』が天文学的な数字であることをセレディナ以外は知らないが、貰い過ぎるというのも気持ちが良いとは言えない。何より、構図では十四歳くらいの女の子から金を巻き上げているようなものなのだ。そりゃ、これ以上欲しいとは言えたものではない。
「そうか? なら良いが⋯⋯」
賠償金については話が終わり、次の議題へと話は移る。
「私たちはこの国の責任者ではありません。なのでこんなことを聞くのはどうかと思いますが、やはり人類の一人として、気になるのです──黒の魔女はこの国で、いや、世界で何をしようとしているのですか?」
元々、アセルムノは、モルム聖共和国では大虐殺が引き起こされる予定だった。ウェレール王国、ガールム帝国──そしてその他の多くの国々でも、同様のことがされるだろう。
「⋯⋯できるだけ、人間の皆さんには話したくない。だが、どうしてもと言うなら⋯⋯言おう」
ゴーリフは息を呑む。黒の魔女が大陸全土の国々で大虐殺を引き起こす程度で済まされるはずがない。
大虐殺はあくまで手段。それは目的でない。何より、そんな当たり前のことで満足するような小さな器を、黒の魔女が持っているはずがない。
「何かを、生み出すつもりだ」
マサカズが地下の冒涜的な研究施設で見たあの指令書には、『進化』という言葉があった。『マガ』という名前があった。そこで思ったことは、マガという者を進化させる計画をしているのではないか、ということだ。
「何か、とは?」
「そればかりは私たちも分からない。ただ⋯⋯黒の魔女が生み出すんだ。それはきっと⋯⋯世界にとっての悪だろう」
何せ、大虐殺が手段となるのだから。何を目的としているかなど、マサカズたちには分かるはずがない。健常者は狂人を理解できないのだ。
「⋯⋯そう、ですか。⋯⋯では、私はこれで」
対談は終了し、ゴーリフは会議室から出ようとした、その時だった。
唐突に、鐘の音が鳴った。街中の空気を振動させる、とても大きな音だったので、マサカズは思わず耳を塞いでしまったほどだ。
「何だ!?」
この鐘の音は、人々に危機が迫っていると伝えるもので、多くはアンデッドの襲来を知らせるものだ。
──そして今回も、そうであった。
「っ!
突然轟音が響き、瓦礫が防衛要塞に飛んできた。
黒刀がゴーリフの顔あたりを通り、血が吹き出した。だがそれは彼を狙ったものではなかった。
狙ったのは、また別の対象。
──それは、醜悪な化物だった。漆黒の体には赤黒い血管が脈打っていて、その両腕は体長の七割ほどを占めていた。一つの紅き瞳は複眼のようで、虫のそれのように蠢いており、背中からは枯れ木のように歪で、しかし折れそうにない翼が生えていて、それらには鋭利な爪があった。
頭部のおよそ半分が口部で、歯並びは悪く、犬歯が異常なくらい長い。
「始原の吸血鬼⋯⋯!?」
吸血鬼には真祖の他に、始原の名を冠する種類がいた。しかし彼らの殆どは大昔に絶滅し、生き残りも餓死しているはずだ。新しく生まれるにしても、そこまでの負のエネルギーなんて、それこそ国一つを滅ぼさなくてはならないだろう。だがしかし、目の前にいるのは本物だ。
「──ッ!」
始原は咆哮を上げる。金切り声のようにも聞こえるし、悲鳴のようにも聞こえるし、獲物を見つけた喜びにも聞こえるし、あるいは──。元は人間だろうが、それは最早人間の原型を留めていない、なんなら生き物としても見れない。
──真祖と始原が、向かい合った。
◆◆◆
時間はほんの少しだけ遡って、『死者の大地』にて。
エストは白魔法を行使し、アンデッドたちを殲滅していく。彼女の全身を包む白い服は赤色で汚されており、それを気にすることができるほど、今の彼女に余裕はない。
「ああもう⋯⋯何でなのさ!?」
アセルムノへ戻る最中、エストたちは行きで襲われた始原の吸血鬼を警戒し移動していたが、しばらく遭遇することはなかったが、つい先程、出会ってしまった。
だから臨戦態勢に入ったのだが──始原の吸血鬼は、エストたちを無視してアセルムノの方へと走っていったのだ。
勿論、それを易易と見逃すことはできない。こんな化物を都市に放てば、きっとそこの住民たちは死ぬだろう。壊滅という言葉じゃ生ぬるい。全滅こそ相応しいというものだ。
「アンデッドはエネルギーに貪欲。だから私やレイ、ナオトやユナもエネルギーとしては格好の餌のはず⋯⋯なのにどうして?」
エストは魔法を構築し、演算しつつ、アンデッドについての知識も引き出し、考察をする。更にここに仲間たちの危機管理もしているのだから、流石のエストでも少しだけ厳しい。が、できないことはない。
「アンデッドの特性⋯⋯そうだ、共食い」
アンデッドたちも無期限に活動できるわけではない。生者ほどでないにしても、活動にはエネルギーが必要になる、それが生者にとっては害になるものとはいえ。
そしてアンデッドたちは、生者の生命エネルギーを負のエネルギーに変換できるのだが、それには少なくないエネルギーの消失が生ずる。エネルギー変換効率は百パーセントではないのだ。
しかしこれが、負のエネルギーをそのまま取り込むならばどうなるか。
アンデッドたちが生者の居ない環境でどうやって直ぐに全滅せずに、数百年間にも渡って活動を続けるかというと、共食いをしているからである。そう、アンデッドたちは必要なら、他のアンデットを食らうのだ。
「始原の吸血鬼の目的は、アセルムノに居るアンデット。それも、私と同等以上の」
エストと同等以上のアンデット。そんなの、彼女には一人しか身に覚えがない。
吸血鬼の真祖。もう世界に一人しかいない存在。そして、エストを憎む者。アセルムノに居るのだって、何らかの方法でエストの現在位置を特定したのだろう。ならば可能性は非常に高い。
「だとしたらマサカズが危ないし、街もそれどころじゃない。始原と真祖が殺り合って街が無事であるはずかない!」
良くて半壊、最悪は復興不能だ。だからエストがすべき事は、
「レイ! くれぐれもユナとナオトを死なせないように!」
「エスト様はどうするのですか?」
「私は一人であの化物を殺す」
レイとしては、いざという時、自らが主の盾となれないことを憂慮している。だが、主が決めたことに反対できるほどの理由もなければ、主であればそんな心配などないと分かるのだ。
「承りました。ナオトさんとユナさんは必ずお守りしましょう」
「頼んだよ? ⋯⋯じゃ、あとは頑張ってね」
エストは体内の魔力を足に集中させると、跳躍する。鉛直方向に十メートル、垂直方向に十五メートル──つまり斜めにおよそ十八メートル跳んだ。
〈飛行〉より、こうして跳躍して行った方が速いのだ。〈転移〉ならもっと早いが、野生の勘とは素晴らしく、始原の吸血鬼は転移を察知し、そこに攻撃を打ち込まれるだろう。始原の吸血鬼の一撃をマトモに受ければ致命傷は確実だ。
「〈次元断〉」
無の空間、第零次元をそこに創り出す。そしてそれは始原の吸血鬼に飛んでいった。始原の吸血鬼はそれを腕で払うが、魔力も篭っていない肉体は、魔女の魔法を跳ね返すことができない。始原の吸血鬼の細く長い右腕は丁度半分の所で、血を噴出させつつ切断された。
「ほらほら! 無視し続けたら全身が切り刻まれちゃうよ?」
更に〈次元断〉を連発し、それは着実に始原の吸血鬼の身を刻む。
ようやく化物はそれを鬱陶しく思ったようで、エストに向き直り、攻撃を仕掛ける。
暴力をそのまま具現化したみたいだった。切断された腕の面が蠢き、一瞬にして新しい腕がそこから生えると、それが轟音を発しながらエストに振るわれる。
空間を削ると同義のそれは、人間の体を砕くに済まず、どころか抉るだろう。
「〈聖なる光壁〉」
太陽光のようなものを発する壁が展開され、それに触れた瞬間、始原の吸血鬼の腕は砂のように砕け散る。その断面は蒸発しているみたいで、蒸気が発生し、また、腕が生えることもない。
負のエネルギーに対して高い防御力を発揮する防御魔法、〈聖なる光壁〉はアンデットの身を聖なる力によって蒸散させ、治癒を妨害する効果を持つ。
「私は今、暴れ足りないんだ。だからキミにはここで、私のサンドバックになってね」
エストと始原の吸血鬼の吸血鬼を囲うようにして、夥しいだけの、拳くらいのサイズの火の玉が出現する。
「〈喰らう炎〉⋯⋯その身一つ残さないよ」
エストは左手を握ると同時に、また別に白い魔法陣を展開すると、彼女はその場から逃げるべく、転移した。
豪炎が始原の吸血鬼を襲い、昼間の砂漠に大爆発が引き起こる。砂漠の気温さえ温いと言わんばかりの高熱が発生し、部分では砂は硝子となった。
「⋯⋯ん?」
炭さえ残らないと思っていたのだが、砂が舞うそこには魔力の反応が感じられたのだ。それに気がつくとほぼ同時に、エストを鋭利な爪が襲った。
人外じみた反射神経と空間把握力でエストは後方に跳ぶが、鋭爪を避けきることはできず、胸に四本の引っ掻き傷がつけられる。血が舞い、エストは地面を転がった。〈飛行〉で体制を立て直した。
「チッ⋯⋯痛い」
治癒魔法を使っても、傷は瞬時に完治しない。膨大な負のエネルギーが込められたその一撃は、癒やしの力を遮るのだ。なのでエストは時間魔法によって傷をなかったことにした。
治癒行為は十秒前後だったが、それでも始原の吸血鬼は大分先に行った。とは言っても、まだ視界内に居る。だから追跡は容易であったのだが、
「⋯⋯血を流したからかな?」
エストの周りに吸血鬼や動く死体が集まってきた。各アンデットは雑魚だが、数が集まれば厄介極まりない。エストは一人なので、処理には時間がかかるし、その間にも始原の吸血鬼はアセルムノに近づくだろう。
「あっちに行けば行くほど、アレと同じように誘われたアンデットが多くなる。アレが壁に到着してしまえば、破壊されてアンデットの侵入は避けられない⋯⋯ねっ!」
不可視の斬撃を飛ばし、跳びかかってきたヴァンパイアの首を斬り捨てる。返り血はエストの服に付着する直前で弾かれ、服をこれ以上汚すことはなかった。
そしてエストは、アンデットたちを掃討することとなった。粗方その辺りのアンデットを片づければ始原の吸血鬼に近づき、しかしまたアンデットに足を引っ張られるということが続く。
「壁⋯⋯! 不味い!」
エストは防衛要塞の壁を見た。そしてそこへ突っ込もうとする始原の吸血鬼も。
「〈光輝する聖剣〉!」
空中にきらびやかに光る剣がいくつか創造され、それらは始原の吸血鬼を貫くため、飛んでいった。