5−14 予定と計画と企みと
──二度目の衝撃の事実が、マサカズの思考を一時的に停止させた。
言葉は分かるが、言っている意味が理解できない。異世界語の翻訳機能がバクを引き起こしているのではないかと疑いたくなる。それとも、単に理解したくないだけなのか。おそらく後者だ。
「⋯⋯それ、は」
黒の教団。モルム聖共和国の──滅亡。
国滅ぼしとは、まさに悪の組織がしそうなものだ。しかし黒の教団はその辺の悪の組織とは違っている。規模も、力も、価値観も、思想も。何せ彼らの支配者は、七百年以上前から存在する黒の魔女なのだから。
「まさか⋯⋯他の『傲慢』、『暴食』、『怠惰』、『憤怒』は⋯⋯!」
黒の教団が、魔王軍が、たった一つの国を滅ぼす程度で済ますだろうか。彼らが力を合わせれば──この大陸から国を消し去ることができるだろう。そして、それをするのが黒を冠する者たちである。
「察しがいいな。他の大罪は、二つの国に出向いている」
「⋯⋯」
最悪だ。
「──ああ、そうか。あの地下の文書の意味が、断片的にだがわかった気がする」
マサカズは自分以外の誰にも聞こえないようにその言葉を呟いた。
これまでの情報を一言に纏めるなら、手遅れも良いところだ。マサカズ一人だけでは他の国にも居るだろう大罪の魔人、そして黒の教団幹部を今から全員始末することはできない。
仮にできるタイミングがあるとするならば、この世界に転移してきた直後──およそ一ヶ月半ほど前からやらなければ間に合わない。たった一ヶ月と少しでこの大陸全土の国々に居るであろう教団員幹部を滅ぼせるかには少々議論の余地ありといったところだが。
しかし、それも過ぎたこと。現在において、前回の『死に戻り』ポイントより遡ることは不可能のようであるので、机上の空論でしかない。
「⋯⋯今から俺を開放する気は──」
そこまで言ってセレディナの顔を伺うが、彼女は無表情のままだった。しかし、分かる。こんな情報を持たせて、易易と逃がすわけがない。例え本当にマサカズがエストとの連絡手段を持っていても、危険を承知で殺害することに躊躇しないだろう。
「ない、よな」
「勿論。⋯⋯一つ、これからの予定確認をする前に聞きたいことがある」
「何だ?」
「⋯⋯お前は、黒の魔女についてどう思う?」
変な質問だ。そんなのは共通認識であるものだとばかりに思っていた──のだが、どうやらセレディナはその共通認識ではないまた別の見方を聞きたいようだ。
「私は⋯⋯奴と会ったことがある。だからこそ、生き物じゃないと思ってる。化物は単に力があるだけの生物と言えばそうだろう? たしかに、奴には化物という称号も相応しいが」
セレディナはそこで言葉を切る。息を吸って、
「──概念。奴は、一種の概念存在のようだった」
「概念⋯⋯?」
言葉選びが詩的なのか、あるいは事実をそのまま言っているだけなのか。それだけではどういう意味かのかは分からない。
「言い換えれば理。あるいは⋯⋯支配者」
「理、支配者⋯⋯神?」
マサカズは夢で出会ったガイアと呼んでいる神のことを思い出す。
彼女、あるいは彼だろうか。ともかく、ガイアは本能的に神である、少なくとも圧倒的上位者であると思わせる雰囲気があった。
マサカズと黒の魔女にはまともな面識がない。だから、黒の魔女が神であるかは目の前の少女に聞くしかあるまい。
「神、か。仮にそうだとしたら、邪神の類かな? 何にせよ、黒の魔女は生物とは一線を画した存在だ」
生き物ではないナニカ。
魔女も、魔王も、魔人も、悪魔も、魔物も、人間も生物のカテゴリーだ。そのカテゴリー内においてはどれだけ強くとも生き物の範疇に収まっている。
「生物のカテゴリーから抜け出した──逸脱した者が、黒の魔女ってわけか」
セレディナはマサカズの言葉に肯定するように頷き、
「ああ。⋯⋯まだ、お前は答えていなかったな。お前は、黒の魔女のことをどう思う?」
「関わりたくない人ランキング一位」
マサカズはセレディナに即答する。
それに彼女は少しあっけらかんとし、その後「ふふ」とその可愛い顔に笑みを浮かべた。セレディナも、両親の復活のために協力しているだけで、おそらくあまり関わりたくない相手だったのだろう。
──もしかすれば、セレディナとは、魔王軍とは仲良くできるのではないか。敵の敵は味方なのだから。
(⋯⋯甘い、な。この世界は残酷で、無情だ。少し話せたからと言って、それが殺し合わない理由にはならない)
流されそうだった気持ちをマサカズは取り掴むと、表情の裏に冷たい感情を潜ませる。
(今日の友は明日の敵。いつも昨日の敵が今日の友になるとは限らない。互いの目的、思想、すれ違い、時で簡単に争うのが知的生命体の性だ。それを、俺は忘れてはならない)
非情と言われればそうなのかもしれない。人を信じられない性格になったな、と尊敬する父と大好きな母から言われれば悲しい気持ちになるだろう。
しかし、これを否定する気にもなれない。なぜなら、この世は残酷なのだから。
それから、これからの予定について話し、方針を決めた。そしてわかったことがいくつかあった。
まず一つ目、目的である大虐殺だが、なぜするのかは不明であること。両親の復活と、白の魔女、エストへの復讐をさせて貰える代わりの仕事なのだそうだ。
二つ目、大虐殺はエストを殺害してから行うこと。また、何も考えずに人を大量に殺すだけで良いわけではなく、一つの都市を滅ぼすたびに、ある魔法の込められた魔法巻物を使わなければならないとのこと。
そのスクロールの魔法陣は発動しなければ確認できないが、おそらく黒系統の魔法だそうだ。魔法知識は皆無であるマサカズには他と何が違うのかが分からなかった。ただ、とんでもない魔法であることはわかった。見た瞬間、全身の毛が逆立つ感覚に襲われたからである。
三つ目、それは、
「『始祖の魔女の墳墓』に眠る始祖の魔女を殺す、ね」
セレディナたちには、エストがこの国へ来た理由も当然話してある。弱体化したことも、だ。ただ弱体化の具合についてはハッキリと言わなかったから、セレディナは今もエストを警戒しているし、それは間違ったことではない。エストが力を取り戻している可能性はゼロではなく、下手をすればもっと強くなっているかもしれないのだ。
どこかの金髪の戦闘民族を思い出していたマサカズだったが、すぐさま意識を現実へと引き戻すと、そこで対談は終了した。
「マサカズ・クロイ。お前に⋯⋯護衛をつけよう」
「護衛?」
防衛要塞の一室から出ていこうとしたマサカズの足を、セレディナは一言で止める。
これまでのループでは、セレディナはマサカズに護衛なんか付けなかった。その変化は、ループを知る者として明確な進歩──あるいは退歩──を示す。
「ああ。お前を一人で外を歩かせていれば、知らぬ間に死んでしまっても可笑しくない。そこで⋯⋯フィル。お前にその役目を頼む」
「はあ⋯⋯?」
マサカズとフィルの声が一寸の違いなく重なり、大きくなって部屋に響いた。
◆◆◆
「メリットは分かるさ。私のここでの仕事はほぼ終わったも同然。『嫉妬』は護衛に向かないし、『色欲』の仕事はまだ終わっていない。確かに、護衛するなら私が適任だろうね。そこには反論の余地なんて微塵もない」
フィルは相変わらずの美声で、自らの主人であるはずの魔王の決定に何か言っている。彼女は更に言葉を続ける。
「デメリットはなく、メリットはいくつかある。一つ、マサカズ、君の身柄を守ることができる。魔王様は仲間を大事にする御方だしね。二つ、君が裏切っていても私なら対処できる。これは本当にメリットだよ。三つ、白の魔女と遭遇した場合、不意打ちで仲間を殺すことができる。私に匹敵するのは魔王様や魔女くらい。あとは極少数だろうね。ああ、そうさ。メリットしかない⋯⋯私がそれを嫌っているということを除けば」
早口で、しかしすんなりと耳に入ってきて不思議と理解しやすい。滑舌が良いのだろうか。普段から長文を喋っているだけはある。
「大体、いきなり仕事を押し付けるのはどうなのかな。私は奴隷でもなければ、名ばかりの従者なんだよ? あくまで従っているのは私の厚意だ。その厚意を無下にするのはどう思っているのかな?」
「⋯⋯そんなこと俺に言われてもどうとも答えられねぇよ、『強欲』。俺だってお前嫌なんだ」
これでは秘密裏にエストたちに情報を流すことが不可能だ。フィルならば黙認してくれるかもしれないが、これは魔王の命令であり、前のように協力してくれるとは限らない。
何度も死は味わっているが、嫌いなものはいくら食べても嫌いなままのように、死は慣れないものだ。
少なくとも正常な精神の現状において、自殺には躊躇がある。必要に駆られたなら可能であるが、それ以外の道──楽できるかもしれない道があるならそこに流れるのが人間であり、マサカズ・クロイだ。
「そうかい。ならその点で私たちは共感できる同士というわけだ。どうだい? 砂漠には盗賊やモンスターが多く生息している。彼らに襲われたという建前で、君は死ぬなり行方不明になるなりしてみるかい?」
「俺は中途半端に強くてな。そこらのモンスターや盗賊如きに殺されることはない。魔王もそれを知っているだろう」
できるならそれが最も良い手段であるが、できないのだから仕方ない。
「⋯⋯なあ、フィル。これから俺が言うのは、笑えない冗談だと流してくれて構わない。だが、もしそれが冗談に思えないなら、その時は返答を待つ」
頭の良いフィルならば、マサカズの発言の意図を遠からず察することができるだろう。
フィルは少しその紫紺の瞳を狭め、マサカズとは全く別の方向を見る。まるで聞く気がないといった態度だが、
「六色魔女序列二位、『虚飾』の大罪、そして転移者三人に『強欲』が加われば、魔王軍を各個撃破できる力になるとは思わないか?」
──仲間への勧誘。
正直、マサカズはフィルのことが大嫌いだ。話は通じているのか通じていないのか分からないし、その価値観はまるで意味が不明だ。殺せるなら殺したい。関わらなければ良いのなら関わりたくない相手であることに首を横には振れない。
しかし、力だけは信用がある。
「⋯⋯魔王様は、世界に愛されている能力者なんだよね」
それへの返答は、あまりにも関係がなさそうな文言から始まった。
「能力者に加護持ちは居ない。後天的に能力を得たとしたら、それまで授かっていた加護は消え去る。逆の場合は有り得ないだけ。長い間を生きてきて、それを目にしたことは少なくないからね。⋯⋯だからこそ、言える。魔王様、いや魔王種はこの世界でも異例中の異例なんだって」
能力と加護の違い。そして魔王種という単語はいかにも重要そうな情報だ。そこまでずば抜けて記憶力が高いとは言えないマサカズだったが、記憶のメモ帳にそれらを書き記す。
「魔王種は、ある一つの加護だけは能力を得たとしても消えることがない。その加護は⋯⋯」
──『魔之加護』。
中位以下の魔族を完全に支配し、高位の魔族にも不完全ながらも支配力を及ぼす。
また自分の支配下に入った魔族への精神支配力はより強力となり、極一部の魔族を除き、魔王種に逆らうことはできない。
フィルでさえ、明確な強い意思を持たなければ命令を跳ね除けることはできない。そしてその明確な強い意思の判断基準は、彼女の『自由を求める意志』でようやく合格ラインだ。つまりよっぽど嫌なことでもなければ、魔王の命令に背くことはできない。
「私は中立的だ。だからなんだろうね、命令に背くことができないのは」
中立とは、どっちつかずの状態。もしこれがどちらにも関わりたくない、という類の中立ならば明確な強い意志という扱いをされるのだろうが、フィルはどっちにも関わりたい、という一種の優柔不断の意志であり、自分の気持ち次第で簡単変わってしまうものだ。
「まあつまり、私は今、魔王様の不利になることを許せない従順な下僕ってわけさ。⋯⋯今の冗談は本当に笑えないね」
保険はかけておいて良かったと、マサカズは思う。もし、あの一言がなければここで処刑されていたのだろうか。
ダメ元での勧誘は予想通り失敗に終わり、マサカズは口を紡いで要塞内を歩く。
「どこへ行くの?」
魔王からは防衛要塞内で寝泊まりしているよう言われている。食事も同じで、今都市内を歩く必要はないはずだ。どうせ殺すから、避難民キャンプ地へ人々を安心させるために行くこともないだろう。
宿屋に行くならば、部屋にまで入る気はフィルにはない。
つまりマサカズは防衛要塞内のどこかに行こうとしているのだろう。記憶力も優れているフィルならば、どこにどんな部屋があるかは、既に把握している。
「地下。防衛要塞の地下だ」
「⋯⋯地下?」
把握しているはずの防衛要塞内に、まだ知らない場所があったことにフィルは少し驚く。確かにちょっと回っただけであるが、見落としがあったとは思えない。
「ああ。⋯⋯そこで、確認したいんだ」
魔王軍は──より正確に言えば魔王セレディナは、黒の教団に協力している。
そしてマサカズは、この国にいた黒の教団幹部の言葉を思い出す。
『私が計画を実行できなくなった今、代わりの者が送られてくるでしょう。その代わりの者は⋯⋯私なんかとは比にならないくらい、強い』
あの地下は砂利によって埋め立てたため、もう探索し直すことはできない。
しかし、マサカズには他にもあのような地下空間があると、半ば確信的に思っていた。
絵を描くのは楽しいですが、気づくと何時間か経過していることがザラでした。この前の土曜日なんてオールして、気づけば日曜の朝でしたよ、ええ。