5−11 半魔
──目覚めたとき、血の気が引いた。
全身から熱という熱が奪われたように冷たくて、しかし、生きているということが感じられて。
だがそれは、直感的に分かる。
「⋯⋯っ」
声が出せないのは、物理的に阻害されているからである。布を噛まされて、舌を回すことができない。だから、「うー」とか、「あー」とかの喃語のようなものしか発せないのだ。
「目覚めたか」
知らない部屋、というわけではなかった。一度、マサカズはここに閉じ込められたことがある。
冷たい床。周りは薄暗く、鉄格子によって抜け出すことは至難の業だろう。
そんな鉄格子越しに、一人の黒髪の少女がマサカズに話しかけてきた。
赤色の瞳はこの薄暗い場所でも不自然に、いやむしろ、こここそ相応しいとばかりに輝いていた。
「ええりあっ!」
「私の名前を呼んだのか? マサカズ・クロイ」
セレディナ。聞き取れずとも、言っていることのニュアンスは大体分かるくらい、そこには感情が篭っていた。尤も、その感情はマイナス方面に傾いているのだが。
「ぉせ!」
「何を言っているのかは分からないが、お前は殺さない。殺してしまえば、エストにその連絡が行くだろう? 情報は武器だ。お前も同じことを言っていた。その武器を研ぎ澄まして何が悪い?」
やはり、セレディナは敵に回すと厄介なタイプだった。およそ二週間前の、王立魔法学院襲撃の際にエストが殺しておけばこんなことにならなかったと思うのだが、過去を悔やんでも遡れないのだから意味がない。
「っ!」
このまま生きていたって、光明が見える気がしない。おそらく、このまま行けばエストたちは魔王と死闘を繰り広げることになる。
あるいはそこでエストたちが勝利する可能性もあるのだが、情報アドバンテージ、人数差、そして実力も圧倒されていなければ、してもいない。
マサカズの見立てでは、エストたちの勝利は五分五分なんて甘いものではなかった。
仮に魔女の力を復活させてこれなのだ。失敗していれば勝算はない。
(エストはどこぞの戦闘民族みたく、命の危機になればなるほど成長するタイプだが、だとしてもアレオスとの戦いを見れば劇的に強くなるわけじゃなさそうだ)
多少強くなる程度。その多少が運命を大きく左右するかもしれないし、または誤差として残酷に処理されるかもしれない。アレオス戦がそうであったように、セレディナ戦でも残念ながら後者に当て嵌まる。
では対してセレディナはどうだ?
(⋯⋯ああ、分かる。俺も一端の戦士だからな。だからこそ、信じがたい。──成長途中も甚だしい。今この瞬間にも剣気は微量ながら強くなっていっている。見ただけで分かる。こいつは、剣に愛されていると)
どうやらマサカズの『刀剣之加護』は、彼自身の剣の才能を引き出すだけでなく、他者のおおよその剣技も察知できるようだった。勿論、その才能も見破れる。
おそらくセレディナは、格下であるはずのマサカズと剣を合わせても、その剣技が成長するだろう。成長に貪欲。上限を知らない成長性は、危険因子にも程があるというもの。
純粋な戦士だから当たり前といえば当たり前だか、エストより剣技においてセレディナは優れている。ここで隔絶した開きがないと言えないのがエストの化物具合を示しているのだが、あれは例外も例外だからで納得しよう。
「⋯⋯私は、お前を最初から信用していなかった。だが、時間を掛ければきっと私はお前を仲間だと認識しただろう。だが、それは幻想だった」
色々考えていたマサカズは、セレディナの言葉を聞いた。それはマサカズに直接語りかけているものではなく、独り言であった。
「仲間を裏切るということは、最も恥ずべき愚行。私がお前を最初信用しなかったのは、それが原因だ」
あの冷たい目線の理由が今分かった。
セレディナは人一倍、仲間に対しての意識が強い。『強欲』のことを伝えてあげてみたいが、それはそれで瞬殺されそうなので止しておこう。
「だから、お前が裏切った今、むしろお前への信用は回復した。お前は仲間を守るために敵である私たちと協力したんだって。私は心より敬意を払おう。マサカズ・クロイ」
──そのとき、マサカズの頭は真っ白になった。
てっきり、セレディナからは罵詈雑言、もしくは拷問が施されるとばかり思っていた。だから、真逆の言葉が来たとき、まるで意味が分からなかった。
「そして、私はお前を卑怯な愚者から、正式な敵へと格上げする。お前は油断ならない男だ。殺すこともできず、しかし目を離すこともできない。つまり」
セレディナは座っていた椅子から立ち上がり、鉄格子に近づく。全身を拘束されて舌も噛み切れない。しかし目だけはきっちりと動かせるマサカズに、その誘惑されそうな赤い瞳を合わせる。
「できれば、この力は使いたくなかった。私はお母様から譲り受けたこの力によって、敵とはいえ、憎き相手とはいえ、その仲間を洗脳なんてしたくなかったからだ」
──頭に靄がかかったみたいに、フラフラする。発熱したときに似ているが、熱とは異なり、これに苦しみはない。
あるのは安心感と⋯⋯快楽だった。
「お母様。ごめんなさい。この力を、吸血以外に使うことを。生存に必要でないのに使ってしまうことを」
セレディナは誰かに──おそらく母親に謝った。
吸血鬼としての生を受けた彼女だが、吸血は自分の命を守るためだけに使うという信念があった。それは、彼女が半吸血鬼、もとい半魔であるということが理由だ。
「──」
頭がボンヤリとしていたのだが、それは次第次第に晴れていく。そうしてクリアになったとき、マサカズの精神はセレディナのモノとなった。
『死に戻り』は、あくまで肉体的な死を迎えたときに発動する加護である。ゆえに、精神の実質的な死は死と判断されない。
「⋯⋯」
目が虚ろとなり、抵抗の意志が見て分かるくらいなくなった。首を垂れて、人形みたいである。
そう、マサカズは人形──マリオネットとなっていた。
「吸血鬼の『誘惑の魔眼』⋯⋯私のは、お母様ほどではないが、それでも効果が薄いわけではない」
セレディナの母親は、吸血鬼の真祖だった。野性的で化物の始原とは異なり、文化的で知的な吸血鬼の始まり。
単純な腕力なら始原の方が強かったが、魔法や知能面で真祖は優れていた。ハーフと言えど、その血を受け継いだセレディナは純粋な真祖ほどではないにしても、強大な力を持つ。それこそ、転生者の父を持つ彼女の腕力は、転生者を超える。
「最初から使えと言われそうだが、私は私の信念に従ったまで。できるだけとは言え、な」
セレディナはいつの間にか後ろに居た、銀髪の女性にそう答えた。
「魔王様。いや、お嬢様⋯⋯私は先代様の、そして私自身のご厚意で仕えていると分かっておいてください。だから、お嬢様に絶対的な忠誠なんて誓っていませんでしたし、私の行動理念は自由であるとも──」
銀髪に紫紺の瞳の『強欲』の魔人、フィルはセレディナに対してそう言い訳する。
フィルがマサカズの離叛を知っていて、それをセレディナに報告しなかったことをとやかく言われるのが嫌なのだろう。ただ尤も、セレディナには最初からフィルに色々と言うつもりはなかった。
「分かっている、フィル」
「⋯⋯」
「そもそも、お前たちは私がまた無理矢理呼び出しただけ。それで絶対的な忠誠を誓われるとは最初から思っていない。他の大罪が可笑しいだけで、お前の言い分はよく分かる」
──大罪の魔人の召喚魔法。あくまで召喚するだけで、忠誠を誓うかどうかは魔人側の判断にある。そこで、魔王と同等以上の力の持ち主も少なくない大罪の魔人が、全員魔王に対して跪くなんてそれこそ可笑しいというもの。
「だから、私はお前を罰しない。罰せない」
「⋯⋯ありがとうございます、お嬢様」
フィルならば、魔王と正面から殺り合って逃げ延びることができるだろう。流石に魔王を殺害することはできずとも。
なのに今もセレディナに表面上は従っているのは、彼女が前魔王には本当に忠誠を誓っていたから。その娘だからに過ぎない。
「それで、そこの人間はどうするのですか? ただ殺さないだけなら、わざわざ『誘惑の魔眼』を使う必要もなかったのでは?」
「情報の裏付け、だ。思うに、マサカズ・クロイはエストたちとの連絡が取れていない。⋯⋯答えろ、我が眷属よ。お前は、エストたちとの連絡手段を持っているか?」
セレディナの赤い瞳が発光する。それは赤色というより、ピンク色に近かった。
それに呼応するように、マサカズ黒瞳はセレディナと同じく、ピンクに近い赤色──薔薇色に発光する。
「持って、いない」
虚ろな目で、覇気のない声で、死んでいるようにマサカズは一言答える。
答えにセレディナは「やはりか」と呟いてから、また更に質問を投げかける。
「エストたちはいつ帰ってくる?」
「おそらく明日の早朝。ただこれには確証がない」
『誘惑の魔眼』によって支配された対象は、嘘をつくことができない。だから本当に『おそらく』の可能性を前提に、マサカズは己が命を抛ってまで、セレディナたちに一泡吹かせようとしたのだ。
正気じゃない。賭け事、それも命をベットするようなギャンブルを、こうも平然と、冷静にするなんて信じられない。
「⋯⋯お嬢様、どうしますか?」
この都市を制圧したのと、エストたちは関係がない。しかし、セレディナがここへ来た理由に、白の魔女は関係しかない。
フィルがセレディナに「どうするのか」と聞いたのは、後者を知らないからというわけではない。有利な状況を作り出し、戦うまでの時間がないだろう、ということだ。
確かに、白の魔女とは万全を期して、その上で優位点を作り出してから戦うべき相手である。だが、
「私が逃げるだと? もう一度、奴から逃げるなんて、屈辱にも程がある⋯⋯私は、戦う」
セレディナは将来優秀だ。近接戦闘能力という意味でも、知略的な意味でも、支配者的な意味でも。
そう、今は未熟ではあるかもしれない。しかし、普通からしてみれば優秀も優秀。これで発展途上なんて信じられないくらいだ。
だから、知恵者ならば一旦引く判断を取るこの場面で、戦うことを選ぶセレディナを、フィルは理解できなかった。
「愚かですね、お嬢様。⋯⋯あなたはまだ弱い。私にも勝てるとは言い切れないなら、白の魔女には勝てるはずがないでしょう?」
──フィルの魔力が一気に開放され、辺りの空気を緊張させる。威圧感は魔女に匹敵し、純粋な暴力がそこにある。
思わずセレディナは黒刀を異空間から取り出そうとしてしまった。
「弱者はこの威圧に気づかず、強者は分かっていて無視をする。そして、未熟者は気づいてしまって、戦闘態勢に移る。そうは思いませんか?」
あの威圧を、あの殺意を感じて、一体誰が無視できるというのか。そこで思考がストップしていれば、その人はまだまだである。真なる強者とは常に余裕があるものだ。雑種に警戒している時点で、それは強者ではない。
「自由とは、生きていなければ掴みとることができません。生と死は不可逆的であるのです。死を迎え入れる者がいたとしたら、いかなる理由があれどその人は──狂人、でしよう。それくらい、死とは恐れるべきものなのです。お嬢様、あなたが今からやろうとしているのはその死の可能性が高い、一歩間違えれば無謀にも、無意味にも、無作為にもなる行動ですよ?」
フィルに忠誠心はない。きっと自分が危なくなれば、また、自分さえ良ければ、彼女はセレディナをも見捨てるだろう。
しかし、それはフィルがセレディナをどうでも良いと思っているわけではない。彼女には明確で絶対的な優先順位があるだけで、本質は限りなく善──と言っても愉快犯じみているのだが──に近い。
だから、彼女は、自分の目覚めが悪くなるようなことはできる限り避けたい傾向にある。自分のためなら他者を踏み台にすることも、逆に助けようとすることもあるのがフィルという魔人の性格だ。
「ふふ⋯⋯ははは」
それが分かった瞬間、セレディナは自然と笑いが込み上げてきた。不審にフィルは、機嫌が悪そうに『強欲』は、そんなセレディナを無言で見つめる。
「ごめんごめん。お前が私のことを心配するとは思わなくてな」
「⋯⋯はあ」
セレディナの回答に、フィルは大きな溜息をつく。
「しかしまあ、その言い方だと私と白の魔女との戦いには介入する気がないということだな?」
セレディナは笑い顔からすぐさまいつもの魔王になった。その変貌っぷりは、流石のフィルも少し驚くほどだ。
「ええ。介入するなら、まずはあなたを殺してから白の魔女に一騎打ちを申し込みます」
フィルは平然と、そうするだろうと自信を持って、不敬と取られて普通なら即刻首が飛んでいそうな発言をした。
「では後ろも警戒すべきか」
フィルという『強欲』の魔人なら、本当にしでかしそうなことで笑いにもならない。
記憶の片隅にこの情報も保管しておくべきだと、セレディナは思う。
「⋯⋯では、これで」
フィルは短く挨拶をし、最後に軽く礼をしてからその場から消え去った。相変わらず呼吸をするように魔法を使うものだから、その度にセレディナはフィルとは敵対したくないと思ってしまう。
「⋯⋯お母様、お父様」
近くのマサカズにも聞こえないくらい小さな声で、おそらく無意識的にセレディナはそう言葉にした。
そして、表す、その決意を。
「──待っていてください。必ず、仇を取りますから」