表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白の魔女の世界救済譚  作者: 月乃彰
第五章 魔を統べる王
109/338

5−1 平凡

 真っ暗な世界に光の筋が一本入って、それから光は大きくなる。次第に暗闇を全て照らし、闇を払い、世界を光で満ちさせる。 

 『死に戻り』と起床は、よく似ている。だが起床には、形容し難い不快感などはなく、あるのは清々しさと、


「砂漠特有の、この暑さ。日本の梅雨の、ムシムシする暑さと比べればまだマシだがな」


 エストたちがモルム聖共和国、首都アルセムノを出発した翌日の朝。マサカズは宿泊中の宿屋の一室で目を覚した。

 エアコンによく似た魔具はあるが、それも高価のようでおいそれと一室一室に取り付けられるものではないようだ。勿論、マサカズが泊まっている部屋にもエアコンのような魔具は設置されていない。ので、起床は主に暑さが原因だ。


「これからもっと暑くなるってんだから、砂漠はやっぱりキツイな。しかしまあ、生まれたときから砂漠で育ってきたから、この暑さにも耐えられるのか」


 マサカズは部屋の窓を開き、外気を取り込みつつ町の風景を眺める。

 太陽の傾きからまだまだ朝は早いだろう。時刻にして六時くらいだろうか。

 少なくともマサカズからしてみれば早朝であるというのに、町の子どもたちは元気に外を走っている。確か、近くには公園があったはずだ。きっとそこで友達と遊ぶのだろう。


「⋯⋯今日は休日か?」


 学校はあったはずだ。どうもこの世界は魔法があるというのに、科学がかなり発達しているし、教育レベルも低くない。元の世界の歴史に当てはめるなら、この世界の科学技術は1900年代初頭。全てがまるっきり元の世界の科学技術と同じわけではないが、大体そんなところである。尤も、科学史にはそこまで詳しくないマサカズの見解のため、百年くらいの誤差はあるかもしれないが。


「まあ、学校が休みでも、仕事場が休みってわけでもないんだ」


 マサカズは、エストらに「休んでおけ」と言われて『死者の大地』への同行を辞めた。そのため、本来であれば、彼は何もせずに休養しつつエストたちの帰りを待つべきなのだが、


「やることがないって、わりかしキツイんだな。あれほど面倒だと思った学校が、今では行きたいと思うぜ」


 マサカズは、引き篭もりとか不登校とかではなかった。普通に学校に行って、普通に過ごして、普通に友達と遊んで、普通に家族と過ごした。別段良いことがなければ、悪いこともなく、かと言って退屈があるわけでもない平凡な生活。彼はその平凡が幸福であるとはあのとき思わなかった。


「失ってから初めてその重要性に気がつく。分かっていたつもりだったが、これほどまでとはな」


 転移直後、一体幾度家族を、友達を、同級生を、隣人を想っただろうか。どれだけ『帰りたい』と、『会いたい』と想っただろうか。──何度、泣いたか。


「⋯⋯感傷に浸るのもここまでだ。どれだけ願っても叶わないものは叶わない」


 『欲望』はある。しかしそれを叶えられるだけの能力は、マサカズにはない、今は。


「今は今できることをする。ただ、それだけだ」


 手に入らないものを欲するなんて、どれだけ強欲なのか。そんなのはまさに──大罪だ。


 ◆◆◆


 マイ・カワニシとクアイン──もといコクマーという軍部の総司令官、及び副司令官が一度に死亡したため、聖共和国政府はすぐさま彼らの代わりを用意することになった。

 そこで抜擢されたのがレイチェル・リド・マース。マース准将の娘であり、また、彼女自身も優秀な成績を収めていて、今回の件での手柄もあったからだ。

 勿論、彼女自身にはまだまだ不足が多い。そのため見習い司令官と言ったほうが正しいものの、一、二年も経てば立派な司令官になれるだろう。


「さてと⋯⋯」


 なぜそんなに軍部について詳しいのかというと、マサカズは軍で今、仕事をしているからである。四日間ほど、長くても一週間ほどしかこの国には滞在する予定がないため、当然正規で雇ってもらっているわけではない。どちらかと言えば、お手伝いと言ったほうが的を得ている。


「俺が剣の指導をするとはな。最初こそ加護の力だったから俺自身が努力して身につけた技術じゃなかったが、今ならそれが口で説明できる。⋯⋯では、始めるぞ」


 マサカズがお手伝いするのは、軍の剣術指導。マイが居なくなった現在、銃器の創造が不可能とまではいかずとも、そんなに大量生産できるわけでもなかった。そのため、剣術が必要になったのだが、軍部には剣術を教えられる人が非常に少ないのだ。

 四日間で身につくほど、剣術は甘くない。だがやるのとやらないのでは大きく違う。ということで、マサカズはレイチェルに、「剣術を兵に教えてください」と頼まれたのだ。


「剣を持ったら分かると思うが、これらは鉄の塊で重い。銃器のように狙って撃てば良いわけじゃなく、振らなきゃ駄目だ。応用は基礎のあとだ」


 土台がなければ家は建たないように、剣もそれを綺麗に振れなければ、どれだけ技術を学んだって意味がない。


「本当ならこの練習時間全てを素振りに回したいが、生憎俺は短くて四日間、長くて一週間しか指導できない。だから素振りは一時間だ。その間、振り続けてくれ」


 生徒たちはマサカズの言葉に「はっ」とだけ答えて、各々素振りを始める。仮にも兵であるため、筋力はそれなりにあったが、その振り方はお世辞にも綺麗とは言えなかった。


「もっと体全体を使うように。腕だけ動かすな」


 指導しつつマサカズは回る。

 驚いたのは、生徒たちの中には女性も居たことだ。確かに軍人に女性が居ないわけではないが、全体の四割ほどが女性であったのだ。


「⋯⋯そろそろ一時間か」


 素振りを一時間。それも鉄の塊を、だ。多少の差はあれど生徒たちはかなり疲れており、そのまま続行したとしてもただ辛いだけだろう。


「三十分間休憩だ。その後、続きを行う」


 マサカズも鬼教官ではない。エストとは違うのだ。殺さない程度に殺すという訓練方法は、彼らにはまだまだ早すぎる。


「俺が緑魔法を使えるならスパルタ教育も考えたが、な」


 できないなら仕方がない。

 そんな悪魔的な考えをしていたマサカズの元に、一人の金髪の少年が寄って来る。その少年に見覚えがあったマサカズは手を振って、


「アルじゃないか。お前、軍人だったのか?」


 アルフォンス・ヤユクト。マサカズたちがモルム聖共和国に行く道中で、偶然助けた少年だ。


「いいえ。俺は軍人ではありません」


 先程、これは軍の剣術訓練だと言ったが、それには少し語弊があった。これは、ただの剣術訓練。誰でも参加できる講習のようなものだ。尤も、一般人で参加している人物はかなり少ないのだが。


「俺は、また盗賊に襲われたとき、シノを守れるくらい強くなりたいんです。だから、この訓練にも参加して⋯⋯」


「なるほどな。それで⋯⋯」


「はい。⋯⋯マサカズ、俺に、剣を教えてくれませんか?」


 アルは真剣な眼差しで、マサカズにそう願い出る。これは、この訓練だけでなく、個人的にも教えてくれ、という意味なのだろう。


「この訓練は夕方に終わる。そこから三時間くらいならできるが⋯⋯」


 マサカズもそんなアルに向かって、友人としてではなく、指導者として接する。


「──その三時間は、辛くなるだろう。それでも、か?」


 マサカズがこの国に滞在するのは短期間だ。その短期間でアルを、自分だけでなくシノも守れるくらい強くするならば、普通の訓練をするだけでは全く足りない。


「人を、まして無力な女を守るのは、自分だけ以上に厳しい。人の命は、それだけ重いんだ。守る剣術ってのは、殺す剣術より格段に難しい」

 

 マサカズが今、生徒たちに教えているのは殺す剣術だ。的確に首を切断できるだけの技量と、力をつける。教えるつもりの技術も、剣でなく足も使った戦い方で、相手の命を奪える剣術だ。だがしかしこれが守りの剣術となれば、話は別だ。


「⋯⋯それでも、です。俺はやります。もう二度と、シノを怖がらせたくない」


 アルの金色の瞳に確かな決意が宿ったのをマサカズは見た。


「良いだろう。アル⋯⋯いや、アルフォンス・ヤユクト。俺はお前に、守る剣術を教えてやる」


 ◆◆◆


 ──全身の細胞という細胞が、危機反応を示している。今すぐにでもここから逃げろと、促してくる。

 体が凍てついたように動かない。恐怖が脳を蝕んでいる。

 怖くて怖くて、逃げたくて逃げたくて、堪らない。

 黒髪の少年の殺気は本物だ。一歩でも後ろに下がればその剣で首を切断してくる。根拠はこの殺意だけで十分だ。

 ふと、頭の片隅に金髪の少女の姿が浮かんだ。そして──。


「⋯⋯よく、逃げなかったな」


 ──アルフォンスは膝から崩れ落ち、全身から汗をダラダラと流して、ゼエゼエと過呼吸の状態へと陥っていた。

 マサカズは剣を鞘に収めると、そんなアルに手を差し伸べた。アルは彼の手を取り、震える足で立ち上がる。


「マサカズ⋯⋯あなたは、一体⋯⋯」


「俺はただの剣士だ」


 そんなはずがない、とアルは思うが、マサカズの言葉には嘘偽りがないとも感じた。


「⋯⋯もう震えは止まったか。再開するぞ」


 全身に渦巻いていた恐怖がある程度抜けきったタイミングで、特別訓練は再開する。

 マサカズは鞘に収めていた剣ではなく、木刀を取り出したが、アルは鉄の剣だ。


「そっちから初めていいぞ」


 マサカズにそう言われて、アルは一直線にマサカズへと走り出す。地面を踏み、剣を掲げ、斜めに振り下ろす。しかしマサカズはその剣戟を少しだけ体を捻って避けて、カウンターに木刀を薙ぐ。アルの横腹に、鉄の防具を着ているというのにとんでもない衝撃と激痛が走り、彼の体を近くの壁へと叩きつけた。


「踏み込みが甘い。スピードも遅い。躱されたあとのことも考えていない。それに、剣筋が単純だ」


 素人に毛が生えた程度。それがマサカズのアルへの評価だった。


「良いか、アル。最初の一撃で仕留められると思うな。大事なのは第二撃、第三撃以降だ。連撃を頭に入れなければ、お前はいつまでもその程度になる」


 コクマーやレイ、アレオス、ロアたちのような近接職と戦っていて、最も脅威となるのはその一撃の重さでも、スピードでもない。それは、連撃だ。いかにして相手から優位を奪うか、同格以上の相手に対して、連続した剣戟を組み立てるのは重要になる。


「わかり⋯⋯ましたッ!」


 体を起こして、アルは再びマサカズに斬りかかる。先程より姿勢を低くして、スピードも僅かにだが上がっている。剣筋も、予測し辛い。だが、


「まだまだ、だ」


 刺突された剣先に、木刀を垂直にして軌道をずらし、空いた胴体に蹴りを叩き込む。更に木刀で頭部の防具を突くと、アルの脳を震わせる。

 一瞬の痺れのせいでアルの体は地面に倒れ、マサカズが彼の首に剣先を突きつける。


「防がれたとき、アル、お前は何も考えていない。組み立てた連撃が中断されたときの対処もできなくてはならない。相手が自分より強ければ、な」


「⋯⋯」


 剣を地面に突き刺してそこに体重をかけ、アルはハアハアと息をつく。


「さあ、かかってこい、何度でも」


 しかし休んでいる暇はない。一秒でも、剣を振っていなければならない。それぐらいできなければ、シノは守れないのだから。


「うおおおおおッ!」


 雄叫びを上げ、剣を握りしめ、マサカズに向かって激走する。


「──ようやく、殺気を放ったか」


 それを待っていたと言わんばかりに、マサカズは木刀を構えると、


「良い殺意だ」


 マサカズは子供のお遊びの相手をするようにではなく、実戦と同じように、本気で、殺し合いに相応しい方法で、アルの剣戟をいなした。

 

「──」


 何が起こったのかは分からない。しかし、結果だけはわかる。──アルフォンスの首に、いつの間にか木刀が当たっていて、自分の剣は地面に転がっている。

 この一瞬で、この刹那で、マサカズはアルフォンスを殺したも同然。きっと彼が刃のある剣を使っていたならば、死んだことにさえ気づかなかっただろう。


「今日はもう終わりだ。⋯⋯その調子だ。頑張れよ」


 いや、これでもまだ、マサカズは手加減していた。

 黒髪の少年が立ち去っていくのを見届けたあと、アルフォンスは気がついたのだ。


「⋯⋯嘘、だろ」


 ──地面に転がっている剣は、中頃で綺麗に折られていた。あの少年は、木刀で鉄の剣を折ったのだ。

 見えなかったスピード。普通の人間の域にないパワー。そして洗練された技術。


「あの人は⋯⋯一体何者なんだ」


 それでさえ、まだまだ本気ではない。全力ではない。少なくともアルフォンスでは、今の彼では、マサカズに勝つことも、何なら本気を出させることもできないのだと、悟った。

 だったら彼のような人が三人でようやく勝てたとされるあのコクマーという人物は、どれだけの強者なのか。そんなコクマーを従える黒の魔女とは一体どんな存在なのか。

 

「──人は、弱小なんだな」


 それが、アルフォンス・ヤユクトの答えであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ