4−39 イザベリア・リームカルド
彼女は、ただの村娘であった。極々普通の村に生まれた少女であった。ただ、外見も非常に優れているから、当時の王族や貴族の同年代くらいの男児からはよく、求婚をされていた。しかし、彼女はそれを断固として拒否し続けた。
その理由は、自身の外見だけに惚れた相手と結婚なんてしたくないと言うのもあるが、何より彼女には一人、想い人が居たのだった。
「あ、イザベリア! 遅いよ、もう」
彼女──イザベリア・リームカルドには、幼馴染が一人居る。その幼馴染の名前は、サエラ・ミルフィズ。今、イザベリアに対して「遅いよ」と言った目の前の少女である。
「ごめん、寝坊しちゃってさ」
長い髪は色が抜けたように白く、閉じた瞼にはアメジストのような瞳が隠れていることをイザベリアは知っている。
彼女の太陽を知らないとでも言いたげなほどに白い肌は殆ど露出しておらず、真っ黒な貫頭衣を纏っていた。
決して、とても優れているという外見ではないものの、顔立ちは整っていて、彼女のその愛想ある性格からも、村内ではとても好かれている。所謂愛されキャラ、というものである。
「全く、もう⋯⋯。そんなんだったら、良い大人になれないよ? 君の悪い癖だ。治すべきだと思うよ」
そんな彼女だが、イザベリアにだけは当たりが少し強い。しかしそれは、イザベリアが嫌いだからというわけではなく、むしろその逆。親友──それさえも超えた関係にあるからこその対応であった。
「はいはい。気をつけます」
イザベリアは時間にルーズで、今回ほどではないにしても、いつも待ち合わせに遅れていたりする。絶対にあり得ないのは、時間通りに来ることと、事前に知らせもせずに待ち合わせ場所に行かないことだ。
何にせよ、子供のときから、それこそ、まだお互いを認識していないようなときからの知り合い同士であり、物心付いた頃には既に仲良しの関係にあったため、互いのことなんて知り尽くしていて当然なのである。
だからなのか、サエラのその口調は怒っているようなものだが、肝心の怒りは感じられない。
「でもそんな悪い大人になりそうな美少女を気にかけてくれる子が世の中にはいるんだよね。私はそういう子が大好きさ」
「⋯⋯全く」
同年代とは思えないような言い回しをするイザベリアに呆れはしても、嫌悪は抱けないのが正直なところだ。
「さあさあ、行こうよ」
イザベリアは少し走って、サエラを呼ぶ。目が見えない彼女に対しての行動とは思えないが、サエラの感覚は非常に優れていて、空気の流れや気配でイザベリアを察知できる。
サエラはイザベリアの気配を頼りに、歩く。
◆◆◆
イザベリアとサエラの二人の少女が住む村の近くには大森林があり、目的の場所は森を抜けた先にある湖である。
鬱蒼とした森林を、少女たちは歩く。服装はまるで森の中を進むものではないし、片方の少女に関しては盲目だ。しかし、だというのに、少女たちはスラスラと、平地でも歩くようにスムーズに進む。
イザベリアは時々サエラを見るが、目以外の感覚で地形を把握しているのか、歩きには迷いがない。これなら心配する必要がなさそうだ。
「ねえ、サエラ」
「ん? 何?」
イザベリアは、振り向かずに、サエラに話しかける。
彼女の口調は普段と変わりないが、何だか少し辿々しい気がする。
「ここには私たち以外誰も居ない。だから、誰にも聞かれる可能性がないから言うね」
何を、言うつもりなのだろうか。常人より優れた耳を澄ませて、いつもより集中する。
「私さ、多分、魔力ある」
──そのとき、森に無音が生じた。それが一体何を意味するかを知っているサエラは、言葉を発せずにいた。
「これが知られれば、すぐに王宮から兵が来ると思うし、私はきっと⋯⋯うん」
魔力を持つ人間。それは、これまでこの世に一人しかいなかった。
「え。⋯⋯じ、じゃあ、隠せばいいじゃない。隠せば、君は」
サエラの言葉を、イザベリアは嬉しく思う。
恋人が犯されるのを知っていて、はいそうですかと言えるはずがない。当たり前だ。
しかし、そんな彼女の言葉を、イザベリアは遮る。
「魔法は多分、未来に必須になる技術だ。私みたいな村娘一人が、そんな技術の発展に貢献できるんだよ? そう、思っていたいんだ」
──魔法は、つい最近、本当に二百年前ほどに出来上がった技術だ。
『世界を創りし三人』のうちの一人の男は、魔法という技術を創り出した。しかし、それ以前から存在していた人類には魔力というエネルギーが存在せず、理が改竄されたあとも人類が魔力を持つことはなかった。
よって、魔法とは言わば道具のことを指していて、創作できるのが一人だけなので流通は少なく、非常に効果な代物だ。
「そんな⋯⋯」
では、そんな超希少な魔力持ちの人間が生まれればどうなるか。そんなのは簡単に分かる。
子を孕み、子孫を残す。魔力を持つ人間を母体とするなら、子供も魔力を持つはずだ。
仮に子が持たなくても、後のため、研究対象として幽閉されることになるだろう。どちらにせよ、先の明るい話とは思えない。
「⋯⋯仕方ないさ」
魔法は強力な技術になるだろう。少なくとも、魔法の創造主ほどの魔力であれば、それは確実だ。それでなくとも、研究の価値はある。
法則を捻じ曲げる力。どれだけ元が弱くとも、発展させるべき技術なのだから。
「⋯⋯教えて。いつから知ってたの?」
「一ヶ月前。一人で森の中を歩いてたときにね、狼に襲われたんだ。けど、そのとき、狼の牙は私の肌を貫かなかった。その後すぐ、倦怠感とかが襲ってきたけど⋯⋯あれは、絶対に魔力、魔法の類だよ」
「どうして、黙ってたの?」
「──最初は、私は誰にも話すつもりなんてなかったし、死ぬまで隠し通そうとしていた。けど、魔法があれば、みんなはもっと豊かになるんじゃないかって考えたら、私のこの体くらい、どうとでもして良いんじゃないか、って」
それは、あまりにも利他的であり、十三歳の子供のできる決断ではない。
「でも、魔力持ちはこの先増えてくるって、創造主様は⋯⋯」
創造主は、人だが人ではない。不老であり、この世界に現れてから二百年経った今でも、当時と変わらぬ姿をしているらしい。もっとも、それは魔法が使える彼だけで、他二人の創造主はとっくの昔に死亡しているのだが。
そんな創造主は、言った。『魔力持ちはこの先きっと現れる。そのときまで、魔法技術は人類全体では使えないだろう』と。
言葉さえなかった二百年前から、創造主たち三人の力で現在では高度な知的生命体へと進化した。けれど、あくまで元からあった知性のリソースを使いこなせるようになっただけで、スペック自体が変わったわけではない。
たから、体の仕組みは二百年前から変わらない。しかし、変わりつつはあった。イザベリアは、その変わったあとなのだ。改竄された『世界の理』に、初めて適合した人物なのである。
「私が魔法に適合したということは、これから百年も経てば魔力持ちも多くなるはず。早めに魔法学について研究しておけば、魔法学の発展はスムーズになるし、悪用されるのを事前に防ぐ対策法も考えられる。そうは思わない?」
あえて振り返らずに、イザベリアは語る。サエラも黙っているようで、何も彼女に話さない。
「私だって、感情的には嫌さ。でも⋯⋯すべきなんだよ」
国の発展。延いては人類全体の前進に貢献するだろう技術なのだ、魔法とは。その鍵を、十三歳の子供が持っている。
「⋯⋯だからさ、最期くらい、笑顔で居させてよ、笑顔で居てよ」
イザベリアは微笑んで、
「サエラ」
名前を呼び、振り返る。そこには涙目になって、イザベリアとの別れを悲しんでいる彼女が居た──はずだった。
「──っ!?」
居ない。ただ、そこには鬱蒼とした森が広がっているだけだ。まるで、最初から居なかったようである。
「サエラ! サエラ!?」
名前を呼ぶ。けれど応えはない。
逸れた? いや、違う。サエラは盲目だが、その他の感覚が優れていてイザベリアと逸れることなんてないし、道を踏み外したということも、この辺りには崖などないのであり得ない。野生動物に襲われたにしても、あまりにも無音すぎる。
つまり、サエラが突然姿を消した理由は、
「盗賊⋯⋯人攫い!」
サエラは、村長の娘で、盲目のアルビノということで良くも悪くもこの辺りでは有名だ。相手に一方的に知られていてもおかしくない。
アルビノの外見は美しい。アルビノを手にしたいと思う人も少なくないだろう。そういう奴らに向かって、高値で売ることも考えられる。
「村に⋯⋯いや」
それだと、遅い。村には盗賊なんかに勝てる人はいない。だから近くの都市から兵を呼ぶ必要があるが、どれだけ早くても村への到着は明日の朝。その頃には既に、盗賊たちはどこかへ逃げている。
「⋯⋯待って、ならどうして、私は攫われなかった?」
人身売買が目的の人攫いなら、美しい外見のイザベリアも攫わないのは可笑しい。
「まさか、狙った獲物しか攫わないプロ思考を、たかが盗賊が持ってるとは思えない⋯⋯って、ああ、そうか」
人身売買が目的である、とは予想でしかなかった。
「前提から違うんだ。人攫いは金が目的じゃない」
金銭でも何でもない。それは不純な、
「目的は、サエラ自身。⋯⋯はは、なら、犯人はすぐ分かるね」
変態というのは、有名になりやすい。『奴には近づかない方が良い』とかの悪評は、より広がりやすい。それが真実なら、消されることもなく伝わり続けるだろう。
以前、サエラに求婚してきた男が居た。中年の男だ。勿論、彼女の両親は断ったし、彼女自身も頷くことなんてなかった。
「二セルフ・アルファンドがこれを計画した。攫ったのはどこかの犯罪組織だろう。⋯⋯なら、計画者の家に届けられるはずだ。そこを狙えば⋯⋯」
イザベリアは全身を回る魔力を手に集め、それを水鉄砲のように放出すると、木の枝に命中し、それを切断する。断面は鋭利な刃物で両断したみたいに、綺麗だった。
「魔力を撃ち出すしかできなくて、魔法は使えない。けど、自衛──最悪、人を殺すこともできる」
人体の両断も容易だ。少なくとも、魔力を持たない人では防御することはほぼ不可能で、有効的な攻撃法だろう。
「人を殺す⋯⋯殺す、か」
自然と、イザベリアは先程『人殺し』を実行する覚悟をしていた。
人を、殺すこと。それは犯罪だし、決してしてはならない事だ。勿論のこと、相手が犯罪者であろうと、自己防衛を超えた殺人なんてしてはならない。故意的にもなれば尚更のことだ。
「⋯⋯どうせ暗い人生なんだ。それくらい、捧げても構わないでしょ」
ただ、失うものが少なければ実行に値する。
我ながら倫理観が欠如していると思う。人を殺すことに対しては、もっと忌避感を覚えて良いはずなのだ。しかし、今、彼女はそのことに対して酷く冷静だ。頭の中で何をすべきかを理解し、殺す必要性を実感している。
「これは免罪符じゃないし、正当性の欠片もない理由。けれど、私は殺さなくてはならない。その必要がある。だったら」
魔力を操作し、純粋な暴力のエネルギーへの変換作業はコンマ一秒にも満たない時間で終了する。
イザベリアだけが特別なのか、それとも他の人も同じようにできる素質があるのか。それは定かではないものの、少なくとも現在、魔力を武器として使えるのは彼女だけだし、他の人には使えない。それが、彼女とその他の決定的な違いだ。
「殺すのを躊躇うことはない」
◆◆◆
アルビノとは、先天的に体内の色素の欠乏が生じて生まれる系統の生物である。
そしてこの辺りでは『アルビノとは神の生まれ変わりである』という噂があって、アルビノの人の誘拐などは少なくない。
「──」
二セルフ・アルファンドという男は、有り体に言えば狂信者である。神『パンドラ』を信仰する教会の熱心な信者、と言えば聞こえは良いが、その実、彼は変態だ。
パンドラという神は、全身が真っ白な少女で、この世の誰よりも美しいとされている女神である。
そして二セルフは、そんなパンドラを信仰し、狂信し、そして──愛していた。
純血にして最高の美の持ち主。そんな女神を愛するなんて、ある種の冒涜であると、他の信者からは何度もしつこく警告されたものだ。しかしながら、それは価値観の違いから彼には届かなかった。
「あなた様はきっとパンドラ様の生まれ変わりだ! ワタシはあなた様のことを信仰し、愛しています! さあ、ワタシの愛に応えてください!」
小太りで貴族服がまるで似合わない金髪の、普通以下の男は、真っ白なドレスをいつの間にか着せられていたサエラの前に跪き、求婚してきた。
「え⋯⋯あ⋯⋯へ?」
「さあ早く! ワタシの愛に!」
まるで意味が分からない。
イザベリアと話をしていて、でも途中で意識が飛んで、気づいたときにはこの屋敷でドレスを着ていた。そして突然部屋に男が入ってきて、現在に至る。
求婚してきた。しかし、必要な手順をまるで踏んでいないプロポーズだ。
「⋯⋯え、嫌ですけど」