4−37 最強の魔法使い
精神世界から現実世界へと帰還し、エストが目覚めたのはあのイザベリアの『封魔核』が存在する部屋であった。
──そう、あるべきだった。
「これが私の力さ」
居住区であったはずの第四階層は、その姿形を完全に別物へと変化させていた。
そこは、異常空間。果てがない、大空間。一面が未知の石材によく似た物質によって構成された無制限的な閉鎖空間だ。無数の柱が、そんな空間の30m上の天井を支えている。
第四階層をこのような異常空間へと変化させた少女の手の平には白色の魔法陣が展開されていて、それは次の瞬間消える。
「第十一階級魔法は、正真正銘現実改変の力でもある。前の虚飾の魔人、イシレアと同じことができると思ってくれて構わないよ」
同じこと、とはよく言う。こんな大規模な『現実改変』のような技は、イシレアの能力以上だ。イザベリアだからこそできることとも言えるが、その力は正に異常。
「私は全系統の第十一階級魔法を扱える。私以外じゃ、そんなことができるのはあと一人しかいないくらいだ」
あざとらしく、しかし魅惑的に、イザベリアは片目を閉じて、嫣然と微笑む。
力を見せつけ、彼女に挑むということがどれだけの無謀かを示す。戦いは戦う前から始まっているというものだ。
しかしながら、エストにそんな小細工が通用しないことを、イザベリアはよく知っている。力を誇示したつもりは彼女になく、単に、現状の説明を行っただけなのだ。
「その一人は未来の私かな? それとも、もう一人増えるのか。何にせよ、ここでキミとの勝負に勝ってからの話だね」
「よく言う。⋯⋯さあ、そろそろ始めようか」
灰色の瞳に、黒髪の少女の姿が映る。
赤色の瞳に、白髪の少女の姿が映る。
「──ッ!」
魔女の力を一時的とはいえ取り戻した彼女は、この短時間で、そのブランクを取り戻した。そのため、力量は以前と同程度──
「〈次元断〉」
──否、以前以上だった。
不可視の斬撃が空を飛び、空気を切断しつつイザベリアに接近。彼女は無詠唱化された転移魔法を行使することで不可視の斬撃を回避すると、代わりに後方の柱を両断し、柱は元の半分ほどの長さで地面に倒れる。
直径2mはあるだろう未知の物質によって構成された柱を容易く切断した斬撃は消失したが、その明らかな切断力の上昇に術者であるエストは驚く。
「多分、少しの間人間で居たからじゃないかな」
人間としての生より、魔女としての生の方が長いエストにとって、人間に成るということはそれだけで負荷となる。
人間の体は脆く、魔法の使い方も好き勝手できる魔女の体とは違い、より繊細に魔力を扱わなければならなかった。繊細に魔力を扱うことによってエネルギー変換の効率が良くなり、結果として出力時の威力も変わってくる。
最小限の魔力消費で最大限の威力を。これに更なる磨きがかかったというわけだ。そしてその上昇率は、人間時代に殆ど魔法を使ったことがないので、かなり大きい。
「なるほど。この人間化も、何も悪影響ばかりではなかったということだね。これも、キミの策略?」
イザベリアは頭がよく切れる。能力以上の魔法を扱えるのだ。運命改変なんてできたとしても可笑しくない。
ただ、流石にそうではなかったようで、イザベリアは首を横に振る。
「違うよ。そんなことができるなら、今どうしてあなたと戦ってるのさ?」
「ま、そうだよね」
短い会話も終了し、再び戦いは始まる。
今度はイザベリアから仕掛けるようで、彼女の両手の平に魔法陣が展開される。片方は赤色、もう片方は青色だ。
攻撃と防御の魔法の同時展開。今更魔法の同時展開には驚かないが、その意図がわからない。どうして、防御魔法を行使するのか。
「〈次元断層〉」
断が無空間を飛ばす魔法なら、層はそこに異次元を創り出す魔法だ。次元を創り出すという性質上、この手の魔法は消費魔力量が多く、エストの総魔力量からしてみても連発は避けておきたい。しかし、今回は相手が相手なのだ。出し惜しみはできない。
薄いが、それは次元そのもの。次元を砕けるのは同じく空間に作用する白魔法のみ。赤魔法では、ましてや青魔法では、それを砕くことはできない。
「──」
自身の周りを次元によって囲ったことは、これ以上にない判断であった。
直後、エストは、半透明な青色の壁によって三百六十度囲まれ、完全に密封される。先ほどイザベリアが展開した魔法陣の構成要素を見る限りだと、それは恐らく〈多重防壁〉と〈倍反射〉の合成魔法だろう。
そして、その内部で先が鋭利に尖った紫色のクリスタルが複数生成され、壁内部を反射しつつそのスピードを高める。
幾度も次元壁と衝突を繰り返し、クリスタルは離散するように消滅した。
「殺す気だったのかなっ!?」
あの紫色のクリスタルは、明らかに人を殺せる強度と剛性と速度を有していた。あんなのを何発も貰えば、確実にその身をズタズタに引き裂くだろう。
「まさか。あなたが使ったあの魔法を忘れていてね。今は思い出したけど」
イザベリアは実戦に駆り出されるのが実に千年ぶりだ。
エストのような記憶力を持たなければ、千年間まともに使わなかった魔法を忘れていても可笑しくない。ただこれは、エストにとってのアドバンテージである。
次、〈次元断層〉を行使すればきっと、イザベリアは空間魔法でそれを潰しに来る。
イザベリアの魔法能力は、殺されないように手加減されているこの状況でも同等ではなく、格上。確実に、防御系魔法は使い物にならない。つまるところ、エストには攻撃と回避しかないということだ。
(選択肢を既に一つ減らされている⋯⋯しかも、ある二つでさえイザベリアには無力化される可能性が高い)
殺し合いであれば、抵抗できずに一瞬で殺されていただろう。全く、無茶苦茶な相手だ。
しかし現状は殺し合いではなく、手加減マシマシの蹂躙試合だ。勿論、蹂躙される側はエストで、する側はイザベリア。選択肢が減らされるという意味では、イザベリアの方が厳しいはず。
(イザベリアはまだ、手加減を知らない。だから今は、必要以上に自分を縛っている⋯⋯)
イザベリアがエストを殺さないように手加減しつつ、全力を出せる状況までにはまだ猶予がある。だからマトモな戦いが、少なくとも正面戦闘ができるのは今この時だけ。あと数分もすれば、瞬時にケリがつく。
「──ッ!」
無数の紫色のクリスタルを空間に再度生成。それを濁流のように飛ばすが、エストはそれらを右に、左に、真上に、真下に、体を大きく動かしながら、古典的な方法で回避しつつイザベリアに接近する。
やはり、弾幕は薄い。読み通りだ。
「──」
こんな近距離では、詠唱の一言でさえ惜しい。エストは無詠唱で魔法を行使する。
右手を突き出し、そこに展開されている白色の魔法陣から不可視の斬撃が、肉薄した状態で繰り出される。魔力を練って、貫通力を上昇された渾身の一撃だ。無詠唱であるということが唯一の憂慮点であるが、
「はっ、やっぱりキミは始祖の魔女だよ!」
全く同じ魔法で、正面から相殺された。あちらも無詠唱であるが、基礎の魔法能力がまるで違う。
「今のは少しヒヤッと──」
「──〈重力操作〉ッ!」
左手に隠していた本命の魔法を、今行使する。
当然、イザベリアに重力魔法を行使しても、彼女は無意識下でも抵抗できるだろう。そんなことは百も承知だ。だから、エストは他の、絶対に抵抗されないモノにその魔法を行使した。
「柱──!?」
先程、後方でエストが折った柱を操作したのだ。
自分にギリギリ当たらないように操作するその精密さは、流石と言える。しかし、イザベリアの思考速度も常人を遥かに超えていて、彼女はクリスタルを刹那の間に生成し、それを攻撃ではなく防御に転用すると、柱はボロボロに砕ける。
「はあっ!」
だが、ボロボロになったのは先端部分のみだ。エストはその場から離れつつ、柱を棍棒のように振り回す。
「よく考えるね」
イザベリアは三つの魔法を同時展開する。一つは崩壊、一つは消化、一つは防御の魔法だ。
右手辺りに展開した魔法で柱を崩壊させ、左手の魔法で来た炎の魔法を、黒と赤から成るポータルで食らい尽くす。
「〈一閃〉」
黒色の細長い剣で、戦技を行使しつつ、突く。光にも匹敵するスピードで剣先はイザベリアに迫るが、それは、イザベリアの胸を貫通する前に青色の障壁によって受け止められる。
しかし、防がれることも予測済みだ。
「これは」
イザベリアは見た、自分の胸部に赤色の魔法陣が展開されるのを。自分自身が展開したものでも、無意識下における自己防衛本能が働いたわけでもない。それは、目の前の白髪の少女が展開、行使したものである。
「気づくのが遅かったね」
〈爆振動〉を行使し、障壁ごとイザベリアをノックバックさせる。これは『一撃』扱いにはならないが、大きな隙を生むことになるだろう。
音を置き去りにして、黒髪の少女は吹き飛んで、規則的に設置されている柱を何本も砕く。
「もう一発! 〈爆振動〉!」
剣を逆手に両手で持ち、転移し先回りすると、飛んできたイザベリアを突き刺すように振り下ろす。またもや障壁に刃は防がれたが、彼女を地面に叩き落とすことはできたようだ。
「ぐ⋯⋯っあ!」
ここで決められるなら、ここで決める。
魔力の殆どを費やせ。その意識が途切れる寸前まで、演算能力を酷使せよ。
「──らあァッ!!」
──数多の白色の魔法陣が、イザベリアを半円状に囲むように展開される。
それらは全て〈次元断〉であり、ただでさえ脳に負荷がかかる同時展開を、第十階級で行うこと自体が無茶であった。そしてその無茶に無茶を重ねて、行ったのがこの魔法。
見たばかりの合成魔法の要素をいきなり組み込み、一つの魔法陣に込められている〈次元断〉の威力は本来の二倍。そこに更にいくつもの魔法強化魔法を行使し──エストの並外れた演算能力のリソースを割けるだけ魔法に割いた。
碌に解析もしていない不安定な要素を組み込んだ魔法陣だ。それの展開維持は非常に難しいし、組み方もグチャグチャ。無理矢理機能させていると言っても良いだろう。だが、効果だけは絶対だ。効果だけは、術者の思い描く通り。
「素晴らしい」
迫る無数の不可視の斬撃を、イザベリアは見た。
この〈次元断〉という魔法は、何せ防御貫通能力が非常に高い。故に避けることが一番の対処方法であるのだが、背後は壁。正面百八十度は斬撃の嵐だ。逃げ道なんて、ない。先程のように、全く同じ魔法で相殺することも、これだけの数は展開が間に合わないから不可能だ。
万事休す。その言葉は、この状況を意味する。
「だけど」
しかし、それは『世界の理』の内側にいる者たちにのみ、適応される言葉だ。
「──〈朽ちる真実〉」
イザベリアは、詠唱せずとも十分以上の魔法効果を引き出せる。そのため、これまでの戦闘で行使してきた魔法は無詠唱行使ばかりであった。
そんな彼女が、今ここで、一瞬の時間さえ惜しいこの状況で、わざわざ詠唱したのには、それをする必要があったからだ。
「⋯⋯本当に、あなたは最高だよ。私に、コレを使わせるなんて」
──その瞬間、無数の不可視の斬撃は消滅した。
雲が離散するように、水が蒸発するように、エストの魔法は全て、白色の輝きを発しながら朽ち果てた。
何も、そこには大きなエネルギーが生じたりすることはなかった。相殺ではない。まるでそれがそうあるべきかのような具合で、エストの魔法は無力化されたのだ。
「それが⋯⋯」
このフィールドを造ったとき、エストは確認できなかったが、今、ここでその実物をこの目で見た。勿論魔法陣も、だ。
「朽ちる真実⋯⋯ディケイ・トゥルース。白の第十一階級魔法で、効果は対象の時間を操り、瞬時にして朽ちさせる。⋯⋯どう? これ私が編み出した魔法なんだけど」
時間操作系魔法の上位互換か。何にせよ、それが可笑しなくらい、それ以下とは隔絶した効力の魔法であることは馬鹿でも理解できる。
「欠点は、他の第十一階級と比べても、魔力消費が激しいこと。一回行使するだけで、あなた一人が死ねるくらいなのよ、これ」
魔力が消失することによる即死。エストの総魔力量はとんでもないはずだが、それでさえ一回行使しただけで魔力欠乏によって即死する。
「わざわざ『二度は使えません』って言うのは、また何か企んでるの?」
「まさか。これは真実さ、朽ちることのないね」
完全に信じることはできないが、少なくともそれが連発できるような魔法でないことは分かる。できたら接戦を演じる理由が理解できない。
できたとして、あの一回か二回。エストを殺さないという制限上、防御にしか使わないはずだ。
「それより、あなたは大丈夫なの? あれだけの魔法、きっと魔力がそろそろなくなってるんじゃないの?」
「⋯⋯そうさ。もう、残り少ない。けど、普通の人間の、魔法使いくらいはある」
頭痛や吐き気、目眩などがエストを襲っているが、それは魔力が無くなった、あるいは無くなりかけのときの症状ではない。一気に多くの魔力を消費した際の影響だ。
「魔女同士にとって、それは短期決戦さえ難しいって意味だと思うのだけれど」
「それで十分、って意味で言ったつもりなんだけどね」
「減らず口はまだきけるのね」
両者、相対する。
魔力ではなく闘気が、威圧が場を支配し、緊張を齎す。空気が凍ったような錯覚を生んだ。そうして、それらは唐突に、打ち破られる。
──白と始祖の魔女の戦い、第二回戦が始まった。