4−35 白の欲望
黒の魔女の封印体は現在、ラグラムナ竜王国の中央の要塞都市、王城の地下に存在している。そのため、それを見るためには王城へ入ることが必要になる。
「魔女⋯⋯白の魔女様、か。それは⋯⋯本当のようだな」
竜用の鎧を着たドラゴン、王城の門番に事情を話して、黒の魔女の封印体を見たいと伝えた。
一先ずは門前払いという最悪のケースはなかったことに安心する。
「そこで待っていろ」
門番の竜の兵は王城に入って、竜王との対面の許可を取りに行った。
しばらくして、門番の竜が戻ってくると、
「⋯⋯白の魔女、エスト様のみ王城へ入る許可が出た。だが、そこの娘は駄目だ。黒の魔女の封印体は、非常に危険だからな」
「はい。⋯⋯エスト様、では、これで」
「ありがとうございました、ロミさん」
流石に案内役でしかなかったロミは王城に入ることは許可されなかったが、エストは無事、許可された。あとは直接、竜王と話し、黒の魔女の封印体を見ること許されれば良いのだが。
そんな期待と不安と緊張を抱いて、エストは王城へと足を進める。
王城内も予想通り、ドラゴンサイズだった。
天井から吊るされたシャンデリアの淡い黄色の光がエントランスホール内を優しい光で照らしている。
「貴女が、訪問客か?」
豪華な王城の内装に見とれていたエストは、低く威厳のある、しかしどこか優しさのある声を聞く。
振り返ると、そこには、漆黒の鱗のドラゴンが居た。
鋭いが、叡智を感じる眼光。細身であるように見えるが、その実、引き締まっている筋肉。体には無数の傷跡があり、歴戦の戦士であることが伺える。
古くより存在する竜にして、この国を統治する国王。その名を、ロック・ザラディ・ヘルベルム・ウォンティア・ラグラムナ。
「はい。エストと申します、陛下」
エストはロックに深く礼をする。その立ち振る舞いは完璧な淑女そのものであるが、どこか、そこに積み重ねというものを感じない。まるで、見たものを完全にコピーしているような違和感だ。
「名前で呼んでくれて構わない、エスト殿」
「⋯⋯ロック様、私がここへ来た理由は、黒の魔女の封印体を見るためです」
エストは要件だけ伝えると、ロックは少し考えるような仕草を取ってから、
「──良いだろう。だが、我と他に二匹の兵を付ける」
黒の魔女の封印体は、触れた場所の時間停止が簡単に解除されてしまう。そして、ソレを目視したとき、目撃者はそれに触れたいと思う精神汚染を受けてしまうのだ。
何かあったとき、そう例えば、黒の魔女の封印が解かれたときのため、または誘惑されたときのためにロックと、他二匹の兵を連れることは、何ら間違ったことではない。
「それで大丈夫です」
エストはロックの要求に承諾すると、彼はすぐに兵を呼び出した。
二体の竜は精鋭らしく、優れた魔法武器、防具を装備していた。この二体だけで、人間の一個師団に匹敵する戦力だろう。
「封印体は王城地下にある。だが、そこへは普通の方法では行けない⋯⋯我以外ではな」
すると、エントランスホールに、三体の竜と一人の少女を対象とした転移魔法陣が展開される。次の瞬間、エストたちは全く別の場所へと転移していた。
暗く、閉鎖的な空間。冷ややかな空気に満ちており、不自然なくらいの静けさに支配されていた。
エストは発光の魔法を行使する。
「⋯⋯ここは」
地下奥深くの天然洞窟を整備した空間だろう。人工的な部分と、自然的な部分が混在している。
転移すれば目の前に黒の魔女の封印体が、というわけではなく、エストたちが転移した先は扉の前。扉も、ドラゴンが軽々通れるくらい大きい。
「⋯⋯転移阻害と、封印の魔法陣」
エストは、目の前の非常に巨大な扉に白色と青色の魔法陣を見た。それは高位の転移阻害魔法であり、効果は完璧な転移阻害に、転移者への自動報復だ。不用意に転移しようものなら、大怪我は免れないだろう。
「ああ。これは、我らが描いたもの。我らが造ったものだ」
転移は、その場所を知らなければ行使できない。知っていたとしても、転移阻害魔法によって不可能。魔女に匹敵する魔法行使能力を有さなければ、転移はできないだろう。
封印だって、それに相当する。一般人──どころか、魔女や竜王でなければ、その封印は解けない。
「──貴女は、怖くないのか?」
唐突に、ロックはエストにそう聞いた。見ると、彼の体は小刻みに震えている。
──この瘴気が原因だろう。
大陸中央部の殆どの国を滅ぼした際に、発生した瘴気。
瘴気は、魔力でも生命力でも何でもない、実体さえあるかどうかさえ分からない、不可解で、不思議で、不明瞭なものである。
「怖いか、怖くないかということなら⋯⋯多分、私は怖いんだと思います」
エストは断言せず、自分の気持ちを表す。
「でも、それは、足を止める理由にはならない程度です」
ああ、確かに恐怖はある。この瘴気だって、気色悪いだとかそんなものではない。身の毛のよだつ不快感そのものだ。しかし、どういうわけか、心は平穏だ。恐怖を感じているはずなのに、とんでもなく冷静になれている。
「⋯⋯貴女がアレに触れようとしたとき、我々は躊躇なく貴女を攻撃する。良いな?」
「はい。⋯⋯それで、どうにかなるのであれば」
ロックは扉を両手で押し、開く。非常に重いため、ゆっくりと、ゆっくりと、その空間の光景が見えてくる。
扉が開くに比例して、瘴気もどんどんと濃くなっていくのが、全身で感じられる。
そして、視界に入った、
──磔にされた、黒の魔女の姿が。
「──」
石で出来た十字架に、時が停止した女性か縛り付けられている。
黒髪は光を吸い込むようで、真っ黒な瞳は閉じられている。黒に反する、雪のように白くて、恵まれた豊満な体は漆黒のドレスに包まれていた。
そしてその貌は、ありとあらゆる存在が直視することさえできないくらいの美を備えていた。
「アレが⋯⋯」
黒の魔女。ルトアが、その命を代償に封印した相手。
「⋯⋯」
エストは黒の魔女の封印体に歩む、一歩、一歩と確実に。黒に近づく度に、白を蝕む不快感は強くなっていく。冷や汗が滝のように流れ、耳鳴りが激しく、視界が澱んでいく。ただ、黒の魔女の姿だけはハッキリと、鮮明に映されている。
「──っ!」
そして気づく、今、自身の心はコレに魅了されていたと。
「精神汚染、いや、侵食⋯⋯軽度だけど、意識しなきゃ気づけないし、予め抵抗することさえ叶わない」
魔法でも何でもないその力は、特殊なものではない。それは、黒の魔女の美貌だ。彼女の美は、全てを虜にしてしまう危険性を孕んでいる。
「⋯⋯ああ」
黒の魔女から感じるのは、圧倒的な魔力と威圧と瘴気だけではなかった。もう一つ、彼女からはあるものを感じさせられた。それは、
「──私は、これを欲して、望んで、願って、求めて、要していたのね」
即ち、それは、『欲望』。黒の魔女の『欲望』を感じられた。それが何であるかを理解し、分かった。
そして、自身の本当の『欲望』も今、把握した。
目の前の女性と、エストは似ている。外見も、考え方も、思想も、精神構造も何も違う。けれど、そこだけは似ているのだ。
「でも、お前とは相容れない。何せ、私の一番大切なあの人を殺したのだから」
似ていることと、理解し合えることとは全く違う。それは同族嫌悪ではない。それは、憎悪だ。
「似ているけど、それ以上でも以下でもない。類似しているだけで、同一ではない。私たちは相似関係にあるけど、決定的に異なる」
エストは黒の彼女に、自分がどれだけ彼女を忌々しく思っているかを告白する。
「私の『欲望』は──」
◆◆◆
過去の記憶から覚めて、エストの瞳に太陽の光が差す。
視界が一瞬真っ白になってから、自我意識が現在にまで戻った。
「自身の『欲望』を思い出したかい?」
黒髪に赤目の美少女が、ハイライトが消え去った、生気のない片目を閉じてエストにそう聞いた。
「⋯⋯私が、観た『欲望』は」
過去の記憶は、覚えていた。エストが、自身の見たものや聞いたものを、故意的に忘れることはないのだ。
彼女はそれを思い出そうとしなかった。そして時間が経つにつれて、記憶の蓋は閉じたままになり、いつしか、彼女は自身の『欲望』を見失い、補完した。
しかし、過去の追体験で、エストは『欲望』を思い出した。
「──黒の魔女という存在を、消すこと」
エストという少女は、元より世界を忌々しく思っていた。
幽閉されていた間、彼女は自身にあんな地獄を味わわせていた世界を憎んで、滅ぼしたいと、消してしまいたいと思っていた。けれど、そんなことできるはずがない。そして、彼女はこれだけ憎む世界に生きていることが嫌になって、死にたいと最終的に願った。
そんなとき、ルトアに出会った。エストをエストにしてくれた恩人で、愛してくれた人。世界への憎悪なんて忘れさせてくれた人だった。
だから、ルトアから命を奪った相手──黒の魔女への憎しみは、かつての世界への憎しみの比ではなかったのだ。
「私は⋯⋯強くなりたいからじゃなくて、奴を消し去りたいから、知識を求めた。普通に殺すことができない奴を滅ぼすためには、知識が必要だったから」
黒の魔女は化物だ。人間でも、魔女でもない、怪物。そんな彼女を殺すなんてできない。首を刎ねても、身体をバラバラにしても、微塵にしても、焼き尽くしても、凍らせても、魂を壊しても、何をしても、何をやっても、どんな方法でも、どんな手段でも、その命を奪うことはできない。封印だって、そう簡単ではない。ルトアほどの魔法使いでさえ、己の命を代償にしなくては封印できなかったし、それも完璧なものではなく、欠陥だらけだ。何より、それはこの世から無くなったわけではない。それでは、エストの『欲望』は満たされない。
ならば──消してしまえば良い。
殺せないなら、滅ぼしてしまえば良い。命ではなく存在を、消滅させてしまえば良い。
「あなたが得た『記憶操作』の能力は、不完全な能力」
エストに能力を与えたイザベリアは、それの詳細について述べる。
「魔女たちの能力は、全て私の力から形成されたもの。故に、私の力の範囲でしか、能力は生み出せない」
イザベリアは自身が持て余していた力を六等分し、与えた対象を魔女としている。勿論、力を完全に六等分しようものなら自身の存在が消え去るし、何より六分の一でさえ、普通の存在には大き過ぎる力であるために、六人全員の魔女に力を与えたとて、彼女の力の半分さえ使われないのだが。
しかし、エストの『欲望』を叶える能力を生み出すことは、イザベリアにはできなかった。当たり前だ。その能力は、対象の存在を完全に消し去る力であったのだから。
「あなたの本当の『欲望』を叶えることはできなかった。だから、私は代わりとしてそれを用意したの」
『記憶操作』。効果は、対象の記憶を操るといったもの。
「さっきも言ったけど、その能力は不完全な能力。あなたがその能力を完璧にしたとき、『欲望』は果たされる」
「この能力を、完璧にする⋯⋯」
「そう、それを完璧にする⋯⋯ねえ、エストちゃん」
イザベリアは、悪魔的な、しかし虜にされてしまいそうなくらい誘惑的な笑みをエストに見せる。
「一度与えた力は、与えた相手が死ぬまで戻ってこない。けど、私には大きな力がまだまだ残っている。そして、あなたはあれから成長した⋯⋯今なら、あなたは──その能力を、完璧にできるよ、私と、混ざり合えば」
ハイライトがなかった赤い瞳に、久しく生気が宿った。
「──」
「そうさ! あなたが私を望めば、私は喜んでこの力を、体を、知識を、私が持つ何もかもをあげよう。代わりにあなたは私の魂を受け入れて貰うだけで良い。とっても良いと思わないかい? それで、それだけで、そんなことで、あなたは『欲望』を叶えることができるのさ! あの、忌々しい怪物を消滅させられる力を手にできる。ああ、なんて素晴らしい! あなたは世界を救って、そして『欲望』を叶えられる。私は外の世界に出られるし、皆あなたに感謝する。そしてあなたは世界の救世主として、歴史に残れる、『白の魔女の世界救済譚』なんて言うお話としてね」
最高の結末だ。最優の終わり方だ。皆が望むストーリー。誰も悲しまないエンド。悪い魔女は滅ぼされて、皆はそれから楽しく過ごせるようになりました⋯⋯なんて、至高のハッピーエンドというものだろう。
だが、
「──キミの『欲望』はそれなんだろうね」
「⋯⋯え?」
エストはイザベリアを受け入れて、復讐心に従い黒の魔女を消し去る。そういう未来を恍惚とした表情を浮かべて思い描いていたイザベリアだったが、突然水でもかけられたかのようにエストの発言に反応する。
「ああ、分かっているよ、キミの望みなんて」
「は、え⋯⋯何を、言ってるの?」
そこは、『受け入れる』と言う場面ではないのかと、イザベリアは思った。しかしエストは、彼女の思い通りにはならなかった。
「そう、私の『欲望』は黒の魔女を消滅させること。それには何の間違いもない──いや、なかった」
なかった。ナカッタ。過去形。つまり、今は違うということ。
「確かに、今も奴を憎んでいないわけではない。滅ぼしてやりたいとも、滅ぼさなくてはならないとも思ってる。でも、それが『欲望』だったのはちょっと前までだったよ」
「──」
「私の今の『欲望』は──世界を、救うことだ」
結果は同じ、黒の魔女を消し去るだが、それは目的ではない。目的は結果の後にある。よって、エストの『欲望』は、イザベリアが提示してきたものとは違う。
「知ってる? 私って、想いとか価値観とか態度とか、コロコロと変わる女なのさ。それは日々、成長しているってこと。私は止まった世界ではなくて、動いている世界に生きている。だから、『欲望』だって変わる」
人が人たる理由は、日々変わっていくことにある。一日、一日をしっかりと噛み締めて過ごしていくからこそ、人は人なのだ。
「私は天才美少女だよ? できないことの方が少ない、とびっきり優秀な女の子。普通の人間ができることを、私ができないわけがないでしょ?」
エストという少女は、他に類を見ない天才だ。普通からは、あまりにも逸脱した存在である。
「キミは私を、『思い通りにならないから素晴らしい』と評しているよね。⋯⋯今もそう、私はキミの思い通りにはならない、面倒くさい女さ」
「──」
イザベリアの『欲望』は、エストを我が物とすること。そしてエストは、その真逆の行動を取ると決意する。
「私は、キミの力を必要としている。これは真実だ。それを達成しつつ、キミの『欲望』の真逆を行くなら⋯⋯私は、キミに体を預けるのではなく、私が、キミを取り込む。これしかないよね」
『受け入れる』のではなく、『支配する』。
「始祖の魔女、イザベリア。私はキミに一つ、提案がある。それは、私もキミも、目標を達成できるものだよ」
そうして、エストは魔女に『契約』を持ちかけた。
「──私の魂に入ることを許してあげる。けど、全て私に捧げて。その力も、その心も」