正直者
「オーーイ! どチビどこ行った!!」
ドスの効いた男の声が森に木霊する。
その声が聞こえた途端にエルの小さな体がびくんと反応する。
「や、や、ヤバイ。早く戻らないと」
エルはバタバタと大きなバックパックを背負うと少女に、
「じゃあ、僕はこれで。急いで戻らないと勇者さまに叱られちゃうんだ」
「え? 勇者さま……」
少女は口をぽかんと開けしばらく固まった。
願ってもないチャンスだ。
もしかしたら自分と婚約するかもしれない未来の旦那さまの姿を拝めるのだ。
少女が固まっている間にエルは既にその場から立ち去ってしまっていた。
「えっ? あのチビどこ行った!」
少女はキョロキョロと辺りを見渡し、
「そんなに遠くに行ってないはず、
勇者さまとやらを拝んでやるんだから」
☆ ☆ ☆
「オイ! どう言うことだ?」
「ご、ごめんなさい。勇者さま」
エルは地面に這いつくばり土下座をさせられている。
「何でポーションが一つ減ってるかって聞いてるんだよ」
エルの髪を鷲掴みにし、顔を近づけ睨みつける。
「お、女の子が倒れていたんで……それで……」
ゴンッ!
エルの頬を力一杯殴り付ける勇者。
唇から血が滴り落ちる。
「つくならもっとマシな嘘をつけや!
こんな森の奥で女ってアホか」
「ほ、本当なんです。でも、勇者さまのポーションのおかげで元気になられました。
勇者さまのお陰と同じですよ」
「何が勇者さまのお陰だ?
ポーション代そいつから貰って来いよ!」
「え……」
耳を疑う勇者の発言に思わず固まるエル。
「あっ、いたいた。どれが噂の勇者さまかな?」
木の陰からこっそりと覗く少女。
いけない事をしているようで胸がドキドキしてしまう。
少女の中では内心、イケメンだったらどうしようなど想像を膨らませていた。
「あ? 聞こえなかったか?
ポーション代そいつから貰って来いって言ったんだよ!!」
エルの頬にもう一発拳が飛んだ。
無抵抗のエルの頬は真っ赤に腫れ上がる。
そのシーンを目撃した少女は思わず目を疑った。
「どう言う事……本当に勇者?」
目の前で起こっている出来事に、
少女は首を傾げるばかりだった。
エルには理解出来なかった。
なぜ人助けの為に使ったポーションなのに、
助けた相手から代金を取り立てなければならないのだろうか。
「……ゆ、勇者さま?」
ぷっ、くくくく……
勇者のパーティーメンバーの一人が堪え切れず吹き出した。
「おい、ガハハハ笑うなよ」
「いやいやお前が最初に笑うからだろ」
エルには何のことか分からずキョトンとする。
ーーすると、勇者が衝撃的な一言を告げる。
「バーカ! 俺が勇者の(な)わけねーだろ」
ギャハハハハハと周りからも笑いが起きる。
木の陰から見守る少女も「やっぱり」と納得の一言しかなった。
逆にこの人物を勇者と信じてしまうお人好しのエルを心配する。
「あいつ本当、バッカじゃないの?」
大きくため息をつくと再びエルに視線を戻す。
「そ、そんな……」
今までの苦労よりも自分の信じてきた人物が勇者さまでは無かったという事実にエルは涙を浮かべる。
「そもそも勇者ってのは空想の人物なんだよ。信じてるお前はガキンチョなんだよ」
何よりも誰よりも信じてきた人物を否定された怒りがエルに込み上げてくる。
「ーーて、訂正しろ!」
「あん?何だって」
「勇者さまを馬鹿にすんなよ、勇者さまはいるんだ。僕の父さんは勇者さまと魔王を倒したんだ!!」
偽勇者を睨み付けるエル。
込み上げてくる怒りの感情を抑えることが出来なかった。
父が何よりも信頼しいつも自慢気に語ってくれた人物。
今エルが冒険者の目標にしている人物を目の前いる男は偽っただけでなく、貶したのだ。
「お前はどこまでも馬鹿でお人好しだな。
最後に教えてやるよ! お前の父親は勇者パーティーでも何でも無いんだよ!!」
エルは頬を思いっきり殴られたーー。
それよりも偽勇者の一言が良く理解出来なかった。
今なんて言った?
「お前の父親は嘘をついてたんだよ!」
流血が飛び散る。
サンドバッグを殴るように容赦無い暴行は続く。
またお前は僕を騙してるんだ。
「う、嘘だ……」
エルは、か細い声で反論するが、
「お前の父親も残酷だな。散々お前に嘘をついた挙げ句、死んじまって。
何が勇者パーティーで魔王討伐のメンバーだよ。お前と同じ臆病者の役立たずだったんだよ」
エルの顔は真っ赤に腫れ上がっている。
それでも歯をくいしばって、
「嘘をつくな! お前に何が分かるんだよ」
「英雄碑にお前の父親の名は無かったらしいぜ。オルブライトなんて名は刻まれてなかったんだとよ」
背中に冷たいものが走り絶望がエルを襲う。
ギャハハハハハと偽勇者パーティー全員が大笑いする。
「お前のその顔が見たかったんだよ。
絶対いい顔してくれると思ったよ。
予想通りだったぜ!」
何を言ってるんだこいつ。
何を言ってるんだこいつ。
何を言ってるんだこいつ。
「嘘をつくなあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
エルは起き上がり偽勇者に襲いかかる。
エルは顔が変形するほど殴られた。
肋骨が何本か折られ、呼吸をするのもやっとだった。
倒れた地面に血が大量に流れている。
悔しかった……
世界で一番信頼する父が馬鹿にされた事。
その父が尊敬して止まない勇者さまを馬鹿にした事。
自分が無知でお人好しで、騙されてるとも知らずにその馬鹿にした人物を本気で信頼してしまっていた事。
あんな人間を一年間も信じて信頼していたなんて……
エルは悔しくて、悔しくて、動かない体を無理矢理動かし拳を何度も地面に叩きつける。
手の甲の皮膚は破れ血が滲み出る。
父さんは嘘つきじゃない。
父さんは嘘つきじゃない。
父さんは嘘つきじゃない。
「とうさんは……うそつきじゃない」
エルの瞳からぼたぼた涙が落ちた。
いろんな感情が入り混じり何が本当で何が嘘か分からなかった。
どんどん溢れ出てくる涙を止めることが出来なかったーーーー。
愚かなのは人を信じた僕ですか……?
* * * * * * * * * * * * *
「ちょっとあんたら待ちなさいよ」
突如背後から甲高い少女の声が静寂の森に木霊する。
「何だ? 嬢ちゃん」
「もしかしてどチビが言ってた女じゃないっスか」
「アニキ、ポーション代、体で払ってもらいましょうよ。結構可愛いですぜ!」
「いいっすね!」
「バーーカお前らには勿体無いぜ」
偽勇者パーティーには既にエリーナの話を聞くという選択はなく、少女を捕獲するという身勝手な選択を選んでいた。
「ホント野蛮ね。あいつはなぜこんな人間を信頼できたのか不思議よね」
呆れて肩をすくめため息を吐く少女。
「嬢ちゃん、大人しくすれば痛い目に遭わずに済むぜ。これから俺らと楽しい事をしようぜ」
鼻の下を伸ばしニヤニヤと不適な笑みを浮かべながら少女に近づく男たち。
「何を言っても無駄ね。仕方ないわ」
少女はしゃがみこみ、地面に両手を着くと魔法を演唱する。
「サンクトビーターリデート」
次の瞬間ーー、
「グオォォォォォ」
地面から三メートルはある土の人形が出現した。
「ゴ、ゴーレム!!!」
「な、何でこんなところにーー」
巨大な土の人形に恐怖する偽勇者たち。
それもそのはず、ゴーレムは上級精霊である。
偽勇者たちがとても歯が立つ相手ではない。
ゴーレムが一歩前に出るたびに一歩下がり、
一長一短を繰り返している。
次のエリーナの一言で均衡は破れる。
「ゴーレムちゃん、あいつらを片付けてちょうだい」
「グオォォォォォ」
目らしきものが緑色にぼんやりと光ると雄叫びを上げ偽勇者たちに速度を上げて襲いかかる。
偽勇者たちは叫び声を上げゴーレムに背を向けながら一目散に駆け出して行ったーー。
少女は偽勇者たちとそれを追いかけて行ったゴーレムの姿が見えなくなると、きびすを返し歩み出した。
「ーー別にあいつが心配な訳じゃないんだから」
心とは裏腹に自分に言い聞かせるように呟くと、偽勇者たちが置き忘れいった大きなバックパックの中からポーションを拝借、羽織っている黒ローブの内ポケットに忍ばせた。
「……何やってんだろ私」
カサカサと葉が揺れる音がして爽やかな風が少女の金色の髪を揺らしていたーーーー。