悪趣味
グリューネ領で朝を迎えた。
窓からは朝陽が射し込んでいた。
眠れるわけが無い。
いつ襲われるかと思ったら怖くて一睡も出来なかった。
久しぶりのふかふかのベッドもあの男のせいで台無しである。
ベットから起き上がると窓の外を眺める。
大きな湖の水面がキラキラと宝石のように輝いている。
「・・・何とか逃げ出せないかしら」
エリーナのいる三階の部屋から見下ろすと
邸宅の周囲や至る所に帝国兵が待機している。
「・・・無理ね。私の考えそうな事はお見通しって所かしら」
再び、ベットに倒れ込むーー。
「下手すれば、エリーナ姫は行方不明のままにされて、あの男に一生ここで飼われるもの有り得るわ」
ただあの男の欲望を満たす為だけの道具とされて、一生この鳥籠の中で過ごす事になる。
そう思った瞬間にエリーナの目頭が熱くなったーー。
「誰か助けて」と心の中で思った時に脳裏に浮かぶのは、白銀の頭の少年の姿だった。
「える・・・える・・・無事かな?」
エリーナの目に、シュナイデルに刺されるエルの光景がフラッシュバックして浮かび上がる。
エリーナは悲痛な叫び声を上げる。
布団を頭から被りガタガタと震えるエリーナ。
嫌だ、嫌だ。
エル、エル・・・無事でいて・・・
エル・・・私を助けて・・・
コンコン
乾いた音が部屋に響く。
エリーナの心臓の鼓動が速く大きくなる。
あの男かもしれないと思うと震えが止まらない。
全身の血が冷えわたって動悸が高まる。
恐怖に体を支配され声が出ない。
コンコン
再び乾いた音が部屋に響く。
その音に口から内臓が飛び出る程驚くエリーナ。
あーもう嫌だ!と布団に絡まると、
「エリーナ姫・・・」
女性の声?
「エリーナ姫、先ほど悲鳴が聞こえたのですが大丈夫でしょうか?」
柔らかな女性の声でエリーナの不安は一気に消えた。
安堵の表情を浮かべると返事をする。
「・・・何でもないわ」
「左様ですか。それとシュナイデル様よりお着替えを預かっております。お着替えのお手伝いをさせて頂きたいのですが・・・」
( お着替えのお手伝い・・・か )
何をするのも必ず誰かがいて、一人でいる事なんてほとんどなかった。
着替えをするのも、お風呂から出て体を拭くのも、髪の毛を乾かすのも、ご飯を食べて口を拭くのも全て誰かにやって貰っていた。
それが当たり前だと思っていた・・・。
☆★☆★☆★☆★
私は、物心ついた時から事あるごとに城を抜け出しては城下町に遊びに行った。
お城とは違う平民の生活。
多種多様な人種。
猫耳と尻尾の亜人や耳の尖ったエルフ。
小人のドワーフ、爬虫類のリザードマン。
見るのも全てが新鮮だった。
お城の中にいては決して触れることの無い世界。
私は世界に憧れた。
いつかきっと誰かが私をこのお城から連れ出してくれる。
そして手を取り、一緒にこの果てしなく広がる世界を冒険して周るんだと想い描いていた。
その夢が叶うところまで来たのに・・・。
☆★☆★☆★
エリーナは着替えの手伝いを断り、ドアの前に着替えを置いてもらった。
冒険者となり生活は激変したが、苦痛に感じた事は一度も無かった。
逆に自分にはこっちの生活の方が合っていると感じ初めていたくらいだった。
ドアを開けると、そこには綺麗に畳まれたドレスが用意されていた。
シュナイデルが用意した悪趣味な真っ赤なドレス。
正直、着たくはないが今まで着ていた、黒いローブを捨てられてしまったのか見つからない。
仕方ないので着てみるが、シュナイデルの趣味なのか胸元が大きく開いてる。
本当に最低の男だ。
朝食に案内された大広間。
天井には豪華なシャンデリアが光る。
中央に真っ白なテーブルクロスが掛けられた長いテーブルがあり、その最前列にシュナイデルが椅子に腰掛けていた。
「エリーナ、昨晩はゆっくり眠れたかな?」
優雅にコーヒーカップを口につける。
白いシャツに黒のベストを着たシュナイデルが微笑みながらエリーナを見つめる。
エリーナはその視線を拒否し、完全に寝不足なのは見れば分かるだろ?と思いながら、
「ええ、それはぐっすりと眠れましたわ」
と、苦笑いを浮かべはぐらかした。
シュナイデルは満足そうに頷き、コーヒーを啜った。
エリーナはむすっと、テーブルに片肘を付きながら明後日を見ていた。
「今日も美しいよエリーナ。
こうして毎日君の顔が見れるなんて、
私は世界一幸せ者だよ」
椅子から立ち上がり、身振り手振りで想いを表現するシュナイデル。
エリーナにとってはただ気持ち悪く動く害虫にしか見えなかった。
「お父様のお気に入りか何か知らないけど、
全てあなたの思い通りにはさせないんだから」
テーブルを両手でバンッと強く叩いた。
それを見てシュナイデルの表現が変わる。
微笑みから冷笑へーー。
先ほどを表とみるなら裏へ。
クククク、フハハハハハハはははッ!
冷ややな薄気味悪い笑みを頬に浮かべ、
何が可笑しいのか腹わたが煮えくり返るような腹ただしく笑っている。
エリーナが目を細め、軽蔑の眼差しで見つめていると、
「ーーこれはこれは失敬。
余りにも冗談が過ぎるんでね」
「冗談・・・?」
シュナイデルはゆっくりとエリーナに向かって歩き出す。
エリーナはビクッと、慌てて立ち上がる。
瞬時に身の危険を察知した。
「エリーナ、君は何に期待しているのかな?
まさか、誰かがここから救ってくれるとか、
助けてくれる何て言う妄想を抱いているのではなかろうか?」
「ーーーーッ!」
図星だ。
エリーナにとってその想いだけがここに留まっていられる唯一の希望なのだ。
もし誰も助けが来ない絶望の事態なら、きっと自ら舌を噛み切っていたかも知れない。
この男と一緒になるくらいならエリーナは迷い無く死を選ぶだろう。
シュナイデルは前髪に手を当て、追い詰められた小動物を憐れみ笑うような微笑を口元に浮かべた。
シュナイデルは首から掛けられているネックレスをエリーナに見えるように掲げる。
「エリーナこれが何なのか君は分かるよね?」
「ーー冒険者ライセンス・・・三つ星!
トリプルスターって・・・どうして⁉︎」
エリーナの驚く反応に興奮しながら冗舌になるシュナイデル。
「簡単だよ。私の剣の腕前はエリーナも知っているよね? 当然冒険者になれば私の実力はこんなものさ」
「実力だけでトリプルスターにはなれない。
実績も評価の対象の筈よ。 貴族のあんたが何の実績を上げたと言うのよ」
右手の人差し指を立てて、チッチッとエリーナを挑発する。
「レベル上げも兼ねてこの領地周辺の魔物を全て狩ってやったのさ。おかげ魔物は全て狩り尽くしてしまったがな」
「領地周辺の・・・湖の向こう側は上級クラスの魔物の巣の筈よ。そこはどうしたの?」
シュナイデルは「何を?」と肩をすくめながら、
「私の目的はクエストではない。
自分の実力と実績が加算されればそれで十分だ。この地域の領主、領地の安定化という名目での実績を残した。それで十分だ!」
エリーナはわなわなかと唇を震わせながら、
「湖の先には〈シンラの森〉がある。
本来そこには上級クラスの魔物は出現はしない。初心者冒険者が安心して挑める場所なのよ」
シュナイデルには何を言っているのか、
さっぱり分からなかった。
「あんたが領地周辺の魔物を狩り尽くしてしまったせいで、魔物たちは生息地を奪われ生き残った魔物たちは自然と追い出される形で〈シンラの森〉に流れてしまったのよ」
「だから」と言った表情を浮かべるシュナイデル。
「あんたの中途半端なクエストのせいで、
クレアとミレアのお母さんが・・・」
エリーナは悔しさに唇を噛んだ。
この男はどこまでも自分勝手な男。
改めてこの男を嫌いだと思った。
シュナイデルは「話は終わりか?」と前髪を手で払った。
エリーナはその動作を目で追っていたーー筈だった。
人差し指でエリーナの頬を撫でる。
え?
目の前に居た男がなぜか、隣で寄り添うように立っている。
まさに一瞬ーー、消えるような動き。
エリーナの髪をひとつまみ握ると、鼻に近づけスンスンと鼻を鳴らした。
「甘い、甘い・・・いい香りだ」
エリーナの耳元で囁く。
嫌悪感にかられたエリーナは「ヤメて!」とシュナイデルを払い除けようとしたが、エリーナの手は空を切った。
呆気にとられるエリーナ。
常人を超えた動き。
「・・・・・・」
もはや言葉が出ない。
エルが助けに来てくれても、この男に勝利する姿が想像出来なかった。
トリプルスターは次元が違う・・・。
「エリーナ・・・」
その声に思わず身震いする。
恐る恐る顔を上げる。
「なぜ私が冒険者になったと思う?」
「・・・・・・」
エリーナは黙っているが御構い無しで、
話を続ける。
「国王は宣言した!
『魔王を討伐した者に娘を、エリーナ姫を授ける』とね」
ビクッと体を震わせるエリーナ。
「私は少々君に嫌われているようだからね。
魔王の討伐の暁に、無条件で君を手に入れられる。
国王はなんだかんだで、君の意思を尊重しているのだよ。
このまま長引くのも気が引ける。
さっさと、魔王とやらを討伐してエリーナ、
君を私の者にしてみせる!」
血の気がサッと引くのが分かった。
まるで氷水を頭から被ったようだった。
この男なら本当に魔王を討伐してしまうのではないかと思ってしまった。
無条件でこの男と一生一緒に居なければならない・・・。
エリーナは初めて自ら命を断ちたいと思った。