エル
「マギ君、どこに行ってたんだ!
奥さんの容態が急変したんだ! 急いで診療所へ」
「え・・・」
帰還した直後だった。
その言葉で目の前が真っ暗になった。
魔王討伐の成功で浮かれていた。
妻とお腹の子供に吉報をと考えていた自分が恥ずかしかった。
診療所へ向かって走っている間も、もしものことばかり考えてしまう。
不安を胸に抱いたまま診療所のドアを開けると、ベットの上には弱々しい妻が寝ていた。
「せ、先生・・・妻は? 妻は大丈夫なんですか?」
「マギ君・・・大変危険な状態だ」
先生はマギと決して視線を合わそうとしない。
先生の表情がこの状況を物語っている。
「そ、そんな・・・」
「マギ君、選択は一つだけだ。
子供を産むか、奥さんを助けるか」
突きつけられた究極の選択ーー。
「ーーーーーー」
苦しそうな妻を見つめた。
早く楽にしてあげたい。
あれほど子供が欲しいと言っていた妻。
家の至るところに産まれてくる子どもの為に用意されたベビー服や哺乳瓶、揺り籠などがすでに用意されている。
マギが「産まれるのはまだまだ先だよ」と言っても「いずれ用意する事になるから」と、楽しそうに未来の我が子を思い浮かべながら買い揃えていたのを思い出しマギは心を痛める。
「せ、先生・・・どにか、どうにかなりませんか・・・妻に子どもを見せてやりたいんです」
医師は、口を真一文字に結んで首をゆっくりと左右に振った。
「なんで・・・神様・・・」
マギは床に崩れた。
医師に子供は無理だと言われた時から分かっていた事だったが1パーセントの可能性を信じていた。
妻がどうしても子供が欲しいと言って、お腹の子が授かった瞬間にマギ自信も家族三人で幸せに過ごす未来を想像してしまっていたのだ。
「あ、あなた・・・いるの?」
か細い声が聞こえた。
「ああ、帰ってきたよ。ごめんな遅くなって」
妻はゆっくりと左右に首を振る。
「ーーって事は・・・まおうを」
「ああ、魔王を倒したんだ!
世界は平和になったんだよ」
妻は優しく微笑み、大きなお腹に両手を添えた。
「この子の父親は魔王を討伐した勇者さまのパーティーのメンバーよ。凄く誇らしい事だわ」
妻の目には薄っすら光るものが見えた。
「ああ、その通りだよ。エミリアもう喋らなくていい」
「ねえ・・・この子を助けて。
産まれてくるこの子に罪はないわ」
「エミリア・・・」
「先生お願いします・・・この子を・・・」
その言葉を残し妻はゆっくりと目を閉じた・・・
「いかん!!マギ君、迷ってる時間はない!」
「先生ーーーー」
静寂を切り裂くように天使は産声を上げた。
「エミリア・・・見えるか?元気な男だぞ」
「・・・は・・・い・・・」
マギは溢れ出る涙を堪えることが出来なかった。
「な・・・名前なんて付ける?」
嗚咽混じりの震える声で語りかける。
涙が幾つ粒かエミリアの胸にこぼれ落ちる。
「え・・・る・・・」
吐息交じりに囁く。
「ん?」
「える・・・」
「エル!うん良い名前だ」
滴る涙の中で必死に笑顔を作るマギに、
「この子の顔を・・・もう1度・・・みせて」
「ああ、ほら可愛いだろ?これから毎日家族三人で暮して共に同じ時間を過ごすんだ。
家に帰って、
エルをいっぱいいっぱい抱きしめて、
いっぱいいっぱい撫でて、
いっぱいいっぱいキスをして、
二人の愛情をいっぱいいっぱい注いであげるんだ」
「うん・・・」
精一杯の笑顔を見せる妻。
何度か深く息をついてから、マギの抱えている赤ちゃんの頬に手を伸ばし、最後の力を振り絞るように、
「エル・・・あなたに会えて・・・ママは幸せよ」
ゆっくりと笑顔のまま瞳を閉じた。
エミリアの瞼の裏には、家族三人で自宅で静かに暮らす情景が浮かんでいた。
エル、産まれてきてくれてありがとう
マギは何度も、何度も妻の名前を叫んだ。
何回叫んでも妻はもう目を開けることはなかった。
もう一度だけ話がしたい。
最後にもう一言だけ言わせてほしい。
聞いてほしい。
「あいしてる」って・・・
マギはエルを抱きしめて涙の一滴が枯れるまで泣いたーーーー。
駄目な夫でごめんな。
結局最後まで言葉で君に伝えられなかった。
エミリア、俺とエルを愛してくれてありがとう。




