英雄碑①
〈英雄碑〉高さ十メートルの巨大な石碑。
魔王討伐の記念に勇者の生まれた地に建てられる。
そこには魔王討伐の時のパーティーメンバーの名前が刻まれ永遠に語り継がれることになる。
冒険者として最高の栄誉なのだ。
長い歴史上、これまでに魔王は三度其の姿を現して世界を恐怖に陥れてきた。
その度に勇者が現れて三度退けた。
この〈フレデリカ〉の街には三度目の魔王討伐の時の勇者が生まれた街なのだ。
今、白銀の髪の少年が足早に駆け寄りその巨大な石碑を胸を弾ませながら見上げている。
「待ってよエル早いわよ。ミレアちゃんとクレアちゃんが追いつけないわよ」
呼吸を乱し肩で息をしながら背後を振り返り双子姉妹がちゃんとついてきているか確認するエリーナ。
双子姉妹は手を繋ぎ慌てる様子はなくマイペースでこちらに向かって来ていた。
それを見て安心すると、石碑を見上げるエルに近づき問いかける。
「お父さんの名前はあったかしら?」
エリーナは微笑みながらエルの顔を覗くと、
エルは固まったように表現を変えないでいる。
エリーナはまさかと石碑に目をやる。
失礼とは思ったが一つ一つ名前を確認する。
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ーーーーーーー
ーーーーーー
ーーーーー
ーー真っ白になった。
エルの中で描いていた理想や夢、目標全てが音を立てて崩れ堕ちて行くのが分かった。
今まで経験した事のない絶望を感じた。
「エル・・・」
金髪の美少女が僕の顔を心配そうに覗き込む。
「お兄ちゃんのお父さんの名前あった?」
「もしかして名前無かったりして」
ケラケラと笑うクレアに、エリーナは目を細め無言で睨み付ける。
その視線に「な、何よ」と小声で呟くクレア。
「ふんっ、何よ。冗談のつもりで言っただけじゃん」と顔をぷくっと膨らませた。
「・・・・・・無かった・・・」
ハッとなってエルを見つめるエリーナ。
「ぼ、僕の父さんの名前・・・無かった・・・」
「エ、エル・・・」
エルは駆け出した。
道行く人たちを追い抜いて人混みの中へと消えて行ったーーーー。
「ーー待ってエル‼︎」
一つの影が疾風のように駆け抜ける、その影を追うように金髪の少女はその影を追いかけた。
「エル・・・?」
聞き覚えのある名前に足を止める。
子供と手を繋いでいる女性。
その前を小さな白銀の髪の少年とそれを追いかける金髪の少女が駆け抜けて行ったーーーー。
☆
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、行っちゃたね」
「うん。お兄ちゃんのお父さんの名前・・・
本当に無かったんだね」
石碑を見上げる双子姉妹。
一つ一つ名前を確認していくと、二人同時に同じ場所で目を止める。
あっ⁉︎
二人は同時にお互いの顔を見合わせる。
驚きと申し訳無さの二つの感情が入り混じった複雑な心境に駆られる。
「お嬢ちゃん達、英雄碑に興味あるの?」
双子姉妹がまだ複雑な心境でいる中、女性の優しい声が背後から耳に届いた。
振り返るとそこには、小さな子供を連れた綺麗な女性が立っていた。
透き通るような白い肌。切れ長の瞳に長いまつ毛。か細い肢体に男性なら思わず見惚れてしまうほど可憐で美しい女性がいた。
「まま。同じ、同じ」
小さな子供がクレアとミレアを指差し不思議そうに首を傾げていた。
微笑みながら子供を抱き抱えると、
「お姉ちゃんたちは双子なのよ」
子供は理解できずに「ふたご?」とクレア、ミレアを見つめていた。
「お若いのに英雄碑に興味あるなんて珍しいわね。それともただの観光かしら?」
「知り合いのお父さんの名前があるって、聞いて来たんですけど・・・」
歯切れ悪く口を閉ざすミレアに付け加えるようにクレアが、
「・・・無かったんです。代わりにウチの父の名前があってーーーー」
双子姉妹はゆっくりと振り返り石碑を見上げた。
『フィル・レイ・クライスト』
その名がクレア、ミレアの父の名前だ。
双子姉妹は二人同時に右手の人差し指を石碑に向けた。
女性は双子姉妹の指の先の名前を見つめた。
「・・・フィル・・・」
そう呟くと女性は「ああ、何てこと」と両手で顔を覆い両膝を抱えて座り込んだ。
「まま? まま?」と心配そうに座り込んだ母親の服を子供は引っ張って起こそうとしていた。
双子姉妹何となくこの女性は父の死について何か知っているのではないかと思った。
クレアとミレアはお互いの目が合った。
それと同時に「うん」とアイコンタクトで頷き、膝を抱えている女性に声をかけた。
「あのーーーー」
* * * * * * * * * * * * *
僕は走った。
ただ夢中で走った。
もう何もかもが分からなかった。
僕の信じてきたモノは全て偽りだったのか。
父さんはどうして僕に嘘を付いたんだ。
頭の中を巡るのは、偽勇者達の言葉。
父さんは臆病で戦場には出ずに指を咥えて見ていた。
違うと信じたい・・・けど・・・
街中を走っていく中、人々の視線がエルを突き刺す。
「お前の父親は嘘つきだ!」
「臆病者!」
皆がそう言っているように聞こえるーー。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。
父さんは・・・父さんは・・・
「嘘つきだったの・・・父さん?」
瞳に涙を溜め、エルは街外れの橋の上の手摺りに手をかけて膝を折っていた。
崩れ落ちた理想と夢。
憧れていた父の名はそこには無かった。
ただ、ただ父の背中だけを追ってここまで生きてきた。
それだけがエルの心の支えであり、生きる原動力だった。
今、エルの中の生きる灯火が消えようとしていたーーーー。
「エル・・・」
甲高い声が優しくエルの鼓膜に響いた。
虚ろな瞳でその声の主を見つめるエル。
その瞳には光が無く死んだ魚のようだった。
「・・・・・・」
エリーナを見つめると再び視線を川に戻した。
かける言葉見つからないエリーナ。
こんな時何を言ってやれば良いのだろうか。
エリーナはエルの横に立って同じように川を眺めた。
「・・・お前も嘘つきだって思ってるんだろ?だったらそう言えばいい」
川に視線を置いたまま顔を歪めてエリーナに吐き捨てた。
「・・・そんなこと・・・ないよ・・・」
言葉に詰まった瞬間、エルは失望したような冷たい表情を浮かべた。
「ほらね。結局お前も他の奴等と一緒なんだよ。父さんを嘘つきだと思ってるんだろ」
「思ってないよ。そんなこと思ってる訳ないじゃない・・・信じてたからここまで来たんだよ」
「嘘だね。英雄碑を見て名前がなかった。
それを見て僕のことを・・・嘘つきだって思っただろ。父さんのことも・・・」
エリーナは黙ってエルの話を聞いていたが、
我慢の限界だった。
「・・・あのさ、そう思ってるのあんた自身だから。
あんたが一番自分の父親を疑ってるのよ!
だから周りの人を信じられないのよ。自分が信じてないのに人に信じろって言うのがおかしいんじゃないの?」
「ぼ、僕は・・・信じてた・・・」
「英雄碑見て、嘘つきだと思ったのはあんた自身でしょうが!!」
「ーーーーーーッ」
僕が・・・父さんを・・・
「ぼ・・・僕は・・・父さんを・・・
信じてたのに・・・信じてたのに・・・」
震える声を搾り出すエル。
今にも消えて無くなりそうな少年。
エリーナはそっとエルに近寄り、両手でエルの顔を包み込んだ。
「私は信じてるよ」
エルの目の前に穏やかな笑顔を浮かべた愛らしい顔がエルの目の前に近づいて来た。
「あなたのこともあなたのお父さんのことも全部丸ごと信じてるよ。だから、私の事も信じてね」
エルの頭を包み込むように抱き締めた。
目の前が暗闇に包まれるのと同時に暖かい優しい温もりに包まれる。
誰かに言って欲しかった優しい言葉。
誰かに信じてもらえるそれだけでこんなに心が満たされる。
ありがとう・・・僕も信じられるよ。
ありがとう。
また、君に僕は助けられたね。
しばらく二人は折り重なっていた。
お互いの温もりを確かめるようにーー。
* * * * * * * * * * * * *
「ご、ご、ごめんね。
ぼ、ぼ、僕が走り去っちゃったから」
「あなたが悪いに決まってるけど、
私もついうっかり、あの子達を置き去りにしちゃったのがいけないのよ」
二人がハッと気付いた時には随分と時間が経っていた。
それと同時に双子姉妹がいない事に気付き今、慌てて英雄碑がある街の中心まで走っているのだったーー。
「ーーまだいるかしら?」
エルとエリーナが人混みを避けながら必死で走っていると、
「あれ?お姉ちゃん・・・」
聞き覚えのある声が聞こえた。
あれ?
足を止め振り返るとそこには小さな子供と手を繋いで歩いている青い大きなリボンの少女の姿があった。
「ミレア・・・ちゃん?」
エリーナはその姿を見ると安堵の表情を浮かべた。
「良かったあ。ごめんね置き去りにするような事しちゃってーー」
ミレアはエリーナの顔を見上げると微笑みながら首を横に振り、
「大丈夫だよ。ずっとこのお姉さんが一緒にいてくれたの」
ミレアが見つめる視線の先には、クレアと一緒に歩いてこちらに向かって来る、美しい女性の姿があったーーーー。
 




