戦い未だ終わらず 4
1946年8月15日 山中の陣地
鷲峰は陣地から僅かに下がったところに設けられた調理場で昼食を終えてから自分の陣地に戻った。兵士たちは交代で食事を摂りつつ、警戒を続けている。相変わらずドイツ側陣地に特異な動きは見られない。
山中の陣地は景色が素晴らしい。真夏の真っ盛りだが、日本に比べるとずっと湿度が低くて、しかも山中なので気温はそれほど高くならない。とても過ごし易い場所であった。だからつい戦場であることを忘れてしまう。
「おかしいですね」
何時の間にか後ろに立っていた藤堂軍曹の声を聞いて、鷲峰は慌てて振り返った。そして自分の無防備さ加減に驚いた。
「おかしいとは?」
「何時もなら嫌がらせの砲撃がくる頃合なんですが…」
そこへ見慣れる兵士―といっても鷲峰は着任したばかりで小隊のメンバーを完全に把握しているわけではないが―がやって来た。
「伝令!中隊長より各小隊長に出頭命令が出ております」
30分後 中隊本部
鷲峰が朝に登ってきた道を降りて中隊本部にやって来る頃には他の小隊の指揮官はみんな揃っていた。鷲峰は中隊本部の面々の顔が心なしか緩んでいるように感じた。
呼び出した全員が揃ったことを確認すると長野中隊長はさっそく訓令を始めた。
「たった今、大隊本部から命令が届いた。大隊隷下の全部隊はただちに現状で待機せよ」
それから長野はジュネーブでの停戦協定について伝えた。集まった指揮官たちは信じられないという面持ちである。
「発効は明日正午である。明日の正午以降は絶対にこちら側から発砲してはならない。その点を部下に徹底させてほしい」
長野隊長も笑顔になっていた。
さらに30分後 陣地
一時間ぶりに戻って来た指揮官の妙に晴れ晴れとした顔を見て、兵士たちは眉を顰めた。
「どうしたんだ?あれは」
「さぁな。着任そうそう神経が参ったか?」
そんな陰口を言う兵士を横目に藤堂軍曹は昼から続く不思議な状況を自分なりに分析した。そして一つの結論に達した。藤堂は戻って来た鷲峰に駆け寄った。
「少尉。終わったんですね」
「あぁ。終わるよ」
鷲峰は分隊長を集めるように命じた。
10分後、分隊長たちが鷲峰のもとへ集まった。
「諸君、長い戦争であったが、ついに終わるぞ。ジュネーブで連合国軍と枢軸国軍との間で停戦協定が結ばれた。発効は明日の正午だ」
それを聞いた分隊長たちは目を丸くした。少尉の言葉が信じられない様子である。しかし、数秒後には現実を呑み込み、顔を緩めた。
「我が部隊は現状を維持して待機し、停戦発効とともに占領任務へと移行する。武器の使用は自衛のためのみに限定される。その点を兵に徹底するように」
それから幾らか質疑応答が行われた後、解散となった。
停戦発効のニュースはすぐに兵士たちに伝わったようで、みんな笑顔になっている。さっきまでの無表情がまるで嘘のようだ。
「本当に戦争終わるのか!」
「これで家に帰るぞ!」
「日本か。3年ぶりだな」
兵士たちはもう帰る気でいるようだ。まだ占領任務が待っていると訓辞した筈であるが、そちらの方は兵たちにうまく伝わっていないらしい。
鷲峰がそんな兵士たちの姿を眺めていると、藤堂がやって来た。
「本当に終わったんですよね?」
「明日の正午に終わるんだ」
「そうでしたね。これで帰れます。4年ぶりですからね。日本はどうなっているんでしょう?」
すると藤堂は黙り込んでしまった。
「どうした?」
「いやぁ、どうも嫌な予感がしまして」
「嫌な予感ね」
その予感は見事に的中することになる。