彼方の希望 3
第二次世界大戦、大東亜戦争が枢軸国軍の圧倒的な勝利で幕を閉じてから早20年以上が経ったが、もはや大日本帝国の全盛期は終わってしまったようである。南米戦線の長期化は確実に帝国を蝕みつつある。戦費が財政を圧迫し、人々の心は荒みつつあった。そんな中で“かぐや11号”の月面着陸は人々の希望になりつつある。暗い世の中を照らす希望の光に。それはシベリアの兵士たちにとっても同じである。
「しかし、成功したらさ、その後はどうなるんだろう?やっぱり月に宇宙基地を造るのかな?」
佐久間の目の前で、杉下が無邪気な笑顔で夢の未来世界を思い描いている。
「どうだろうな。成功したら、みんな冷めちまってもう終わりかもよ?」
柊の言葉に杉下はあからさまに顔を歪めた。だが柊の言葉が真実かもしれないと佐久間は考えている。“かぐや”計画には巨額な予算が注ぎ込まれていて、南米戦線と戦費とともに国家財政の重荷になっている。それに“科学の振興”というより“国家の威信”のために始まったような計画である。月着陸という結果だけ得られれば多くの人間が満足してしまうだろう。月探査計画は“かぐや”をもって終了になるかもしれないし、それどころか“かぐや”計画そのものも規模縮小になる可能性が十分にある。そんなことを考えていると佐久間自身の気持ちもだんだん冷めてくる。
みんなの希望“かぐや”、だがそれは一瞬だけの儚い夢なのかもしれない。
「あっ!着陸船が離れていきますよ」
杉下の叫び声に佐久間の意識が現実に戻された。
テレビの画面は“かぐや11号”の母船に搭載されたカメラに切り替わっていて、母船から離れていく着陸船の姿を映している。そして映像は今度は月着陸船の外部に搭載されたカメラに切り替わった。
「月だ!」
誰かが叫んだ。いくつものクレーターが並ぶ荒涼とした黄色い大地、それはみんなが思い浮かべる月そのものであった。着陸船はものすごいスピードで飛行しているようで、クレーターは画面の上から下へと次々と流れてゆく。だが大地がだんだんと着陸船に近づいているのは感じられた。
「いいぞ!もうすぐだ!」
「がんばれ!がんばれ!」
「もう少し!もう少し!」
食堂にいる将兵たちが次々に立ち上がってそれぞれ届くわけのない応援の言葉を口にする。夜になってだいぶ気温が下がったが、この部屋の中の温度はじょじょに上がっているように感じられた。
テレビ画面の向こうの月着陸船はじょじょに速力を落とし、大地まで“手が届きそうな”距離まで近づいている。さきほどまで応援合戦をしていた将兵も黙り込んで、テレビを凝視している。
やがて着陸船の脚が月の大地に触れた。わずかな衝撃で映像が少し乱れた後、着陸船は停止した。
<筑波、こちら“翁”>
テレビから聞こえてくる何者かの声。月着陸船の乗組員だ。
<姫は月に帰った>
着陸成功の合図である。
佐久間は先ほどまで冷めていた心がどんどん高揚していくのが感じられた。成功を祝う拍手の音が鳴り止まず、隣は杉下が「万歳!万歳!」と叫んでいる。
その時、食堂に居た人々の心は間違いなく1つになっていた。それは他の日本人たち、いや着陸の瞬間のテレビ中継を見ていた者すべてとも同じであろう。人類を未来の希望を小さな宇宙船と2人の宇宙飛行士に託して。たとえそれが一瞬だけの儚い夢だとしても、また明日になればつらい現実が待っていたとしても。この瞬間だけは彼方の希望に明日を託していたのである。
皇紀2669年7月20日午後8時17分40秒(世界標準時)、人類は史上初めての月面着陸に達成した。それは人がはじめて地球以外の星に降り立った瞬間であり、世界が1つになった瞬間であった。
彼方の希望 終
というわけで、“彼方の希望”はいかがでしたでしょうか?“小説家になろう”にはいくつかの作品を掲載しておりますが、これがはじめて完結させた小説になります。いやぁ、1つの物語を終わりまで書くというのはうれしいものですね。
しかし、異世界情景はあくまでもオムニバス、短編集ですからね。また新しい物語をそのうちに掲載することになると思いますが。