砲兵戦記 九六式一五糎加農
登場人物は全員、架空の人物ですが、戦況はだいたい史実に準じている筈です。
占守島と言えば士魂連隊こと戦車第11連隊が有名ですが、砲兵部隊も負けず劣らずの激闘をしているのです。
1945年8月15日 占守島
1門の砲が海に向けられ、対岸に睨みを利かせていた。その砲が置かれているのは千島列島最北の島、占守島の北端に近い四嶺山の中腹。砲はソ連領であるカムチャッカ半島の南端であるロパトカ岬に設けられたソ連海軍の沿岸砲に向けられていた。
据え付けられていたのは日本陸軍砲兵の切り札、九六式15センチ加農砲である。最大射程は26キロに及び、日本陸軍では九〇式24センチ列車砲に次ぐ長さを誇る。この度の大東亜戦争では、フィリピンのバターン半島・コレヒドール要塞攻略戦に投入され、その威力を連合国軍に見せつけていた。その事例のように攻城戦でも威力を発揮する砲であるが、その本来の用途は海岸砲として敵艦隊を待ち受けることにある。
戦争がアメリカ優勢に進み、帝国本土に敵軍が迫ってくると、いよいよ本土決戦に備えて各地で準備が進められた。ここ占守島にも九六式15センチ加農が持ち込まれ、対ソ開戦の際には真っ先にソ連海岸砲を撃滅する手筈であった。
だが、この日、対ソ開戦に備えて訓練に励んでいた将兵の日々は一変した。
この日の夕方、砲兵陣地の傍らから空に向けて黒煙が上がっていた。その下では火が焚かれ、兵士達が次々と紙を放り込んでいた。
「終わっちまったんですね」
紙を陣地の中から持ってきては投げ込む兵士達を監督していた倉島軍曹は感慨深げに言った。
「あぁ。終わっちまったな」
その様子を見守っていた陣地の指揮官である矢島大尉が答えた。その目には涙が溜まっていた。
この日の正午、ラジオを通じて重大な発表がなされた。陛下が自らの言葉でポツダム宣言の受託を国民に報せたのである。連合国軍が日本に突きつけた降伏勧告であるポツダム宣言の受託とは、すなわち大東亜戦争が日本の敗北と言う形で終わったことを意味していた。
多くの将兵は戦争の思わぬ結果に衝撃を受けていたようだが、彼らにはやらなくてはならないことがあった。戦後に向けての処理である。司令部からは早速、重要書類の焼却が命令された。
今、燃やされているのは彼らの武器である九六式15センチ加農の発射諸元である。それは彼らの主目標であるソ連海岸砲の精密な位置測定の結果と射表を組み合わせたものだ。
射表とは、大砲から発射された弾が飛ぶ距離が、火薬量や仰角、風の影響などによってどのように変化するかを記した書類であり、射撃は全て射表に基づいて行われる。
それと位置測定の結果を組み合わせた発射諸元を用いることで、九六式15センチ加農はソ連海岸砲に対して一撃必殺の射撃を行うことができると期待された。そして、それが燃やされたということは、彼らの大砲が武器としての価値を喪失してしまったことを意味し、戦争に敗れたという現実を否応無く将兵達に突きつけるのだった。
矢島は目に溜まった涙を拭った。
「まぁ、なんとか生き延びれたんだ。今はこの命をどう祖国の為に役立てるかを考えようじゃないか」
倉島軍曹も笑顔で応じた。
「そうですね」
しかし、世界は数日のうちに再び一変してしまうことになるのである。
8月18日
ソ連が日本に対して宣戦布告をしたのは10日前のことだった。満州になだれ込んだソ連軍が国境を守っていた関東軍の守備隊を蹴散らして南下を続けていた。そのニュースは占守島にも届いていたが、ポツダム宣言を日本政府が受託したことで戦闘は終了するものと考えていた。しかし、ソ連軍は日本の降伏宣言を無視して攻撃を続けたのである。
そして18日の早朝、その牙は遂に占守島へと向けられた。カムチャッカ半島よりソ連陸軍第101狙撃師団を主力とする上陸部隊が出撃し、対岸の竹田浜への上陸作戦を開始した。
それに対して日本軍も自衛行動を開始した。最初に反撃に出たのは竹田浜の北にある国端岬の砲兵であった。その兵力は僅かに三八式野砲1門に過ぎなかったが、頑強な洞窟陣地に陣を構えてソ連の上陸船団に向けて悠然と射撃を開始した。戦場は濃霧に包まれ、視界は酷く悪かった。敵の姿は見えず、ただエンジン音が聞こえるだけ。それでも指揮官は事前の調査で、敵軍の上陸する公算が高いと考えられた地域に向けて照準を合わせた。
先遣隊の指揮官であるマリノフ大佐は上陸用舟艇に乗り、竹田浜を目指していた。彼は司令部から日本軍の抵抗は軽微であろうと言われ、1日で島を占領してみせると息巻いていた。だが、周りから、深い霧の向こうから聞こえる爆発音が彼を不安にさせていた。
「これは日本軍の砲撃なのか?」
するとヒュルヒュルと空気をなにかが裂いていく音が聞こえてきた。その音に導かれるようにマリノフ大佐は上を見あげた。
次の瞬間、彼は激しい力に吹き飛ばされ、飛んできた金属片に身体をズタズタにされてから、海に落下した。マリノフ大佐はそのまま何が起こったのかを理解する暇も無く海に沈み、事切れた。
1人の兵士が霧の中に灯火を見つけた。
「おい!見てくれ!命中だ!敵の船に命中したんだ!」
砲弾が直撃した上陸用舟艇が炎上し、あたりを照らしていたのだ。そして、周辺を航行するソ連艦艇も炎に照らされて、その影が砲台から確認できるようになった。
「射撃を続けろ!目標が見えるぞ!」
その後も国崎岬の砲兵隊は上陸船団に向けて激しい射撃を浴びせ続けた。その攻撃は上陸船団に大きな被害を与え、一説によれば船団の3割が撃沈ないし撃破されたのだという。
しかし、ソ連上陸船団は力づくで砲撃を突破し、そのうちに上陸部隊が竹田浜に揚がりはじめた。だが指揮官であるマリノフ大佐を失ったことで、上陸部隊は大混乱に陥っていた。
もちろん、日本側も黙ってソ連軍の侵攻を許すつもりは無かった。北方の守りを預かる第5方面軍の司令官はただちに占守島の守備を担当する第91師団に反撃を命じた。すぐに戦車第11連隊をはじめとする反撃部隊が集められ、反攻の準備が始まった。
一方、ソ連軍も緒戦の混乱で時間を浪費してしまったものの、後続部隊の到着で統制を取り戻しつつあった。彼らは占領地を広げるべく、早速攻撃を開始した。最初の目標は目の前にそびえる四嶺山であった。
四嶺山を巡って激しい戦いが始まった。山に攻め寄せるソ連軍に対し、日本軍も果敢に反撃へ出た。士魂連隊の異名を持つ戦車第11連隊を中心にして突撃したのである。彼らの装備戦車は相変わらず九七式中戦車のような時代遅れのものであったが、ソ連軍が重装備をほとんど持ち込んでいなかったこともあって機甲戦力として優れた威力を発揮した。
戦況は日本軍優位に進んでいた。それに対しソ連軍は上陸部隊を援護すべく艦砲や対岸の海岸砲で盛んに援護射撃を行っていた。その様子は九六式15センチ加農の陣地からでもよく見れた。
倉島軍曹は盛んに射撃を続けるソ連軍の海岸砲の姿にやきもきしていた。相手は4門の130ミリ砲で、威力は絶大である。それが友軍に襲い掛かっている。だが、彼らの加農は撃てない。発射諸元や射表を燃やしてしまった今、命中が期待できないからだ。
だが矢島大尉は砲撃を続けるソ連海岸砲の様子を冷静に観察していた。悔しがっている他の兵士とは大違いだった。倉島にはその様子が気になった。
「どうしたんですか?」
尋ねられた矢島は呟くように答えた。
「できるかもしれない」
「何がですか?」
「ソ連海岸砲の制圧だよ」
それを聞いた倉島は驚いて言った。
「しかし、発射諸元がない今、どうやって有効弾を出すのですか?」
「発射諸元ならある」
矢島はそう言って、自分の頭を指差した。
「この中にな」
呆気にとられている倉島に、矢島は観察を終えて向き直った。
「砲撃準備!」
幸いにも砲弾にはかなりの備蓄があり、すぐにでも射撃を始めることができた。こちらの存在に気づいていないのか、敵の砲撃は専ら反撃に向かっている友軍部隊や上陸船団に向けて砲撃を続けている国端岬の野砲へと向けられていた。
矢島は頭の中に残っている発射諸元を思い出して、手近な紙に書き写して、部下達に渡した。
「初弾命中を狙いますか?」
倉島が諸元に目を通しながら矢島に尋ねた。常に砲弾が不足する状況で戦うことを強いられてきた日本陸軍の砲兵では初弾必中を目指す精密射撃が当然と考えられており、倉島の提言もそれに基づいたものだった。
「いや。折角、砲弾がたっぷりあるんだ。弾幕射撃をやろう」
それを聞いた部下たちは驚いた様子だった。弾幕射撃、それは砲兵なら誰もが憧れる射撃だった。
「もう戦争は終わるんだから、出し惜しみは無しだ。敵砲台の右側から左側へ、順番に砲弾の雨を降らしていくんだ。これで効果も上がる筈」
「分かりました。やりましょう」
矢島の説明に、皆すっかりやる気に満ちていた。戦争には負けてしまったが、仲間と国土を守るという明確な目的のある戦いに、皆の士気が高まっていた。
「撃ち方はじめ!」
対岸のソ連海岸砲はまさか自分達が狙われているとも思わず、反撃に出てきた日本軍部隊に向けて砲撃を行っていた。4門の130ミリ砲はこの戦場において最強の兵器であるとソ連砲兵達は信じていたのだ。
しかし、その自身は砲台の東、それもかなりの至近に突如、巨大な砲弾が炸裂したことで打ち砕かれた。
「敵の砲撃だ!」
「落ち着け!日本軍の火力は貧弱だ。こけおどしに決まっている」
指揮官は部下を安心させようとしたが、それから次々と砲弾が落下してきて指揮官の言葉を遮った。着弾は砲弾にどんどん近づいてきた。4発目で遂に砲台への直撃弾が出た。
「退避!退避しろ!」
「日本軍の火力は貧弱じゃなかったのか!」
ソ連砲兵達は手近な塹壕に次々と逃げ込んだ。それでも指揮官は楽観的だった。
大砲そのものは掘り下げられ、周りを砂袋で取り囲んで強化された陣地の中であり、直撃でもしない限り破壊される危険性は少ない。危険なのは飛び散る砲弾の破片による兵員の殺傷で、それは兵士達を塹壕に避難させれば済む。後は日本軍の砲撃が終わった後に、兵員をまた配置に就かせて、射撃を再開すればいい。
ふと、その時、指揮官はある塹壕に飛び込む1発の砲弾を目にした。指揮官はなぜかその砲弾に注意を惹かれた。確か、あの塹壕の中にあるのは…弾薬庫…
四嶺山陣地の日本陸軍砲兵はこれまで教科書でしか見たことの無い弾幕射撃を実行すべく一丸となって動いていた。弾薬庫から次々と砲弾が運ばれ、それを大砲を撃つ度にこれまでの訓練では見せたことの無い素早さで装填を行っている。
かなりの数の砲弾を撃ち、すでに撃った弾の数を数えるのを忘れてしまった頃に、対岸で大爆発が起こった。
「直撃だ!」
弾薬庫にでも命中したのか、ソ連海岸砲の置かれていた砲台は炎に包まれていた。
「命中だ!万歳!」
将兵達は敵を撃破したことに歓喜し、勝利を万歳三唱で祝った。それが国の敗戦を前にした束の間の勝利の瞬間に過ぎないということ内心では理解しながら。
「万歳!万歳!万歳!」
万歳の声は四嶺山の中腹でいつまでも轟いていた。
ソ連海岸砲が再び火を噴くことはなかったが、その後も占守島では激しい戦いが続いた。
戦車第11連隊は連隊長をはじめとする多くの人員を失い、多大な損害を被りながらもソ連軍を押し返し、日本軍部隊はソ連が占領した地区を奪還していった。昼ごろにはソ連軍を包囲する態勢となったが、ここで第5方面軍司令部より戦闘停止命令が届き、自衛戦闘を除いて積極的な攻勢は控えることとなった。
その間、大本営はソ連と停戦交渉を進めたもののスターリンは黙殺し、上陸したソ連軍は反撃に転じた。ソ連軍は消極姿勢に転じた日本軍に対して攻撃を仕掛け、再び占領地を拡大したのである。
その後、両者の間で停戦交渉が重ねられ、最終的に戦闘が終了したのは20日のことであった。それまでの間、占守島の日本陸軍部隊は上陸したソ連軍に痛撃を与えたのはソ連政府機関紙も認めるところであった。
なお最後まで戦い続けたのは、最初にソ連上陸船団を発見し攻撃を行い、その後に敵中に孤立してなかなか戦闘停止命令が届かずに射撃を続けていたという国端岬の砲兵隊であったと言う。




