カタストロフィ(前)
202X年、かねてから予測されていた通りに東海・東南海・南海三連動地震が遂に発生した。
静岡県から東海地方、さらには関西・紀伊方面にまたがる広範な地域で重大な被害が生じた。多くの建物が倒壊し、火災が広がった。津波が沿岸部を襲い、なにもかもを押し流した。
しかし、本当の恐怖は地震の後から始まった。
航空自衛隊小松基地
自衛隊の規定では震度5以上の大地震が発生した場合にはただちに航空機を発進させ、情報収集にあたることになっていた。各地で7以上の震度の揺れが発生したこの度の大震災でもただちに陸海空自衛隊の航空部隊が次々と発進していった。
小松基地からもアラート待機中のタイフーン戦闘機がスクランブル発進した。パイロットの小鳥遊たかなし1尉は早速コクピットに滑り込み、タイフーンを起動させて離陸、一路南へと向かった。
タイフーン戦闘機は老朽化したF-4EJ改戦闘機の後継として配備された新型戦闘機F-Xである。F-Xの選定については一度はアメリカ製のステルス性を有する戦後第5世代戦闘機のF-35に決まったものの開発の遅れや価格の高騰から撤回されて、当時の民生党政権が強いリーダーシップを発揮して官邸主導によりタイフーンに決定したという経緯がある。マスコミからは“アメリカの外圧と官僚の抵抗を撥ね退け、政治主導を発揮した”と絶賛されたが、小鳥遊1尉は今更ステルス性の低くフェイズドアレイレーダーを装備していない機体にわざわざ乗り換える理由は分からなかった。
開発の遅れについてはアメリカから保管状態にあるF-15やF-16を短期間リースするという手もある。実際、自由民権党はそれを提案した。また価格についても、タイフーンだって実際には同じようなもので、その後に必要になったレーダーの換装などの“改修経費”も考えれば高いくらいなのだ。聞いた話によれば一度は実務能力が事実上皆無な政府与党の面々を退けて防衛省と航空自衛隊がF-35を押し通したのだが、日本が第5世代戦闘機を配備することを嫌った勢力の指示を出して決定を覆したのだという。
ともかくとして次期戦闘機に採用されたタイフーンであるが、配備計画の方は大きく狂っていた。ようやく小松の1個飛行隊が配備を完了した段階で、これから調達を継続できるかは不透明だった。理由は機体ではなく日本の経済にあった。2010年代後半に日本はそれまでのデフレから一転して急激なインフレに襲われるようになったのだ。それも経済成長に伴う良性のインフレではなく経済の悪化と同時に進行するスタグフレーションであった。ただでさえ停滞していた日本経済はいよいよ急激な、それも長期にわたるマイナス成長に突入したのだ。
それ故に防衛費も削減を余儀なくされ、せっかく獲得した予算の方も急激な物価の上昇に追いつかず、訓練に必要な燃料の確保もおぼつかないくらいだ。今の航空自衛隊のパイロットは最低限の技量しか確保していない。
ともかくとして小鳥遊は被災地を目指して南下を続けていた。この時、小鳥遊は被災地はまだまだ先のことだと考えて前ばかり見ていたので、異常を発見したのはウイングマンだった。
<おい。やけに橋が落ちていないか?>
ウイングマンの報告を聞いて小鳥遊は慌てて下方を覗いた。確かに眼下に見える橋の多くが破壊されていた。
「このあたりは大して揺れていない筈だが…」
この震災はこれまでとは違う。そんな不安が小鳥遊の中に生じつつあった。
やがて木曽川を越えて愛知県内に入った。木曽川に架かる橋も多くが崩壊していた。そして市街地から煙が立ち上り、都市では多くのビルが倒壊していた。小鳥遊はその様子を無線を使い口頭で報告しつつ、いつもは領空侵犯機の撮影に使うカメラで撮影をしていった。燃料がギリギリになるまで偵察を続け、基地に帰投した。
首相官邸
政府もこの度の震災がこれまでとは違うことを知りつつあった。
「なぜなんですか!救助隊も補給物資も自衛隊も被災地に行けないって!」
弁護士から政治家に転身した首相が防災担当大臣に怒鳴り散らしていた。彼は2010年代初めに既存政党への不信感から始まった地域政党ブームに乗っかり新政党を組織し、2013年の衆参両院同時総選挙では衆参両院の2/3を獲得することに成功した。与党となった新政党は憲法改正を強行し、首相公選制や参議院廃止といった様々な改革を達成し、現首相は初の首相選挙で現代の地位を手に入れた。
「どうしてなんですか?」
首相の詰問に防災担当大臣が重い口を開いた。
「広い範囲で交通網が分断されています。多くの橋、崖やトンネルが崩れ、今や被災地は陸の孤島となっています」
続いて防衛大臣が説明を引き継いだ。彼は机の上に地図を広げた。そこにはいくつもの×印が描かれている。不思議なことに震源地や揺れの酷かった場所は空白になっているが、その周辺にドーナツのように崩落地点が広がっていた。それも大きな揺れに襲われていない場所にまでだ。
「印のあるところが交通が遮断されている地点です。自衛隊は施設隊という、いわゆる工兵隊がありまして、架設の道路を開設する作業を全力で行なっていますが、崩落の範囲が広すぎてまったく追いついておりません」
すると首相は被災地の空白の部分を指した。
「しかし、どうなっているんだ?現地に近づくほど崩落が起こっていないなんて…」
防衛大臣は首を横に振った。
「被災地周辺に崩落の印が無いのは、単に情報収集が進んでいないだけです。現在、陸海空自衛隊が総力を結集して情報収集を行なっておりますので…」
「崩落地点がさらに増えるのか?」
首相の問いに防衛大臣は頷いた。
「おそらく加速度的に」
防衛大臣の言葉に首相は顔を真っ青にさせた。
「どうしてこんなことに…」
実はその原因の一端は首相自身にあった。勿論、彼だけの責任ではないが。
「崩落したのはおそくら高度成長期に建造された橋やトンネルでしょう。その多くが寿命を迎えています」
「なら、なぜ建て替えないんだ?」
首相はそれを口にしてすぐに自分が公共事業の縮小を進めていたことを思い出した。首相と彼の政党は公共事業を“シロアリが集る非効率な事業”として敵視し、その民生党政権に引き続き削減を続けたのである。そこへスタグフレーションが重なり、必要不可欠な事業さえまるで進まなくなってしまったのだ。
「それで復旧の見通しは?」
防衛大臣と国交大臣は目配せしてから2人して首を横に振った。
「どういうことですか?」
首相の問いに国交大臣が答えた。
「自衛隊の協力も得て、民間各社とも協力して復旧作業を全力で行なっていますが、被害が広範囲に及んでいる上にまるで労力が足りません」
日本の建設会社は公共事業を削減された上に不況が続いた結果、多くが淘汰されて減少する一方であった。首相は自由競争による健全化であると喜んでいたくらいであるが、その結果が今のマンパワー不足であった。さらに激しいコスト競争を繰り広げた結果、各社の設備投資も大きく削られ、機材の老朽化が進んでいた。その為に震災という厳しい環境下では稼働率を大きく落としていたのである。
国会議事堂
震災から一週間を経たが復興はおろか復旧さえ進んでおらず、多くの被災民に援助物資が届いていなかった。当然ながら首相には野党から激しい批判が浴びせられた。首相は野党の非協力を批判して誤魔化そうとしたが、首相の失策が被害を拡大させたのは明らかだった。
そもそも数年前まで日本はデフレに苦しんでいたはずなのに、なぜスタグフレーションに襲われてしまったのか?財政再建論者が言うように景気対策の為に国債を増刷し、日銀に引き受けさせた結果なのか?実はまったく逆なのだ。
デフレとは供給が需要を上回って物価が下がることだ。物価が下がるのは良いことではないかと思われるかもしれないが、度が過ぎると大変な害悪をもたらすのである。
物価下落に対応するために企業は経費削減を迫られる。利益は縮小し、設備投資は削られる―例えば設備の近代化であるとか増強であるとかで、そうした設備を製造、販売する企業は仕事を失うことになる―、そして給料は下がる。給料が下がれば人々はその分だけ支出を切り詰め、その為に需要がますます減ってデフレが悪化する。これがデフレ・スパイラルである。
かくして民間企業は疲弊し、容赦なく淘汰されてしまったのである。淘汰により供給は次々と削られていく。それでようやく供給と需要のバランスがとれるのかと言えば、失業者の増加、賃金低下や増税で需要も下がっていくのだからデフレが止まる気配はまるでない。消費意欲は削られる一方である。結果としてデフレはますます悪化し、景気は急降下した。その一方で容赦なく少子高齢化は進んでいた。
そして、ある時に供給と需要のバランスが逆転した。高齢化が進んで労働人口が減少した一方、引退した老人たちの人口に対する割合が増加したことで相対的に需要が供給を上回るようになったのだ。だが、これは長きに渡るデフレ不況の終わりを意味するものではない。むしろデフレ不況の最終段階に突入したのであった。
デフレからインフレへの転換が好景気をもたらすと言われるようになって久しい。しかし、そう単純な話ではない。インフレといっても良性と悪性の2種類がある。
良性のインフレとは好景気により需要が拡大して供給を上回る場合だ。経済活動が活発化し、企業はコスト削減の為ではなく供給拡大の為に効率化を進め、労働者への需要が高まり給与も増える。健全な成長である。
対する悪性のインフレでは需要の増減に関係なく供給が崩壊することで物価が高騰することだ。いくら需要があっても、そもそも供給源が崩壊しているのだから経済活動は発生しないし、労働者が働く場もない。社会そのものの崩壊である。ジンバブエや第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレはこのパターンである。
そして日本が迎えたのは後者の、悪性のインフレーションであった。長期のデフレ不況で疲弊した日本の企業は高齢化による労働者不足へ対処する余裕を完全に失っていたのである。現役世代の減少、老人の増加による需要拡大に応える術を日本の社会は持ち合わせていなかった。
さらに追い討ちをかけるように日本各地で老朽化したインフラ―橋、トンネル、道路―などの建て替えや改修が公共事業の削減により進まなかったことで、物流の分断が始まった。崩落の危険があるとして道路が通行止めになる例が全国で相次ぎ、街と街を繋ぐ生命線が次々と断たれていったのである。
いくら製品があっても消費者のもとまで運べなくては意味がない。物流の分断によりインフレーションがますます加速したのである。
勿論、こうした危険は常に国会の有志議員が指摘していた。しかし首相はこうした反応を改革への抵抗勢力と位置づけ、むしろ自分の権力基盤強化に利用した。
首相がこれだけの危機的状況でありながら、震災発生まで高い支持率を得ることができたのも、政権維持に議会の支持を必要としない首相公選制という仕組みを利用し、首相対国会という対立構図をつくり、自らを改革者と位置づけ反対勢力をメディアとともに吊るし上げて大衆への見世物にしたからである。その為に国会の支持を得られず政策が停滞し、政治が不安定化したが、全て国会の抵抗勢力の責任にしたので首相には何の問題も無かった。
だが、これだけの大災害ではそのような誤魔化しも通じないし、国会の側もこれまで散々スケープゴートにされてきて今更、協力などしてくれるわけもなかった。進まない復興に議員の怒りは爆発していた。
激しい罵倒が飛び交う中、国会議事堂の照明が突如、消えた。停電である。すぐに自家発電へと切り替わったが、議員たちは気を削がれたようで、議場内は静かになってしまった。
「また停電か」
1人の中堅議員が呟いた。今の日本において停電は珍しいことではなくなっている。
この小説の内容は全てフィクションです。
でも全国の橋やトンネルなどの様々なインフラが寿命に達しつつあるのは本当です。東日本大震災の被災地がドサクサに紛れて被災者に競争・淘汰を強いる復興特区にされたのも本当です。また被災地では復興に必要不可欠な建設業者の供給不足が実際に発生しているそうです。スイス空軍のタイフーン評価も本当で、ちなみにオーストリアでは“第2共和制で最も高価な失敗”と呼ばれているそうです。