DEAD HAND~史上最後の海戦~(後)
K44
護衛役のK295が放った魚雷の支援により1本の魚雷は避けたが、依然としてK44はもう1本の魚雷の追撃を受けていた。アクティブソナーにより捕捉された以上、無音航行は無意味である。K44は再び機関出力を最大にして回避へ動いた。同時にデコイを放出して、魚雷のアクティブソナーを封じようとした。デコイは泡を放出して空気の壁をつくり、アクティブソナーの音波を遮断しようとするものである。
「取り舵一杯!」
艦長の号令が発令所の中に響いた。操舵手が舵輪を目一杯回して、K44の艦首が急速に左方向へと向く。これはナックルと呼ばれる機動で、艦を急速に回頭させることで海水を掻き乱して、デコイと同じようにソナー音波を遮断する壁を形成することを目的とする。
しかし海水が掻き乱されたことでK44のソナーも魚雷を捉えられなくなった。2つの策の効果があったのか、水中の動きを捉えられない状況では乗員達は祈るしか出来なかった。やがてソナー手が二重の壁を突破した魚雷の音を捉えた。
「高速スクリュー音!」
艦内の誰もが息を潜めて、ソナー手の次の言葉を待った。もし依然として魚雷がK44を捉えていたならば、直撃を逃れることは不可能である。ソナー手が次の言葉を発するまでの時間は僅かであったが、誰もがまるで数時間にも及んでいたかのような錯覚を覚えた。
「魚雷は直撃コースを外れています!回避しました!」
シャーロットの放った魚雷はK44を見失い、そのままK44を掠めて後ろに過ぎていった。
シャーロット
一方、シャーロットの方はロシア艦の放った魚雷を逃れていなかった。
「3番、4番魚雷、発射!」
シャーロット艦長はK44に止めを刺すために温存しておいた魚雷の発射を命じた。プログラムは既に書き換えており、前方に発射された魚雷は大きな円を描いて旋回し、シャーロットの横をすり抜けて後方に向かった。肩越し射撃とも呼ばれる発射法で、碌な照準も行なわず発射した盲撃ちで直撃は期待できなかったが、先ほどのK44の発射した魚雷と同じように発射母艦を惑わせて誘導用のワイヤーを切断する効果は期待できた。
「回避行動!面舵一杯!」
魚雷を発射するとシャーロットは多数のノイズメーカーを射出して魚雷のソナーを惑わしつつ、急速潜行と急速回頭の組み合わせてで魚雷の回避を狙った。そして十分に距離を稼ぐと機関を停止して無音航行に移行し、聞き耳を立てた。
「魚雷はノイズメーカーの方へと向かっています」
ソナー手の報告は発令所に詰める面々を安堵させた。ロシア艦はシャーロット艦長の狙い通り、肩越しの魚雷発射に驚き、回避のために誘導用ワイヤーを切断したようだ。そしてロシア製魚雷の乏しい頭脳では単独で囮を見抜くことができなかったのである。
しかし、ロシア海軍は簡単に見過ごしてはくれない。
「新たな魚雷!こちらに向かってきます!」
次の瞬間、魚雷の放った探信音がシャーロットの船体を捉え、揺さぶった。
K295
「4番、5番魚雷が目標を捕捉。アクティブモードで追尾中!」
兵装士官は淡々と報告した。K295の乗員達は訓練通りに冷静に機械的に事態へと対処していた。
「目標が増速!回避を試みています!」
「1番から3番まで魚雷再装填完了!」
船内各所から届く報告も同様である。アメリカ潜水艦に放った最初の2発は敵の反撃により誘導ワイヤーを切断せざるを得ず、外してしまった。しかし艦長は回避行動の後、アメリカの魚雷が明後日の方向に進んでいるのを確かめると、すぐに新たな魚雷を発射したのである。最初の2発を避けることばかりに気をとられていたアメリカ艦に逃れる術はなかった。
「命中まで後5、4…」
ソナー手が運命のカウントダウンを始めた。
「2、1…」
次の瞬間、海中に不気味な爆発音が轟き、衝撃がK295の船体を揺さぶった。
「魚雷が目標に命中しました」
ソナー手が静かに報告し、発令所が静まり返った。かくして史上最後の海戦が終了した。
K44 士官室
戦闘が終わるとK44の指揮官達は再び重苦しい決断を迫られることになった。士官達は当直士官を残してまた士官室に集まった。
「作戦の実行には反対します!」
声を大にして力説したのは副長であった。
「世界がこんなことになった今、我々が作戦を実行することにどんな意味があるのですか!我々には任務以上に大切なことがあるはずです」
士官室の面々の表情を見渡すと副長の主張に賛同する者も多いようだ。だが艦長は首を横に振った。それを見て副長は驚いた。
「どういうつもりですか?あくまでも命令を実行すると?」
副長の問いに艦長は頷いた。
「さっき水中電話でK295の艦長とこの問題にして話してな。それで決断したんだ」
艦長の決断に対して副長は食い下がった。
「なぜですか!もはや地上は滅びようとしているのに!」
それに対して艦長は冷静な口調で諭すように話しかけた。
「我々は軍人だ。軍人の本分は任務を遂行することだ」
しかし副長も他の士官達もそれで納得していない様子だった。艦長は話を続けた。
「それにだ。世界が滅ぶというのなら、なおさら実行すべきだと思う。地上は今や地獄だ。死者が徘徊して生きる者を遅い、その肉を食らっている。本当に醜い光景だ。私は人類の最期をそんな風にはしたくない」
艦長は士官達の顔を見渡した。誰もが艦長の言葉に聞き入っている。
「確かに後世から見れば無意味なことであるかもしれない。だが私は人類の終焉は徘徊する死者ではなく、同じ人類の手でもたらされるべきだと思う」
話を終えた艦長に副長は首を振った。
「納得できませんよ。無茶苦茶ですよ。ですが、私も軍人です。艦長が決断したというのであれば、私は実行したいと思います」
K44 ミサイル室
艦長と副長、それに連邦保安庁から核兵器の管理保全の為に派遣された保安将校の3人がミサイルの管理セクションにやってきた。
「大統領命令30号に基づきミサイルを発射する!」
艦長が胸元からキーを取り出して宣言すると、副長と保安将校も艦長と同じようにキーを手にした。そしてミサイル室の発射システムに3人がほぼ同時に挿入した。
「艦長、発射コードをお願いします」
ミサイル士官の要求に艦長は艦長室の金庫から持ち出したプラスチックケースを懐から取り出してミサイル士官に手渡した。ミサイル士官はプラスチックケースを折って、中からキリル文字と数字の書かれた紙を取り出し、それを上官の前で声に出して読み上げた。それから保安将校に紙を手渡す。
「確認をお願いします」
保安将校もミサイル士官と同じように声を出して紙に書かれた文字と数字を読み上げた。
「間違いない。発射コードだ」
読み上げた保安将校がそう言うと、ミサイル士官は再び紙を受け取って、壁に埋め込まれた管制装置にコードを入力した。
「これより発射シークエンスに入ります」
ミサイル士官は艦長の方を向いた尋ねた。
「最後に確認します。発射命令は確定ですか?」
「確定だ。間違いない」
艦長が宣言すると、ミサイル士官は頷いて壁の装置と向き合った。
「カウント開始!燃料注入開始!」
船内が次第に騒がしくなっていた。
「燃料注入完了!発射管注水開始!トリムタンク排水開始!艦前後水平保て!」
あちこちのパイプから水が流れる音が聞こえ、まるでK44の船体が生き物であるかのような錯覚を中の者に覚えさせた。
「発射1分前!ミサイル発射管扉、1番から16番まで開放用意!はじめ!」
続いて鈍い機械音が船内に轟いた。艦橋後方の甲板上に並んでいる潜水艦発射弾道ミサイルのサイロを閉じる蓋が1つずつ開けられているのだ。
「全扉開放、発射15秒前、14、13、12、11、ロケット点火開始!」
最後に響いたのは激しい爆発音だった。この時、K44が艦内に収める16本のR-29R潜水艦発射弾道ミサイルの液体燃料ロケットが一本ずつ、順番に点火されていたのである。
「5、4、3、2、1…発射はじめ!」
次の瞬間、一際大きな爆発音が轟き、激しい衝撃が船体を揺さぶった。それは一回では収まらず、次々と繰り返す。全部16回、それでようやく静かになった。
ミサイル室でも、発令所でも、艦内のどこでも歓声1つ上がらず、誰もが黙り込んで、虚脱感を感じていた。ただ艦長だけが一言呟いた。
「遂にやってしまったのか…」
K44から放たれた16本のR-29R弾道ミサイルは、それぞれ200キロトンの核弾頭を3つずつ載せ、事前にセッティングされていたそれぞれの目標に向かって飛んでいった。
冷戦中、米ソ両大国は核抑止力理論に基づいて互いを数度も滅ぼせるだけの強大な核戦力を保持するに至った。しかし、核兵器の威力と精度が高まるにつれて核抑止力理論に1つの疑問が呈されるようになった。
核抑止力理論は双方が強大な核戦力を保有することで、両者とも相手の報復核攻撃を恐れて武力を行使することができないというものであるが、もし敵の第一撃で報復攻撃の発射命令を出すべき政府中枢が完全に破壊されてしまったらどうするのか、というものである。もし第一撃で敵の政府中枢を破壊してしまえば、報復核攻撃を恐れる必要が無くなり、核抑止力理論が崩壊することになる。
その懸念への対処は極めて単純であるが、同時に極めて危険を孕んだものであった。しかし、米ソ両大国ともそれを実行した。
アメリカでは1997年に潜水艦艦長から“一定の条件下で政府中枢からの命令なしに核攻撃を実行する権限”が奪われたが、ロシアでは現在でも政府中枢との交信が一定時間途絶えた場合、現場の核兵器運用部隊が自動的に報復攻撃を実行するシステムが稼動していると言われ、このシステムは一般に“死の手”と呼ばれている。
なんとか3回で終わりました。
まぁ微妙ですかね?オチ(と呼べるのか?)が普通に想像できた方がほとんどだと思いますし、K44がミサイル発射を決断するくだりはかなり強引ですし。