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異世界情景  作者: 独楽犬
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時間逆行者の誤算(前)

 阿川正洋青年はある日、ふと目覚めると第二次世界大戦以前、1930年代にタイムスリップをしていた。それに気づいた阿川青年は、これより日本が直面する悲惨な敗戦を回避し、よりより未来へと導くことを決意したのである。

 早速、阿川青年は海軍との連絡を試みた。日本が直面する危機を説明して信頼を得ると、天皇陛下との謁見を果たし、敗戦を回避する為の具体的な行動を開始した。



 アメリカに対抗できる戦力を整える為に様々な施策を実行したわけであるが、特に陸軍の強化が徹底された。日本海軍は世界三大海軍に数えられてどこに出しても恥ずかしくない戦力を保有しているが、翻って陸軍は全体的に旧式で劣っている。陸軍軍人は頑固で古い白兵戦思想、精神主義に固執し、機械化や砲火力の強化といった近代化に背を向けて、合理性をかなぐり捨てた補給無視の突撃主義に毒されていた。アメリカに勝てないまでも負けない戦いをする為には陸軍の強化が必須だった。


 阿川青年は天皇陛下の後ろ盾を得て、無能な陸軍軍人を次々と更迭した。さらに北支から陸軍部隊を撤退させて中国と和平を結び、それから陸軍部隊の大幅な軍縮を実行して影響力を削いだ。そして軍縮で浮いた軍事費で海軍の増強と陸軍の近代化を急いだのである。


 まず行ったのは新型戦車の開発だった。陸軍は戦車を歩兵支援の道具としか考えていなかった。それ故にノモンハン事件では強力なソ連戦車を相手に大敗を喫したにも関わらず戦訓は無視され、対戦車戦闘能力を持つ戦車の開発はなかなか行われず、太平洋戦争ではアメリカのM4戦車に日本の戦車は再び大敗を喫することになる。そして万歳突撃の悲劇に繋がるのだ。

 阿川青年はその悲劇を回避すべく強力な戦車の開発に努めた。そうして管制したのが百式戦車である。M4の装甲を確実に貫通することが出来る長砲身76ミリ主砲を持つ30t級の大型戦車だ。史実の戦車の惨めな状況を考えれば、夢のような高性能戦車である。

 さらに改善は装備そのものだけでなく運用面にまで及んだ。陸軍は戦車を歩兵支援の為の道具としか考えておらず、各方面に分散して配備していた。そこで阿川青年はドイツ流の電撃戦思想を取り入れて機甲師団を編制し、戦車をそこに集中配備することにしたのである。頭の固い陸軍上層部の抵抗に遭遇したが、阿川青年は天皇陛下の助力を得て乗り切った。


 続いておこなったのは歩兵の強化である。銃剣突撃しか頭にない陸軍は古い時代遅れのボルトアクションライフルから何時までも脱却できなかった。それ故に半自動式小銃を持つM1ライフルを持つアメリカ軍に敗れたのである。阿川青年はM1ライフルの情報を伝え、同様の性能を持つライフルの開発を要請した。

 それに並行してドイツのMG42機関銃を基にした新型機関銃のプロジェクトも進められた。

 こうして完成した百式小銃と百式機関銃は帝國陸軍の標準火器として採用され、同じく開発が進められた無反動砲、携帯噴進砲なども相まって陸軍歩兵の火力は大いに向上した。


 それから砲兵の近代化へと手を伸ばした。前述したように白兵戦、精神主義重視の陸軍において砲兵火力も軽視され、第二次世界大戦時も主力野砲は日露戦争直後に導入された三八式野砲であった。このような有様では勝てるわけがない。

 百式戦車の車体を流用し、75ミリ砲の砲塔を載せた一式自走砲の開発し、主力野砲とした。この車輌は前線部隊の支援任務だけでなく対戦車戦闘にも用いることができる性能を持っていた。


 かくして陸軍の装備の大幅な強化は達成された。それを実力重視で登用された有能な軍人達が操るのである。かつての無能で時代遅れの陸軍の姿はどこにも無かった。ようやく阿川青年は陸戦に関して自信を得ることができたのである。



 そうこうしている間に世界情勢は激動の真っ只中を進んでいた。ヨーロッパではナチスドイツがポーランドへと進撃して第二次世界大戦が勃発した。ナチスはその後も北欧、西欧へと兵を進めイギリスを除くほぼヨーロッパ全域を制圧した。

 一方、経済不安打開の為に第二次世界大戦への参加と中国市場の支配の機会をうかがっていたアメリカは日本の経済封鎖を強行した。日本にアメリカを先制攻撃させようと企んだのである。

 石油を断たれれば日本に未来はない。日本は罠と知りつつも、アメリカとの戦争に突き進まざるをえなかったのである。



 1941年の末、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾から真珠湾を攻撃してアメリカ艦隊に大打撃を与えるべく機動部隊が、また海軍の軍政下にある海南島より東南アジアを解放すべく強襲揚陸部隊が出撃して言った。

 阿川青年はこの時、侍従武官として天皇陛下に直接助言をできる立場にあった。そこから間接的に日本海陸軍を動かし、悲惨な敗戦を避けるべく動いているのだ。

 その阿川青年のもとへ連合艦隊出撃の報が届いた。アメリカは強大な敵である。しかし彼が心血を注いでつくりあげた新生日本軍が必ずアメリカ軍を打ち負かし、日本に勝利をもたらすと確信していた。

 1941年12月8日、日本とアメリカは戦争状態に突入した。

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